『メタバース進化論』を読んだ結果、物理現実の価値観についてあれこれ考えることになった


 「メタバースってなんぞ?」と、まだいまいちピンときていない人に、まず最初におすすめしたい。そんな本が、ようやく出た。

 その名も、『メタバース進化論』

 本書は、仮想空間で長年にわたって生活し、大勢と交流しながら創作と研究に取り組んできた筆者による、「メタバース」の概説書である。数あるメタバース関連書籍の中でも、本書以上に「ユーザー」の目線に立って書かれたものは他にない。そう断言してしまってもいいくらいの1冊だ。

 

少女は荒野のフロンティアをめざす

 『メタバース進化論』の筆者は、バーチャル美少女ねむ@nemchan_nelさん。その著者名と書影を見るかぎりでは、書店に並ぶメタバース関連書籍の中では異質な存在に映るかもしれない。

 なんたって、「美少女」である。新たなビジネス領域としてメタバースを捉えているイケイケビジネスパーソンからすれば、「美少女にメタバースの何がわかるのか」「お前は誰だ⚡」とツッコミたくなるかもしれない。

 ところがどっこい。
 それが、「わかる」のだ。

 彼女――ねむちゃんは、2017年から活動している世界最古の個人勢VTuber(自称)である。同年末に始まったバーチャルYouTuberのブーム以前から活動している古株であり、VRSNSでも精力的にイベントを主催している、つよつよVTuberだ。メディアに出演する機会も多く、NHKや全国紙にもたびたび登場している。なので、真に情報感度の高いイケイケビジネスパーソンなら、むしろ彼女の姿を見たことがあってもおかしくはない。

 企業の公式アンバサダーも務めるなど、多くの肩書きを持っている彼女。とはいえ、ほかのメタバース本の著者のように大学教授だったり社長だったりするわけではない。日中は普通に働き、メタバース上では美少女アイドルとして活動する、どこにでもいる一個人に過ぎない。しかし言い換えれば、彼女には一個人として長時間にわたってメタバースで “過ごした” 経験と、第一線で活動を続けてきた実績がある。

 そんな筆者が書いている本だからこそ、この『メタバース進化論』には説得力がある。少なくとも、Amazonで「メタバース」と検索して出てくる玉石混交のメタバース本の中では、間違いなく信頼できる部類に入る。本書には、年単位でメタバースで暮らしてきた「住人」の目線と、その空間で過ごすなかで大勢と接してきた人ならではの、実感の伴った言葉が書かれているからだ。

 ビジネス的な観点でメタバースのことを知りたい人が読むと、場合によっては肩透かしを食らう部分もあるかもしれない。でも個人的には、そんな人にこそ本書を読んでほしいという気持ちもある。仮想空間のメリットがどうの、新時代の社会がどうのと言う前に、まずは「メタバース」の実情と空気感を、ユーザー目線で眺めてみてほしい。

 メタバースをよく知る1人の少女が、この荒野に広がるフロンティアの水先案内人だ。

大規模アンケートをもとに紐解く、ユーザー目線の解説書

 少し過剰にも思えるくらいに筆者を持ち上げるような書き方をしたことで、逆に胡散臭く感じた人もいるかもしれない。あるいは「ユーザーの目線で書かれた本」と言われて、次のような懸念がこみ上げてきた人もいるんじゃなかろうか。

「ユーザー目線ってことは、一個人の体験や価値観、印象論に過ぎないんじゃない?」

「あくまでも『その人が見たメタバース』の話が中心で、メタバースの全貌を知るには片手落ちなのでは?」

 当然の懸念ではある――というか、正直な話をすると、僕も少なからずそういう部分はあるんじゃないかと思っていました。

 いくらメタバースに造詣が深く、VRChatではあんなことやこんなことに取り組んでいるねむちゃんであっても……いや、あんなことやこんなことをやっている彼女だからこそ、個人的な体験談や思想の話が色濃く書かれているんじゃないか。そのように考えていました。

 ところがどっこい。実際に読み始めてみてびっくりした。前半で説明される言葉の定義にせよ、後半の生活の実態や文化の解説にせよ、多数の参考文献にあたっているのはもちろんのこと、全体を通して客観的なデータを参照しながら「メタバース」の実態を紐解いていく内容になっているのです。

 そのデータの参照元として登場するのが、2021年に行われた「ソーシャルVR国勢調査」だ。

 「ソーシャルVR国勢調査は、ねむちゃんがスイスの人類学者・ミラさんと共同で実施したアンケート調査だ。世界中のソーシャルVRユーザーを対象として行われ、約1,200件の回答が集まった。本書の特に後半部分はこの調査結果を下地にして書かれており、集まった回答を参照しつつメタバース原住民の実態に迫る内容になっている。

 つまり、『メタバース進化論』はその世界の原住民がユーザー目線で書いた本であると同時に、大規模調査の結果を参照しつつ、客観的な視点からも分析と考察を加えた概説書でもある――。そのように言い表すこともできるわけです。主観と客観の絶妙なバランスの上で成り立っている本であり、決して一面的ではない、信頼の置ける本であると言えるのではないかしら。

とはいえ、それは言い過ぎでは!?

 とはいえ、下地となっている「国勢調査」からして、バイアスが作用している可能性は否めない。それに、筆者の主張が前面に出ていないかといえばそんなこともなく、いくつかの章タイトルに含まれる「コスプレ」というワードからは、彼女の思想が多分に感じられる。

 でもだからと言って――繰り返しになりますが――最初から最後まで、筆者個人の主観に終始しているわけではありません。それは断言できます。むしろ分析と考察だけでは単調になりそうなところを、彼女の体験談を挿入することによって、「読み物」としてのおもしろさを担保しているようにすら読める。教科書的な説明ばかりでは飽きてしまいそうな人には、本書を最初に読むメタバース本としておすすめしてもいいかもしれない。

 ――などと書きつつ、またまた混ぜっ返すようでアレですが、良い意味で「ねむちゃんらしいなー」と思える部分が散見されたのも事実。ここでは一例として、メタバースを支える技術について解説している第3章を見てみましょう。

 この章の冒頭では、メタバースの世界を実現するために使われている複数の技術を羅列している。通信インフラ技術、サーバー技術、映像処理技術、シミュレーション技術、空間情報技術、身体情報技術、音声情報技術、経済情報技術、AI技術――などなど。ここでは特に「バーチャルリアリティ」に焦点を当て、その根幹を成す「VRゴーグル」「トラッキング技術」「アバター技術」の3つについて解説を加えていく。

 VRユーザーからすれば当たり前の話ではあるものの、実際に体験したことのない人には咄嗟にイメージしにくい――けれどメタバースを知るにあたっては大前提となる――基礎知識。それを限られた紙面でわかりやすく説明してくれているのがこの章……なのですが、その導入部分の文中に、さらっと次のようなことが書かれている。

人類のこれまでの歴史、技術の蓄積は「メタバース」を創造する、まさにこの時のためにあったといっても過言ではないでしょう。

(バーチャル美少女ねむ 著『メタバース進化論』P.102より)

 何の違和感もなく読み流しそうになったところで、しかし次の瞬間、「いや、それは言い過ぎでは!?」と、内心でツッコまずにはいられませんでした。

 でも他方では、この約3年間で仮想空間がすっかり身近になってしまったこともあり、「たしかにそうかもしれぬ……」と心の中で大きく頷いている自分もそこにはいて……いや、でもやっぱり過言だと思います!! ただ、結果的にそうなったらいいな!!!

メタバースを知り、物理現実の価値観を再考する

 そんな脳内ツッコミも交えつつ、最後までおもしろく読むことのできた『メタバース進化論』。良かった点やおすすめポイントを個別に書くと長くなりそうなので今回は割愛しますが、とにもかくにもおすすめできる本であるのは間違いありません。

 一点だけ付け加えると、本書は何も「メタバース」の概念それだけを説明するための本ではない、ということ。もちろん個々の解説も興味深く読めるのですが、全体を通して振り返ってみるとまた別の読み方もできる。というのも、本書は「メタバース」という新しい世界の説明を通して、既存の価値観に対してある種の問題提起をしているようにも読めるのだ。

 たとえば、筆者の言う「アイデンティティのコスプレ」。

 現実社会における「アイデンティティ」は、基本的にはその人の生まれや環境によって規定されるもの。生まれ持った性質は残念ながらそうそう変えることができない。しかしメタバースならば、それができる。名前を、姿を、声を、一人ひとりが自由にデザインし、「なりたい自分」になることができるというのだ。

 あるいは、「コミュニケーションのコスプレ」。

 従来のネットコミュニケーションは、画面越しに文字や音声を介して行われてきた。一方、空間でやり取りができるメタバース上のコミュニケーションは、どちらかと言えば現実に近い。だが、コミュニケーションの方法は近くとも、その性質は現実と異なる点もある。姿かたちはリアルとは別物だし、相手の性別がわからないことも珍しくはない。そもそも「性別」を情報として意識していない人もいるし、メタバース上の関係性の受け止め方も人それぞれ。そこで行われるコミュニケーションは現実の延長線上にあるとは限らず、それゆえに独特な関係性も生まれている。

 アイデンティティにしても、コミュニケーションにしても、メタバースでは物理現実の価値観が通用しないケースがある。ということはつまり、「メタバース上の価値観を知ることは、物理現実における既存の価値観を改めて考え直すきっかけにもなる」のではないだろうか。

 僕自身は「原住民」を自称できるほどメタバースが生活の軸にはなっていないものの、たびたびそこで過ごしてきた経験はある。なので、本書で取り上げられている価値観も、ある程度は「そういうもの」として受け入れることができているつもりだ。理解も納得もできるし、実体験として「わかる~!」と共感できる部分も多々ある。

 ところが今回、「本」という媒体を通して言語化されたそれらの価値観を、改めて目の当たりにしたことで、「現実とは結構違うな!?」と驚き、その差異を再認識させられた。インターネットもメタバースも、結局は現実と地続きの世界であり、コミュニケーションの方法に違いはあっても、根底は同じもの。そう思っていたのだけれど、実際には「違う」部分もある。そのことを目の前に突きつけられ、軽く衝撃を受けた格好だ。

 そんな読後感もあり、「そもそもアイデンティティってなんだっけ……」とか、「恋愛ってなんじゃろほい……」とか、あれこれ考えてしまったわけです。思春期を経て「わかったことにしたつもり」のあれやこれやの価値観が、いきなり目の前にヌッと顔を出してきた感じ。まるで、昔の恋人とうっかり再会してしまったかのような。勘弁しろください。

 とはいえ、そうやって価値観についてあれこれ考える試みは、決して苦痛ではなかった。メタバースの世界の将来に思いを馳せつつ、同時に、改めて現状を整理せずにはいられない。そんなツボを刺激する問題提起が、この『メタバース進化論』にはあった。意識は仮想空間に飛ばしつつ、自分の立っている場所も再確認したくなる、そんな問いかけが。――地に足、ちゃんとついてる? まあメタバースでは自由に飛ぶこともできるんですけどね! HAHAHA!

 そんなこんなで長くなりましたが、『メタバースの進化論』の感想……感想? いや、これは感想記事なんじゃろか……? と我ながら首を傾げてしまう文章になってしまった気はしますが、ともあれ「『メタバース進化論』はいいぞ」という話でした。少しでも興味のある人には、ぜひともおすすめしたく思います。

 

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