人・メディア・コンピュータの関係性は今後どうなる?『魔法の世紀』感想

 「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」*1という言葉がある。

 まさにこの瞬間に現代を生きている僕ら──技術が段階的に発展していく様子を目の当たりにしてきた現代人──にはあまりピンとこないような気もするけれど……どうでしょうか。

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ビジネスマンが「哲学の使い方」を学べる入門書『武器になる哲学』感想

 無教養なビジネスパーソンは「危険な存在」である──。

 本書『武器になる哲学』はこのような見出しから始まる。

 いきなり “危険” などと言われると「おぉン!?」と反感も抱きたくなるところだけれど、教養を身につけることの重要性はよくわかる。多様性が叫ばれ、価値観が変化し、それによる衝突が方々で見られる昨今。その複雑怪奇な現状を正確に捉えるにあたって、知識に裏打ちされた教養が役立つことは疑うまでもない。

 そんな「教養」を哲学・思想の観点から身につけようというのが、本書のメインテーマとなっている。とは言っても、哲学者の名言をその背景すら説明せず羅列したような薄っぺらいビジネス書ではないし、初学者には小難しく感じられる「哲学入門」のような本でもない。

 一言で表すなら、哲学の力を借りて日常の問題と向き合おうとする1冊。より具体的には、日常生活で直面する諸問題を「人」「組織」「社会」「思考」に分類し、それぞれの問題を「哲学」の知見によって多面的に捉え、問題解決の手助けとすることを目指す──そんな内容だ。

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哲学を身近に感じられる入門書であり、実用書でもある

 サブタイトルに「人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50」と書かれているように、本書は哲学・思想に関する50の理論を紹介していく内容となっている。

 ただし、冒頭からいきなり各理論の説明に入るわけではない。本筋に入る前の第1章では「類書との違い」に説明を割いており、これがただの注意書きかと思いきや──この時点ですでにおもしろい。筆者によれば、本書が一般的な「哲学入門」の書と異なるのは次の3つの点によるものだという。

1. 目次に時間軸を用いていない

 第一に「目次に時間軸を用いていない」こと。

 本書の構成は、一般的な入門書とは明確に異なっている。初見では退屈に感じる人も多い(と考えられる)古代ギリシア哲学の説明から始まり、時系列順に哲学史を追っていく──ということはしていない。

 ではどう説明しているのかと言えば、取り上げる理論が「何について考える際に有効なのか」という「使用用途」ごとに分類して紹介している

 具体的には、先ほども触れた「人」「組織」「社会」「思考」の4つのコンセプトごとに章を分割。たとえば、予定説やルサンチマンは「人」の章、マキャベリズムやナッシュ均衡は「組織」の章、一般意志や公平世界仮説は「社会」の章、イデア論や弁証法は「思考」の章──というように分けている格好だ。

2. 個人的な有用性に基づいている

 第二に「個人的な有用性に基づいている」こと。

 筆者にとって「使えるか、使えないか」という、至極主観的な基準で取り上げる理論を選んでいる。「それでええのか!?」と思わなくもないものの、筆者曰く、優れた哲学者の主張が必ずしも我々の生活に役立つとは限らないから──とのこと。

 冒頭で “無教養なビジネスパーソン” にご指名があったように、本書が目的としているのは、何よりもビジネスシーンや実生活における問題解決である。だからこそ、取り上げる理論は日常での「有用性」を基準に選定しており、より実践的な哲学書となることを目指してまとめたのだそうだ。

3. 哲学以外の領域もカバーしている

 そして第三に「哲学以外の領域もカバーしている」こと。

 具体的には、経済学・文化人類学・心理学・言語学などに関係のある理論も取り上げており、本書が取り扱うのは「哲学」の範疇に限らない。これは他の哲学書にも共通することであると断ったうえで、筆者は「哲学の領域のみにフォーカスを当てて考察すること自体が、そもそも哲学的ではない」と断じている。

 読み終えたあとの実感としても、話題が複数分野に跨がっていることで知的好奇心が満たされ、楽しく読むことができた。また、僕自身は哲学については門外漢ながら、読み進めるうちに「これ、大学で勉強したやつだ!」という既知の理論(心理学ほか)も登場。しかもそれが哲学と紐付けて説明されているため、より理解を深め、知識の幅を広げることにつながったという実感があった。これは、複数分野に跨がる本書ならではの魅力だと思う。

 

実例を交えた「哲学の使い方」がおもしろい

 ただし、本書に登場する理論は多岐にわたるため、自分のように哲学をろくに学んでこなかった人が一気読みするのは難しいかもしれない。難解な用語は少ないものの話が複数分野に跨がるため、そこそこ脳を回転させながら読む必要がある。この本を読むのは、知識の波にさらされるような体験だった。

 とはいえ、個々の説明はわかりやすいため、読んでいて理解に苦しむようなことはなかった。多彩な分野の理論が出てくるとは言っても、章ごとに分類されているのでそれなりに一貫性はある。じっくり読みながら確実に知識を吸収できるので、入門書としては非常に優れているように感じた。

 他方で、本書は「哲学の入門書」でありながら「現代社会の問題を紐解く実用書」でもある。各項目ではまず50の理論を説明したうえで、それと関連づけて「人」「組織」「社会」「思考」の諸問題に考察を加えるような構成になっているのだ。

 たとえば、「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」とアーレントの指摘から、既存のシステムの中で「うまくやる」方法ばかりを示すビジネス書に疑問を呈したり。あるいは、日本企業の構造の変化をゲマインシャフトとゲゼルシャフトの社会進化論から論じたり。はたまた、市場原理を説明した「神の見えざる手」をより広い視点での解釈に利用し、「最適解」よりも「満足できる解」を求めることの重要性を説いたり。

 このような指摘を読んで、「それは違うだろう」と反感を覚える人もいるかもしれない。これらは言ってしまえば、「筆者の意見」に過ぎないからだ。入門書には不要な個人の意見であり、そこに尺を割くくらいなら各項目を詳しく説明するべきなんじゃないか──。そう感じる人がいてもおかしくはないように思う。

 でも自分のような門外漢からすれば、これらの指摘はまっこと刺激的に感じられるものだった。個々の主張の是非はさておき、筆者がここで書いているのは「紹介した理論を使えば、日常の問題をこうやって捉えることもできるよ!」という考え方のひとつであり、それこそが「哲学の使い方」の実例となっているからだ。

 そもそも、人はなぜ哲学に苦手意識を持つのだろう。理由を考えるに、それが「言うまでもない当たり前のこと」であるか、逆に「難解に感じられて理解できないもの」であるか、はたまた「何の役に立つのかわからない」と感じられてしまうからなのではないだろうか。少なくとも、僕はそうだった。

 その点、本書は基本的な哲学理論の説明に加えて、その「使い方」も教えてくれている。一見すると「何の役に立つのかわからない」ものについて、「こういう問題を考えるときに使える」という例を、50項目すべてにおいて示しているのだ。もちろんそれは必ずしも正解とは言えないし、筆者自身もそう断っている。でも、だからこそ信用できると僕は思う。

 つまり、哲学の基礎知識と合わせて「使い方」を読者に提示している本書は、素人目線で読んでも「おもしろい」のだ。実例によって哲学を身近なものとして感じられるだけでなく、自分なりに個々の問題を考えるきっかけにもなる。もちろん、純粋に読み物としても楽しんだっていい。

 重要なのは、よく言われるような「常識を疑う」という態度を身につけるということではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということです。そしてこの選球眼を与えてくれるのが、空間軸・時間軸での知識の広がり=教養だということです。

(山口周著『武器になる哲学』Kindle版 No.165より)

 取り上げる項目が多く、個々の解説も短めなので、真に体系的に「哲学」を学ぶには適していないのかもしれない。ただそれでも、素人目線では得られるものも多かったし、本書で知った知見が役に立つ場面もきっとあると思う。巻末にはブックガイドもあるため、本書をとっかかりに哲学を学ぶことだってできる。

 哲学に苦手意識を持っている人、なんとなく勉強したけれどピンときていない人などにおすすめしたい1冊です。

 

 

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スタディウォーカーでレビューを書いた本のまとめ①

 KADOKAWAさんが運営するメディア『StudyWalker』

 「社会人のためのスキルアップ応援サイト」を謳うこちらのサイトでは、「スキルUP」「英語学習」「資格取得」「マネーテク」の4つのジャンルで記事を掲載中。そんななか、自分も何本か記事を書かせていただいております。

 そこで今回は、『StudyWalker』で紹介した本をざっくりとご紹介。

 普段はブログで取り上げないような分野の本も取り上げていることもあり、せっかくなのでまとめておこうかなーと。ただし、本記事では簡単な紹介にとどめております。もし気になる本がありましたら、詳しいレビューはサイトのほうで読んでみてくださいな。

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『秒速5cm』『言の葉の庭』のオーディオブック版が最高だった

映画とは違う小説版を、オリジナルキャストの声で

 2018年に入ってから、「耳」で楽しむコンテンツに触れる機会が増えた。Podcastやnoteの音声配信を聴くようになったほか、YouTuber動画もラジオ感覚で楽しんでいる。

 そんななか、オーディオブック配信サービス『Audible』「新海誠作品オーディオブック プロジェクト」という特設ページができていた。いつの間にこんなものが……。

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「新海誠作品オーディオブック プロジェクト」特設ページ

 映画監督・新海誠@shinkaimakotoさんの関連小説をオーディオブック化していく企画として、8月末から作品が追加されていたらしい。

 第1弾として『君の名は。』に始まり、現在は『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』のオーディオブック版を配信中。いずれも新海さん自ら執筆した小説版を元にしている。

 ──そう、「映画版」ではなく「小説版」。
 しかも、声を当てるのは、映画版の声優陣。

 新海誠作品のファンであれば、これが単なる「音声版」ではないことがわかるでしょう。見方によっては「完全版」とも呼べるコンテンツ。あるいは11年ぶりに『秒速』の2人の新録ボイスが聴けるとくれば、それだけで嬉しいという人も少なくないはず。

 だって、映画『秒速』の本編では描かれなかったエピソードと、明かされなかった “手紙” の内容が、あの2人の声で聴けるんですよ!?

 それだけでファン垂涎ものだし、同じく映画以上に広い世界観、多くのキャラクターの目線で紡がれる『言の葉の庭』の小説版も音声で楽しめるときたら、もう最高じゃありませんか。

 ──貴樹と明里、孝雄と雪野先生に、また会える。
 これ、実は神木隆之介さんあたりが一番喜んでいるんじゃないかしら……。

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VRは“経験製造器”?仮想現実が導く未来『VRは脳をどう変えるか?』感想

 VR研究の第一人者、ジェレミー・ベイレンソン教授の著書『VRは脳をどう変えるか?──仮想現実の心理学』を読んだ。

 本書では、実際に医療現場で成果を挙げているVRの活用事例が登場する。同時多発テロを経験したPTSD患者の症状が改善に向かったほか、鎮痛剤が効かないほどの激痛を和らげる効果も認められたという。本書が示すのは医療分野にとどまらない。スポーツや教育においても、VRの有益性は広く認められつつあるのだ。

 しかし同時に、VR体験は多分に危険性をはらんでいる。小説や映画におけるディストピアで描かれてきたように──もしかしたらそれら創作の想像力を上回るほどに──VRにはリスクがあるのだそうだ。

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VRを介した体験は「経験」そのものである

 筆者は、20年にわたってバーチャル・リアリティ(仮想現実)を研究してきたスタンフォード大学教授。主に認知心理学の観点からVRについて紐解いていく本書は、どちらかと言えばハードやソフトといった技術面で語られることの多かった既存の「VR本」とは、一線を画した内容となっている。

 「バーチャル・リアリティ」という言葉が広まる前からその世界に魅了され、研究に取り組んできた筆者。しかし正直なところ、VRは一部の専門領域で活用される技術に過ぎず、当初は一般層にまで普及するとは考えていなかったのだそうだ。

 考えを改めたのは、心理学部からコミュニケーション学部へと鞍替えし、VRを「脳科学研究の道具」ではなく「メディア」として捉えるようになってから。とはいえ、当時のVRは高価な研究機材。消費者層に普及するには時間がかかるだろう──と、その頃はまだ気楽に考えていたらしい。

 ところがどっこい。2010年になってMicrosoftからKinect*1が登場すると、筆者も考えを変えざるを得なかった。VRを何かに活用できないかと各界から注目を浴びるようになり、やがて登場するOculus*2が起爆剤となり、VR普及は急激に加速していくことになる。

 VRを20年にわたって研究してきた私が断言するが、これはけっして小さな話ではない。VRというのは、映画を3Dにしたり、テレビ映像を白黒からカラーにしたり、といった既存メディアのバージョンアップとは根本的に話が違う。VRは過去に存在しなかったまったく新しいメディアであり、他のメディアにはない独自の特徴と心理的効果を持ち、我々が身の回りの現実世界や他人と関わる方法を完全に変えてしまうのである。

(ジェレミー・ベイレンソン著『VRは脳をどう変えるか? 仮想現実の心理学』P.22より)

 良きにせよ悪しきにせよ、VRは世界を変えうる力を持つ。その性質上、スマホのように常に携帯して使うものではないが、パソコンやゲーム機の横に置かれ、たまにHMDをかぶって数十分ほど仮想空間で過ごす──という光景が、もしかしたら数年後には当たり前になっているかもしれない。

 はたして、VRは僕らの生活をどのように変えるのだろう。テレビやゲームがそうであるように、もちろん良い面もあれば悪い面もある。結局のところは使い方次第であり、既存のメディアやコンテンツの延長線上にあるものに過ぎない──と、そういう見方をしている人も多いかもしれない。

 しかし上記の引用部分にもあるとおり、筆者はそうは捉えていない。長年にわたって親しみ、その功罪を見てきた研究者がそう断言するのだから、この指摘は無視できない。

 重ねて筆者は、「暴力的なゲームが犯罪につながる」などの懸念を “大げさで馬鹿げたもの” と示しつつも、メディアの影響力は “間違いなく我々の思考方法を変え” るとも書いている。しかもことVRにおいては、その影響力は既存のメディア──小説・映画・テレビ・ゲームなど──のいずれをも凌ぐというのだ。

 ──VR経験は「メディア経験」ではなく「経験」そのものである。

 訳者あとがきにもあったが、VRについて僕らが知っておかなければならないことは、この一言に集約される。圧倒的な没入感を持つ仮想現実は、最高のコンテンツ体験をもたらし、良き教育者として幅広い場面で活用されることが期待されるが、その一方で、多大なリスクも抱えているのだ。

VRは優秀な「経験製造器」

 新しい技術、未知なる存在を目の当たりにすると、僕らはしばしば懸念を抱く。しかし本書に登場するVRの活用事例は、読むかぎりどれもこれも実用的であると感じられるものばかりだ。

 同時多発テロ当日の現場を再現し、トラウマを追体験させることでPTSD患者を救ったVRソフト*3。環境問題の実情を伝えるべく作られた、リゾート地を舞台としたシミュレーション。ハリケーン被害をVRで再現し、文章や映像では伝えきれない被害者の恐怖を体験させるデモ。19世紀の街を再現した多人数参加型仮想環境で、悩みを抱える人々の問題を解消する、中学生向けの教育プログラム*4──などなど。いち早くVRをトレーニングを取り入れたアメリカンフットボールチームでは、PCやタブレットがもはや「太古の技術」と称されるほどだった。

 その多くは「VRだからこそできる、VRならではの体験」であり、それゆえ魅力的かつ効果的に感じられる。「失った右腕を仮想空間で動かす」ことで幻肢痛を解消する試みはVRならではだし、言葉だけではピンとこない地球規模の環境問題も、その現場や過程を仮想空間上で可視化されれば実体験として理解しやすい。

 実際の現場にはいない、作られた状況を “実体験” と表現することには、若干の違和感もある。だが、一度でもリアルなVR体験をしたことがある人ならば──仮想空間の高所から転落した己の身を守るべく、岩場につかまろうとして実験室のテーブルへ向かって横っ飛びに突っ込んだ連邦裁判所判事の例を本書で説明されるまでもなく──その「実在性」に疑問を挟む余地はないように思う。

 五感すべてをハックすることは適わないが、装着したHMDを介して視覚と聴覚(時には触覚も)をリアルに近い形で再現されれば、僕らの脳はたやすく騙される。「これは作り物だ」とわかっていても、雪原に降り立てば冷気を感じ、高層ビルの屋上から眼下を見下ろせば足がすくみ、眼前にモンスターが迫れば身を翻して避けようとし、カートを運転すればマリオさながらに「YAHOOOOO!!」と叫んでしまうのだ。まんまみーあ。

 VRを経験することとビデオ映像を観ることには、一つの大きな質的な違いがある。「現実のように感じられるかどうか」という点だ。優れたVRはその経験が現実のように感じられる。適切な条件下で高品質のVRを経験すれば、どのような種類のコンテンツ──劇的、美的、暴力的、感情的、性的、教育的、その他どんなものでも望むままだ──であろうとも非常に現実的で、没入することができる。そのため、現実世界の実経験と同じように、根本的でしかも永続的な変化を我々にもたらす可能性を秘めている。

(同著P.16より)

 このような特徴から、筆者はVRを「経験製造器」とも評している。

 スポーツであれば、イメージトレーニングはより “実質的” なVRに取って代わられ、アメフト界では想像以上の成果が出ている。パイロットをはじめ実地訓練に命の危険を伴う専門職は、そのリスクをゼロにできる。交渉には面と向かっての接触が必要なビジネスパーソンも、いずれアバターがリアルの人間さながらに動けるようになれば、出張の必要がなくなり移動コストを削減することができる。机上の学習を凌駕する「経験」を提供してくれる仮想空間は、教育分野との相性も非常に良い。

 しかし一方で、リアルの体験にも劣らないVR上の「経験」は、当然ながら不健全な形で利用することもできてしまう。より真実味のあるフェイクニュースが作られたり、テロリストの訓練に使われたり。プロパガンダや情報操作、犯罪者の育成などに使われる可能性は、考慮されて然るべきだろう。

 そしてなにより、仮想世界における「死」の扱いには慎重を期す必要がある。ゲームデザイナーが早々に「人間」を相手にしたFPSゲームの開発を断念したのは、それがあまりにも生々しく、強烈で、罪悪感を伴うものだったからだと本書では紹介されている。相手が人外──たとえばモンスターや宇宙人──であっても、多くの人はVR空間で生物を手にかけることに罪悪感を抱くようだ。たとえそのプレイヤーが、普段はテレビゲームでヘッドショットを決めまくる凄腕のスナイパーだったとしても。

 最終章で筆者は、「優れたVRコンテンツの三条件」として以下の3つを挙げている。

  1. 「それはVRである必要があるのか」と自問しよう
  2. ユーザーを酔わせてはならない
  3. 安全を最優先する

 詳しくは、ぜひ本書を実際に手にとって読んでいただきたいところ。

 ただ、誰よりもVRに魅了され、長年の研究に携わってきた筆者だからこそ、普及段階にある現時点でその芽を摘まれることを憂慮しているように読めた。もしそれが想定外の使い方であったとしても、一度でもVRが原因の「事故」が起こってしまえば……その後の普及・発展が鈍化するのは、火を見るよりも明らかだ。

VTuberはVRコンテンツ普及の鍵となるか?

 はたしてVRは今後、一般の消費者層まで順調に普及していくのかどうか。

 多くの技術者や研究者はその可能性を信じているものの、その展望はいまだ未知数だ。たとえキラーコンテンツが登場したとしても、それが局所的な流行で終わってしまう可能性も否めない。その点について、筆者は次のようにも書いている。

 今後のVRの進化を占ううえで、もしインターネットがなんらかの参考になるのであれば、おそらくほとんどの人はたんにVRユーザーになるだけで終わらずに、自らVRコンテンツの制作者となるだろう。ちょうどインターネット利用者の多くがブログを書き、ユーチューブに動画をアップロードし、ツイッターでつぶやくのと同じである。

(同著P.343より)

 この指摘は、すでに一部界隈では現実のものとなっているようにも見える。

 特にVRChatを楽しんでいる人たちのTwitterを見ると、自らアバターを作るだけでなく、ワールドを構築したり、イベントやライブを企画してそこに多彩なパフォーマーが集まってきたりと、単なるコミュニケーションにとどまらない “制作” の輪が広がっていることがわかる。

 また、必ずしもVR空間を舞台としたコンテンツではないが、日本国内ではバーチャルYouTuberも大いに盛り上がっている。

 現在は動画配信が中心となっているものの、多数の人気VTuberが3Dアバターで活動するようになり、ファンもHMDを介してその場に “参加” できるような企画が登場し、それが人気になったとしたら──。もしかすると、それが国内のVRコンテンツにおける起爆剤となるかもしれない。

 日本のVTuberカルチャーは海外のVR関係者のあいだでも注目を集めているという話も聞くし、こちらはこちらで気になるところではある。先日のおめシスの誕生日動画にて、「パルマー*5もよう見とる」ことが判明したように。おめシスはいいぞ*6

 ──そんなこんなで駆け足ではありますが、『VRは脳をどう変えるか?』のざっくり感想でした。研究者の著書ながらまったく小難しさは感じられず、むしろ個々の実験内容を明らかにしながら心理学の理論についてわかりやすく説明しているため、きっとおもしろく読めるはず。知的好奇心が満たされる1冊です。

 

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*1:参考:Kinect - Wikipedia

*2:2012年にプロトタイプが公開。2014年にはFacebookがOculus社を買収するが、実はその数週間前、マーク・ザッカーバーグが筆者のラボを訪れている。本書はそのときのエピソードから始まる。

*3:同様の退役軍人向けのプログラムでは、2,000人を超える元兵士の治療に使われたそう。

*4:なにこれむっちゃおもしろそう。

*5:パルマー・ラッキー氏。Oculus創業者の1人。『SAO』が大好き。昨年、東京ゲームショウの視察で来日したときには、歓迎パーティーのイベント会場となった“例のプール”で『Re:ゼロ』のレムのコスプレを披露したことが話題に(参考:Oculus創業者「東京にVR関係の研究所を検討」 「Re:ゼロ」コスプレ姿で語る - ねとらぼ)。かわいい。

*6:おめがシスターズ。2人組の姉妹VTuber。歌唱力の高い「歌ってみた」動画が人気なほか、割と頻繁に現実世界に出張して撮影もしている。首も取れるし、合体もする。おめシスはいいぞ。