【2014年ベスト本】本当におすすめしたい21冊をまとめたよ


 “人は自分の見たいものしか見ない”とは、どこぞの賢人*1が語った言葉らしい。そりゃそうだ。アホみたいに情報とコンテンツで溢れかえっている「インターネット」なんて存在も今はあるくらいだし、多くのものを見て聞いて咀嚼して判断するのは面倒だ。全てを見ようにも脳のスペックが間に合わないのだから、結局は何かを選ばざるを得ない。

 ……ということは、「ネットには何でもある!」という言説も一面的にはウソになる。いろんな人の意見を参照するのがかったるいから、特定の有識者の主張を鵜呑みにし、いつも同じサイトを情報源として、何かよく分からない話には耳を貸さない。だって、情報量が多すぎるんだもの。見えないものを見ようとして望遠鏡を覗きこむ?やめとけ、目が潰れるぞ。

 そう、何でもは見えない。見えているものだけ。

 ──そんな話題を取り上げていた本が、今年発売の『弱いつながり』(東浩紀著)だったように思う。その中では「自分の“検索ワード”を探す旅に出よう!」というのがひとつの主張であったように読めたけれど、それは別に「旅」でなくたっていいと思うのですよ。

 たまにゃー昔のように波乗りしてみっか、とSNSの船を飛び降り、ハイパーリンクを辿るネットサーフィンに繰り出すも良し、新しいコミュニティに乗り込むも良し、他人の“おすすめ”を眺めに行くも良し。そういう意味でブロガーやニュースサイトの管理人が書いた「まとめ」の類は、各々の好みが滲み出た個人商店とも言えるのではないかしら。

 魅力的な“おすすめ”を紹介できる自信はないけれど、年末というこのタイミング。せっかくなので、自分が2014年に読んだおすすめの本をまとめました。あわよくば、この記事がどこかの誰かの“雑貨屋”くらいにはなりますよう。

『危険な文章講座』山崎浩一

 「人を惹きつける文章の書き方!」「文章力を高める◯つの方法!」なんて言説は見飽きたというレベルを既に通り越している印象があるが、そんな中で本書は異色の存在と言える。何と言っても、書名が“危険”。パッと見ただけでは「なんだこの本?」と本棚に突っ返してしまっていたところだろう。

 曰く、全ての文章は《ゆがみ》から生まれる。文章力や、文章表現の巧さ、テクニックやレトリックといったものはひとまず置いといて、そのよく分からない《ゆがみ》によって言葉と文章が描き出され、「多様性」によって文章は成熟する、と。そこから、《言葉》とはなんぞや、思考とは、批判とは、言論の自由とは──といった話に方向が進み、最終的には「日本語ってなんやねん!」という議論に到達する。ワケガワカラナイヨ。

 後述する『本の「使い方」』では、“優れた本は、読後に、「毒」を飲んだような強い印象を残します”と説かれていたが、本書はまさにその「毒」たり得るもの。じわじわと身体を巡って、後から効いてくる。それを良い毒とするか悪い毒とするかは、読者次第。

『本の「使い方」』出口治明

 「本を読みたい!」という読書に対する欲求を、「本を読まねば!」という義務感にまで底上げしてくれる読書論。個人の経験談や成功体験を語るビジネス書にはNO!を叩きつけ、長年に渡って綾鷹ばりに選ばれ続けてきた“古典”を薦めている。……とは言っても、普段は読まない人は何から手を出せばいいのか敷居が高い印象もあり、読み進め方も分からない。本書ではその点もしっかりと取り上げた上で、年代別・考え方別にも100冊以上の本を参照。超親切設計である。

 著者は幼い頃から“活字中毒”だったというライフネット生命保険株式会社の会長、出口治明さん。文章を読むだけで「あ、この人すげえ頭良いわ」と感じたのは久しぶりだった。潜在的に「読書」に関心を持っている人に対して即座に本を読むべく駆り立てるような、そんな魔力を持った本。

『GUNSLINGER GIRL』相田裕

 漫画を読んで泣いたのは何年ぶりだろう……いや、初めてかもしれない。クスリ漬けにして身体を改造された少女たちを殺しの道具に使う、と字面を見ただけでは、よくぞまあ商業誌で書けたものだと驚くところ。けれど、作品全体を通しての大テーマと各話で描かれる群像劇が読者に対して訴えかけてくる“何か”は、看過できない重厚感を持っている。

少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ。

 単行本1巻の帯に書かれたこのコピーが、この本を読みなさいと手招きしているようでズルい。きっとこれから先、何度も何度も読み返す作品になるのは間違いない。

『知らない映画のサントラを聴く』竹宮ゆゆこ

 あらすじを信じてはいけない。どうしようもなく残念な無職の成人女性が、失ったものを取り戻すため大好きな「敵」と戦うもフルボッコにされ、終わることのないダンスを踊り回り続ける話。──恋愛?ちゃんちゃらおかしいね。代替不可能な現実にひれ伏し踏みにじられ、それでも罪を精算するするべく足掻く泥臭さ。これは、贖罪の物語だ。

 明確な「答え」を得ることはできないかもしれない。けれど、自らの失敗や喪失を癒してくれる処方箋とはなり得るはず。罪の意識と向き合うのは悪くない。むしろ正しい。が、真に「答え」を識ろうというのであれば、必要なのはイメージだ。何も見ず、触れず、知らず、ただただ外から中に入ってくる存在に意識を傾けて受け入れること。

 それがきっと、「聴く」ということなのだろう。

『ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験』大鐘良一、小原健右

 『宇宙兄弟*2のファンに告げる。読んでみて。ぜったいに、おもしろいから。選抜試験の模様を窺い知ることができるだけでなく、候補者それぞれの「物語」に触れることができるのも大きな魅力。そこには実体験に基づいた、一人の人間のナマの生が読み取れる。

 帯にある「究極の“就活”」の文字を見て、おうおう煽りおると思ったものの、読み終えてみると……うーむ。“就活”かどうかはともかくとして、人を選ぶ、選別する意味での「選考」に関する本質を突いた指摘も散見された。それも「宇宙飛行士」という生命の危機に瀕しても立ち向かうことのできる人材を厳選する試験の話と考えれば、得心が行く。

『一億総ツッコミ時代』槙田雄司

 「好き/嫌い」という純粋な個人の感情を排斥し、誰も彼もが「良い/悪い」をメタ的に語るドヤ顔感。そんな評論家ヅラした人間が跋扈するインターネットにドロップキックをかますのは、芸人のマキタスポーツさん。普段はマスコミをこき下ろしているネット民が、実に“マスコミ的”なツッコミで“批評”する滑稽さを指摘している。くそわろた。

 オチを求め、些細なミスを笑いにし、安全地帯からあらゆる話題にコメントし、他者に対して優位であろうとする精神性と閉塞感。それらの問題について、著者自身にとっても身近な「お笑い」を例に挙げつつ再考する内容。ぜひブロガーの皆さんには「自我ダイエット」に挑戦してもらい、ツッコミ地獄を打ち破るボケに徹していただきたいところ。がんばる。

『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す』津田大介

 “初心忘るべからず”ではないが、普段からネットの海にどっぷり浸かっている身体に対して、「とりあえず落ち着け」と肩を叩かれ現状を再確認させてくれる良書。Q&A方式の構成になっており、気負わずスキマ時間に気軽にパラパラ読めるのはありがたい。

 今年読んだ書籍の中から「ブロガー向け」の本を選ぶとすれば、間違いなくこれ。情報の入出力法、文章・表現のバランスに、炎上やネガティブなツッコミに対する考え方。「ブログ」という媒体の内側から方法論を語った内容ではないけれど、その外側に遍在しているSNSの視点から「情報」の向き合い方を捉え直すことができる。いま改めて「ネットリテラシー」を考えたい人に。

『承認をめぐる病』斎藤環

 初音ミクにAKB48。若者のサブカルチャーであるそれら「コンテンツ」と「メディア」の境界線が曖昧になっている現在の文化圏を参照しつつ、そこから「コミュニケーション」への話題へと移行し、若者の精神に関わる諸問題──新型うつ、幸福感と満足感、ひきこもり、AC、秋葉原事件──などを紐解いた内容。

 やたらと“コミュ力”が重視される社会においては、その場の空気を読み、自らの「キャラ」を演じることでコミュニケーションを円滑化する傾向が強い。それを“毛づくろい的コミュニケーション”と読んだのは言い得て妙だと思ったが、集団の成員が皆「キャラ」という枠組みを守ってキャッキャウフフしている様子は気味が悪い。おそろしいおそろしい。

『“ありのまま”の自分に気づく』小池龍之介

 なんだ、また“れりごー”か。──いいえ、違います。むしろ日本ではこっちの方が先です。現役住職の著者が、心理学・社会学・仏教などの多角的な視点から「承認」と付き合うための方法を説いた本。読むと仏教を学びたくなる。そうだ、立川行こう。

 先ほどの『承認をめぐる病』を読んでもやもやしていたところに本書を手に取ったところ、ひとつの答えを示してくれたような格好。全てを「それな」と流すのは簡単だが、自分ごととして受け止め“見届ける”のは難易度が結構高い。実践するのは難しくとも、辛い時、苦しい時の考え方として、処方箋となり得る本。

『ひとりぼっちを笑うな』蛭子能収

 蛭子流「ぼっち論」。集団に属するから、肩書きを持つから、レッテルを貼られるから、疲れる。それならば、常に自分をレベル1だと見積もっておくことで他人から規定されず、自分の価値観で戦えるのではないか。そう、イメージするのは常に最弱の自分だ。ぼっちだろうがリア充だろうが非モテだろうが、自分を「内向的」な性格だと感じている人に広く薦めたい。こうして見ると、ひとりぼっちも案外悪くない。そう思える。

 全体的にユルい文体が続き、ツッコもうと思えば矛盾もあるのだけれど、「それでもいいじゃないか」と思わせてしまうのは蛭子さんの人徳によるものなのだろうか。周囲の意見やツッコミを「そういうのもあるよね」と認めつつ流しているように見える点は、先ほどの『“ありのまま”』と通じる部分もある。それを自然にできている彼はいったい……。

『伝わっているか?』小西利行

 コミュニケーションとして相手に「伝える」のではなく、自然と「伝わる」ことばや表現、コピーを紹介していくハウツー本。言い換えれば、徹底的な“相手目線”で考えるメソッド。伊坂幸太郎さん推薦。

 『夢をかなえるゾウ』といい『嫌われる勇気』といい、最近は物語形式のハウツー&自己啓発が主流なのかしら。後者は、物語中盤まで頑なだった主人公が突如としてTV版エヴァ最終回ばりの「僕はここにいてもいいんだ!」的なイエスマンと成り果てて胡散臭くなったが、本書はもっとポップでキッチュなショートストーリー展開で気楽に読める。

 ほうら。振り向けば、おっさん臭いイルカがキューキュー言いながら語りかけてきやがる。「その言葉、本当に伝わっているか?

『思考の「型」を身につけよう』飯田泰之

 「テンプレは思考停止だ!自分の頭で考えろ!」とはよく言われるものの、考えるためにも「型」がないことには物事を論理的に解き明かすことはできない。「物事を多方向から観察し、総合的に判断する」ためには、「物事の一面だけを観察し、個別的に判断をする」ことから始める必要がある。

 “大学は浮世離れしたことを教えるべきであり、それが現実的にもっとも役に立つ”。大学で学ぶ専門分野を思考の「型」と捉え、体系的に学ぶことのススメ。経済学者である著者の視点から、論理的思考法を習得するための考え方を紹介している。ありきたりな「思考法」ではない、地に足の着いた「論理」を一から学ぶことのできる良書。

『「あいつらは自分たちとは違う」という病』後藤和智

 “社会に都合のいように使われ続ける現代の若者”を憂いた内容。かたや上の世代の論客からは「最近の若者はけしからん!俺達とはこう違うからだ!」と叩かれ、他方では「希望」を語られる。かたや若者世代の論客も、不透明な「新しい生き方」を無責任に提示して自己啓発的な議論しかできていない。上の世代からは自らのアイデンティティの再確認のために利用され、同世代もそれを否定し互いに肯定することで傷を舐め合うのに精一杯。だめだこりゃ。

 一方では、近現代史や現代思想に関しても幅広く解説されており、ちょっとした「歴史の教科書」として読むにも悪くない。特に60年代以降の若者論を追いかけつつ、当時の若者と関係の深い出来事が簡潔ながら分かりやすく説明されており、とても勉強になった。また、若者論を論じるのに参照した10ページに及ぶブックガイドも収録されているので、知見を広げるきっかけにも。

『進化するアカデミア』江渡浩一郎

 ニコニコ動画から派生した研究者コミュニティ「ニコニコ学会β」がどのような考えを持って、どのような経緯で誕生したのかを追うハイライト本。複数人によって、「研究」「学会」の有用性やそれによってもたらされるもの、ネットとの融合によって何が起こったかなどが語られており、文系の自分にとっては非常に刺激的で濃厚な一冊だった。

 中でも印象的だったのが、昨今の「モノづくり」は感覚的過ぎる、という指摘。その場凌ぎのマーケティングや勘でモノを生み出すことはできるが、“つくって消費して終わり”では商売がうまくいっても社会が全く前進しない。研究と社会とを繋ぐハブとして、ニコニコ学会βが果たせる役割は大きいように思う。

 ニコニコ学会βの放送は何度か見たことがあるが「研究」という堅っ苦しいイメージは全くなく、ひとつのテーマを突き詰めて検証し解き明かす作業はむしろ「同人」的な文化圏と近しいものに見えた。遠い世界の知識人の活動という印象のある「研究」だったけれど、実はちょっと手を伸ばせば届く距離にあるのではないかしら。

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』柴那典

 2014年投稿のボーカロイド曲で、ミリオン再生を達成したのは1曲のみ。「音楽」としてのボーカロイド文化は過渡期を超えたような印象はあるものの、人気楽曲の映画化・アニメ化などとメディア展開は今なお活発だ。そんな中で出た本書は、音楽史における「初音ミク」の立ち位置と過程を整理する意味で、これ以上ないタイミングで出版されたと言えるかもしれない。

 キーワードは、「サード・サマー・オブ・ラブ」と「遊び場」。電子音声の音楽史やインターネット文化の視点からも語られており、読み物としても面白い。ボーカロイドの「これまで」を整理し「これから」を考えるにあたって、本書は大きな力となるものだと思う。

『僕たちのゲーム史』さやわか

 “スーパーマリオはアクションゲームではない”という衝撃的な言説から始まる本。過去の文献を参照しながら今ではおなじみとなった人気ゲームを読み解いていく展開は、当時を知らないゲームファンでもワクワクするものだ。単純にゲームソフトを追いかけていくだけではなく、ゲームセンターの存在やメディアの変化、時代背景を鑑みた上での考察もなされており、これまで知らなかった「ゲーム史」が自然と浮き上がってくる。

 中でも特に焦点を当てているのが、「ボタンを押すと反応する」「物語をどのように扱うか」という2つの軸。数十年に及ぶゲームの歴史の中で変わってきたものと、変わらなかったもの。その変遷を解説・検討しつつ、今も僕らの身近にある「ゲーム」について再考を促す良書。

『アニメを仕事に!』舛本和也

 いわゆる「アニメ業界の闇を暴く!」的な本ではなく、制作会社の取締役が書いているれっきとした解説本。読後の印象としても、サブタイトルの“アニメ制作進行読本”という表現がぴったりと当てはまった内容だった。これまで持っていた漠然とした知識──作画、原画、絵コンテ、編集、背景──が全てピースとなって組み合わさったような。アニメって、こうやってできていたのか!

 本書が特徴的なのは、アニメ制作の中でも「制作進行」の仕事から制作の現場と、業界の四方山話を紐解いている点。ただ単に作業を羅列・解説するだけでなく、それとなくでも実務としての過程が示されているためイメージしやすい。その激務っぷりも容易に想像できてしまうくらいには。アニメ『SHIROBAKO』*3の副読本としても良いかもしれない。会社は違うけれど。

『ゲームウォーズ』アーネスト・クライン

 「ぅゎ、オタク、っょぃ」を地で行く海外小説。典型的なギークである主人公が『サマー・ウォーズ』*4的な仮想空間でビル・ゲイツ(例え)が遺した莫大な遺産をハントするべく無双する話。80年代カルチャーが好きな人にとっては、最高のエンターテイメントと言えるかもしれない。謎解きあり、アクションあり、ラブロマンスあり。

 主人公の活躍っぷりと言ったら、もうベイマックスも青狸になるほどのぶっ飛び具合。最終決戦では日本のスーパーロボット&特撮大戦が開幕され、誰も見たことのないとんでもねえ組み合わせによる大怪獣バトルが繰り広げられる壮大さ。既に映画化が決まっており、クリストファー・ノーランに打診が行っているとニュースもあったが、果たしてどうなることやら。版権的な意味で。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』渡航

 まーたアレか。やたらタイトルが長い量産ハーレムラノベですね、分かります。けっ!──とレッテル貼りしていた過去の自分をグーでぶん殴った上で冬の有明海に放り込んでしまいたいくらいに、大好きなライトノベル。

 語られるは、“ぼっち”の矜持。クソみたいな馴れ合いの人間関係に辟易し孤高を貫かんとすれど、それでも求めずにはいられない「本物」がある。ここまで理性的に人と人との狭間で立ち回ることのできる高校生がいたら驚愕ものではあれど、そこで問題視されている「人間関係」はきっと誰にも身近なものであるはずだ。

 感謝するぜ、お前と出会えたこれまでの全てに。

『フルサトをつくる』伊藤洋志、pha

 最近は地方への移住や起業が活発になりつつある、という話を随所で聞くようになったが、まだまだ一般化するほどではなく一時の流行でしかないようにも見える。それよりもさらにニッチな暮らし方として、「多拠点居住」を薦めているのが本書だ。二者択一?どっちも選んじゃえばいいじゃないか、と。

 都会or田舎、定住or移住といった二元論ではなく、地方にプラスアルファとしての拠点──「フルサト」を作ることのススメ。著者の伊藤洋志さんは前著でも、リストラや不況のリスクを分散するための「ナリワイ」を薦めていたが、それを「職」だけでなく「住」にまで発展させたものと言えるかもしれない。選択肢は多い方が安心できる。

 伊藤さんが「住居」「仕事」といった実践面での解説を記しているのに対して、もう一人の著者であるpha(id:pha)さんは「つながり」「文化」などの田舎における考え方・文化の知識を提供している。地方にあるコミュニティや関係性について言及した上で、最も大切なのは「人」である、と。多拠点居住のモデルケースを示す解説書であると同時に、地方の暮らしや社会を知ることもできる、一冊で二度美味しい本だった。

『弱いつながり』東浩紀

 冒頭でも引用した、東浩紀さんの著作。一口にまとめれば「書を捨てよ町へ出よう*5」で終わってしまうところを、ネットの使い方や個人を規定する環境、異国の地を訪れることで得られる経験などの様々な切り口から論じている。おそらく読んだ人によって印象に残るところが違うため、議論のきっかけや書評の題材として引用しやすい側面がある一方、人によっては「話があっちこっち行って何が言いたいのか分からない」と感じるかもしれない。

 新しいモノや価値観を探しに行こうとするのなら、その場にインターネットや本といった外部記憶装置は不要だ。もちろん「旅」を効率的かつ快適に進めようとするのであれば、現地情報のまとめられたそれら装置の存在が助けになることは間違いない。しかし、そうすることで逸しているモノもあるのではないか。それこそが旅で得られるナマの体験や経験であり、もともと探しに行こうとしていた「価値観」もそのひとつ。

 情報のもたらす“必然”を排除し、“偶然性”に身を委ねる。たまにはそんな時間があっても良いんじゃないか。そう思った。

 

過去の年間おすすめ本まとめ

*1:ガイウス・ユリウス・カエサル - Wikipedia

*2:小山宙哉著『宇宙兄弟』(講談社)

*3:TVアニメ「SHIROBAKO」公式サイト

*4:劇中に登場する仮想空間「OZ」をさらに拡張・拡大したイメージ:映画「サマーウォーズ」公式サイト

*5:寺山修司著『書を捨てよ町へ出よう』(KADOKAWA)