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VRは“経験製造器”?仮想現実が導く未来『VRは脳をどう変えるか?』感想

 

先日、 “バーチャル断頭台” で “処刑” されてきた人のつぶやきが話題になっていた。

仮想世界の断頭台に仰向けになり、ギロチンが自分の首に向かって落ちてくるのを間近で目にし、自身のアバターの首から血が流れるのを見たのだという。その結果、上記ツイートのような “症状” が現れ、しばらく動けなくなってしまった──という話。

あまりにも生々しく、読むだけでもゾッとする体験談。MoguraVRの記者さんも同様の体験をし、やはり似たような「冷や汗」や「痺れ」が感じられたそう*1。このことからも、これは本当にシャレにならないVR体験であることがわかる。最悪の場合、「仮想世界での死が、現実の肉体にダメージを及ぼす」ような事態に発展してもおかしくないのでは……?

他方で、この話題に対して「これって、治療にも使えるんじゃない?」というコメントも散見された。PTSDの症状を緩和する治療法として、仮想空間が活用できるのではないか──と。VRに詳しくない人が読めば危険性への懸念が勝ってしまいそうな話題に対して、自然とそのような指摘が出てくるのはすごい。

そして実のところ、その “治療” はすでに実現しているのだ。

 

 

その実例が報告されているのが、本書『VRは脳をどう変えるか?──仮想現実の心理学』だ。筆者はVR研究の第一人者、ジェレミー・ベイレンソン教授。

本書では、実際に医療現場で成果を挙げているVRの活用事例が登場する。同時多発テロを経験したPTSD患者の症状が改善に向かったほか、鎮痛剤が効かないほどの激痛を和らげる効果も認められたという。本書が示すのは医療分野にとどまらない。スポーツや教育においても、VRの有益性は広く認められつつあるのだ。

しかし同時に、VR体験は多分に危険性をはらんでいる。小説や映画におけるディストピアで描かれてきたように──もしかしたらそれら創作の想像力を上回るほどに──VRにはリスクがある。筆者の指摘に従うなら、先ほどの “断頭台” は特に注意すべき種類のコンテンツであると言えるだろう。

 

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VRを介した体験は「経験」そのものである

筆者は、20年にわたってバーチャル・リアリティ(仮想現実)を研究してきたスタンフォード大学教授。主に認知心理学の観点からVRについて紐解いていく本書は、どちらかと言えばハードやソフトといった技術面で語られることの多かった既存の「VR本」とは、一線を画した内容となっている。

「バーチャル・リアリティ」という言葉が広まる前からその世界に魅了され、研究に取り組んできた筆者。しかし正直なところ、VRは一部の専門領域で活用される技術に過ぎず、当初は一般層にまで普及するとは考えていなかったのだそうだ。

考えを改めたのは、心理学部からコミュニケーション学部へと鞍替えし、VRを「脳科学研究の道具」ではなく「メディア」として捉えるようになってから。とはいえ、当時のVRは高価な研究機材。消費者層に普及するには時間がかかるだろう──と、その頃はまだ気楽に考えていたらしい。

ところがどっこい。2010年になってMicrosoftからKinect*2が登場すると、筆者も考えを変えざるを得なかった。VRを何かに活用できないかと各界から注目を浴びるようになり、やがて登場するOculus*3が起爆剤となり、VR普及は急激に加速していくことになる。

 

VRを20年にわたって研究してきた私が断言するが、これはけっして小さな話ではない。VRというのは、映画を3Dにしたり、テレビ映像を白黒からカラーにしたり、といった既存メディアのバージョンアップとは根本的に話が違う。VRは過去に存在しなかったまったく新しいメディアであり、他のメディアにはない独自の特徴と心理的効果を持ち、我々が身の回りの現実世界や他人と関わる方法を完全に変えてしまうのである。

(ジェレミー・ベイレンソン著『VRは脳をどう変えるか? 仮想現実の心理学』P.22より)

 

良きにせよ悪しきにせよ、VRは世界を変えうる力を持つ。その性質上、スマホのように常に携帯して使うものではないが、パソコンやゲーム機の横に置かれ、たまにHMDをかぶって数十分ほど仮想空間で過ごす──という光景が、もしかしたら数年後には当たり前になっているかもしれない。

はたして、VRは僕らの生活をどのように変えるのだろう。テレビやゲームがそうであるように、もちろん良い面もあれば悪い面もある。結局のところは使い方次第であり、既存のメディアやコンテンツの延長線上にあるものに過ぎない──と、そういう見方をしている人も多いかもしれない。

しかし上記の引用部分にもあるとおり、筆者はそうは捉えていない。長年にわたって親しみ、その功罪を見てきた研究者がそう断言するのだから、この指摘は無視できない。

重ねて筆者は、「暴力的なゲームが犯罪につながる」などの懸念を “大げさで馬鹿げたもの” と示しつつも、メディアの影響力は “間違いなく我々の思考方法を変え” るとも書いている。しかもことVRにおいては、その影響力は既存のメディア──小説・映画・テレビ・ゲームなど──のいずれをも凌ぐというのだ。

──VR経験は「メディア経験」ではなく「経験」そのものである。

訳者あとがきにもあったが、VRについて僕らが知っておかなければならないことは、この一言に集約される。圧倒的な没入感を持つ仮想現実は、最高のコンテンツ体験をもたらし、良き教育者として幅広い場面で活用されることが期待されるが、その一方で、多大なリスクも抱えているのだ。

 

VRは優秀な「経験製造器」

新しい技術、未知なる存在を目の当たりにすると、僕らはしばしば懸念を抱く。しかし本書に登場するVRの活用事例は、読むかぎりどれもこれも実用的であると感じられるものばかりだ。

同時多発テロ当日の現場を再現し、トラウマを追体験させることでPTSD患者を救ったVRソフト*4。環境問題の実情を伝えるべく作られた、リゾート地を舞台としたシミュレーション。ハリケーン被害をVRで再現し、文章や映像では伝えきれない被害者の恐怖を体験させるデモ。19世紀の街を再現した多人数参加型仮想環境で、悩みを抱える人々の問題を解消する、中学生向けの教育プログラム*5──などなど。いち早くVRをトレーニングを取り入れたアメリカンフットボールチームでは、PCやタブレットがもはや「太古の技術」と称されるほどだった。

その多くは「VRだからこそできる、VRならではの体験」であり、それゆえ魅力的かつ効果的に感じられる。「失った右腕を仮想空間で動かす」ことで幻肢痛を解消する試みはVRならではだし、言葉だけではピンとこない地球規模の環境問題も、その現場や過程を仮想空間上で可視化されれば実体験として理解しやすい。

実際の現場にはいない、作られた状況を “実体験” と表現することには、若干の違和感もある。だが、一度でもリアルなVR体験をしたことがある人ならば──仮想空間の高所から転落した己の身を守るべく、岩場につかまろうとして実験室のテーブルへ向かって横っ飛びに突っ込んだ連邦裁判所判事の例を本書で説明されるまでもなく──その「実在性」に疑問を挟む余地はないように思う。

五感すべてをハックすることは適わないが、装着したHMDを介して視覚と聴覚(時には触覚も)をリアルに近い形で再現されれば、僕らの脳はたやすく騙される。「これは作り物だ」とわかっていても、雪原に降り立てば冷気を感じ、高層ビルの屋上から眼下を見下ろせば足がすくみ、眼前にモンスターが迫れば身を翻して避けようとし、カートを運転すればマリオさながらに「YAHOOOOO!!」と叫んでしまうのだ。まんまみーあ。

 

VRを経験することとビデオ映像を観ることには、一つの大きな質的な違いがある。「現実のように感じられるかどうか」という点だ。優れたVRはその経験が現実のように感じられる。適切な条件下で高品質のVRを経験すれば、どのような種類のコンテンツ──劇的、美的、暴力的、感情的、性的、教育的、その他どんなものでも望むままだ──であろうとも非常に現実的で、没入することができる。そのため、現実世界の実経験と同じように、根本的でしかも永続的な変化を我々にもたらす可能性を秘めている。

(同著P.16より)

 

このような特徴から、筆者はVRを「経験製造器」とも評している。

スポーツであれば、イメージトレーニングはより “実質的” なVRに取って代わられ、アメフト界では想像以上の成果が出ている。パイロットをはじめ実地訓練に命の危険を伴う専門職は、そのリスクをゼロにできる。交渉には面と向かっての接触が必要なビジネスパーソンも、いずれアバターがリアルの人間さながらに動けるようになれば、出張の必要がなくなり移動コストを削減することができる。机上の学習を凌駕する「経験」を提供してくれる仮想空間は、教育分野との相性も非常に良い。

しかし一方で、リアルの体験にも劣らないVR上の「経験」は、当然ながら不健全な形で利用することもできてしまう。より真実味のあるフェイクニュースが作られたり、テロリストの訓練に使われたり。プロパガンダや情報操作、犯罪者の育成などに使われる可能性は、考慮されて然るべきだろう。

そしてなにより、仮想世界における「死」の扱いには慎重を期す必要がある。ゲームデザイナーが早々に「人間」を相手にしたFPSゲームの開発を断念したのは、それがあまりにも生々しく、強烈で、罪悪感を伴うものだったからだと本書では紹介されている。相手が人外──たとえばモンスターや宇宙人──であっても、多くの人はVR空間で生物を手にかけることに罪悪感を抱くようだ。たとえそのプレイヤーが、普段はテレビゲームでヘッドショットを決めまくる凄腕のスナイパーだったとしても。

最終章で筆者は、「優れたVRコンテンツの三条件」として以下の3つを挙げている。

  1. 「それはVRである必要があるのか」と自問しよう
  2. ユーザーを酔わせてはならない
  3. 安全を最優先する

詳しくは、ぜひ本書を実際に手にとって読んでいただきたいところ。

ただ、誰よりもVRに魅了され、長年の研究に携わってきた筆者だからこそ、普及段階にある現時点でその芽を摘まれることを憂慮しているように読めた。もしそれが想定外の使い方であったとしても、一度でもVRが原因の「事故」が起こってしまえば……その後の普及・発展が鈍化するのは、火を見るよりも明らかだ。

 

VTuberはVRコンテンツ普及の鍵となるか?

はたしてVRは今後、一般の消費者層まで順調に普及していくのかどうか。

多くの技術者や研究者はその可能性を信じているものの、その展望はいまだ未知数だ。たとえキラーコンテンツが登場したとしても、それが局所的な流行で終わってしまう可能性も否めない。その点について、筆者は次のようにも書いている。

 

今後のVRの進化を占ううえで、もしインターネットがなんらかの参考になるのであれば、おそらくほとんどの人はたんにVRユーザーになるだけで終わらずに、自らVRコンテンツの制作者となるだろう。ちょうどインターネット利用者の多くがブログを書き、ユーチューブに動画をアップロードし、ツイッターでつぶやくのと同じである。

(同著P.343より)

 

この指摘は、すでに一部界隈では現実のものとなっているようにも見える。

特にVRChatを楽しんでいる人たちのTwitterを見ると、自らアバターを作るだけでなく、ワールドを構築したり、イベントやライブを企画してそこに多彩なパフォーマーが集まってきたりと、単なるコミュニケーションにとどまらない “制作” の輪が広がっていることがわかる。

また、必ずしもVR空間を舞台としたコンテンツではないが、日本国内ではバーチャルYouTuberも大いに盛り上がっている。

現在は動画配信が中心となっているものの、多数の人気VTuberが3Dアバターで活動するようになり、ファンもHMDを介してその場に “参加” できるような企画が登場し、それが人気になったとしたら──。もしかすると、それが国内のVRコンテンツにおける起爆剤となるかもしれない。

日本のVTuberカルチャーは海外のVR関係者のあいだでも注目を集めているという話も聞くし、こちらはこちらで気になるところではある。先日のおめシスの誕生日動画にて、「パルマー*6もよう見とる」ことが判明したように。おめシスはいいぞ*7

──そんなこんなで駆け足ではありますが、『VRは脳をどう変えるか?』のざっくり感想でした。研究者の著書ながらまったく小難しさは感じられず、むしろ個々の実験内容を明らかにしながら心理学の理論についてわかりやすく説明しているため、きっとおもしろく読めるはず。知的好奇心が満たされる1冊です。

 

 

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*1:参考:VRで断頭台に……刃が落とされた瞬間ユーザーに起きた“異変” | Mogura VR

*2:参考:Kinect - Wikipedia

*3:2012年にプロトタイプが公開。2014年にはFacebookがOculus社を買収するが、実はその数週間前、マーク・ザッカーバーグが筆者のラボを訪れている。本書はそのときのエピソードから始まる。

*4:同様の退役軍人向けのプログラムでは、2,000人を超える元兵士の治療に使われたそう。

*5:なにこれむっちゃおもしろそう。

*6:パルマー・ラッキー氏。Oculus創業者の1人。『SAO』が大好き。昨年、東京ゲームショウの視察で来日したときには、歓迎パーティーのイベント会場となった“例のプール”で『Re:ゼロ』のレムのコスプレを披露したことが話題に(参考:Oculus創業者「東京にVR関係の研究所を検討」 「Re:ゼロ」コスプレ姿で語る - ねとらぼ)。かわいい。

*7:おめがシスターズ。2人組の姉妹VTuber。歌唱力の高い「歌ってみた」動画が人気なほか、割と頻繁に現実世界に出張して撮影もしている。首も取れるし、合体もする。おめシスはいいぞ。