茶を飲む。そしてモチベーションを拾う。

茶葉

 仕事にも生活にも、メリハリは大切だ。

 いつまでもグダグダとネットサーフィンをしていたら仕事にならないし、手軽にできる小さなタスクばかりに取り組んで、締切の近い案件が疎かになってしまってはいけない。はたまた、うっかりゲームに夢中になって夜更かししてしまった日には、翌日のパフォーマンスが著しく低下して大変だ。

 だからこそ、メリハリは大切。「午前中は原稿を書く!」「午後は調べ物をする!」などと、スケジュールを大雑把に決めるだけでも動きやすくなる。なかには学校の “時間割” のように、細かく区切ったほうが作業効率が上がるという人もいるかもしれない。

 しかし一方で、そうやって常に予定どおりの生活を送れるとも限らない。急用をはじめとするイレギュラーはあって然るべきだし、体調を崩して、作業に支障をきたすことだってあるかもしれない。

 そして何より、「なんかやる気が出ない……」というモチベーションの問題がある。

お昼時のカンガルー

 いつだってやる気に満ち溢れたバイタリティの持ち主もいるかもしれないけれど、多くの人の「やる気」には波があるのではないかしら。いつも「元気百倍アンパンマン!」な人はむしろ少数派。何か水をさされて凹むことだってあるし、特に理由もなく気分が落ちこむようなことがあっても不思議ではない。

 そんなときに気分を切り替えるには、どうすればいいのだろう。万人に当てはまる方法ではないけれど、「気晴らし」の習慣を持つことには一定の効果があると思う。

 「ランチ後には10分だけ昼寝をする」とか、「2時間ごとにコーヒーを淹れる」とか、「夕方になったらジョギングに出かける」とか。単なる休憩時間ではなく、頭を切り替える一種の “スイッチ” としての習慣。そういや、かの天才たちも、いろいろな「日課」を取り入れつつ創作・仕事に勤しんでいたそうな。

 そんな「気晴らし」の手段であり、頭を切り替える “スイッチ” としても働き、そして最近はそれ自体を楽しむようになってきた自分の習慣のひとつに、「お茶を飲む」というものがある。

 お昼すぎの時間帯、ちょっと一息つきたくなったら、キッチンへ。急須に茶葉を入れて、沸かしたお湯を注ぎ入れる。ただし熱湯の状態では注がず、容器を何度か移し替えて、少し冷ましてから。話によれば、熱湯は別の容器に移すたびに10℃ほど温度が下がるのだとか。

 茶葉の旨味を楽しみたいときは短めに、渋味を強くしたいときには長めに、急須の中で葉が開くのを待つ。最近はやる気に波があるので、気分をシャッキリさせるべく、渋めに抽出することが多い。

茶葉のアップ

 「急須でお茶を淹れる」という行為は、一見すると面倒な作業に見えて、実は思いのほか落ち着くもの。淡々と黙々とパソコンに向かうことが多い作業の合間に、ふっと力を抜いて、深呼吸をするような感覚がある。お茶を口にするまでもなく、「淹れる」こと自体が「人心地がつく」瞬間になっている。

 湯呑に注いだお茶を口にしたら、そこでまた、ほーっと一息。一煎目はじっくりゆっくり、飲んでいる最中は何をするでもなく、ほへーっと宙空へと視線を向けつつ物思いに耽ることが多い。……いや、何も考えていなかったかもしれない。いつもアホ面でポカーンと斜め上を見ている気がする。

畳と煎茶

 二煎目はごくごくと、冷めていれば一気に飲んでしまうことが多い。一煎目でほにゃらへ〜っと脱力しきったあと、「よっしゃぁいくぞオラァ!」と気合いを入れるようなイメージで。そりゃもう、銭湯の脱衣所で腰に手を当てて牛乳瓶を呷るが如く。午後も半日がんばるぞい。

 場合によっては三煎目もスタンバイさせておいて、午後の作業中に飲むこともしばしばある。あまりカフェインを摂取しすぎるのも考えものなので、「珈琲をガブ飲みするよりは健康的なはず……?(偏見)」などと言い聞かせながら。毎日のようにスタバに通っている奴が何を言っているんだ、って話ではありますが。

茶殻

 ややあって急須を覗きこむと、開き切った茶殻の濃緑色に目を奪われる。

 数々の行程を経て香りと旨味を濃縮された茶葉は、出がらしになるまで中身を抽出されてもなお青々しい。抽出前の香り豊かな、でも乾燥してパサパサな茶葉に対して、水分を吸った茶殻からは不思議と生命力を感じられる。当然、茶葉としての役割を果たしたそれは、あとは捨てるだけの代物ではあるのだけれど*1

 そんな青々とした茶殻を見ていると、なんだか自分もがんばろうと思えてくる。出がらしになるほどのアウトプットを普段からしているわけでなく、それ以前に、濃縮できるほどの旨味をインプットできているわけでもない自分。一人前の茶葉になるべく、今日もがんばらないといけない。目指すは玉露系フリーランス。

 そうやって僕は、今日もお茶からモチベーションを拾っている。

『煎茶堂東京』の「ゼットワン」

最近のお気に入りは『煎茶堂東京』さんで買った京都のシングルオリジン煎茶「ゼットワン」です。

 

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*1:乾燥させて消臭剤として使うこともできますが。

はやくVの住人になりたーい!〜『カスタムキャスト』が楽しい日記

 最近は口癖のように「バーチャルYouTuberになりたーい!」と叫んでいる今日この頃。「なりたいなら、なればええやん?」という声が聞こえてきそうな気もするけれど……はい、仰るとおりでございます。なりたいなら、なればいい。やらなければ、はじまらない。まっことシンプルな真理がそこにはある。

 しかし実際問題として、「なる」にも必要なものはあるわけでございまして……。

 パソコンさえあれば配信はできるにしても、うちの6年選手のMacBook氏ではさすがに心もとない。スマホも手元のよわよわAndroidでは無理。──とくれば、やはり新しくパソコンを買う必要が出てくるのだけれど……6桁単位の出費はキツすぎるのじゃ……。

 というか、己の毛深い胸に手を当てて考えてみると、そもそも僕は「VTuberとして動画配信をしたい」というわけではないっぽいのだ。……いや、正確には「試しにやってみたーい」くらいの感覚はあるし、なんならLive2D用の肉体も準備中なのじゃが(バ美肉ではない)、それはそれとして。

 どちらかと言えば、「バーチャルの世界に飛び込んでキャッキャウフフしたい」という欲求のほうが強いっぽいんですよね。ステージに立って注目を浴びたいんじゃない。「Vの世界のステージに立つ推しの姿を、同じ空間で見たい」のです。もちろん、純粋にVRコンテンツで遊んでみたいという思いもある。

 それもこれも、だいたいが8月末のライブのせい。あんなん見せられたら、そりゃあ感化されずにはいられないわけっすよ。実際、VR空間を舞台にしたライブやイベントの企画も次々に出てきているし、参加した人の興奮気味のレポートを読んだら、自分も間近で体験してみたくなる。

 ところがどっこい。ここ数年で急速にハードルが下がりつつあるとはいっても、VR環境をそろえるには相当額の出費が必要。Oculus GoをはじめとするスタンドアロンVRならばまだ手が届きそうだけれど、まだまだできないことも多いので……。

 となれば、Oculus RiftやHTC Viveを検討する方向にいくわけですが、そこで今度は、ゲーミングPCの値段を見てひっくり返る。とりあえず最低15万円……諸々の環境をしっかり整えるなら20万円……ぐぬぬぬぬ……。初めてキャッシングサービスの利用を考えましたわ……。「とりあえずドスパラでガレリアを買っとけ」と聞いた。

 8月末のライブから1ヶ月。珍しくやる気を出して仕事を増やしたり、枚数ばかり増えて売るのを躊躇っていた同人CDを査定に出したりして、それなりに購入資金を貯めることはできた。それでもまだ、フルでそろえるとなると懐が心もとないので、二の足を踏んでいる今日でございます。

 でもまあ、今のMacBookもバッテリーが摩耗しきっていてそろそろ限界を感じつつあるので、いずれにせよパソコンは買い換える必要があるんですよねー。そこでハイエンドPCを選んで利用することで、いろいろと仕事の幅を広げるきっかけにできればプラマイゼロかなーと。プラスに持ってけって話ですが。

 で、そんな感じでふんふん唸りつつ悶々としていたら、『カスタムキャスト』がリリースされちゃったじゃないっすか! やっべっぞ! スマホでVの者になれっぞ!

 すでに『Vカツ』『VRoid Studio』にと3Dアバターを作れるサービスは出ていたものの、うちの残念スマホですら、簡単にキャラメイクができるようになってしまった。これはヤバい。

 しかも作ったモデルをインポートすることもできるとか、懸念していた「VR環境が整っても自分用アバターが用意できない問題」が解決されてしまった。マジか。これによって、絵心やモデリング技術がなくても、誰でも3Dバ美肉できるようになってしまった。なんてこった。バーチャル世界がkawaiiおじさんの群れによって上書きされるのも、時間の問題じゃないか……。

 『カスタムキャスト』の何がヤバいって、「3Dモデルのキャラクターを自分の好きにカスタマイズして、しかも作ったアバターが自分に合わせて動く」という体験を、スマホさえあれば誰でもできてしまう部分にあるんじゃないかと思うんですよね。

 特に絵心がなく、当初はバーチャル受肉を諦めていた人ほど、この体験はむちゃくちゃ刺激的に感じられるはず。ちょっとしたキャラメイクなら一般的なゲームでも普通にあるけれど、「作ったキャラが自分の動きに合わせて動く」というのは、これまであまりなかった体験なんじゃないかしら。

 しかも動くのは、カスタマイズ性もそれなりにあり(まだまだ自由度は低いという意見もありますが)、素のデザインがかわいいキャラクター(好みはあれど)「俺がかわいい……」の実感を手元のスマホ1台で得ることができるという、手軽なバ美肉体験が可能になったのは大きい気がする。これでVR環境があれば、ゆくゆくはこの娘を依代として仮想空間でキャッキャウフフできてしまうんじゃろ……? おほーーーー!!!

 そういえば少し前に「よかったらVTuberになりませんか?」的な依頼があり(正確には「VTuberとブログのコラボ企画、どっすか?」的な内容)、なんやかんやで頓挫してしまったのが残念だったのだけれど……。わずか数ヶ月で、個人レベルでも簡単に受肉できるようになるとは思わなんだ。ありがてえ。

 VTuberになるかはさておき、ネットカルチャー大好きマンとしてVRの道は避けて通れない気がするので、遅くても今年中にはVR環境をそろえたいところ。HMDについてはもう少し様子見するかもしれないけれど(Oculus Quest……)、少なくともスペックを満たしたパソコンは買わねば。がんばる。


おめシスはいいぞ(いいぞ)

 

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映画『若おかみは小学生!』を観た結果、トイレの個室で号泣した

 ここ数年、「映画」を観る際には人のおすすめを素直に聞くようにしている。

 「ガルパンはいいぞ」と聞いて劇場へ足を運び、3回観た。
 「王を称えよ」と囁かれて映画館へと赴き、絶叫上映で燃え尽きた。
 「カメ止めがヤバい」と小耳に挟んで行列に並び、抱腹絶倒した。

 もともと映画を観る習慣のなかった自分が、今や映画館の有料会員。多くても年2回程度だった映画鑑賞が、気づけば月2回くらいのペースになっていた。

 それもこれも全部、立川シネマシティのせいだ。きっかけは、2015年上映の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。その極上爆音上映に魅了されて以来、すっかりシネマシティで映画を観るのが習慣になってしまったのです。

 そんなシネマシティでは現在、『リズと青い鳥』の極上音響上映が上映中。ほぼ間違いなく今年のマイベストになるであろう作品、その待ちに待った「極音」版ということで、今週はそれを観に行こうか──3回くらい──と思っていたのだけれど。

 ──そんな折に、また聞こえてきたわけです。
 先週くらいから徐々に声が大きくなりつつあった、 “人のおすすめ” が。

 プリキュアブログのkasumiさんと、今井先生が言うなら間違いあるまいと。それも「テレビシリーズを観ていなくてもOK」とくれば、もはや迷う理由はございませぬ。

 というわけで、公式サイトであらすじを確認することもなく、ほかにもレビューを読んで事前知識を仕入れるでもなく、ノリと勢いでもって映画館へと足を伸ばしてきました。シネマシティは満席だったので、T・ジョイSEIBU大泉へ。ファーストデイでよかった。

 そして、上映終了直後のツイートがこちらとなります。

 やべえな、こいつ!(あとで我に返った)

 でも大丈夫。「泣いていいのは、おトイレか、パパの胸の中」だって早苗さんも言ってたから、きっと許してもらえるはず*1。泣いていたのがアラサーのオッサンでも。たぶん。

 

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仕事のやりがい、“真面目”という呪い、クッパ姫〜今月気になった話題(2018/9)

どもどもー。強風吹きすさぶ夜にこんばんは。

「新しいパソコンを買う」という明確な目標(と“その後”の諸々)ができたことで、珍しくいろいろとやる気になっている僕です。お仕事ください。

「よっしゃー! お金貯めるぞー!」と意気込み、かなり節約して過ごした(つもり)の今月。この調子で来月もがんばる……と思いきや、月末のこのタイミングでKindleストアで大規模なセールが始まり、なんだかんだとポチってしまう悲しみ……。いつもよりは控えめだけど。

──という話はさておき、毎月末恒例「今月のブックマークを振り返ろう」のコーナーです。記事末尾に2014〜2017年の「9月」のまとめ記事へのリンクも貼っているので、よかったら一緒にどうぞー。

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約20年ぶりの通学路

氷川神社(富士見市)の猫

 

 僕には、故郷と呼べる場所がない。

 

 もちろん、物理的に “生まれた” 場所はある。生まれは東京。母親の実家近くの病院で、平成初期のクリスマスにすぽーん! とこの世に生を受けた。それが僕だ。

 現在も都内に住んでいるため、それだけ聞けば「ただの東京人じゃん」と思われるかもしれない。「てやんでえ! こちとら江戸っ子でぇ!」と、迷いなく啖呵を切れればよかったのだけれど……自分がそれを言うのは、江戸っ子に失礼だ。

 と言うのも、僕が生まれた頃、両親は東京に住んでいなかったから。出産のタイミングで母親の実家に帰省していたに過ぎず、普段は父親の職場がある茨城県のアパートで生活していたらしい。当然、しばらくするとアパートに戻り、赤ん坊の僕はバブバブアウアウ言いながら茨城の大地を這いずり回ることになった。まだ立てないからね。仕方ないね。

 ところがどっこい。言葉もままならない僕が茨城の野っ原をうねうねしていたのは1年にも満たず、一家は別の土地へと引っ越すことになる。父親の転勤先となったのは、北海道。それから約3年は札幌市内のアパートで暮らし、試される大地をうねうねしていた僕も、徐々にうにょうにょと縦方向へと成長していった。

写真

うにょうにょした結果

 ところで、世の中には「胎内記憶がある」「赤さん時代にも意識があった」という人がいると聞くが、あいにく僕にはそのような能力はなかったらしい。茨城時代の記憶は皆無であり、自分の「記憶」の始まりは札幌に住んでいた頃のものになる。

 詳しくは、もしかしたら今後【札幌編】みたいな形で書くかもしれないけれど──とりあえずここでは、「おぼろげながら意識はあった」くらいの感じで。ひとつだけ挙げるなら、おもらしの記憶は鮮明に焼き付いているのじゃ……。

 ともかく、札幌自体の記憶は断片的なものでしかない。個々のエピソードとして「こんなことがあった」という出来事がいくつか思い浮かぶ程度で、ようやっと人語を解するようになった自分が何を考えていたかは知れないし、当時の感情ももにゃもにゃとしていて思い出せない。

 そのような漠然とした「記憶」でなく、「物心がつく」瞬間はいつだったか……と考えると、おそらくは5~6歳くらいのことだったんじゃないかと思う。その頃、一家はすでに北の大地を去っており、自分の記憶はその引越し先──関東平野のとある街から始まることになる。

 

 気づくとぼくは、埼玉県富士見市にいた。

 

 その街で過ごしたのは、4~7歳の約4年間。うにょうにょしていた幼児がやがてブリブリするようになり、小学校に入学し、最初の1年間を終えるまで。小学生にもなればある程度は自意識も形づくられつつあったのか、当時のこともなんとなく覚えている。

 2年生に進級するタイミングで引っ越すことになったため、それ以来、富士見市には足を運んでいない。まだ幼い頃に過ごした土地ということもあり、自分にとっては「故郷」と言えるかどうかも怪しい。しかし、少なからず縁のある街であることは、紛れもない事実だ。

 そんな富士見市に、ふらっと足を運んでみた。

 

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