『フルサトをつくる』ことで得られる、新たな“つながり”の形


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 伊藤洋志@marugame)さんとpha@pha)さんによる共著、『フルサトをつくる』を読みました。

 伊藤さんの前著『ナリワイをつくる』と、phaさんの『ニートの歩き方』、いずれも過去に読んで気付きの多い内容だったので、これは読むしかあるめえ! と。

 

〈都会〉か〈田舎〉か、二者択一を超えた「多拠点居住」

 『フルサトをつくる』というタイトルを冠していますが、本書は最近流行りの「田舎暮らしをしよう!」的なノリの入門書とは似て非なるものです。

 都会or田舎、定住or移住、社畜or無職。そのような二元論ではなく、都会とは別の役割を持ったもうひとつの拠点、「フルサト」を作り出し、都会と行き来することによって、暮らしをより豊かにできるのでは? と、提案する内容となっております。

 伊藤さんが本の中でたびたび書いているように、「骨を埋める覚悟」は必要ない。田舎に定住し、一箇所で落ち着いて生を全うするのではなく、あくまでひとつの選択肢として、いつでも戻ってゆったりと過ごせる、「フルサト」を作ってはどうだろう?というものだ。

 

 一般的には、「将来のことを考えろ」と言われると、貯金や保険をしっかりしておくだとか、ローンを組んでマイホームを買うだとか、安定した会社に勤めるとか、そういうことが思い浮かぶ。

 しかし、その「当たり前」は、実はハイリスクなのではないか、と伊藤さんは疑問を呈している。自然災害はいつ起きるとも知れず、会社が常に安定している保証はどこにもない。ただでさえ変化が大きい現代社会で、時代のとある一瞬の価値観だけで判断してしまうことは、相応のリスクを孕んでいるのではないか、と。

 

 それならば、衣食住のコストを最小限に抑えられる地方に拠点を作り、仕事をするときは都会に出て、のんびりしたいときにはそこへ戻ってくるような、そんな多拠点居住をしてみてはどうだろう。

 本書はその「フルサト」の作り方について、伊藤さんとphaさんの2人が、その魅力と実践方法を説明したものとなっています。

 

「フルサト」を見つけ、「住む」を作り、「つながる」

 まず、自分の「フルサト」をどの土地に作るか。自分に見合った場所を見つける手段として、田舎関係のイベントや専門のNPOもあるが、主に人の縁を頼って探すことが勧められている。

 phaさんによれば、重要なポイントは3つ。

 

  1. 「人」:安心できる人間関係のネットワーク。
  2. 「環境」:人が少なくて自然が多い場所。温泉や海など、定期的に通いたくなるコンテンツがあると良い。
  3. 「交通」:都会との往復のしやすさ。ただし逆に遠いと秘境感が増し、軽い気持ちで訪れる人が減るため、フィルター効果も期待できるので、一概には言えない。


 とは言え、最も重要なのは「人」だという。魅力的な個人、あるいは安心できる人間関係のコミュニティなどがなければ、わざわざそこへ行こうという気にはならないし、長続きもしないだろう、という話だ。

 土地を決めたら、次に自らの「住む」場所を確保する必要がある。大抵、田舎には多くの空き家があり、家賃もかなり安価なものとなっているが、様々な理由から借りるのが難しかったり、住むのが困難な場合もあるらしい。

 この点については、伊藤さんが非常に実践的な手法を書いているので、ぜひ読んでいただきたいところ。さらに、「自力で家を修繕するという手段持てば、かなり選択肢が広がる」という提案もしているが、そちらは前著、『ナリワイをつくる』が詳しいと思います「生きる」を仕事にするということ/『ナリワイをつくる』

 そして、土地と家が決まれば、あとはそこで付き合うことになる人間関係と、コミュニティの構築が課題となってくる。この点について、田舎で居心地よく暮らすには3つのバランスが必要だと、phaさんは指摘しています。

 

  1. ずっと住んでいる地元の人
  2. 他から移住してきた人
  3. ときどき遊びに来る人


 良い雰囲気のある居住者コミュニティ、若者コミュニティが既にあれば馴染みやすいだろうし、都会に出て行った人たちが定期的に集合してコミュニケーションする場があれば、マンネリ感もあまりないだろう、ということだ。

 

いま、求められる「つながり」の形とは

 ここまでが前半部、全7章のうちの、3章までの内容となります。続いて、フルサトでの「仕事」の作り方、「文化」の作り方、生活を「楽しむ」方法ときて、第7章で「フルサトの良さ」について再度言及され、あとがきで締め、という形です。

 本書は共著ということで、1章はphaさんの担当、2章は伊藤さん――という形で、各章ごとに筆者が交互で論じていく構成。個人的には、この構成が非常に読みやすく感じました。

 伊藤さんが、「住居」や「仕事」について実践的な話を展開しているのに対して、phaさんは「つながり」や「文化」という、田舎におけるコミュニティや人の関係性について言及する形。その違いからある種の緩急が感じられて、飽きることなく、すいすいと読み進めることができました。全体で300ページと、結構なボリュームがあるにも関わらず。

 本の中でphaさんも書いていますが、フルサトには図書館を作ったり農業をやったりと活発に動きまわっている人がいる一方で、のんびりと悠々自適に暮らしている人もいるそうな。でもそれぞれみんな繋がっているし、必要なときには協力しあう、そんなユルくも居心地の良いコミュニティがあるという。

 

仲間意識はあるけど強制力はなくて各自が自由に振る舞っている感じだ。「みんなで一つになってまちづくりをしよう!」みたいな感じじゃなくて、「各自が自分が楽しいと思うことをやっているだけで、それが自然に地域に貢献することにもなっている」という感じなのがよいと思う。そうした無理のない感じのほうが物事は継続しやすい。

 

 著者の2人の関係性も、そうしたユルいつながりによるものなのかもしれない。企業なんかは「みんなが同じ方向を向いていること」が大前提となっているけれど、それがなくても、人は互いに繋がれるし、うまく楽しくやっていけるんだと、そう感じました。

 

最近はなかなか結婚しない若者が増えて「晩婚化」だとか「非婚化」だとか言われたりしている。それは「家族」という概念が持っている力が昔より少し弱くなっているということだろう。「イエ」「ムラ」「家族」「社会」といった旧来の日本で力を持っていたコミュニティの力は以前より弱まってきている。だからといって人間は一人では生きられないし、生きていくために何らかのつながりを作っていかなければならない。これからは新しいつながりの形を、自分たちで模索しながら作っていくしかないのだ。

 

 僕個人の考えとしては、そういった「つながり」をこれから形作っていくのは、インターネットが主体となっていくのだろうと思っていた。ネットで話題を共有し、リアルで会うことになり、その輪がどんどん広がっていく。オフ会に参加する中で、そんな空気を感じていた。

 けれど、情報過多のネット社会だからこそ逆に、そこから離れた場所、情報量は少なく、ヒトもモノも少ない場所でつながることによって、生み出せる何かもあるんじゃないかと。本書を読んで、そのようなことを考えさせられました。

 僕自身、ちょっと前から「田舎暮らし」や「地域おこし協力隊」といったものに興味があり、昨年末にふらっと徳島県は神山町まで足を運んだことがありまして。半日にも満たない滞在だったけど、そこでひとつ、とても印象的なことがあった。「挨拶」だ。

 

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2013年12月撮影。国道から街並みを眺めて。

 

 東京都心はもちろん、周辺のベッドタウンでも見知らぬ人と挨拶を交わす機会なんて滅多にないけれど、神山町ではすれ違う人すれ違う人に挨拶をされて、面食らった。会社で営業周りしているときは癖のようにしていたけれど、それとはまた違った印象。

 30メートルくらい離れている道の先でも、目が合った中学生に「こーんにーちはーっ!」と言われて、負けずに大声で返したり。

 おそらく、知らない人がリュックを背負って歩いているのも手伝ってのことだったのだろうけれど、地で「あいさつするたび ともだちふえるね*1」をいっているようで、なかなか気持ちの良い体験でした。うん、挨拶はいいものだ。ポポポポ〜ン。

 

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ちょっと道を入れば小川がさらさらと。夏は遊べそう。

 

 今回、本書『フルサトをつくる』を読み、地方への関心がさらに高まったので、またぶらり旅ついでにでも、面白そうなことをやっている「フルサト」を訪れられたらいいな、と思う。

 

 

 いいじゃん、ジャスコ。フードコートで見知らぬ子供たちと戯れるの好きよ、僕。……え? あ、怪しい人じゃないですよ! お母さん! 警備員さん呼ばないでえええええ

 

 

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