「2014年のベスト記事を書こう」の流れが楽しそうなので乗っかってみます。去年は記事数が充分になく、できなかったので!
2014年1月1日〜12月29日までに書いた全338記事の中から、「これは良く書けた!」「楽しく書けた!」という記事を12本。上から古い順に載っけております。
誰かの信じる「普通」や「常識」は、他の誰かにとってそうではない
「普通」とか「常識」とか、それはあなたの押し付けじゃございません?という記事。日々の疑問からスタートし、自分なりの論旨展開はしているものの、ぶっちゃけ最後のアインシュタイン先生の一言でまとめられてしまう話。
自分にとっての「普通」や「常識」が当たり前にあっていいと思うけれど、それを他人にまで押し付けるのは違うと思うのです。
小学6年生の「ぼく」が24歳無職の「僕」を笑顔でぶん殴ってくる
卒業アルバムの文集に書かれた当時の「ぼく」の文章が、現在の「僕」を全力で殺しにかかってきていて泣いた、という話。もうやめて!僕のライフはゼロよ!
見方を変えれば、昔と今の自分の文章を比較するだけでも変わっている部分と変わっていない部分が透けて見えて、それはそれでおもしろい。やっぱり、「記録」って大切ですね。
「半年ROMってろ」が僕らに教えてくれたこと
00年代前半のインターネットの優しさ。
……というか、単なる環境の違いの話かもしれない。
当時はまだネット上のコミュニティがそれぞれ独立している(ように見えた)ため、たとえ失敗しようとも、大きな炎上に結びつくことはほぼなかったように思うし、周囲から「それは違うだろ」とその場の空気や文化を教わりながらネチケットを学ぶことができた。
ところが現在はSNSの発達によって、一度の失敗で大炎上に結びつきかねない状態。ネットを自ら“体感しながら”リテラシーを学ぶことが難しくなっているように見える。そういう意味で、当時の「半年ROMってろ」はありがたい助言だったのだな、と。
今日も本屋でお宝探してぶーらぶら
「本屋さんの中を自由にうろつくのって超楽しいよね!ひゃっふー!」な記事。これを書いた当時は、まさか数カ月後に自分がB&Bで登壇することになるとは一欠片たりとも考えていなかったでござる。
今やネットを使えばすぐにレビューが読めるし、それを参考にすることの方が多い。自分自身も感想を書いているくらいだし。
でも一方では、リアルの書店の「空間」や「出会い」も大切にしたい。「お、このタイトルはちょっと気になるぞ?」とか、「この本の装丁すげー!」とか。感覚的に選んだ本が良書だったなんてことは、今でもよくあること。
平成元年生まれが過ごした2002年の文化圏(当時中1)
定期的に「ネット」への愛を語りたくなる症候群。
いいじゃない、好きなんだもの。
思えば、この記事を書いた後から「同人誌」と「ブログ」の類似性を考え始めたように思う。こちらで取り上げた同人誌の著者さんとお茶をして、オリジナルの創作同人に対する関心が高まり、そこから感じる熱量が“ブログっぽい”なーと。順序としては、同人誌が先なのでしょうが。
大学時代にはサークルで機関誌を作って文学フリマで頒布していたこともあるので、久しぶりに「紙」で「作る側」にも回ってみたい。複数人のブロガーさんで集まってそんなことができれば、楽しそうだよね。
80本のゲームからおすすめのゲーム音楽を80曲選んでみた
アニソンの100選もそうだけど、こうやって自分の「好き」をぶち撒けてまとめる作業は超楽しい。書き上げるまでに半日以上はかかってるけど、割といくつでも書けそうな。
マンガ版でも書いてみたいんだけど、そんなに読めていないというね……。自分の中でストックがたまったタイミングで、一気に放出するのは良いかもしれない。
現代社会には「ボケ」と「寛容さ」が足りない
『一億総ツッコミ時代』を読んでの感想記事。昨今の炎上案件やら何やらを見ていてモヤモヤしていた部分を、見事分かりやすく言葉にしてもらった感じ(発売は2012年ですが)。
とは言え、何でもかんでも「ボケ」に徹するのは難しいと感じるのも事実。特にブログなんてやっていると、全て自己完結的な文章を書き続けるのも無理がある。交流だってしたいし。
自分の内から溢れる感情を元にした「ボケ」ができるに越したことはないけれど、それが難しいのであれば、まず目指すのは「ツッコミボケ」なのかな、と。外部のモノに対してツッコミつつ、自分なりの「ボケ」でまとめ上げるコンテンツ。それなら、なんとかできそう。
個人ブログとして、読者さんに「選択肢」を提供したい
自分が「はてな」でブログを始めた理由に始まり、「不完全」で隙がある個人ブログだからこそ担える役割としての、「選択肢」の提供という考え方。
「あなたのブログは「日記」ですか?「メディア」ですか?」と合わせて、自分の「ブログ」という存在に対するスタンスはこの辺りの形でほぼ醸成されたように思う。もちろん、来年も同じことを言っているとは限りませんが。
古参ボカロファンが「マジカルミライ2014」で衝撃を受けた話
ミクさんとの出会い。「その場で見て、聞いて、体験しないと分からないこともあるんだ!」を久方ぶりに肌で実感できたコンサートでした。
言葉にするのは簡単なんですよ。CD音源とライブハウスとの違いだって、何となく説明することはできる。けれど、それを知らない人に理解してもらうには、やっぱりその場の空気を感じないと分からないことの方が多い。ってか、ほとんど言葉じゃ伝わらない。
この手の刺激は、何歳になっても感じることのできる感覚を持っていたいな。
選択肢としての「レールの外」の話
ブログ名が「ぐるり“みち”。」っていうくらいだし、「道」やら「レール」やらという意識は昔から漠然とあったように思う。ずっと字面のままに捉えていたそれを再考するきっかけとして、共著の出版に関わることができたのは本当に幸運でした。
社会システムがある程度はしっかりしている日本においては、大きな街道を逸れれば一寸先は闇、なんてことはなかなかないのだろう。なかなか樹海に迷いこむことはないし、だだっ広い荒野で行き先を見失う機会も少ない。
道を逸れた先にも道はあって、歩いていれば出会いがあるし、どこかに行き当たる。そういうことが肌感覚で理解できたのは、今年の大きな収穫でした。
芸術の知識が皆無なので「好き」「嫌い」で美術館を楽しむ
書き終えて、「あ、なんか僕っぽい」と自分の中でストンと何かが落ちたような音がした。他の記事や本をあまり参照せず、割と自分の思いつくままに書き連ねていった内容。
「好き/嫌い」を大切に、というのはブログを1年くらい前から意識するようになってはいたけれど、先ほどの『一億総ツッコミ時代』を読んでさらに強く思うようになった。感情的過ぎるのはどうかとも思うけれど、純粋にわき上がってくる自分の気持ちは大切にしたい。
こんな本もあるよ!2014年に読んで面白かった20冊のおすすめ本
何度か読んだ本をまとめる作業はしていたけれど、もっかい一から感想をまとめ直した格好。ノリに任せて書いていたら、10,000字を超えていたでござる。たのしい。
ある種の実験として、記事内でいつもとはちょっと違う書き口を試しております。ノリとしては、大学時代に好き勝手に書いていたmixi日記やサークルの小冊子の気分に近い。ゆえに自我がダダ漏れしている感じもあり、それであまり読まれなかったのかも。
やっぱり、より広い層に向けた「読みやすい」文体の方が良いんだろうなー。