社会人が「国語」を学び直すのにぴったりの本『大人のための国語ゼミ』


『大人のための国語ゼミ』要約レビュー

 大学を卒業し、社会に出てしばらくした頃。

 仕事を覚え、生活にも余裕が出てきたからだろうか。なんとなく「勉強したい」と考えている自分がいることに、ふと気づいた。

 学生時代は別に勉強熱心だったわけでもないのにかかわらず、いっちょまえに学習意欲が高まっているらしい。理由は定かではないけれど。

 ──そんな経験、ありませんか?

意外に見かけない「国語」の学び直し本

 そこで何を学ぼうとするかは、人それぞれ。

 たとえば、ビジネスマナーの基本や、プレゼン資料の作り方、プロが教える営業手法など。そのような、仕事で活かせる知識や技術を身につけようと考える人は多いはず。あるいは、仕事に励むことで目的意識が明確になり、キャリアアップのための学習を始める人も少なくないのではないかと。

 一方で、仕事とは無関係の「学び直し」を志す人もいる。

 中学・高校で学んだ教科を復習したり、学生時代には選択しなかった科目を大人になってから履修したり。最近は書店にも社会人向けの学習本が数多く並んでおり、「学び直し」がしやすい環境が整っていると言える。

 実際、教養としての「歴史」はビジネス書の分野でも人気のテーマだし、「数学」の考え方を仕事に活かそうというハウツー本もある。さらには、学生時代に「物理」や「化学」を選択しなかった人向けの解説書も。『目に見える世界は幻想か?』は、物理を履修していない人にもおすすめだ。

 しかしそんななかで、「国語」を取り扱った本はあまり見かけることがない。あまりにも身近すぎる分野だからか、はたまた取り扱う分野が幅広く、細分化されてしまっているからか──。

 もちろん、書店に行けば、「語彙力」や「文章力」をテーマにした本は簡単に見つけられる。平積みされているのが目に入るあたり、どうやら売れ行きも悪くないらしい。

 だがその多くは、ビジネスシーンにおける「ハウツー」を紐解いたものだ。文意を読み取ったり、自身の主張を言語化してまとめたり、議論によって意見を交換したり。ビジネスにおけるテクニックをまとめたそれらの書籍は、学校教育で取り扱う「言語活動」としての「国語力」とは、少し方向性が異なるように感じる。

 ルールに則った敬語の使い方やメールの書き方ではなく、日本語を介した「コミュニケーション」の考え方。大人の立場で「国語」を学び直すのなら、そのような基本から確認したい。身につけたいのは、ビジネスシーンでのルールや言葉づかいではなく、日常生活においても有用な、普段使いの「国語力」なのだ。

相互理解のための「言葉の使い方」を身につける

 ずばり、『大人のための国語ゼミ』は、そのような狙いで書かれた本だ。

 筆者の目的は、「いまさら日本語を学ぶ必要なんかなくね?」と考えている大人たちを振り返らせ、国語力を身につける手助けをし、そして何より──楽しみながら読んでもらうこと。ゆえに、もしあなたが「国語」を学び直したいなら、この本が適任である。

 ただし、「国語を学び直す」とは言っても、小中学校時代にやらされていたことの焼き直しではない。「登場人物の気持ちを指摘せよ」「筆者の意図を汲み取れ」なんて問題は出てこないし、突如として漢字の抜き打ちテストが始まることもない。……それはそれで、あったらおもしろそうだけれど。

 本書が取り扱う内容、それは「文章中の情報を整理する方法」である。

 なんとなく、ノリと勢いで、自分の感覚でつらつらっと書き連ねてしまいがちな文章を見直し、正確に相手へと伝わるように書き換える。それも、自身の主張を一方的に押しつけるのではなく、相手を説き伏せるでもなく、相互理解のための「言葉の使い方」を身につける方法を紐解いていく。

 自分の言葉が相手に理解されているかどうかについて鋭敏な感覚をもち、理解されていないことを嫌がらずに謙虚に受けとめ、理解してもらうにはどうすればよいかを本気で考える。何度も何度も、そんな経験を繰り返さねばならない。何度も何度も。

(野矢茂樹著『大人のための国語ゼミ』P.16より)

 より正しく言うと、本書が取り扱うのは「文章」だけではない。

 活字に限らない「言葉」全般を対象として、「言葉」を介した他者とのコミュニケーションそのものを考えていく。その目的は、自分の言葉を相手に理解してもらい、納得してもらうこと。そのうえで、相手の言葉を自分が理解し、納得することにある。

 ある事柄についての情報を整理し、自身と他者の意見をすり合わせ、お互いに納得しあうためには、「言葉」の力が不可欠だ。そんな「言葉」の使い方を改めて整理し、楽しく学んでいこうというのが、この本の大きなテーマとなっている。

この本から学べる「国語力」とは

 ざっくりと本の内容を見ていこう。

 1章「相手のことを考える」では、 “相手のことを考えて話し、相手のことを考えて書く” ことの難しさを示していく。──あなたは、「消費税」の意味を小学生に説明したり、日本の「お祭り」の特徴を外国人に伝えたりすることができるだろうか。例題を交えつつ読み進めることで、相手の知識や背景を考慮しながら話したり書いたりすることの難しさを実感できる。

 2章「事実なのか考えなのか」では、日常生活にではあまり意識することのない「事実」と「考え」の違いを整理。「事実」とは往々にして多面的なものであり、個人の「考え」もまた「推測」と「意見」に分類できる。筆者は、議論がしばしば混乱するのは、これらの視点が前提として共有されていないからだと説明している。

 以降の章では、分かりやすい文章の書き方を具体的に示していく。

 書く前の準備に始まり、文章の流れをつくる接続表現の上手な使い方を説明。そのうえで、文章において必要な要素と不必要な要素を見極められるようになるために、多くの例題を出題している。曰く、 “要約の練習は、国語力を鍛えるもっとも効果的な方法” なのだとか。

 終盤の6~8章で論じられるのは、議論のみならず日常会話でも使える「根拠」の示し方と、的確な「質問」と「反論」の方法。具体的な流れとしては、文章の中から「根拠」を探し、その妥当性を確認し、疑問や問題があれば「質問」として投げかけ、議論を有益にするための「反論」へとつなげる。

 この一連の作業を意識的に行えるようになれば、日常生活にも役立てられることは言うまでもない。相手の意図を正確に汲み取ったり、ニュースや他者の言葉に含まれたデマや嘘を見極めたり、質問によって自らの知見を深めたり。ただでさえ種々様々な情報に翻弄されがちな現代においては、ぜひとも身につけておきたい考え方だと言えそうだ。

分かりあうには、言葉が不可欠

 こうして淡々と説明していると、「随分と堅苦しそうな本だなー」と感じられてしまうかもしれない。そこそこ分厚いようにも見えるし(※実際は300ページ程度)、「ゼミ」を謳っているあたりハードルも高そうだし、歴史書に定評のある山川出版社だし。

 しかし実際のところ、そこいらの “文章読本” と比べれば、本書の内容はまっこと親切で分かりやすい。過去にブログで紹介してきた本と比較しても、読みやすさと分かりやすさは群を抜いているように感じた。本文の読みやすさはもちろん、例題と解説も簡潔明瞭。それに、行間で挿入される仲島ひとみさんのキャラクターとマンガも、良いスパイスになっている。

 そもそも、こうして紹介記事を書こうと思ったのは、ひとえに「筆者さんの考え方に共感できたから」という部分が大きい。本文を読むかぎりでは、「淡々と丁寧に “ゼミ” を進めていく先生」といった印象を受けたものの、一方で、冒頭と後書きでは、筆者さん自身の「熱」を感じられたので。

 分かりあおうとする努力、それを支えるのが、言葉の力である。本文中にも書いたことだが、ここには負のスパイラルと正のスパイラルがある。言葉の力が不足していると、分かりあおうとするのもたいへんで、すぐに諦めてしまう。すぐに諦めてしまうから、国語力も育たない。こうして負のスパイラルに陥る。他方、分かりあおうとする強い気持ちをもち、そこで言葉の力を身につけると、分かりあおうとする努力がその分だけ楽になる。楽になれば、もっと分かりあおうと努力するようになる。そうすればそれによって国語力も鍛えられていく。こうして正のスパイラルに入っていく。

(野矢茂樹著『大人のための国語ゼミ』P.281より)

 あなたは最近、誰かと “分かりあおう” としてきただろうか。手軽に相手を攻撃できる「強い言葉」*1に頼ったり、何かを言っているようで何も具体的な話をしていない「魔法の言葉」*2で煙に巻いたりしていないだろうか。

 テレビで、SNSで、街中で、不特定多数に向けられたそれら「言葉」にふれる機会が多い現代だからこそ、本書で示されている「国語力」の重要性が浮かび上がってくる。せめて一対一では、相手を尊重しながら話し合い、相手と “分かりあえる” ようになりたい。

 そう考えるのは、何もおかしなことではないと思うのです。

 僕は本書を読んでそのように考えたし、ただのハウツー本にとどまらない、ちょっとした熱を受け取れる本だと感じました。すぐにでも「書き方」を身につけるべく慌てて読むのではなく、週末や連休にでも、ゆったりまったりと味わいながら読み進めてほしい1冊です。

 

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