文章術
ライターとしてのお仕事実績。日本看護協会出版会『創造られたヒロイン、ナイチンゲールの虚像と実像』にて、コラムを執筆しました。
『節約ぽけっと』さんに寄稿しました。社会人向けに「読書」の魅力とメリットを説いた内容になっています。
『わたしのネット』にて、「インターネット」の思い出語りを寄稿しました。
「個性的な文章」とは、どのようなものなのか。「個性」を盛り込んだ文章の書き方と、それをかき消す恐れのある「通念化」の視点を紹介。
「ノンストップ・ライティング」の紹介と、そのメリットについて。「書く」ことを鍛えるための考え方であると同時に、アイデアを生み出す発想法でもある。読書猿著『アイデア大全』参照。
「みんなのごはん」への寄稿記事の告知と、なんとなく作ったポートフォリオサイトの話。
SUUMOタウンに記事を寄稿しました。川越はいいぞ。
2016年9月1日の雑記。ブログの「文章構成」に関する諸々の話と、人によって異なる運営スタイルについて。
「自分らしい文章」について。「書き言葉」と「話し言葉」が異なるという話に始まり、媒体別に顕在化する「個性」と「文体」についてざっくりと。
「呪い」と「祟り」の違い、そして共通点についてまとめた、学生時代のレポート。
「学ぶ」と「習う」という表現の違いについて。何かを勉強・学習するにあたって、その手段や方法論の妥当性は、どのように判断すればいいのだろう。
お仕事情報。『HATSUNE MIKU EXPO 2016 Japan Tour』の公式パンフレットに、ライターとして参加しました。
ブログ記事の「文字数」について考えたこと。SEOや読みやすさの面から「字数制限」を設ける人がいるけれど、ブログでは極端に気にする必要もないのではないかしら。
「すごい」「やばい」「考えさせられる」などの「感想」表現について思ったこと。
「いい年して」「いい大人が」という言葉に関して思うこと。年不相応としての指摘ではなく、それを受け入れた上で楽しめる前向きさを持ちたい。
「依存」という言葉について。「依存症」や「共依存」といった表現のせいか、あまり良いイメージのないこの単語。「夢中」と言い換えることで、前向きに捉えられないか。
文章における〈敬体〉と〈常体〉の違い、使い分けについて。特にルールのないブログにおいては、より共感を引き起こしやすい混在型の文章も選択肢に入るのでは。
文章力を鍛えるには、言葉でもって他人に何かを伝えようとするのなら、どこかで「言葉を失う」必要が出てくる、という話。『高校生のための文章読本』の中に掲載されていた、開高健さんの文章より。
「文章力」と「文字コミュニケーション」の話。「わかりやすい文章」とは言うけれど、実際のところどのようなものなのだろう?「伝わる文章」って?
「雨」に関する詩歌、楽曲、ゲーム、アニメ、映画など。梅雨の時期は、どこかいつもと違う気分。
ブログにおける「読みやすさ」「文章構成」「デザイン」など、ブログを読んでもらうために必要となりそうな要素についてあれこれと考えてみた。
読者からの批判に対して「読解力がない」と反論するのは悪手。そもそも文章による文字コミュニケーションは伝わりづらいものだし、自分の文章力にも過信するべきではない。
日常的に「文章」を書く機会は数多くありますが、果たしてその中でどれだけの人が「推敲」し、読み返すことができているのだろう。自分の文章を見直すことで得られる意味をまとめました。
ネットに氾濫するテンプレート表現、何かを言っているようで何も言っていないコメント、いつもいつも同じ言い回しの文章表現……。ウェブ上の「テンプレ」について考えてみた。
文章表現の話。全ての文章は感情本位であると同時に、その表現方法は各々が自分で選択したものと言える。論理にも感情は宿るし、淡白だからと言って無感情な文章だとは言い切れない。
ネット上に溢れる「死ね」「死にたい」などを始めとして、「ことば」が人に及ぼす影響について。何気ない表現が他人を傷つけることもあれば、ちょっとした言葉が自分を炎上させかねない場合も。
当たり前に使っている「おもしろい」という言葉。この表現を質問に乗せて使う場合、文脈によって答え方が変わってきて、面白い。爆笑、興味深い、珍しいなど、様々な「おもしろい」の話。
ボールペンを手に取り、ルーズリーフに向かって、アナログな気持ちで「ブログ」を書いてみた。ノートに向かって書かれた「自分の文字」は、どこかツッコミ要素の強い、何とも言えぬものでした。
「文章力」の話。「うまい文章」を考えるには、文章を書く「自分」の視点と、それを読む「他人」の存在がポイントになる。
書き言葉の表記ゆれの話。「こと」と「事」、「わけ」と「訳」、「できる」と「出来る」など、漢字とひらがなのどちらで書くのが表現・用法として正しいのか。