2分後の未来と繋がったらどうする?映画『ドロステのはてで僕ら』の緻密なギミックと臨場感がすごい


映画『ドロステのはてで僕ら』感想サムネイル

『ドロステのはてで僕ら』という映画が、おもしろいらしい――。

そんな記事をネット上で見かけて、「これだ!」と思った。時は2020年7月。それまで遠出は自粛していたものの久しぶりに都心へと足を伸ばすことになり、「空いた時間に映画でも観よっかなー」と考えていた矢先のことでした。

「何を観ようかな……話題の最新作……? いや、せっかくの機会だしジブリ映画を観るのもありかも……」などと考えつつも、決め手に欠けていたその時。たまたま目に入ったのが、『ドロステのはてで僕ら』のレビューだったのです。

明らかに自分好みのにおいがしたので、そのまま勢いでチケットを購入。

わくわくしながら足を運んだ映画館のスクリーンで目にしたのは、日常と地続きの空間で繰り広げられる、「すこし・ふしぎ」な非日常。学校の図書館で短編SFを読み終えた後のような、心地良い充足感を得られる作品でした。

 

もしも「近い未来」がわかるようになったら?

突然ですが、質問です。「少し先の未来がわかったら」という妄想を、あなたは過去にしたことがありますか?

僕はあります。

小学校の授業中には「教科書のどこかに今日の晩ご飯が書いてないかなー」とページをパラパラしていたし、うんざりする傾斜の上り坂でチャリを漕ぎながら「30秒以内に登れたら明日の出来事が1個わかる!」と謎ルールを設けて己を鼓舞していたし、中学時代には「クリスマスが誕生日なんだし、なんか未来視系の能力とか習得できない?」などと意味不明な妄想をしていました。

だって、しょうがないじゃない。
年頃の男の子なんだもの。

――とまあ思春期の妄想はさておき。「近い未来がわかったら」という想像は、年齢に関係なく心躍るものだと思うのです。タイムマシンほど大仰じゃないし、世界の歴史や誰かの運命を変えるわけではない。でも、未来を知れば、ちょっとだけ素敵な明日を迎えられるかもしれない。

この映画で描かれるのも、そんな「近い未来」のお話です。……と言っても、その未来は「2分後」なのですが。

映画『ドロステのはてで僕ら』モニター

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

そう、映画『ドロステのはてで僕ら』において知ることができる「未来」とは、わずか2分後の世界。主人公が営む喫茶店のモニターと、その2階にある彼の自室のモニターが「2分」の時差を経てつながり、「2分後」の自分たちと会話ができるようになるのです。……うわぁい! 短い!

しかし、たった2分間だとしても「未来を知ることができる」のは間違いない。どうにか有効活用できないかと、登場人物たちはあれこれと考えます。主人公は乗り気ではないものの、続々と集まった喫茶店の店員と常連たちは「タイムテレビだ!」と興奮し、いろいろと試すことに。いいなー。楽しそうだなー。

「タイムテレビ」×「合わせ鏡」=「???」

「2分後の未来と通信できるタイムテレビ」と聞くと、それだけならばありきたりな設定かもしれません。もちろん、「2分」の時差でできることを考えるだけでもさまざまな物語が生まれそうだし、おもしろくなりそうな予感もある。

ところがどっこい。本作のギミックはそれだけではございません。「近い未来を見る」というアイデアの、さらに一歩先を行く発想が、劇中では登場します。

きっかけは、常連客の1人の思いつきによって、2つのモニターが「向かい合わせ」にされたこと。

「2分」のラグがある2つの画面を合わせ鏡のようにすると……さて、どうなるでしょう。「モニターの中に2分後のモニターが映る」ようになり、その結果、2分後の2分後、さらにその2分後が入れ子構造の形で映し出されるようになり、もっと先の未来がわかるようになるのだ!

……うん! 文章にするとわからんっすねこれ!
多分、予告編を見るのが一番手っ取り早そう。

例を挙げるなら、「配信画面を映した配信」を見たことがある人ならピンとくるかも。「配信者が自分のYouTubeライブをパソコン上で映すと、映像は入れ子構造に、音声は輪唱のようになる」という、あの現象。無限ループって怖くね?

それと同じ事を「2分後の未来がわかるモニター」でやると、その入れ子構造と輪唱が逆転。「現在」から観測する「2分後」の画面Aの中には、その「2分後(現在から4分後)」の画面Bが映し出され、その画面Bの中には、さらに「2分後(現在から6分後)」の画面Cが映し出され――という形になるわけです。複雑!

映画『ドロステのはてで僕ら』タイムテレビ

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

「タイムテレビ」と「合わせ鏡」。

ありそうでなかったこの発想の組み合わせが、この映画の肝となります。極端な話をすれば、「このギミックを楽しむための作品」と言ってもいいかもしれない。それほどに劇中で表現されるこのギミックがおもしろく、ワクワクさせられるものだったのです。

本当にそれを「映画」でやっちゃうの!?

映画『ドロステのはてで僕ら』感想ドロステ効果

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

劇中では「ドロステ効果」になぞらえて、「ドロステレビ」と名づけられた2つのモニター。この発想に至ることがまず驚きですが、それを「『映画』という媒体で実践しようとする」こと、そして「実際にギミックとして機能させている」ことに、むちゃくちゃ驚かされました。

「そうは言うけれど、合成すればいいだけだし、別に難しいことじゃなくない?」と首を傾げた人もいるかもしれません。――わかる。僕も最初はそう思いました。「現在」のシーンと「2分後」のシーンを別々に撮影したうえで、「2分後」のシーンを編集でモニターに合成するだけじゃないの? ――と。

ところがぎっちょん。

この映画、70分ほどの尺だそうですが、全編を「疑似ワンカット」で撮影しているのです。……そうです、“疑似”ワンカット。正確にはワンカットではないらしいのですが、素人目には最初から最後までワンカットでリアルタイム進行しているようにしか映りませんでした。マジヤバ。

映画『ドロステのはてで僕ら』ワンカット

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

では、「『2分後の未来とつながるモニター』が登場する物語を、長回しのワンカットで撮影する」と、どのような形になるか。ざっくり言うと、役者さんには以下のような動きと演技が求められることになります。

  1. 2階の部屋で「2分後」の自分たちと会話する
  2. 「2分」が経過する前に階段を降りて1階へ
  3. 先ほど「2分後」の映像として見た会話を、1階で「2分前」のモニターに向かって演じる

常にモニターに向かっているわけではないものの、劇中の大部分がこの繰り返し。役者さんたちはこの流れに沿って、「2分」のスパンで動きながら演技しなければいけない。しかも、ほぼワンカットで。

わけがわかりませんね!

もし思い浮かんだとしても、なかなか実行しようとは考えなさそうなギミック。それを「映画」として撮影し、しかも魅力的な「作品」として形にしてしまうことへの衝撃。スタッフさんたちのとてつもない熱量を感じましたし、映画館で観てむちゃくちゃ興奮させられました。

「短編SF」の魅力と空気が詰まった映画

映画『ドロステのはてで僕ら』予告編

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

以上のように、とにもかくにも作品としての「構造」が独特でおもしろい本作。予告編では「時間に殴られる」という表現が出てきますが、鑑賞後には「ギミックにぶん殴られた」という感想が真っ先に浮かびました。いやー、おもしろかった。

作品構造や上映形態から『カメラを止めるな』と比較されがちなようですが、切り口や方向性は別物なんじゃないかなーという印象も。ただ、どちらも「アイデア」にぶん殴られる興奮があり、「そうくるかーーー!」という驚きを堪能できるという共通点があるので、両作品を好きになる人は多そうにも感じました。

それと、さっきからギミックギミックとばかり繰り返していますが、ストーリーもよかった! 特に終盤、それまでの伏線を回収しながらの総力戦は、アツいし笑えるしで大興奮。周囲にも「思わず声に出して笑ってしまった」という感じのお客さんが多く、想像以上に楽しむことができました。

一言でまとめるなら、冒頭でもふれたような「短編SF」の魅力と空気が詰まった映画――と言えるでしょうか。劇中でも藤子・F・不二雄先生の話がちょろっと出てきましたが……もしかして、作中のあれとかこれとかは、藤子・F・不二雄作品のリスペクト&オマージュだったのかしら……?

映画『ドロステのはてで僕ら』タイトル

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

そんなこんなで、映画『ドロステのはてで僕ら』の感想でした。たった70分で「すこし・ふしぎ」な物語とギミックを堪能できる作品であり、半年以上ぶりに映画館で観る「映画」としても、「これを選んでよかった!」と思える素敵な作品でした。

あ、最後にもう一点。鑑賞される方は、スタッフロールが終わるまで席は立ちませぬよう!

 

© ヨーロッパ企画/トリウッド 2020

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