木下是雄さんの『理科系の作文技術』を読んだ。文科系である人間には関係のない1冊に思えていたけれど、そんな自分ですら、学生時代から聞き及んでいた名著。
大学生──特に書名にもある〈理科系〉の人間──のあいだでしばしば「必読書」と謳われる本書。その内容を一口に言えば、「正確・簡潔・明瞭な文章を書くための技法をまとめたハウツー本」である。
本書が対象としている「文章」には、論文をはじめ、レポート、仕様書、報告書、手紙やメモといったものが挙げられる。まとめると、広い意味で「他人に読んでもらうもの」(=仕事の文書)を取り上げており、それら文章の書き方を解説していく内容だ。
ただし、タイトルで〈理科系〉と掲げているように、本書がターゲットとしている読者層に〈文科系〉の人間は含まれない。本書は、義務教育課程で言うところの「現代文」の要素を排した「作文」をテーマとしているため、なかには読んでいて戸惑う人もいるかもしれない。
しかし、だからと言って、本書が〈文科系〉の人間にとって無価値であるとは到底思えない。それどころか、本来ならば基礎として学ぶべき「作文」の方法を明快にまとめ上げた本であり、「なんとなく」で文章を書き散らしてきた人にこそ熟読してほしい1冊である。論文・レポートの体裁もまとめられていることから、学部を問わず現役大学生にもおすすめだ。
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多種多彩な「文章術」を学ぶ前に、基本の「作文技術」を見につける
本書では、そもそも何をもって〈理科系の文書〉とされているのか。序文を読むと、 “読者につたえるべき内容が事実(状況をふくむ)と意見(判断や予測をふくむ)にかぎられていて、心情的要素をふくまないこと” が、その特徴だと書かれている。
つまりは「事実」「意見」「知識」「情報」といったものが、〈理科系の文書〉を構成する諸要素だと言える。逆に “心情的要素をふくまない” とあるように、「感情」や「感想」が混入されてはならない。本文でもう少し具体的に説明されているので、以下に引用する。
私が理科系の仕事の文書の文章はかくあるべきだと考えている姿をスケッチすると、およそ以上のようになる。その著しい特徴は、〈いい文章〉というときに多くの人がまっさきに期待するのではないかと思われるもの、すなわち「人の心を打つ」、「琴線にふれる」、「心を高揚させる」、「うっとりさせる」というような性格がいっさい無視されていることである。これは、先に述べた理科系の仕事の文書の内容の特性、すなわち、情報と意見の伝達だけを使命として心情的要素をふくまないことと対応する。これらの文書のなかには、原則として〈感想〉を混入させてはいけないのである。
(木下是雄著『理科系の作文技術』P.9より)
要するに、まさに今、僕がこうして書いている〈感想文〉は、どうあがいても〈理科系の文書〉にはならないわけだ。
もちろん、ある本の要約を〈仕様書〉のようにまとめることもできるかもしれない。しかし、それは突き詰めれば「あらすじ」になるのは目に見えており、本の背表紙や通販サイトを見れば事足りる部分でもある。……このブログ自体が “趣味” であり、 “仕事” の文書には当てはまらない、とも。
〈理科系の文書〉においては、感想や弁明は「不要なもの」として徹底的に排除される。なぜなら、〈理科系の文書〉は読者の「共感」を引き出すのではなく、「情報伝達」を執筆の目的としているからだ。国語の授業のように、筆者の “思い” を汲み取る余地を与えてはいけない。
こうして見ると、共感される文章を志向するエッセイストや、自分の思いや日々の出来事を日記として書き連ねるブロガーにとっては、本書はまったく無用の長物であるようにも思える。少なくとも「いかに文章を膨らませるか」に苦心している執筆者は、〈理科系〉とは真逆に位置すると言えるだろう。
しかし一方で、論文だろうがブログだろうが、何らかの執筆活動に励んでいる人の大多数は、等しく「他人に読んでもらう」ための文章を書いている。
そもそも「文章」とは、得てして他者に情報を伝えるためのものだ。共感うんぬんを考える前に、最低限の事実・意見が「伝わる」ものを書けなくては意味がない。自分の感情を言語化したり、他人の共感を得ようとしたり考えるのは、その後である。
つまるところ、逆なのだ。 “理科系の作文技術” は、〈文科系〉の執筆者にとって無意味な技術ではない。それどころか、それなしに他者を共感させる文章を書くことはできないのだ。多種多彩な文章術を学ぶ、まずその前に──基礎となる「他人に伝わる書き方」をまとめた本書は、ゆえに万人に勧められる1冊だと言える。
「理科系の作文技術」は、ネット炎上のリスク回避にもつながる……?
本書の必要性は、昨今のインターネット上で見られる「炎上」を見ていると実感できるかもしれない。あくまでこれは、僕個人の “実感” でしかないのだけれど──こういった “作文技術” を身につけていれば、炎上しなかったのではないか──そう思われる案件が少なくないように感じたので。
というのも、過去の炎上を振り返ってみると、その渦中にある人が、しばしば同じような反論・弁解をしている場面が見受けられる。曰く、「自分の伝えたいことが伝わっていない!」と嘆き、「揚げ足取りをするんじゃない!」と反撃する格好。もちろん、すべてがそうではないし、ただただ理不尽に責め立てられている炎上も少なくはないけれど。
個々の炎上の是非は置いといて、このような弁明・反論は、裏を返せば、
- 予備知識の無い他人に「伝わる」文章となっていない
- 余計な感情・情報を混ぜたことでそれが火種となっている
と考えることもできる。論理的な説明を怠っているだとか、不適切なたとえ話がレッテル貼りとして受け取られているだとか、主張を通すだけならば本来は不要な、ネガティブな感情・煽り文句を併記しているだとか。こういった「隙」は、ネット上では火種となりがちだ。
筆者のことをよく知る相手であれば伝わる内容も、見知らぬ第三者に対しては伝わりにくい。「その部分は冗談なのに!」と反論したところで、筆者を知らない人が読んでもそれを “冗談” と解釈できる書き方になっていなければ伝わらないし、無闇に棘のある表現で気を引こうとして炎上したところで、「毒舌キャラだから」は言い訳にならない。
ネット上に公開された文章は、主に後者の第三者によって読まれるものだ。読む人によって、数十、数百、数千とおりの解釈が生まれても不思議ではない。でもそれは逆に考えると、その “解釈” の幅が狭い文章ほど、読んだ人にその内容が「伝わる」割合は高く、また炎上もしにくいと言えるのではないか。読者に解釈の余地を与えず、誤読・炎上を避ける文章は、どうすれば書けるのだろう。
そこで役立つのが、この『理科系の文章技術』である。
言うなれば本書は、読者各々に異なる “解釈” の幅を極限まで狭め、それを読んだ人全員に等しく、同じ情報が「伝わる」ような作文技術を紐解いた1冊だ。炎上を避けるだけでなく、情報伝達の基礎を学べるハウツー本として、あらゆる文書の執筆者にとって有益だと考えられる。
そこで、改めて本書の序章部分を一部引用する。
(※理科系の仕事の文書を書くときの心得)
(木下是雄著『理科系の作文技術』P.6より)
- 主題について述べるべき事実と意見を十分に精選し、
- それらを、事実と意見とを峻別しながら、順序よく、明快・簡潔に記述する
必要なことは洩れなく記述し、必要でないことは一つも書かないのが仕事の文書を書くときの第一の原則である。何が必要かは目的(用件)により、また相手(読者)の要求や予備知識による。その判断に、書く人の力量があらわれる。
(木下是雄著『理科系の作文技術』P.6より)
仕事の文書を書くときには、事実と意見(判断)との区別を明確にすることがとくに重要である。
(木下是雄著『理科系の作文技術』P.7より)
(※明快・簡潔な文章を書くための心得)
(木下是雄著『理科系の作文技術』P.8より)
- 一文を書くたびに、その表現が一義的に読めるかどうか──ほかの意味にとられる心配はないか──を吟味すること、
- はっきり言えることはスパリと言い切り、ぼかした表現(……といったふうな、月曜日ぐらいに、……ではないかと思われる、等々)を避けること、
- できるだけ普通の用語、日常用語を使い、またなるべく短い文で文章を構成すること。
──どうだろう。ここで説明されている “心得” は、ネット上の文章における「炎上の回避」や「正確な情報伝達」のための要素を多分に含んでいると言えるのではないだろうか。
もちろん、これが「人を感動させる」だとか、「特定層にだけ読んでもらう」ことを目的とした文章であれば、また話は違ってくる。読者を感動・共感させる文章には前述の “心情的要素” が不可欠であるし、何らかの専門性あるいは親密性を有する特定の読者層に向けて書くのであれば、専門用語やスラングを使って表現に幅を持たせる余地も生まれるだろう。
しかし、そのような場合でも、まずその内容が「伝わる」文章でなければ意味がない。誰かに読んでもらう文章を書くにあたっては、とにかく自分の主張を「伝える」ための文章力・語彙力を身につけるよりも前に、事実・意見が確実に「伝わる」ための作文技術が必要なのだ。
そういった “技術” を基礎から紐解いた指南書として、この『理科系の作文技術』は〈理科系〉にとどまらず、万人に勧められる1冊だと思う。その内容は、文章を書く事前準備からはじまり、文章構成の基本と作法、「事実」と「意見」の違いに、簡潔な表現の要点と多岐にわたる。学校の授業では習わなかった、「作文」の基礎を網羅した本としても魅力的だ。
1981年に出版されて以来、現在も広い世代に読まれている本書。僕自身は、「機会があったら読もーっと」くらいの感覚でほしいものリストに登録していたのだけれど……読み終えてみれば、心底から読んでよかったと思う。遅くなりましたが、送ってくださり、ありがとうございました!