丸一日、人の話を聞き続けるのは……ぶっちゃけ、ダルい。
いくら自分が興味のあるジャンルの話だろうと、座りっぱなしの聞きっぱなしでは、徐々にダレてきてしまいがち。集中力を保つにも限度があり、2時間を超えたあたりからダルくなる。大学の講義だって、会社の研修だって、その他諸々のセミナーだって、そうだった。
ところがどっこい。
年に1回の「ブロガーズフェスティバル」だけは、そうでもないのです。
お昼前から夕方まで。途中途中で15分程度の休憩を挟むとはいえ、およそ5〜6時間の長丁場であるにも関わらず、ほとんどダレることがない。我ながらびっくり。
今回も11:30にイベントが始まり、文章術に写真術、ブログの活用法といった話を聞いていたら、あっという間に17:00。「ブログ」にどっぷりと浸かり、充実した1日を過ごせていたのでした。
自分にとっては4回目の参加となる、ブロガーズフェスティバル。
参加するたびに、第一線で活躍している人たちの話から刺激を受け、自分が知らない「ブログ」の世界を垣間見ることができている。シコシコと1人で書いているだけでは実感できない、多種多彩な「ブログ」の在り方と魅力とがいっぱいに詰まった、素敵なイベント。
そこで話を聞いて感じたことを、ざっくりとまとめました。
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千差万別の「ブログ」の世界
そもそもブログには、「かくあるべき」という定型がない。──いや、何を今更、と思う人も多いかもしれませんが、これは意外と忘れてしまいがちな前提でもあると思うのです。
コミュニティに所属することで井の中の蛙になってしまったり、運営する過程で培った考え方に固執してしまったり、教える立場になったことで特定の手法を提示することを迫られたり。
そうしていつの間にか、「自分にとってのブログ」を盲信するようになってしまう。もちろん、誰もがそうだとは思わないけれど、少なくない人が「べき」に囚われてしまっている実情もある……ように、見える。ぼくのかんがえた、さいきょーのぶろぐうんえいじゅつをおしえるよ! 的な。
特に最近は、オンラインサロンをはじめとするクローズドコミュニティの存在感が高まりつつあり、集団ごとにさまざまな「ブログ論」が語られている印象もあります。たしかに、グループ内の近い距離で手法を学んだり、仲間と交流したりするのは心地が良くし、効率も良い。
しかし、特定の人物・手法・テンプレート “だけ” を参考にしていると、それ以外のものが見えなくなってしまうという懸念もある。
実際、それなりに実績のある人が、「ブログをやっている人は、全員がお金目的だと思っていた」と話していたくらいなので……。これは極端な話かもしれないけれど、コミュニティの内と外とでギャップが生まれている側面は、少なからずあるんじゃないかしら。
僕だって、気づけば5年近くも「はてなブログ」というコミュニティでブログを書いていることもあり、なんとなく「はてな」の空気・文化に染まっている部分はあると思います。たまに調べ事をしていてアメーバブログにたどり着くと、「なんかすげえ!」ってなりますし。変な意味でなく。
居心地が良いからといって特定のコミュニティで過ごしていると、それだけが正しいと思いこんでしまう場合がある。インターネットの世界は、もっと広かったはずなのに。ブログの形なんて千差万別だし、「人気ブログ」と呼ばれるサイトは、コミュニティやジャンルによっても異なってくる。
けれど、そのような知らない世界へとわざわざ飛びこむのは、ダルくもある。自分が知っている「ブログ」の世界でも充分に楽しいのだから、それで良いんじゃね? と。──ただ、機会さえあれば、もっといろいろなブログを読んでみたい……そう考えている人も、きっと少なくない……はず。
そんな安定しきった “日常” の閉塞感に風穴を空ける “非日常” といえば──そう、イベントだ! お祭りだ! 普段は接点のないコミュニティ&ジャンル、見知らぬブログと出会える絶好の機会が、年に1回のブロガーズフェスティバルなのです。
僕にとっての「ブロフェス」は、普段は1人でシコシコと自己満足の投稿を繰り返し、すっかり凝り固まってしまった「ブログ観」をリセットするための、非日常空間。
言い換えれば、「こんなにもいろいろな考え・目的・手法をもってブログを運営している人がいるんだ!」ということを再確認し、己の立ち位置をニュートラルポジションに戻す場所。そんな素敵なお祭りに、今年も勇んで参加してきました*1。
多種多彩なブロガーが集まる場には、十人十色の登壇者たち。そこでは「ブログ」という存在がどのように切り取られ、語られていたのか。自分の感想とあわせて、ざっくりとまとめました。
読者に自然と伝わる「エモい文章」
たとえば、文章術。
此度のブロフェスに登壇した長谷川賢人(@hasex)さんがテーマとして取り上げていたのは、「エモい文章」。小手先のテクニックではなく、文章に “エモさ” を感じさせるための考え方・手法を説明したセッションとなっていました。
長谷川さん曰く、「エモい文章」とは、テクニカルライティングとクリエイティブライテイングの掛け合わせ。説明書のようにわかりやすく、事実を前提に書かれた文章に対して、小説や詩のように独創的で、読者の感性に訴えかける文章を掛け合わせる。そこに “エモさ” が生まれるのだと。
印象的だったのが、クリエイティブライテイングを身につけるための方法として、「好きな文筆家を持つ」ことを挙げていた点。要するに「お手本を持ってしまえ」と。わぁい! わかりやすい!
でも考えてみれば、インタビュー記事や自伝本などで「影響を受けた文筆家(小説家)」を小説家やエッセイストが挙げているのは、決して珍しくない光景だとも思う。
そういえば、ブログやネット小説を読んでいて、「この人の文章、あの作家さんとちょっと似ているような……」と思ったら、まさにその人の著作を愛読書に挙げていた──なんてことも、何度かありました。文体が酷似しているというより、表現や言いまわしに既視感を覚えて気づく感じ。
エモい文章を書いている人は、多かれ少なかれ、既存の文筆家から影響を受けている。それも彼らは、複数人の文章にハマり、吸収し、己の血肉としたうえで個性へと昇華しているわけで……。近頃はインプット不足を感じていたこともあり、もっと本を読もうと思わされたのでした。
セッションではおすすめ本も10冊ほど提示されていたので、まずはそちらを参考にさせていただくつもり。 既読本も何冊か含まれていたため、そちらもざっと再読しようと思います(このあたり↓)。
- “文章力”以前の基礎を学ぶ!炎上回避にも通じる『理科系の作文技術』
- “伝える”でなく、相手に“伝わる”言葉を紡ぐ20の考え方『伝わっているか?』
- 効率的な“メモの活かし方”とは?14の手法から紐解く『すごいメモ。』の書き方
一点集中、「一瞬の感動」を切り取る写真術
あるいは、写真術。
「写真」といえば、自分にとってはかなり身近な存在。ブログを書くようになってからは、なるべくいつもカメラを持ち歩くようにしているし、もともと街歩きが好きなことも手伝って、外でカメラを構える機会は少なくありません。
しかし一方で、 “身近” であるからといって “詳しい” わけではなく、写真についてはいまだズブの素人。露出やら何やらの基礎はよく理解していなかったし、撮影時のカメラ設定はほぼ常におまかせモード。「撮っているだけで楽しい!」でなんとなく満足している、初心者です。
そんなこともあり、今回のブロフェスで一番 “勉強になった” のは、写真術のセッションだったかもしれない。いつも「数撃ちゃ当たる」方式でもって写真を撮っていた自分にとって、タクロコマ(@takurokoma)さんのセッションは、むちゃくちゃ刺激的に感じられたのでした。
- いきなり写真を撮りに行くのではなく、カメラマン目線に立って撮影する
- 見る人によって異なる感想を持つような、物語のある1枚を切り取る
「ブログでより気持ちを伝えるための写真術」と題したセッションで語られたのは、こういった基礎となる考え方に始まり、特に「ブログ」という媒体に特化した写真の撮り方。つい最近読んだカメラのハウツー本、そのどれにも載っていない内容ばかりで、勉強になりました。
たとえば、あるハウツー本では「素人っぽく平凡な構図」として紹介されていた、「日の丸構図」。
でも、タクロコマさんによれば、スマホの画面で写真を見る時代だからこそ、日の丸構図がわかりやすいという見方もあるのだそうです。もちろんケースバイケースだとは思いますが、ブログ──もといウェブに掲載する写真ならではの考え方ですよね。
そもそもウェブは、文章よりも写真のほうが目に入りやすい媒体であり、それを前提とした撮影・記事構成が必要になってくる、と。言われてみれば当たり前なのですが、好き勝手に撮って(書いて)いるだけでは、なかなか意識のまわらないポイントでした。
写真術や文章術を個々に学ぶのは当然として、双方を組み合わせた「編集者」の目線も、ウェブでは欠かすことができない。感覚的にわかっていても、具体的にはどう学べばいいかわからなかった、この視点。それを、目で見て耳で聞いてわかる形で可視化してくれたのが、このセッションでした。
「好き」を極めて「職人」になる
また、タクロコマさんのセッションで強く記憶に残ったのが、「感動に自覚的であれ」という言葉。
何よりも自分の「感動」の所在を自覚していなければ、読者に自分の気持ちが伝わる写真を撮ることはできない──そんな文脈で語られていたフレーズ。ですが、これって同時に「ブログ」全体にも当てはまる、大切な視点だと思うんですよね。
というのも、ブロフェス全体を振り返ってみると、今回は「好き」を前面に押し出したセッションが多いように感じられたので。「好き」と「感動」とでは感情の性質が少し異なるものの、等しく己の感情を表現する場として、「ブログ」の存在が語られていたのではないかと。
はらぺこグリズリー(@cheap_yummy)さんのセッションが、まさしくそれ。「好きを貫き通す特化型ブログ運営術」と題して、ブログを運営するにあたっての基礎中の基礎を説明した内容です。
グリズリーさんがすごいのは、とにかく「好き」を徹底して表現しつつも、そのテーマの市場や競合を観察・分析し、特定の分野で戦えば勝てる、あるいは戦わずして勝つような方向性で発信を続けていること。「好き」を自由に発信しつつも、その質と熱量が毎度とんでもない。
一大ジャンルである「料理」市場で頭角を現し、書籍化され、24万部のベストセラーとなるに至ったのには、そういった分析力と、地道な努力があったから。話を聞いているかぎりでは、そのように感じられました。
そのうえで、趣味に過ぎないはずのブログに対して、どうしてそこまで打ちこめたのかといえば……それこそ、「好きだから」にほかならないのではないでしょうか。
また、「好き」が高じて仕事にしてしまった、西村愛(@55aiai)さんのセッションも同様。食ブログに始まり、旅ブログを経て、地域活性化の活動へ。出身地であり大好きな島根県を活性化させるために、日本全体を盛り上げようと日々活動されているそうです。
個人的におもしろいなーと思ったのが、グリズリーさんが “市場” や “競合” といった「外側」を分析していたのに対して、西村さんは「内側」の分析を話題にしていた点。
「自分はなぜ地域と関わりたいのか」という、前提となる内的要因の確認に始まり、それを仕事に結びつけるためにはどうすればいいかを解説。自分の感情を起点にして、具体的な活動へとつなげるための考え方を紐解いていくセッションとなっていました。
- 地方の文化が好きだから
- 自分の故郷を盛り上げたいから
- 旅をしたいから
→ 「旅をしたい」という観光客目線の発信者を地域は欲しており、そこに関わる余地があるのでは?
そのうえで、「旅」の仕事をどこから得るか、「旅と地域」を仕事にするにはどうすれば良いか──などを説明。どれもこれも、「わーい! 旅行だー! たーのしー!」と無思考に足を伸ばしてブログに書いていた自分にとっては、新鮮な指摘ばかりでした。
なかでも参考になったのが、「旅ブログを書くときには何を気をつければ良いか」のトピック。長年にわたり地域を跨いで情報発信をされている方ならではの、示唆に富んだ内容でした。
思い返してみると、旅行記録って、なんとなく「まとめ記事」っぽく消化してしまいがちなんですよね……。でも、なるべく詳細に書けば書くほど、価値ある情報として長く読まれるようになる──そのような話でした。
たしかに、検索で引っかかる旅行記やツーリング記事はどれも読みごたえがあるし、何年も前の記録でも参考になることが多いように思う。流行りのキュレーション記事には真似できない、個人の強みを生かしたコンテンツとして、ある意味でカウンターにもなりうるんじゃないかしら。
私がブログを土俵として表現するブログ職人になりたいと思っています。自分にしかできないことをやろうと思ったら島根にたどり着きました。そこからコミュニティーが広がり今では日本全国の仕事をしています。同じように旅する中で自分しか気づけないポイントや #ブロフェス2017
— 西村 愛(55aiai) (@55aiai) 2017年9月30日
そんな西村さんが最後に口にしていたのが、「ブログ職人になりたい」という言葉。ブログという舞台を使って、自分なりの表現をしたい、と。
西村さんにとってのそれが「島根」であったように、長年にわたってブログを続けている人の多くが、何らかの自分にとっての「表現」を持っている。それは誰もが知っている人気のものかもしれないし、むちゃくちゃマイナーな分野のものかもしれない。
それこそ、ブロフェスに登壇していた、ミンチ研究員(@peterminced)さんの「ベランダゴーヤ」や、コム(@kattsuku)さんの「つくば」も、とてつもない熱量による「好き」の表現と言えるのではないでしょうか*2。
今回のブロフェスは、そういった「好き」を徹底的に貫いた、「職人」気質の人が存在感を放っていたように感じられました。今後、彼ら彼女らに影響された人が次々と登場し、「好き」を積極的に発信するようになり、やがては注目されるようになる……のかもしれませんね。
「信頼」と「価値」が問われている今だからこそ
そして、各ステージ・セッションであふれんばかりの「好き」が語られていたなかで象徴的だったのが、徳力基彦(@tokuriki)さんによるオープニングセッションです。
WELQ騒動、フェイクニュース、キュレーションメディアの著作権問題──などなど、さまざまな課題が持ち上がった2016年。その結果、個人の情報発信におけるネガティブな問題が可視化され、その価値が問われている2017年。
ネットにおける「情報発信」の現状を整理しつつ、同時に「ブログ」のこれまでをざっくりと整理する内容となっており、本イベントのオープニングにぴったりの内容でした。
概説的な話でありながら、かつ「ブログ」が大好きな個人としての熱も感じられる。この話を聞いたことで「今日は徹底的にインプットして帰ろう」とスイッチが入り、最後までダレることなくイベントを堪能できた。今、改めて振り返ってみると、そのように感じます。
個人の情報発信が、良くも悪くもメディア並の力を持ってしまった現在。だからこそ、徳力さんも仰っていたように、いけないことには「やめたほうがいいよ」と声に出して指摘しなければいけないのだと思います。相手に自覚があるかないかに関わらず。
実際問題として、情報発信のハードルが下がりすぎたがために、問題のある行為をそうだと認識できていない人も少なくないと思うんですよね。そういった人は、他人に「やめろ!」と言われても驚いてしまうと思うので、身近な人がやんわりと指摘してあげたほうが良いんじゃないかと。
そのように考えると、「アクセスアップの方法」や「記事をバズらせる文章術」や「稼げるアフィリエイト記事の書き方」といったハウツーよりも、ブログ初心者に必要なのは、「情報発信でやってはいけないこと」をはじめとするメディアリテラシーなのかもしれません。
そのうえで、個人の情報発信の価値が問われている今だからこそ、ネガティブな面はポジティブな面で上書きしていきたい。その “ポジティブ” に代入できる身近なものが「好き」の感情であり、それを積み重ねることで「価値」となり、ひいては「信頼」につながるのではないかしら。
来年も楽しみ
そんなこんなで、ざっくりとではありますが──とか言いつつ、気づけば7,000字をオーバーしているのだけれど──ブロガーズフェスティバル2017の感想でした。
4回目の参加ということで、自分にとってもすっかり季節イベントになりつつありますねー。いち参加者として、セッション中は「参考になります!」と全力でメモりつつ、懇親会では「人見知りです!」と壁際で料理をもぐもぐしている系ブロガーですが、毎年楽しんでおります。
そして、毎年のように学びがあり、知らない世界を知ることができ、初対面の人とも楽しく話すことができるのは、やっぱり「ブログ」の世界がそれだけ広く、多様性に満ち満ちているからなんじゃないかと。改めて、そんなことを思いました。
何事においてもそうだけれど、何年も続けているとマンネリ化したり、同じことの繰り返しになったりすることは珍しくない。それでも、こうして “お祭り” に来てみれば、そこには始めたころと変わらないワクワクと刺激があって──それは、本当に素敵でありがたいことだと思います。
というわけで、また来年のブロフェスを楽しみにしつつ、年末に向けてがんばるぞい、と気持ちを新たにしたのでした。ここまで大規模でなくても、コミュニティや界隈を超えた集まりがあったら、こっそりと参加してみたいにゃー。
次はどんなブログ、どんな人と出会えるのかな、っと。