そういえば、ブログを書き始めて今年で7年目になるそうな。
小学1年生が中学1年生になるくらいの期間をブログと共に過ごしてきたわけであり、それなりの年月を費やして戯言を連ねてきたわけであり、いったい何十万字──というか単純計算で200万字は超えてる──の文章を書き散らしてきたのだろう、と考えると……。
いやー、なんだか変な気持ちになりますね!
それなりに達成感があるような、無駄を積み重ねてきた徒労感もあるような……。
ともあれ、せっかくの区切りのタイミングということもあり、改めて「ブログ」について何かしら書いてみようかなーと思ったわけです。ちょうど今週のお題がそんな話でしたし? ネットの隅っこでコソコソボソボソと呟き続けてきた陰キャなりに、何か思うところを書いてみようかと。みんなだいすき、ブログ論!
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──と思ったんだけど、はい。
意外となかったです!
思うところ!
と言うのも、自分がこれまでに書いてきたブログ云々の記事を改めて読み返してみたら、話していることがあまり変わってないんですよねー。だいたいいつも「ブログを書くメリット」として、以下のようなことを挙げている感じ。
- ブログはつまるところ「個人の日記」なのだから、自由に書いてOK。
- 自分の脳内を言語化して文章に落とし込むことで、考えをまとめやすくなった。
- ブログをきっかけに他人とつながれるのが、楽しくて仕方がない。
- 普段からネタを探したり調べ物をしたりと、積極的に動くようになった。
- 仕事をはじめとした依頼がくるようになり、活動の幅が広がった。
- 本を読み、飲食店に行き、イベントに参加するなど、フットワークが軽くなった。
ここ2、3年くらいは「ブログで稼ぐ!」的な文脈が盛り上がっているようにも見えるけれど、それだけじゃないよねーと。気軽に自己表現できる空間であり、他者とつながる媒介であり、専門家でも何でもない一個人の言葉にも価値が生まれる場所。自分の思考や経験を形にして保存できる「外付けドライブ」と言ってもいいかも。
別に「お金稼ぎが悪い」というわけではなく。
「こういう魅力もあるんだよ」という話です。
収益やPVばかりを見てブログを運営していると、数字が激減したときにモチベーションが死んでしまったり、それを増やすために良からぬことに手を出してしまったりしかねないから。長く楽しく続けるにあたっては、ブログを書く動機をいくつか意識して持っておいたほうがいいんじゃないかなーと。
今も昔も、自分の「ブログ」に対するスタンスは、これらの記事に書かれているような感じ。そもそも面と向かって話すのが苦手な僕は、ブログで書いた文章が他人に読まれ、しかも時にはコメントまでもらえるということが、本当に嬉しくて仕方がなかったんですよね*1。
リアルでは空気のような人間で、勇気を出して発した言葉はいつも別の人の手柄になっていた。それは「そういうもの」として受け止めてはいたものの、「話せる人」への憧れもやっぱりどこかにあって。ネット上でなら自分の言葉がしっかりと誰かに届き、それがその人の心を動かすことすらあると知って、いたく感動したわけです。──そこに明確な主張がなくても、伝わる人には伝わるんだ、と。
好き勝手にする自分語り。
独りよがりで意味のない言葉。
わかりにくくて曖昧模糊とした意見。
そんな未熟な文章ですら、読んで共感してくれる人がいる。白黒つけていないから、曖昧だけどそこに共鳴できたから。「拙い個人の話だからこそ、誰かに届くこともある」ことを実感してからは、遠慮なくあれこれと書き散らせるようになった気がします。でも考えてみれば、そもそもネットってそういうものだったかも。
ここ2年くらいは、そんなモチベーションでブログを書いています。
アニメや映画、音楽や芸術、はたまた日常の出来事など、「何かをきっかけに大きく感情を動かされたとき」にこそブログを書く。
その時その瞬間に考えたことを、胸に抱いた感情を、言葉にして、取り逃がさないようにするために。どんなに雑多で、無価値で、他人からすればうんこのようなものだって、その瞬間の自分にとっては、価値のあるものだから。
それはきっと、未来の自分にとっても価値のあるもの。他人のうんこは笑えないかもしれないけれど、過去の自分のうんこなら遠慮せずに笑うことができる。──昔の自分は、うんこみたいな文章を書いているなあと。拙くて、私的で、アホみたいな話を……なんとまあ、楽しそうに書いていることか、と。
すべては、未来の自分の「クソワロタ」のために*2。
今日も今日とて、僕は僕を書き散らすのです。
今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉」