SNS時代にも通じる文章読本『書けるひとになる!』をライター人生のバイブルにしたい


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物書きは人生を二度経験する。

 いつだったか、こんな一言と出会った。そのへんに転がっている泡沫ライターに過ぎない自分が「物書き」を自称するのはおこがましい気もするけれど、それでも、この一言には強い共感を覚えずにはいられなかった。

 もしかしたら、今このブログを読んでいるあなたも、この一言に感じるものがあるかもしれない。

 自分でもブログを運営していたり、日常的に書き物をしていたり、重度のツイ廃だったり。実際に調べたわけではないのでわからないけれど、このブログの読者さんにはそんな人が多い気がしている。ネット上で「書く」ことや「言葉にする」ことに刺激や楽しさを感じている──そんな人たち。だって、僕自身がそうだから。

 “物書きは人生を二度経験する”。たとえ「物書き」を仕事にしているわけではなくても、日常的にブログやTwitterと接している人であれば少なからず共感できそうな一言。この言葉が収録されている本『書けるひとになる!』を、先日ようやく読むことができた。今回はその感想をば。

 

現代にも通じる「文章術」のロングセラー

 『書けるひとになる!──魂の文章術』(原題:Writing Down the Bonesは、詩人であり作家である筆者によって書かれた「文章」の指南書だ。1986年にアメリカで出版されてから現在に至るまで読み継がれており、帯の文句によれば「14カ国語で翻訳」「全米で100万部超え」のロングセラーなのだとか。

 インターネット普及以前の出版であり、「詩人」である作家さんによる「文章術」をまとめた本書は、一見すると僕らとは縁がないようにも感じられる。日常的に詩を書いているわけではなく、僕らが書く「文章」と言えば、基本的にはネットに投稿する短文ばかり。ネット時代を生きる僕たちには、「30年以上も前に書かれた詩人目線の文章術」なんてまったく何の参考にもならないんじゃないか──。そう感じても不思議ではないように思う。

 しかし、いざ読み始めてみると……まあ、なんということでしょう。あまりにも頷ける話が多すぎて、ちぎれんばかりに首を縦に振りまくりながら読む始末。それこそ、ページをめくるごとに全力でヘドバンするレベルで共感できる内容だったのです。

ブログやTwitterで、人生を二度経験する

 そもそも、本書を読むきっかけとなった冒頭の一文からしてそうだった。

 “物書きは人生を二度経験する”──そう、「文章を書く」ということは、自分の人生を言語化して再現することでもある。ライター業を仕事にする以前、趣味でブログを書き続ける中で得た気づきのひとつが、まさにこれだった。

 もともとはどこかで出会った、この一言。
 本文では次のように書かれています。

 物書きは人生を二度経験する。もちろんふつうの生活もおくっている。みんなと同じようなペースで、道路を渡ったり、出勤の支度をしたり、スーパーで買い物したりする。しかし物書きには、ふだんの自分とは別に鍛えてきた分身がある。その分身は、あらゆることをもう一度経験しなおす。腰をおろして、人生をもう一度見なおし、繰り返す。それは人生の肌合いや細部にも目を向ける。

(ナタリー・ゴールドバーグ著『書けるひとになる!──魂の文章術』P.73より)

 日常生活の中でおもしろいモノやコトがないか目を凝らして探したり、他人が「無駄」と言いそうな経験にあえて飛びこんだり。ただ漫然と過ごすのではなく、明確な目的意識を持って効率的に暮らすのでもなく、好奇心とバイタリティにあふれた自らの分身を解き放ち、外部から刺激を受け取って言語化しようとする。「書く」ことが好きな人の多くは、当人がそれを意識しているか否かに関係なく、自然とそのように生きている。

 すべては、「書くことの中で人生をもう一度生きる」ために。

 現代に当てはめて考えるなら、まさに「ブログ」はわかりやすい例だと思う。ブログを趣味にしている人は、しばしば「書く」ために自身の生活を観察する。気になる飲食店があったら飛びこんでみたり、普段はふれないジャンルの本を読んでみたり。そのうえで食レポや書評記事を書いて、それらの活動を追体験しようとする。

 ブログに限らず、Twitterのツイートだってそうだ。何かおもしろい体験や出来事があったら、次の瞬間には「どうやってツイートしようかな」と考えている人は少なからずいるはず*1。自分の頭の中で体験を反芻し、言葉にして、場合によってはさらにおもしろおかしく伝わるように表現も変えてみたりして、140字の表現に落としこむ。Twitterのタイムラインには、そうやって書かれたどこかの誰かの「二度目の人生」が流れている──と言ってもいいかもしれない。

きっと、何度も読み返すことになる1冊

 「魂の文章術」という副題が踊る本書だが、実際のところ「文章術」と呼べるような知識や技法はほとんど登場しない。本書に記されているのは、書くときの心構えやスランプの抜け出し方、モチベーションの保ち方やネタの探し方といった、「書く」にあたって身につけておくと役立ちそうな視点と考え方だ。

 本書の特徴について、筆者は冒頭で次のように説明している。

 本書の中のある章には、できるだけ具体的に正確に書きなさいとある。そのアドバイスは、抽象的で一般論みたいなことしか書けないと悩んでいる場合のためのものだ。別の章には、コントロールをゆるめ、感情に乗って書きなさいとある。それは、言うべきことを心底から言うよう励ましているのだ。また別の章には、書斎を設けて書くためのプライベートな空間を作りなさいとあり、その次の章では、「汚れたお皿なんかほっといて、家を出よう。喫茶店で書いてみたら」とある。各テクニックには、それぞれそれに向いた時節がある。同じ瞬間は二度とない。いろいろなことが役に立つ。どれかがまちがっていて、どれかが正しいということじゃない。

(ナタリー・ゴールドバーグ著『書けるひとになる!──魂の文章術』P.7より)

 「このプロセスのとおりに勉強すれば、文章の書き方が身につくよ!」というハウツー本とはまったく真逆の、言ってしまえば「『書く』ことをテーマにしたエッセイ集」のような1冊。個々の章は独立しており、そこに一貫性はなく、筆者個人の文章論を好き勝手に書き散らしているだけの本──。あえて悪く言うなら、そう捉えることもできる。

 しかしそこには、1冊を貫く「書く」というテーマがある。さらに踏み込んで言うなら、「『書く』ことを通して人生を豊かにしよう」という筆者の意思が感じられる。「時には悩み苦しむこともあるけれど、『書く』ことって楽しいよね!」というめちゃデカ感情が、本書には刻まれている。

 加えて、30年以上も読まれていることから、本書には普遍性があると考えて間違いない。「詩の書き方」ではなく「『書く』ことへの向き合い方」を示しているからこそ、本書の内容はSNS全盛の現代にも当てはまる。時代も媒体も超えて共通する普遍的な「書き方」が記されている本書は、詩人にも、作家にも、ライターにも、ブロガーにも、そしてツイッタラーにも、きっと“刺さる”はずだ。

「書くことの中にとっぷり入っていったら、それはあんたをあらゆる場所に連れていってくれるよ」

(ナタリー・ゴールドバーグ著『書けるひとになる!──魂の文章術』P.6より)

 筆者が師事した日本人の禅僧*2の言葉が随所に散りばめられ、俳句や日本語の話もたびたび登場する本書。それゆえ、海外の文集読本としては、日本人でも比較的親しみやすい1冊なのではないかと思う。というか、地名や一部の生活習慣以外は、ほとんど海外っぽさを感じなかった。

 「書く」ことを習慣にしている自分にとっても、「読んで良かった!」と断言できる1冊。それどころか、これから何度も何度も読み返す予感がある。もしかしたら、これまでに読んできた数々の文章読本のどれとも違う、バイブルのような特別な存在になるかもしれない。これからお世話になります。

 

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*1:いる……よね?(ツイ廃目線)

*2:片桐大忍 - Wikipedia