『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』“ハジメテノオト”はまだ奏でられたばかり


 レディー・ガガさんが、コンサートツアーのオープニングで初音ミクを起用するということで、話題になっています*1。“世界の歌姫”が“電子の歌姫”を呼ぶとは、なんとまあ熱い!

 日本国内では、つい先月、BUMP OF CHICKENとのコラボレーションが、双方のファンに衝撃を与えました。初音ミクのプログラミングは、「Tell Your World」などでおなじみ、kz(livetune)さんが担当しているということで、その力の入れようが窺えますね*2

 2007年8月31日。この世に生を受けた彼女は、最初はちょっとした「遊び」として、または人間の代わりとして、歌を歌い始めました。

 その歌声は、多くのクリエイターの創作意欲に火をつけ、聴く人を感動させ、インターネットを通して、今や世界中に轟いています。

 僕自身、2007年9月の時点で彼女の存在を知り、その声と斬新さに魅了され、今に至るまでずっと、その軌跡を追いかけてきた、1人のファンです。ゆえに、初音ミク以降のカルチャーと、周辺のボーカロイドクリエイターについてはそこそこ知っている方だと思う。

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 しかし、それよりも前、「初音ミク以前」の音楽文化や、そこに至るまでの変遷に関しては全く明るくなく、そのことに言及している話もほとんど聞いたことがなかった。

 初音ミクは如何にして生まれ、現代の音楽シーンに影響を与えてきたのか。そして、彼女が誕生する下地には、どのような文化背景があったのか。

 音楽史における「初音ミク」の存在とは。単なるブームで終わらず、新世代のひとつのカルチャーとして存在感を高めるにまで至った理由とは。

 そんな、音楽史や文化史、社会学における「初音ミク」について幅広く論じているのが、柴那典さんの著作、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』です。

 ボーカロイドを語るには、この本なくしては語れない。そう断言してもいいほどに、非常におもしろく、興味深く、得心のいく内容でした。

 

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第3の「サマー・オブ・ラブ」

 著者は、2007年、初音ミクが誕生した年を第3のサマー・オブ・ラブ、「サード・サマー・オブ・ラブ」の始まりの年と位置づけて、その重要性を説いている。本書の中で幾度も現れる単語であり、「初音ミク以降」を説明するのにも適切な言葉であるように感じた。

 「サマー・オブ・ラブ*3とは、1967年、アメリカを中心に巻き起こった社会現象であり、その中心にはロック・ミュージックがあった。ウッドストック・フェスティバルに代表される、60年代のヒッピーによる「カウンターカルチャー」の流れを汲んだものだ。

 その20年後の1987年、今度はイギリスで、「セカンド・サマー・オブ・ラブ*4のムーブメントが勃発する。そこでは、テクノやクラブ、ダンス・ミュージックが中心となり、後の音楽シーンに大きな影響を与えた。

 これら2度のサマー・オブ・ラブに共通するのは、音楽とドラッグ、そして、DIY精神から生まれた新しいコミュニティとユースカルチャーだ。大人たちには理解不能ながら、若者たちが社会の構造を変えようとする「何か」が、そこにはあった。

 1967年アメリカ、1987年イギリス、そして、2007年。20年ごとに、音楽シーンに多大な影響を及ぼすムーブメントが起こるとすれば、初音ミク誕生の年は、ちょうどそのタイミングに当てはまる。3度目のサマー・オブ・ラブは、日本で巻き起こったのではないだろうか。それが、著者の考えだ。

 過去2度のサマー・オブ・ラブにおいては、音楽と共に、その中心にはドラッグの存在があった。言うまでもなく、現代日本においてドラッグカルチャーは広まっていない。しかし、現代にはインターネットがある。

 60年代、心理学者のティモシー・リアリー*5は、LSD*6「意識を拡張するための道具」として喧伝していたという。彼は晩年、コンピュータにも同様の意義を見出していたらしい。

 そして、コンピュータを初めて「人間の心を拡張する道具」として捉えたのが、“マウスの父”であり、“全てのデモの母”(Mother of all demos)とも呼ばれる、ダグラス・エンゲルバート博士*7だ。

 ドラッグ、そしてインターネットを、意識を拡張するための「道具」とすれば、そこにひとつの共通点を見出すことができる。さらに、インターネット誕生の歴史を辿ってみても、60年代のカウンターカルチャーの影響は非常に大きい。

 また、初音ミクを使用した楽曲が現れ始めた当時、それに飛びつき、熱狂したのは、インターネット文化に親しんだ若者たちだった。00年代後半と言えば、CDの売上がガタ落ちし、その犯人探しが行われていた頃。大人たちは、その原因をインターネットに見出していた。

クリエイターたちがそこに見ていたのは、ビジネスや採算や、そういったこととは関係ない、創作と表現の「楽しさ」そのものだった。

これは「終わりの始まり」だ――。あの頃そんな風に語り、音楽の未来について悲観的な物言いをしていたのは、既存のシステムの中にいた大人たちばかりだった。

(柴那典著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』P.13より)

 大人たちには理解のできない、若者たちによる新しい音楽文化と、ムーブメント。そのような、過去のサマー・オブ・ラブとの共通点を鑑みれば、「僕らはサード・サマー・オブ・ラブの時代を生きていた」と言っても間違いではないのかもしれない。

 

「オールナイトニッポン」と「ニコニコ動画」

 「サード・サマー・オブ・ラブ」と同様、いや、それ以上に、本書では「遊び場」という単語が頻繁に出てくる。

 日本における、音楽家たちの最初の「遊び場」となったのは、初音ミクの誕生から40年前、1967年の「ヤマハライトミュージックコンテスト」に端を発すると、エレックレコード株式会社社長、萩原克己氏は話している。

「ヤマハという会社は、日本の音楽にとても大きな影響を与えたと思いますね。ヤマハが作ったのは、我々音楽家の“遊び場”だったんですよ。そこに音楽の仲間がいて、切磋琢磨していた。そういう場所だったんです」

(柴那典著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』P.48より)

 また、1967年にはもうひとつ、後の音楽シーンに大きな影響を与える、ひとつの楽曲が登場しているという。それが、ザ・フォーク・クルセダーズ*8「帰って来たヨッパライ*9だ。オリコンチャート史上初のミリオン・シングルでもある。

 この曲は、「加工された声によるヒットソング」の源流のひとつである、としている。コンピュータやシンセサイザーを使った合成音声ではないが、生ではない、機械で処理された歌声の曲としては、前例のない大ヒットとなった。生歌ではなく、ユーモラスな“ネタ”的な側面が強いのも、初期の初音ミクのブームと類似している。

 そしてもう一つの理由は――こちらがより重要で本質的なポイントなのだが――それが当時の若者の「新しい遊び場」から生まれたブームだった、ということ。フォークルはそれまでの芸能界とも歌謡界とも関係ない場所で登場したグループだ。爆発的な人気となった後にも、わずか一年で解散し、活動を終了させている。

 そして、この曲のヒットの背景にあったのが、やはり1967年10月にニッポン放送でオンエアが始まった深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』だった。

(柴那典著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』P.51より)

 『オールナイトニッポン』には、ニコニコ動画と通じ合う点がある。いずれも、投稿を軸にしたユーザー参加型のメディアであり、くだらなくて笑えるネタが共有されやすい。確かに、「ニコニコ動画はラジオっぽい」という話は、たびたび耳にするものでもある*10

 

ネットに広がる「遊び場」と、「N次創作」の文化

 また、同人誌『VOCALO CRITIQUE』の編集長、中村屋与太郎氏は、ボカロ文化を「ほとんど有象無象が作ったムーブメント」と語っているが、それを担保していたのが、ネットに広がる「遊び場」だと言う。

 00年代当時、インターネット上では、アマチュア作曲家によるひとつの文化圏が存在していた。それが、「同人音楽」の土壌。黎明期はスクウェア系ゲーム音楽のアレンジ、そして「葉鍵*11」「東方Project*12」と続き、即売会において既にひとつのジャンルが確立していた。

 そこで重宝されていたのが、「歌姫」の存在だ。霜月はるかさん、片霧烈火さんなど、メジャーデビューするほどの実力派アーティストが人気を博する一方で、ボーカル人口はそこまで多くはなかった。曲は作れても、歌が……。そんなクリエイターが、少なからずいた。

 他方では、2007年といえば、ニコニコ動画が正式にサービスを開始し、その存在感を高めていた時期でもある。当初は、他のサイトの動画を引用して、コメントを打ち込むものだったが、後に投稿サービスも開始する。

 ニコニコ動画は、動画にコメントを流すという、コンテンツを媒介にしたコミュニケーションによって、すぐにユーザーの「遊び場」となった。「弾幕*13」が作られ、様々なMADが投稿された。中でも、『THE IDOLM@STER*14』のMADは一大ジャンルとなり、多くの「プロデューサー」が生まれた。

 そんな「場」が作られつつある中で、8月31日、「初音ミク」が発売された。1ヶ月ちょっとで15000本が売れ、たくさんの「ボカロP」が誕生した。

 最初は、既存曲のカバーや、キャラクターソングが中心だった。OSTER projectの「恋スルVOC@LOID」に始まり、azumaさんの「あなたの歌姫」ikaさんの「みくみくにしてあげる」、maloさんの「ハジメテノオト」など、この辺りは、黎明期の「初音ミクの歌」だ。

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【初音ミク】 ハジメテノオト 【3D PV】 ‐ ニコニコ動画:GINZA

 これらの楽曲について、イラストが描かれるようになり、3D動画が作られるようになり、創作の輪は広がっていった。そして、2007年12月7日。ryoさんの「メルト」が登場し、翌週には複数の「歌ってみた」が投稿されることとなる。

 この、いわゆる「メルトショック*15によって、ますます創作の輪は広がった。歌い手、踊り手、MMDなどが次々と現れ、ニコニコ動画における「N次創作*16」の文化が形成されることとなった。

 

一時の流行ではない、ムーブメントとしての「初音ミク」

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【第10回MMD杯本選】ODDS&ENDS【初音ミク's MMD-PV】 ‐ ニコニコ動画:GINZA

 ここまで、「サード・サマー・オブ・ラブ」「遊び場」、2つのキーワードに絞って、本書の内容をまとめてみました。かなりかい摘んで整理したので、本当はもっと多くのページ数を割いて説明しています。序章と終章を含めた全11章で言うと、だいたい5章までの内容になりますね。

 他のコンテンツとしては、音声テクノロジーの観点から見た、ボーカロイド誕生までの軌跡や、ボーカロイドの流行曲の変遷、ボカロ文化を取り巻く環境の変化(カラオケ、著作権、ライブ)など、多岐に渡って論じられており、ボリューム満点。

 個人的に興味深かったのは、第8〜10章。「Tell Your World」「ODDS&ENDS」というインターネットアンセムの登場、「千本桜」「カゲロウデイズ」に見る、物語音楽の隆盛、渋谷慶一郎氏のオペラ『THE END』がもたらす価値観。

 特に、物語音楽については、自分自身でも考えてみたいトピックなので、本書も参考しつつ、近々、記事にまとめようと思います。

 初音ミクがこの世に生まれて、今年で7年。2007年の時点では、「なんかおもしろそうなものが出てきたぞ!」と興奮しつつも、一時のブームで終わるんだろうな、とも正直、思っておりました。

 けれど、なんやかんやでもう7年。初期のような爆発的な盛り上がりは終息したように感じますが、それでも、その流れは途切れずに続いている。インターネット世界における代表的なカルチャーとして、世界に広がりつつまである。

 そんな、初音ミクの「これまで」を整理し、そして「これから」を考えるにあたって、本書は大きな力となるものだと思います。

 彼女のファンの1人として、その現象の最中、わくわくさせられてきた受け手として、これからも、ボーカロイド文化を追いかけて行こうと、そうしたいと思える一冊でした。

 

 

 

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