読みました。形式的な「文章の書き方」というよりは、どちらかと言えば……ブログにおける「文章構成」的な話題になるのかな?
これが例えば新聞や雑誌、書籍といった紙媒体ならばともかく、大多数が個人の趣味でやっている「ブログ」については、特に統一された決まり事がないのは大前提。
むしろその規則性のなさが魅力であり、ブログの個性のひとつともなっているように思います。なので、「文章構成はかくあるべし!」なんて偉そうなことは言えるものじゃないし、言われても「あっ、はい」としか答えようのないものではありますが。
ただ、明確なルールや規則のない「ブログ」という自由な場において、どのような文章構成を選択するのか、というのは何度か考えたような記憶があるので、ちょいと思い浮かぶことをつらつらと書いてみようと思いまする。
文章の「読みやすさ」ってなんぞ?
「わかりやすい文章を書けるようになりたい!」「読みやすい構成を意識しよう!」というのは、自分以外の「読者さん」に自身の文章を読んでもらいたいと少なからず考えている人ならば、一度は考えたことがあるんじゃないかしら。
だからこそ「文章力」云々に関する話題は付きないし、それを身につけるための方法論を書いた記事が注目を集めやすい。ただ、その手の言説に対するコメントを読んでいて、誰もが「そのとおり!」と、全力で首を縦に振っているような記事には出会ったことがない……と思う。
なぜかと言えば、「体系的な文章論を学んだわけではない素人の印象論だから」だとかそういう話ではなく、そもそもその「読者さん」によってそれぞれ “読みやすい” 文章には個人差があり、誰もが認める万能の「文章力」なんてものは存在しないからなのではないかと。
一口に換言してしまえば、「好き嫌い」。文字をびっしりと敷き詰めた勢いのある文体を好む人がいれば、読みづらいとして嫌う人もいる。主観で語る書き口を好む人がいれば、徹底して客観的であることを是とする人もいる。文章いろいろ、読み方もいろいろ、好みもいろいろ。
それ以前に、媒体や目的によって求める・求められる「文章」が異なるという認識のズレもあるのでしょう。書き手側の「伝えたいこと」によって文体をそれぞれ変える場合だってあるだろうし、読み手側の「読みたい分野」によっても求められる文体は変わってくる。
「○○会社で不祥事発覚クソワロタ」なんて見出しがどこぞの紙面で踊ってたら、既存読者は離れるかもしれないけれど、別の層が新規でついてくるかもしれない……っていうのは極端な話ですが、媒体ごとに「ふさわしい文体」のようなものが存在し、発信者と消費者の双方で暗黙に共有されていることは否めない。
ざっくり言えば、
- その文章が掲載される媒体・ジャンルごとに、求められる “文章” はさまざま
- 同じ分野の文章を読む読者集団においても、個々人によって好みは異なる
- 書き手が「読みやすい」と感じる文章が、読者にとってもそうであるとは限らない
って感じかしら。
それゆえに、無料で誰の目にも触れる可能性がある「ブログ」の文章は、その読み手の好き嫌いによって賛否や受け取り方も多種多様なコメントが飛んでくるわけで(いわゆる“クソリプ”も含めて)。「ブログ論」に類する話題で「ターゲットを絞れ!」とよく言われるのは、そういう事情も手伝っているのではないかしら。
さらに付け加えれば、「まず『読みやすさ』と『わかりやすさ』と『伝わりやすさ』は全部別物なんじゃね?」的な話にまで展開しそうになるので、ここでは割愛させていただきます。……アレっすよ、「いろんな視点があるからたいへんだね!!!」ってことで。
ブログを「読んでもらう」ための構成・デザイン
そのうえで、冒頭の ✩←ヒトデ(id:hitode99) さんの記事を読んでちょっと思ったのが、「ブログを “読んでもらう” ために文章をあれこれいじるのって、実はむっちゃ技術が必要な行為なんじゃね?」ということ。
こーんなすっかすかにして良い訳がない! でもね、それにはちゃんと理由がある。
何故なら詰まっている文章っていうのは読むのに気合いがいるんですよね。もしもこれが著名人だったり、ある程度の実績を持っている人が書いているのなら、試しに読んでみようという気にもなるかもしれませんが、ブロガーの多くはそうではありませんからね。偶然検索で来た人、偶然SNSのシェアから来た人、そんな人が来場者の大多数を占める「ブログ」という媒体では、まず何よりも「読んで貰う」事が最優先な訳です。「読んで貰う」事が出来なければ、どんなに面白い事や、タメになる事が書いてあっても一切意味を成しませんからね。ある程度人気があったり、文章を読ませる自身がある人はもちろんそれでも良いんですが、無名のブロガーが出来るだけ多くの人に読んでもらおうと思うと、やたらに改行したり、画像を挟んだり、文字をいじったりするのが必須だと僕は考えています。
これもまた、好き嫌いでまとめられてしまう印象論でしかないのだけれど、「ブログを読んでもらおう」と考えるのであれば、「極端にビッシリ」と「極端にスッカスカ」は、どちらも少なからず忌避感を覚える人間がいるんじゃないかと。
改行なしの長文ぎっしりなページを開いて、「うわあ……」と辟易してブラウザバックする人はいるでしょう。でも逆に、何かしら有益な情報を探して辿り着いた人が余白の目立つページを開いて、「内容薄そう……」と感じてブラウザバックするケースもいるかもしれないので(クソリプっぽくてすみません)。
「普段まとまった文章を読まないので、長文は無理」と感じる人がいる一方で、「改行ばかりで、有益なことが書いてるように見えない」と感じてそっ閉じする人がいてもおかしくはない。今はそうでもないですが、昔の自分がそうだったので。
そう考えると、どちらかと言えば「文章」云々というよりは、「デザイン」の話になるのかなーと思った。文章を読んでもらうための第一印象を、より幅広い層の人が違和感を覚えないような見た目にするためのデザイン。フォント、見出し、字幅、行間、その他諸々。
いつから「!」や「?」の後ろのスペースは消えちゃったのかな - Labo.299
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ちょいちょい意識するときがあったり、なかったり。/関係ないけど、記事本文のフォントサイズを一部変えるだけで目が滑りやすくなるのは僕だけかしら。見出しは見出し、本文は本文で統一していた方が読みやすい。
2015/06/04 18:50
関連して、冒頭の記事で引用されている 778(id:Labo299) さんのエントリを読んで偉そうにもこのようなコメントをさせていただいたのですが、この「フォントの扱い」に関する視点や知識って、学べば学ぶほどおもしろくなってくるんじゃないかと思う。
さらにフォントだけでなく、画像の差し込み方や、あえて「余白」や「行間」を設ける記事構成なんかも、独特の読み心地を与えるものとして、かなり高度な技術なんじゃなかろうか。変にフォントを大きくすると滑りかねないし、どの画像をどこで挿入するかというタイミングも重要っぽい。この辺りは、オモコロやトゥギャッチが優れている印象。
……と、思い浮かんだことを書き連ねた結果、まとまりのない文章になって恐縮でございます。あしからず。
とりあえず、「ルールもなく自分の自由に書けるブログは楽しい!」けれど、さらに読者さんに “読んでもらう” ことを意識すれば、文章力のみならず、マーケティングやらデザインやら画像編集技術やらも必要となってくる、底の知れない媒体なんじゃないかと。改めて、そんなことを思った。
勉強してスキルを習得し、作りこめば作りこむほど成長する。前々から薄々感じていたけれど、ブログって、育成ゲームっぽい。