ビジネス書ではなく古典から教養を学ぶための『本の使い方』


 私にとって読書は、食卓に並ぶ「おいしいおかず」のようなイメージです。

 パンやお米だけでも、最低限の食欲を満たすことはできます。しかし、食卓に「おいしいおかず」が並んだとき、食事の時間は、もっと豊かで、もっと楽しい時間に変わります。

 本がなくても死ぬことはありません。でも、本がなかったら、人生を楽しむことはできないでしょう。少なくとも私はそう思います。

 

 そう語るのは、ライフネット生命保険株式会社の創業者、出口治明@p_halさん。今回読んだ『本の「使い方」』は、幼い頃から “活字中毒” だったという出口さんの「読書論」をまとめた1冊となっています。「本が好きで辛抱たまらん!」という、筆者の考えが見て取れるような内容。

 

 しかし、それだけではございません。

 

 最近忙しくて読書ができていない人。積ん読をためこんでしまう人。本を読みたいけれど踏み切れない人。どこから手を付ければいいのか分からない人。

 本書は、そのような潜在的に「読書」に関心を持っている人に対して、「本を読みたい! 読もう! 読まねば!」と駆り立ててくれるような力を持っている。そのように感じました。

 

 ――というか、僕の読後感がまさにそんな感じ。
 「うむ。おもしろかった。よし、図書館に行こう!」みたいな。

 

一行一行を口に含み、味わうように

 

 Amazonの作品紹介ページを見ると、まずデカデカと書かれた帯の文字が目に入る。曰く、 “一行たりとも読み飛ばしてはいけない” と。

 

 読書は、私にとって大切な時間ですから、本を読むときは、マキアヴェッリのごとく「よし! いまから本を読むぞ」と気合いを入れて読んでいます。読書は著者との一対一の対話です。しかも立派な人と対話をするのです。

 誠実に、礼節を持って著者と正面から向き合いたい。極端なことを言えば、「きちんとネクタイを締め、正座をして本を読む」ぐらいの気持ちです。

 

 “本の虫” でも“活字中毒” でもない、 “ただの本好き” の自分からすれば、「いやいや、さすがにそこまでは……」と思ってしまうけれど。ごろ寝しながら小説を読んでも良いし、机に向かって猫背になるくらい集中するのもまた良いと思うのです。あ、でも姿勢が悪くなるのはよろしくない。

 でもその一方で、著者の「読書」に対するスタンスに関しては自分と似通った印象を持ち、共感しました。例えば、以下の「速読」に関する視点。

 

 どのような本の読み方をしても人それぞれでいいと思いますが、私は、速読は「百害あって一利なし」だと考えています。

 人との対話に、速読はありえません。人に会って話を聞くときは、じっくりと相手の話に耳を傾けなければなりません。

 いうならば、速読は、観光バスに乗って世界遺産の前で15分停車し、記念写真を撮って「はい、次に行きましょう」と言って次の世界遺産に向かう旅のようなものです。

 記念写真を見れば、「どこどこに行った」という記憶は残るかもしれませんが、「何を見たか」を明確に覚えている人はほとんどいないでしょう。それなら、1ヵ所に留まってじっくりと見学をしたほうが、はるかに記憶に残ります。

 

 この指摘には、僕も同感です。何かに迫られ、より多く冊数を消化しなければならないのならともかく。その内容から何かを得ようとするべく本を読むのであれば、やはりちゃんと熟読したいもの。

 小説ならばその世界観に没入したいし、作者の考え方を記した本であればそれを自分なりに咀嚼し味わいたい。もぐもぐしたい。不味かろうと苦かろうと、それを完食した上で感想をまとめたいという願望が僕にはあるので。

 もちろん、これは著者にとっての「本=人」という前提があってこその考え方なので、個人的な一意見に過ぎないのではありますが……。実際、筆者さんも「いろいろな読み方があっていい」という旨のことは書いておりますので、念のため。

 

教養を学ぶための「古典」のススメ

 本書を読み終えて、まず「そうだ、図書館行こう」と考えるに至ったのには、もちろん理由があります。それは、著者が「古典」の魅力をこれでもかというくらいに魅力的かつ説得力をもって記しており、それが腑に落ちたことによるもの。

 

 古典は、どうして現代のビジネス書よりも優れているのでしょうか。その理由は、大きく4つあると思います。

  1. 時代を超えて残ったものは、無条件に正しい(より正確には「正しいと仮置きする」)
  2. 人間の基本的、普遍的な喜怒哀楽が学べる
  3. ケーススタディとして勉強になる
  4. 自分の頭で考える力を鍛錬できる

 

 実際には、当時の時代背景やその古典の普及過程などによって、「おもしろくないけど流行った」ような本も少なからずはあることでしょう。

 けれどそれも時が経ち、本当におもしろくなければ自然に淘汰されるはず。それが何十年、何百年も後で残っているということは、何かしらの「正しさ」を持っているものなのではないか。――本書では、そのように仮定しています。

 

 人間の類型も、人間の喜怒哀楽も、すでにさまざまな古典の中で最高の天才たちによって明らかにされています。だからこそ、古典は役に立つのです。古典には、人間の本質的、普遍的、根源的、基本的な喜怒哀楽が描かれているのです。

 古典を読んで「社会には、こんなにひどい人間がいる」「人間は、千差万別である」ことが十二分にわかっていれば、予期せぬ相手があらわれても、動じることはありません。「ああ! 本に書いてあったことは本当だ」と、軽くやり過ごすこともできるでしょう。

 

 古典の普遍性の一例として、ここでは『ヴェニスの商人』が取り上げられていました。中世の話であるにも関わらず、それをスーツ姿のビジネスマンとして演じてみてもまったく違和感がなかった。ならば、そこにはずっと変わらない人の普遍性があるのだろう、と。

 この話は当然、日本の古典や文学作品にも当てはまる。『こころ』を読んで「精神的に向上心のない者はばかだ」にドキッとしたり、登場人物にやたら感情移入したり。『人間失格』を読んで自分に当てはめて鬱々としたり。そんなこと、ありません? え? ない?

 つまり、現代まで残る古典には、いつの時代の人も共感する「人間あるある」が詰め込まれていると言えるのではないかしら。いわゆる、進研◯ミのメソッド。「あ!これ、『君主論』でやったところだ!」みたいな。

 

「経験談」で語るビジネス書はNO!

 一方で、筆者は広く書店で目にする「ビジネス書」に対しては懐疑的な目を向けている模様。

 

 極論すればすべての成功体験は後出しジャンケンの最たるもので、読んだところで何か身のためになるのだろうか、といつも思うのです。

 成功者があとから自分を振り返って「こうしたから成功した」と述べたところで、それが次の成功をもたらす保証がどこにあるのでしょうか。  成功体験は、いくらでも後づけで考えられます。

 

 ほんまこれ。就職活動をしているときも「うさんくさい……」と思いながら聞き流していたけれど、「これをやっておけば間違いない!」という方法論を成功させるには、一から十までまったくそのとおりの状況を作り出さなきゃ無理だと思うのです。不可能に近いし、残りは運。

 

 大成功者の本を読み、彼と同じように行動したからといって、ビジネスがうまくいくとは限りません。すべてのビジネスは、人間と人間がつくる社会を相手にしているのですから、「人間とはどういう動物なのか」を理解することを優先したほうがいいと思うのです。

 ビジネス書を読んで、その内容を受け売りするよりも、小説や歴史書から、人間はどんな動物でどんな知恵を持っているのか、社会はどんな構成要素で成り立っているのか、人はどんな場面でどのように行動するのかなどを学んだほうが、はるかに有益です。

 

 それゆえの、「古典」のススメ。

 他方では「ビジネス書にも良い本はたくさんある」として何冊も紹介していますし、読んだ古典の内容を実際に活かすには自分の血肉とする必要があるはず。良書を “選ぶ” にせよ “使う” にせよ、結局は「自分の頭で考える」ことが重要となってくる。

 では、どんな本をどのように読めばいいのだろう? ……ということで勧めているのが、本書の最終章の部分になります。「考え方」を養うにあたって20代におすすめの本が、韓非*1、アリストテレス*2と来て――ちきりん*3! と登場したのには吹いた。

 あ、僕はちきりんさんの本、結構好きですよ。

 

そんなことより、読書しようぜ!

 本書『本の「使い方」』の中では、他にも「読書」に関するさまざまな考え方、方法論が記されています。

 

  • 体系的に新しく何かを学ぶのなら、関連書籍を7〜8冊読む
  • 分厚い本を読んだ後に、入門書などの薄い本で全体を整理する
  • 立ち読みをして、「最初の5ページ」で読むかどうかを決める

 

 さらに先ほど書いたように、最終章では年代別・考え方別におすすめの本が数十冊取り上げられており、巻末には本文中で名前の挙がった全書籍、およそ160点がまとめられているという親切仕様。

 普段忙しくてなかなか本が読めていない人や、何から手を付けていいか分からず困っているような人でも、「よっし!読んでみよう!」と思わせるような読後感をもたらしてくれるのではないかしら。

 

 

 チェコ好きさんが過去にこのような記事を書いていますが、今回読んだ『本の「使い方」』は、僕にとってまさしくこの「おいしい “読書論” 」を記した内容と言えるものでした。ちょっと味見して、もっともぐもぐしたくなってきた感じ。

 早速、図書館に行ってこよう。そうしよう。

 

 

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