日頃からいろいろな文章に触れておくべきだなあと、改めて思った。「急に何を言い出したんだこいつは」ですって? いやあ……本当に、何を言い出したんだろう。でも、特定ジャンルの文章ばかりを読んでいると、どうしても読み方が凝り固まってしまうとも思うんだ。
自分のここ1ヶ月の読書記録を振り返っても、1冊分の本に相当する長文を読んでいなかった。マンガをはじめ、デザインやファッションの入門書と、図表や絵が大部分を占める本ばかり。読んでいる最中は感性が刺激されて楽しいけれど、あまりにすんなり読めてしまうのも考えものでござる。
というわけで読んだのがこちら、『大人のための文章教室』です。筆者は、パスティーシュ*1の名手として名を馳せた小説家・清水義範さん。ページ数にして200ちょいほどの新書ではありますが、「文章」に関するヒントが盛りだくさんの1冊でございました。
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自分と異なる価値観に面食らうも、その道のプロの方法論に納得
正直に言って、本書を読み始めた当初の第一印象は良くなかった。――というのも、第一章「打つか、書くか」で論じられている内容が、どうにもちょっと昔の話であるように感じられたので。
小説家とか、エッセイストとか、文筆をなりわいとしている人、つまり文章のプロならば、手書きでもワープロでも同じ文章を書くと思う。そういう人というのは頭の中に文章のリズムがあり、文章の見た目にもこだわりがあって、何で書こうが同じものを作成してしまうだろう。
ところが、文章を書くことの素人、つまり普通の一般の人は、ワープロを使うと文章が変ってしまいがちだと思う。ちゃんと意識していないと、ワープロに文章が引きずられていってしまうのだ。
そのような一面があるのはたしかだと思う。山崎浩一著『危険な文章講座』でも書かれていましたが、 “紙と鉛筆ならほぼ無限の個人性に対応できるはずなのだが、ワープロの場合は、ユーザー側が既成のプログラムに歩み寄らなければならない、という制約が必ずついて回る”。
紙に向かってペンで「書く」行為と、画面に向かってキーボードを「打つ」行為は明確に異なっており、それによって生まれる「文章」は変化する――。
この理屈には納得できるし、自分も過去に「書く」と「打つ」の差異を確認するべく、ちょっとした “お遊び” をしてみたことがある。
このときの率直な感想は、「だれだおまえ」というものだった。自分の思考を文章化するにあたっては、目の前に向かうツール・媒体の違いによって、それぞれに異なる性質を持つ“自分”が可視化される、という実感があった。
しかしこの結果は、本書で筆者が想定したものとは少々、趣きが異なっている。曰く、「ワープロは変換が容易なため、漢字が多くなる」「事務的な表現でまとめてしまい、ぶっきらぼうになりがち」だと筆者は指摘しており、前者に関してはそのとおりだと思う。「そこまで変換するか!」とツッコみたくなるほどに漢字変換しまくっているブログは、決して少なくない。
ところが、後者に関しては真逆である。すっかりキーボード操作に慣れてしまった現代っ子たる自分は、紙に文字を書く際には修正が面倒なため、端的にまとめてしまう。逆にパソコンでは、いとも簡単に繰り返しの修正・推敲ができるため、さまざまな形に文章を試行錯誤しようとする。……結果、冗長になりすぎて「読みづれぇ!」とツッコまれるわけでもありますが。
そこまで読んで、ふと思った。「そういやさっきから、 “ワープロ” という表現ばかりで、 “パソコン” の文字が出てこない。もしやこの本、90年代後半に書かれたものなのでは……?」と。
勇んで奥付を確認したところ「2013年」の文字が目に入り、思わずひっくり返りそうになったけれど……よくよく見てみると、最初に出版されたのは「2004年」だという記述があった。ギリギリ00年代前半ならば、そういったイメージを持っていても、おかしくはない、かしら……?
記事冒頭で「日頃からいろいろな文章に触れておくべき」と書いたのは、こういった感覚によるものです。手書きこそ良しとする文章のプロ(かつ人生の大先輩)である筆者の主張を読み、自身の価値観とのギャップを埋めるべく、脳がフル回転する感覚を味わうことができたので。
かたや最近の自分の “読み物” がどういったものなのかと言えば、短く情報が圧縮されたネットニュースに、やたらと煽るまとめサイト、そして、同世代のブログ記事など。それらを読むのはもちろん楽しいし、少なからず刺激を受けて、あれこれと考えることだってあります。
ところが、どれも等しく「ネットコンテンツ」であるという文脈を共有しているためか、基本的には「わかる」ものとして流してしまいがちなんですよね。共感できる文章はいざ知らず、たとえ反感を持っても、自分が考えるまでもなく別の「誰か」が的を射た反論をしているケースが多い。
特に近頃は、あまりに同じ分野の文章 “だけ” を読んでいたこともあってか、良い意味で、本書の論調に面食らったのでありました。作文法としては学びが多い一方、途中途中で挟まれる価値観のギャップが想定外で、そのたびに一時停止しながら、興味深く読み進めることになったのです。
作文の技法の型と、表現の幅を広げるヒントの数々
この本で論じられているのは、つまるところ「作文技術」である。接続詞の扱いに始まり、文の長短と句読点について。文体の如何を問い、避けるべき文章の例示、分野別の文章作法などなど。――そして、筆者の経験に基づく文章上達の具体的手段を示したうえで、筆を置いている。
筆者がその筋の専門家である点は言うに及ばず、小学生にも作文を教えるなどの経験が豊富なこともあり、本書の説明は平易にして明快、時にユーモアを交えた痛快さまである。 “大人のため” と謳っていながら、中学生が手に取って読めそうな、広い世代への推薦図書たりえるだろう。
すぐにでも実践できそうな方法論に、「これ、ブログにまんま当てはまるんじゃね?」などと嬉々として試したくなるような手法まで。その一方で、特におもしろかったのが、文章読本ではよく挙がる項目のひとつである、〈です・ます〉体と〈だ・である〉体の違いについてだ。
基本的にはケースバイケースであり、筆者のスタンスが一種の「文体」として現れるものだと考えられるだろう。しかしここではそれに加えて、文章を書かせると自然に〈です・ます〉体になってしまう人が大多数である「小学生」を例に挙げて、その理由を次のように説明している。
その理由は、小学生はその作文を誰が読むのか、ということを意識しているからであろう。作文は、とりあえずは先生が読む。先生以外の大人が読むこともある。いずれにしても、作文とは大人に読まれて吟味されるものだと小学生は知っている。
だから、「きのうは一日中雨だった。」というような、ナマイキな文章は書けないのだ。自分は小学生である、ということをちゃんと意識して、「きのうは一日中雨でした。」とあどけなく書いてしまう。
要するに、 “先生” という想定読者の存在が念頭にあるために、自ずから丁寧な〈です・ます〉体で文章を書くように身体が動いてしまう、というわけだ。実際にはどのような書き方をしても自由であり、選択の余地はあるはずなのだが、自然とそのように “書かされて” しまっている。
そのうえで筆者は、そのように書かれた文章に対しては、自分も同じく〈です・ます〉体でコメントを書くのだという。これが〈で・ある〉体であれば、そちらに合わせる形で。――と読んで思ったのだけど、これ、ネット上のやり取りなどでも同様に“合わせている”ことがあるような……?
つまり、〈です・ます〉体には、上下関係へのこだわりが内在している。だから、相手が〈です・ます〉体なら、こちらもそれに応じるのだ。
〈です・ます〉体は、私が私人として特定のあなたに語る文章である。そして、特定のあなたは、格上か、または格下だということが意識されている。
それに対して、〈だ・である〉体は、私が公人として不特定の一般に対して語る文章なのだ。この場の話者は、神の如き絶対の存在である。だからこそ、論旨に不明瞭なところがあったり、説明不足であったりしてはならない。
元も子もないことを言えば、これはちょっとした表現の違いでしかない。「たかしくんは優しい人です」と書こうが、「たかしくんは優しい人である」と書こうが、その文が意味するところの内容は同じである。たかしくんは、どっちに転ぼうが優しい人なのです。
けれど、それを読んだ全員が全員、同様の印象を受けるとは限らない。
それぞれに「そうなんです! たかしくんは優しいんです!」と強く共感してくれる人がいるかもしれないし、「は? お前がたかしくんの何を知ってるんだ? 馬鹿にしてんの?」と反感を持つ人だっているかもしれない。――やめて! たかしくんのために争わないで!
なればこそ、2つの表現のいずれかをを選ぶことには大きな意味があり、それが筆者のスタンス、覚悟の違いとして可視化される。純粋に好みのほうを選ぶのも間違いではないけれど、うまく使い分けつつ読者の反応を探ることによって、文章の「伝え方」を実践の中で学ぶことだってできる。
『大人のための文章教室』では他にも、作文における表現の幅を広げるのに役立つ、数々の考え方と具体例が登場する。「書き言葉」と「話し言葉」の違いに、両者のバランスと組み合わせ方の視点など、これまたネットの文章にそのまま当てはまりそうな指摘もあっておもしろかった。
新書ということで、若干の物足りなさも感じなくはないけれど……。同時に、筆者の別の本を読むことで補填しつつ、文章表現の妙を楽しみたいとも思わせてくれる、心地良い読後感もありました。恥ずかしながら名前しか存じあげなかったので、これから手を出してみようと思いまする。
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*1:文体や雰囲気など、先駆者に影響を受けて作風が似ること。故意に似せたものを「文体模写」と訳すこともある(パスティーシュ - Wikipediaより)