ぐるりみち。

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21年ぶりの通学路

氷川神社(富士見市)の猫

 

 僕には、故郷と呼べる場所がない。

 

 もちろん、物理的に “生まれた” 場所はある。生まれは東京。母親の実家近くの病院で、平成最初のクリスマスにすぽーん! とこの世に生を受けた。それが僕だ。

 現在も都内に住んでいるため、それだけ聞けば「ただの東京人じゃん」と思われるかもしれない。「てやんでえ! こちとら江戸っ子でぇ!」と、迷いなく啖呵を切れればよかったのだけれど……自分がそれを言うのは、江戸っ子に失礼だ。

 と言うのも、僕が生まれた頃、両親は東京に住んでいなかったのだ。出産のタイミングで母親の実家に帰省していたに過ぎず、普段は父親の職場がある茨城県のアパートで生活していたらしい。当然、しばらくするとアパートに戻り、赤ん坊の僕はバブバブアウアウ言いながら茨城の大地を這いずり回ることになった。まだ立てないからね。仕方ないね。

 ところがどっこい。言葉もままならない僕が茨城の野っ原をうねうねしていたのは1年にも満たず、一家は別の土地へと引っ越すことになる。父親の転勤先となったのは、北海道。それから約3年は札幌市内のアパートで暮らし、試される大地をうねうねしていた僕も、徐々にうにょうにょと縦方向へと成長していった。

写真

うにょうにょした結果

 ところで、世の中には「胎内記憶がある」「赤さん時代にも意識があった」という人がいると聞くが、あいにく僕にはそのような能力はなかったらしい。茨城時代の記憶は皆無であり、自分の「記憶」の始まりは札幌に住んでいた頃のものになる。

 詳しくは、もしかしたら今後【札幌編】みたいな形で書くかもしれないけれど──とりあえずここでは、「おぼろげながら意識はあった」くらいの感じで。ひとつだけ挙げるなら、おもらしの記憶は鮮明に焼き付いているのじゃ……。

 ともかく、札幌自体の記憶は断片的なものでしかない。個々のエピソードとして「こんなことがあった」という出来事がいくつか思い浮かぶ程度で、ようやっと人語を解するようになった自分が何を考えていたかは知れないし、当時の感情ももにゃもにゃとしていて思い出せない。

 そのような漠然とした「記憶」でなく、「物心がつく」瞬間はいつだったか……と考えると、おそらくは5~6歳くらいのことだったんじゃないかと思う。その頃、一家はすでに北の大地を去っており、自分の記憶はその引越し先──関東平野のとある街から始まることになる。

 

 ──気づくとぼくは、埼玉県富士見市にいた。

 

 その街で過ごしたのは、4~7歳の約4年間。うにょうにょしていた幼児がやがてブリブリするようになり、小学校に入学し、最初の1年間を終えるまで。小学生にもなればある程度は自意識も形づくられつつあったのか、当時のこともなんとなく覚えている。

 2年生に進級するタイミングで引っ越すことになったため、それ以来、富士見市には足を運んでいない。まだ幼い頃に過ごした土地ということもあり、自分にとっては「故郷」と言えるかどうかも怪しい。しかし、少なからず縁のある街であることは、紛れもない事実だ。

 そんな富士見市へと先日、ふらっと足を運んでみた。

 

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神社は遊び場

 池袋から電車で約30分。埼玉県南東部に位置する富士見市は、人口約11万人のベッドタウン。その名のとおり富士山がよく見えるらしい……のだけれど……そうなんです?

 たしかに、空気の澄んだ冬場には「ほーら富士山だよー」などと母親に言われ、ぼーっと眺めていたような記憶もあるけれど、子供心にはピンときていなかったんじゃなかろうか。それよりも「ふじみし……ふじみ……不死身……!」などと興奮していたと考えるほうが、よっぽどぼくらしい。たぶん「不死身」という概念は知っていたはず。カクレンジャーで。

東武東上線・鶴瀬駅

 ──というわけでやってきました、鶴瀬駅。近年、東武東上線に乗る機会は何度もあったけれど、この駅で降りるのは実に21年ぶりのことになる。

 ただ、当時は頻繁に電車に乗っていたわけでもないので、駅に降り立った時点では特に何の感慨もわかなかった。駅自体もそうだし、駅前を眺めてみても……うーん、どうだろう。明らかに再開発できれいになっていることはわかるけれど、昔をよく覚えていないから何とも言えない。トイレがむっちゃきれいだった。

 ぼくら一家が暮らしていたのは、鶴瀬駅から徒歩10分程度の距離にある集合住宅。さすがに住所までは記憶していないものの、Googleマップに頼るまでもなく道のりは覚えている。──だって、ほぼ一本道だから。とりあえず、まずはそちらを目指して歩いてみましょうか。

谷津幼稚園

 「なんとなく空を広く感じるなー」などと呑気に歩きはじめて、わずか数分で「おっ」となるものを発見した。一見すると何の変哲もない幼稚園。しかし……そう、ぼくが通っていた幼稚園である。結構広かった気がしてたけど、こんなに小っさかったのね……。

 ぶっちゃけ、幼稚園の頃の記憶はあまりない。敷地内の交差点近くにある遊具が好きで遊んでいたこと、学芸会でなんかわちゃわちゃとしていたこと、先生を「お母さん」と呼んでしまったこと。

 そして、ある日突然、まるで天啓でも授かったかのようにズボンを下ろし、大勢が見ている前で “ケツだけ星人” と化したこと。今となって考えてみれば、ぼくにとって初めての「人生の師匠」と呼べる存在は、野原しんのすけだったのかもしれない。口調もどこか似ている(と仲の良い友人からたまに言われる)

Big-A

 家から幼稚園へと通う際に幾度となく目にした交差点を過ぎて歩いて行くと、続いて目に入ったのは『Big-A』。主に首都圏に展開しているディスカウントストアだ。本筋とは関係ないけれどダイエーの子会社であり、店名もそのもじりだということを今、初めて知った。

 こちらのお店……何を隠そう、ぼくにとっては「はじめてのおつかい」をこなした思い出の場所なのだ。ママンに手渡された伝説のアイテム(500円玉)を手にし、目指すは魔王城の最深部(乳製品売り場)。襲い来る数多の敵の攻撃(1人でおつかいに来たちびっ子を見守るお客さんの温かな目)をいなしつつ……ぼくはついに、伝説の魔獣のもたらす秘薬(牛乳)を手にしたのだ……! これが後世に語り継がれし物語、テイルズオブミルクである。

カーテンじゅうたん王国

 そしてもうひとつ、自分にとっては思い入れのあるダンジョン──もといお店が同じ道にあったはずなのだが……いつの間にか、見知らぬ王国が勃興していた。その名も『カーテンじゅうたん王国』である。

 おかしい……僕の記憶が間違いでなければ、ここにはスペルブック屋──もとい書店があったような気がしたのだけれど……。おこづかいを握りしめ、毎月欠かさずコロコロコミックを買いに来ていた本屋さん。今はその見る影もなく、新たな王国に取って代わられていた。これが……盛者必衰……。

 そして、その先の城下町『YAOKO』を超えてしばらく歩いた先に、ぼくら一家が住んでいたアパートがある。ただいまー。

アパート

 ……すっげえ! 何も変わってねえ!(たぶん)

 幼かったとはいえ数年を過ごした場所なので、当時の思い出はだいたいこの近辺と結びついている。駐車場でミニ四駆を走らせていたとか、週末は決まって近所の友達の家に遊びに行っていたとか、午前中からスーファミで遊んでいたとか、時にはチャリをこいで周辺を駆け巡っていたとか。

 それと、仲の良かった女の子の家でアンパンマンを見ていたとき、突如としてカーテンの影に連れて行かれたと思ったら、ふいに唇を奪われたとか……。そうだ……うれしいんだ……生きるよろこび……たとえ……胸の傷が……いたんでも……嗚呼……闇犯漫……。

 ──甘酸っぱいんだかネタなんだかわからないエピソードはともかく、鶴瀬に来たら、必ず足を運ぼうと思っていた思い出の場所がある。それが、アパートの近くにある神社だ。当時は意識していなかったけれど、ここって氷川神社だったのね……。

氷川神社(富士見市)の鳥居

 なぜここが「思い出の場所」なのかと言えば、近所の友達との主な遊び場が、この神社だったのだ。晴れた日には「裏山に行こうぜ!」的なノリでもって、神社に集まり境内を駆け巡っていた記憶がある。寒い冬ですら、天気の良いにはここに来ていたんじゃなかろうか。子供は風の子。

 先ほど「裏山」と書いたけれど、6、7歳の少年にとって、あの場所はたしかに「山」だった。境内だけを見れば普通の神社、しかしその裏手には雑木林が広がっており、ちょっとした高低差もあった。そんな空間が近所にあったとして、それをガキンチョが見たらどうするか……少年の心を持ったオッサンなら、きっと想像に難くないでしょう。

 整備された公園とは異なる、木々によって覆い隠された鬱蒼とした自然。大人の目から逃れて、思う存分にはしゃげる場所。そのへんに転がっている枝も、秋にはそこら中に積もる落ち葉も、たまに見かけるゴミも、すべてを自分たちの自由に使うことができる。──そう! つまり、秘密基地が作れるのだ!!

氷川神社(富士見市)の参道

 ……とまあそんな感じで、当時はひゃっほーぅ! うっひょーぅ! どっこいしょーぅ! などと叫びながら裏山を駆け巡っていた思い出があるけれど、それも「子供」だったがためのもの。

 おそらくは誇張された記憶であり、実際のところはそうでもないんだろうなーと、冷めた目で見ている2018年の自分もいた。事実としては、「神社の敷地内にちょっと緑豊かな空間があり、そこでキャッキャウフフと遊びまわっていた」くらいのものなんじゃないかと。大人になり、冷静さと客観性と穿った見方と死んだ魚のような目を兼ね備えたアラサーの僕は、当時のことをそのように分析していた。

 21年ぶりに足を運んだとしても、得られるのは精々が「あー、やっぱり子供の目線で見ていた世界は広かったんだなー」という実感だけ。当時の思い出が蘇ることはなく、特別な感慨がわきあがることもなく、ちょっとしたノスタルジーに浸る程度になるだろうと、たかをくくっておりました。

 ところがどっこい。
 実際に目の当たりにした「裏山」は、想像以上に「緑」だった。

緑の散歩道「雲居の滝」

 「緑の散歩道」なんて丸っこいフォントで書かれているけれど、その先に広がるのは一面の濃緑。上下左右にそびえ立つ木々が道に影を落としており、ちょっとした林のよう。住宅街の中心にぽっかりと異界がワープしてきたような趣きすらあり……これ、子供が遊ぶにしては、鬱蒼としすぎているのでは……?

 一応は歩道も整備されてはいるものの、それも一部のみ。途中からは「道」らしい足の踏み場が行方不明になり、ぬかるんだ地面をおそるおそる歩く格好になった。周囲に立ちこめる緑の匂いは生々しく、今年は猛暑ゆえに街中では見かけなかったはずの蚊や虫たちが、ブーンブンシャカブブンブーン! と飛びまわっている。ワチャカナドゥ…。

 そうして、虫よけスプレーを持ってこなかったことを後悔しつつ、足下に気をつけながら奥へと向かって歩いていく途中のことだった。──なんとなく、既視感を覚えたのだ。

氷川神社・緑の散歩道1
氷川神社・緑の散歩道2
氷川神社・緑の散歩道

 こんなに広いとは思っていなかったけれど、たしかにぼくはここを歩いたことがある……ような気がする。夏休みには虫取り網を持って、同じ道行きを歩いていたような。湧き水が作る池や小川の水の流れに、草で作った舟を浮かべたような。秋には落ち葉に埋もれて、きたねー! とか、あったけー! とか騒いでいたような。ついでに、そのとき初めて、毛虫に刺されたような。

 そして、最奥部にたどり着いた瞬間、それまでの既視感が確信に変わった。──我々はこの広場を知っている! いや! このぬかるみと木々の並びを知っている!

氷川神社・緑の散歩道3
氷川神社の拝殿裏
緑の散歩道の奥/拝殿裏の傾斜

 そう、たしか「秘密基地」的なものを作っていたのが、このあたりだった。

 倒れた木の幹や折れた枝を使って、あとは段ボールやら何やらも持ってきて、ちょっとした小屋みたいなものを作っていた──気がする。いや、小屋レベルにはなってなかった。というか昔はもっと緑が鬱蒼としていて、その隙間に隠れるようにして作ったんじゃなかったかしら。

 また、そこで「段ボール」という単語が出てきたことで、連鎖するように思い出したことがあった。先ほどの “散歩道” の入り口ではなく、神社の建物の裏側あたり。そこがちょうど傾斜になっていて、そこを段ボールで滑って遊ぶのがお気に入りだったのだ。特に落ち葉が積もる秋から冬にかけては結構なスピードで滑れるから、友達と競争して遊んでたっけ……!

 芋づる式に蘇ってくる思い出に興奮しながら奥の階段を登ると、急に視界が明るくなった。どうやら、神社の敷地の裏手に出てきたらしい。

氷川神社(富士見市)の裏手
氷川神社(富士見市)周辺の航空写真
氷川神社裏/周囲の航空写真

 いやー、虫に刺されまくったけど、むっちゃ楽しかったわーと背後を振り返れば、やはりそこは想像以上に鬱蒼とした空間。「子供の目線で見ていた世界は広かった」なんてことはなく、むしろ「疲れ知らずな子供の行動力はパない」ことを知った、21年後の僕がそこにはいた。

 ……っていうか、帰ってから改めてGoogleマップで航空写真を見てみたら、想像以上に広くてビビった。なんじゃこの緑のエリアは……マジで「山」っぽいぞこれ……。

氷川神社(富士見市)の猫2

 裏手から再び境内に戻ってくると、さっきはいなかった猫氏が「よう、お疲れさん」と言わんばかりにこちらを見ていた。そういえば当時、神社で猫を見かけて追い回していたこともあったような……。

 さすがに20年も生きてはいないだろうけれど、もしかしたら何か縁のある猫氏だったのかもしれない。軽く(一方的に)話をし、また、改めて本殿に向かって長々と挨拶をしたうえで(21年前の件につきましてはいろいろとお騒がせしてすみませんでした今日は立ち寄らせていただきありがとうございます写真も撮らせていただきましたお邪魔してすみませんがまた何かの折に訪れることがありましたらよろしくお願いします)、ひとまずは神社を後にすることにした。

 さて、幼稚園、神社と来て、ほかに縁のある場所と言えば──やはり、小学校である。懐かしの通学路を歩きつつ、学校を目指してみることにした。

 

21年ぶりの通学路と、蘇る思い出

氷川神社(富士見市)前の分かれ道

 ぼくが通っていた小学校までの距離は、住んでいたアパートから1kmあるかないかといったところ。

 神社前の分かれ道を見て、「そういやどちらからでも行けるんだっけ……」と記憶が蘇りつつあるのを感じながら、なんとなく左へと進路を取る。たしか登校時は左から向かい、下校時は右を通って帰ってきてたんじゃなかったかな……。

富士見市内のカーブミラー

 歩きはじめてすぐに、カーブミラーが目に入った。なんてことのない曲がり角の、何の変哲もないカーブミラー。けれど、不思議と安心感を感じる。

 登校時にいつも高い位置から見守ってくれていた存在のように思えて、なんとなく親近感を覚えた。なぜか「雪」のイメージがちらつくのは、冬に雪景色の中を投稿した日でもあったから……だろうか。──まあノスタルジーに浸っているがための感傷なのでしょうが、「いつもそこにある存在」って落ち着くよね。

自動販売機

 続いて視界に飛びこんできたのは、これまた普通の自動販売機。隣にベンチが設置されているがバス停というわけではないらしく、街工場の外の道路に面した場所にあるので、おそらくは従業員の休憩所も兼ねているんじゃないかしら。

 この自販機──特にコカ・コーラのほうを見て、ピンときた。……覚えている。覚えているぞ! 21年前のぼくは、この自販機で、初めて炭酸ジュースを飲んだのだ! ……たぶん!

 正直、100%そうとは言い切れない。「え? 21年前にはなかったよ?」と言われてしまったら反論できませんし。でも「この道にあったコカ・コーラの自販機で炭酸ジュースを買って飲んだ」ことは、たしかに間違いない。初めてのしゅわしゅわ~♪ な感じに興奮した覚えがあるし、それは「床屋の帰り道だった」という記憶もある。自分の記念すべき「初☆炭☆酸」は、紛れもなく21年前のここで体験したものなのだ!

 ──え? 「なんでコカ・コーラだと断言できるのか」って? そりゃあアレですよ、奥さん。初めて飲んだ炭酸ジュースが、ファンタグレープだったからです。それ以来、すっかりファンタなしでは生きられない体になってしまったので……。最近はオランジーナに浮気ぎみだけど。

 そうして、歩くことしばし。
 見覚えのある道、見覚えのある図書館を過ぎて、見覚えのある小学校に到着した。

諏訪小学校

 この日は日曜日。グラウンドに響く声を聞いて、少年野球の試合でもやっているのかしら……と思ったら、別にそういうわけではない様子。

 5、6人ほどの少年がボールを投げ、バットを振るのを眺めていたら、背後からバラバラにチャリンコで走ってきた少年たちが校門に吸い込まれ、輪に加わっていく。これから練習があるのか、はたまた単純に遊びに来たのか──。自分の場合はサッカーだったけど、習い事やクラブ活動として汗をかくよりは、自由気ままな週末のお遊びのほうが楽しかったなあ……と、そんな光景を見ていてふと思い出した。

 とは言え、さすがに見ず知らずのオッサンが校門付近に立ちすくんでいるのはよろしくない。「部外者立ち入り禁止」の看板を見て、数分もせずにその場を後にすることにしたのでした。

 ──この学校に通っていたのは1年間だけだったけれど、入学当初から漢字を覚えるのが好きで、それを担任の先生が褒めてくれていたような記憶がうっすらとある。クラスメイトからは「漢字博士」とか呼ばれて、鼻高々になっていたっけ。その経験が、自分が国語を好きになり、作文を楽しむようになり、やがてこのような文章を書くきっかけとなった──と言えないこともないので、先生には感謝したい。M先生、ありがとう。

写真2

 さて、そのままUターンして同じ道を歩くのも芸がないので、別ルートを通って戻ることに。……とは言っても、いずれにせよ住宅地を抜けることに変わりはないので、写真に撮ったところでインスタ映え的なものは望めないのだけれど。

 しかしその途中、畑のあいだの細い道を歩いていたときに、思わず立ち止まってしまった。……この道、知ってる! いや、知ってるだけじゃなくて、見てる! この前の晩、ふと思いつきで当時のアルバムを見返し、それっぽい写真がないか探していたときに、見た覚えがあるぞよ!

写真3
富士見市内の道路
約21年前と現在の図

 「完全に一致」とまではいかないものの、たしかにこの場所で間違いない。タイミング悪く逆光が強いために見づらいけれど、背景の屋根と木の配置、それに中央部の傾いた電柱の場所が一致する。21年前、短パン小僧のぼくが、ここを歩いていた……!

 そして同時に、とある記憶が突如としてフラッシュバックし、思わず道のど真ん中で「ハァ!⤴」と上ずった声を上げてしまった。寺生まれの彼をリスペクトしたわけではない。

 先ほどの「神社」や「炭酸」といった、「なんとなく覚えているけれど定かではなかった思い出」ではなく、「今の今まですっかり忘れていた記憶」が、瞬間的に蘇った。その感覚は、まさに「フラッシュバック」と言えるものだったと思う。

 一口に言うなら、この道は……アレだ。「人生初の告白ポイント」的なアレです。思春期も迎えていないぴかぴかランドセルを背負った小学生男子が色恋なぞ云々かんぬん……と言いたくもなるけれど、そういう時期ってありません? ……あるじゃん!? あるんだよ!!

青空と電信柱

 あれはたしか、学校帰り──ではなく、放課後に遊んだ帰り道か、校外学習か何かのあとだった気がする。その場にいたのは、ぼくと、クラスの男友達と、女友達の3人。仮に男の子をYくん、女の子をAちゃんとしましょう。ともかく、3人は仲睦まじく帰途についていたのです。

 しかしそんななか、何を思ったか──いやマジで何を思ったのか自分でもわからんのだが、ぼくが「Aちゃんかわいい! すき!(直球)」的なアレをぶちかましたわけです。悪ふざけということはなく、何かに影響されたのか、そういうテンションだったのか。当時の感情は推測するのすら難しいんじゃが……まあ、とにかく告白っぽいことをしたのです。

 で、対するAちゃんが何かを口にする──かと思いきや、次の瞬間! 隣のYくんが一言「ぼくも! Aちゃんすき!(直球)」と、間髪入れずに第2球を放ったのだ! な、なんだってー!?

 まさかの展開に驚きつつも、それ以上にびっくりしたのはAちゃんでしょう。突然のダブルパンチ、想定外すぎる連続攻撃に耐えきれず、「えええーーー! むりぃーーーー!!」と叫んだかと思えば、脇で転がしていたチャリに跨がり全力逃走。残された男2人は、迷子になった感情と共に帰宅することになったのだった。いや、Yくんが割と本気で凹んでいて、なぜかぼくが励ますことになっていたような、そうでもなかったような……はて……。

 これまた、甘酸っぱいんだかネタなんだかよくわからないエピソードではあるけれど……まあ、そんなこともあったのじゃ。幼稚園の記憶が胡乱な一方、わずか1年間ながら入学後の思い出はいくつか出てくるあたり、当時のぼくはなかなかに刺激ある生活を送っていたらしい。

 おのれ、小学生め……。というか、小学1年生の時点で色恋話を前借りしすぎではなかろうか……。きっとそんなんだったから、中学以降は非モテマインドが染みついて残念思春期を送ることになるんだぞーッ! ちくしょう……ちくしょうっ……。妬ましい……アラサーの僕には、6歳のぼくが妬ましいっ……!

 

意味はない、けれど意味はあった

 その後は特に具体的なエピソードを思い出すことはなかったけれど、20年以上も前に過ごした街を歩くのは、なんとも奇妙な体験だった。

 ぶっちゃけ、そこまでこの街に思い入れがあるわけでもないし、はっきりとした記憶がいくつも呼び起こされたわけでもない。それでも、こうやって「歩く」行為それ自体が不思議と特別に思えてくるような実感が、たしかにあった。

 「趣味は散歩」なアラサーに成長してしまったこともあり、あちこちで似たような住宅地を歩くことも少なくない近頃。でもやっぱり、今回の「散歩」は普段のそれとは違った。割と日本のどこにでもありそうな風景だけれど、過去に暮らした街を歩いていると、やはり独特の感慨がこみ上げてくる。

押しボタン式信号機

 言うなればそれは、過去に置き去りにした「何か」を探して歩くような感覚。

 はっきりとした形のある「思い出」だけでなく、捉えどころのない「記憶」とか、「感情」とか、「体験」とか、「関係」とか──いろいろなものを含めた、「何か」。具体的に思い出した記憶が少なくても、そこを「ひさしぶりに歩く」という行為それ自体に意味があった。そんな気がする。

 たとえるなら、「夢を見ることで記憶が整理される」という、アレに近いかもしれない。目覚めたときにその内容を覚えているとはかぎらないけれど、「『夢を見た』という自覚のある朝はどことなくすっきりしている」という、あの感覚。同様に、自分と縁のある土地をふらふらと歩くことによって、忘れていた記憶や体験が脳内で整理された──ただし自覚はあまりない──と考えることはできないかしら。

 実際にはそんなことはなく、感傷に浸りつつ「歩いた」という行為にそれっぽい理由をつけているだけなのかもしれない。「昔はよかった」と思いこむことで記憶を改変している可能性だって否定はできないし、過去を振り返ることで現在の何かが変わるわけでもない。

モノクロの「止まれ」

 でも、何かに「意味を与える」行為って、実はかなり重要なんじゃないかとも思うんですよね。何においても人は理屈だけでは動かないし、そこに何か「意味」を求めたくなるのは自然な心理。

 そもそも今回だって、「過去に住んでいた街を歩く」のに、理屈としての「意味」なんてありませんし。ふと昔を思い出したくなったから、平成の終わりが近いから、久々に「写ルンです」を使う題材にぴったりだと感じたから、なんとなく気分で──などなど、理由なんて、いくらでもでっち上げることができる。

 「意味」や「理由」なんて、結局はその程度。だけど、その程度の「意味」さえあれば、人はいともたやすく動くことができる。まったく論理的でない、むちゃくちゃな理由をでっち上げたっていい。それが自分を動かす原動力となるのなら──嘘をついたって、いいじゃないか。でも誰かに迷惑をかけるのはダメじゃよ。

カーブミラー

 今回の「過去に暮らしていた街に行ってみる」ネタも、実はもう何年も前からやろうやろうと思っていたんですよね。でも、実践しようとするたびに時間がない、お金がない、タイミングが悪いなどと理由をつけて、結局は先延ばしになっていた格好。今回も本当は茨城からスタートしたかったんだけど、節約中なので……。

 そんななか、今年の夏はこれ以上ないほどに最強の「理由」があった。それで言い訳がついたので、こうしてやっと実行に移せたわけです。

 ──そう、すなわち「平成最後」という、最高の言い訳が。特に平成生まれの自分にとって、 “HEISEI NO OWARI” はそれだけで何らかの行動を起こす「意味」として機能してしまうのだ。平成最後だから、来年には変わってしまうから──じゃあ、やるしかねえべ、と。

 まあ来年は来年で「20代最後」とか言ってるような気もするけれど……それでもいいと、僕は考えています。自主性に欠け、ろくに行動力のない自分のような内向型人間には、己を奮い立たせる「言い訳」が不可欠。そうして言い訳を「意味」として変換することによって、実際に楽しく歩けたわけですし。

東武東上線の線路

 最後に本筋とは関係のない話を長々としてしまったものの、それにすら「『意味』はあるんじゃい!」と、今回だけは声高に主張しておきたい所存。

 僕が言いたいのは、「せっかくの『平成最後』だし、やろうと思ってできていなかったことを実行に移してみては?」ということ。来年には「○○(新元号)最初」を言い訳に使うこともできるけれど、もし「平成」の響きに思い入れがあるなら、その過去にしがみつけるのは今だけだ。

 「平成最後」の切符を使えるのも、あと7ヶ月ほど。自分も残りの期間で、あと4ヶ所ほど行ってみたい街があるのだけれど……さすがにちょっと厳しいかしら。でもまあ、最初の1歩は踏み出せたということで及第点は与えたい。──よくやった、僕。──もっと働け、僕。

 そんなこんなで、今宵はこれまで。

 またの機会がありましたら、【札幌編】【愛知編】【茨城編】のいずれかでお会いしましょう。

 

 

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