「初音ミク」の誕生から、はや10年。発売日である8月31日は過ぎましたが、今なお各所から「ミクさんおめでとー!」の声が聞こえてきます。マジカルミライ、行きたかったお……。
僕自身はいちファンに過ぎない身ではありますが、初期からボカロカルチャーに親しんでいたこともあり、「もう10年かあ……」と不思議な感慨があります。ニコニコ動画のランキングで初めて見かけて、ハマり、あれこれと動画を探して追いかけていたころが懐かしい。
せっかくの10周年。「自分なりに『ボーカロイド』について振り返ってみよう!」 ……などとも考えたのですが、当然そんなものは公式サイトや各メディアで企画されているわけで。好きな曲のまとめ記事は過去に書いちゃってるし……うーむ。
そこで思い浮かんだのが、「キャラクターあるいは文化としての『初音ミク』(ボーカロイド)を歌った楽曲」の存在。振り返ってみると、発売当時はキャラクターソング風の歌が多かったんですよね。
そしてメルトショック*1を経たことで、多種多彩な作品が生まれるようになっていった──初期のボカロ文化には、そんな印象があります。それによって「『初音ミク』を歌った歌」が消えたかと言えば、もちろんそんなことはありませんが。
ただ、同じ「ボーカロイドを主題にした曲」でも、時期によってちょっとした違いや傾向があるような気もするんですよね……。単なる「キャラソン」だった初期から、徐々に歌の方向性が変わりつつあったような。
ということで本記事では、「ボーカロイドとしての初音ミク」を歌った楽曲、あるいは、ボカロカルチャー全体や、クリエイター・ファンとの関係性をテーマにした作品について、時系列順にピックアップしてまとめてみました。すべてを網羅しているわけではありませんし、独断と偏見によりますので、念のため。
ボカロ曲おすすめ88選!2007年から2016年までの人気曲まとめ
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発売後最初の2週間は、カバー曲が多かった
「ボーカロイド」の存在がにわかに話題になったのは、2007年9月上旬のこと。ニコニコ動画の過去のランキングを調べてみると、9月6日には「初音ミク」の動画が再生数を伸ばしていたことがわかる*2。冒頭でも挙げた、Otomaniaさんの「Ievan Polkka」(9月4日投稿)だ。
また、9月12日にはITmediaが「注目の楽曲制作ソフト」として初音ミクを取り上げ、企画・制作を担当したクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉さんのコメントを紹介している*3。
そのように、早くも一部メディアではその存在が取り上げられていたころ、ネット上で話題になっていた「初音ミクの動画」とは、どのようなものだったのだろう。当時のニコ動のランキング上位を見てみると、その大半がいわゆる「カバー曲」であることがわかる。
具体的には、「Ievan Polkka」を皮切りに、「もののけ姫」「鳥の詩」「J-E-N-O-V-A」「ふたりのもじぴったん」といったアニメやゲームの楽曲のほか、替え歌として「残酷なニートのテーゼ」、さらには「JRの発車音楽を歌ってみました」という動画が並んでいた。
これらの動画はおそらく、早々に初音ミクを購入した人たちが、思い思いに(ネタ的な意味も含め)自分の好きな楽曲を歌わせたものだと考えられる。視聴者目線でも、「意外と人間っぽい歌声ですごい」「おもしろそうなものが出てきたぞ」という期待があったように記憶している。
そんななか、「おっ?」と思わせる動画が9月14日のランキングに登場した。そしてその翌週には、あの伝説的動画がランキング1位を獲得することになる。
【2007年】キャラクターソングを歌う「電子の歌姫」の登場
2007年9月14日、再生ランキング86位にひっそりと登場し、翌日には10位まで急上昇した、その動画。2017年現在もその名を響かせる名曲、『恋スルVOC@LOID』(OSTER project)だ。
投稿は9月13日。ちょうどITmediaの記事が注目された翌日だ。記事中で「ユーザー1人1人が声の印象からイメージをふくらませてもらいたかった」*4というコメントが紹介されていたけれど、まさにその “イメージ” が、早くも可視化されたものだと言えるのではないかしら。
パラメーターいじりすぎないで!
(OSTER project『恋スルVOC@LOID』より)
だけど手抜きもイヤだよ
アタックとかもうちょっと 気を配って欲しいの
ビブラートで誤魔化さないでよ
そんな高音苦しいわ
もっとちゃんと輝きたいのよ
あなたの力量って そんなもの?
かわいらしくも手厳しい、そしてツンデレっぽくもある、ミクさんの歌声。当時のコメントを見ると、「すごい!」「かわいい!」「機械っぽいのに萌える!」といった声が多く挙がっている。
OSTERさん自身も後のインタビューで語っていますが、「初期の2007年頃は、かわいい系の楽曲で「私頑張って歌うよ」という、ボーカロイド自体をテーマにしたような曲が中心」*5だったことは、多くのボカロファンにとっての共通認識だと思う。人によって思い浮かぶ曲は異なるかもしれないが、その原点のひとつが、この『恋スルVOC@LOID』だと言えそうだ。
この “ボーカロイド自体をテーマにしたような曲” は、「キャラクターソング」と言い換えてもいいだろう。実際、『恋スルVOC@LOID』に続くように登場した、15日投稿の『あなたの歌姫』*6や、19日投稿の『おしえて!だぁりん』などは、いずれも「キャラソン」的な特徴を持っている。
その最たるものが、9月20日に投稿された、あの動画。翌21日にはランキング1位に輝き、今なお「初音ミク」を語るには欠かせない、あの曲だ。
一時期は「初音ミクの歌」の代名詞として語られていた、『みくみくにしてあげる♪』(ika)。投稿翌日の時点で、 “フルボッコ” ならぬ “フルみっく” 状態の中毒患者が続出しており、その人気ぶりがよくわかる。僕もiPodに動画ごと入れて持ち歩くくらいには中毒でした。
10月15日には早々に100万再生を突破し、2012年8月30日には1000万再生を達成。2017年9月現在は1300万再生間近という、紛うことなきモンスター動画である。ニコニコ動画全体で見ても、累計再生数で第5位という……改めて考えると、とんでもない作品っすね……。
本記事の話とは少しズレますが、『みくみくにしてあげる♪』が「ボカロカルチャー」にもたらした影響も大きい。大百科ページにも書かれているように、この曲に感化されて3D動画やイラストが数多く投稿されるようになり、n次創作の輪が広がっていた一面がある*7。
『みくみく』によって勢いづいたミクさんの快進撃はとどまることを知らず、9月下旬から10月にかけては、数々の「キャラソン」的な「初音ミクの歌」が投稿されている。
- 9月25日『Packaged』(kz)
- 10月9日『タイムリミット』(North-T)
- 10月10日『えれくとりっく・えんじぇぅ』(ヤスオP)
- 10月14日『ハジメテノオト』(malo)
- 10月22日『私の時間』(くちばしP)
- 10月27日『melody...』(mikuru396)
これら楽曲の多くは、10年が経った今もなお再生数が伸び続けており、ライブでもそれなりの頻度で歌われている。最初期の「初音ミクの歌」として、ある種の特別感をはらんでいる……と考えてもいいかもしれない。
もちろん、当時投稿されていた作品のどれもが「キャラソン」かといえば、そういうわけでもない。例えば、10月5日投稿の『celluloid』(baker)。色褪せない名曲としてファンのあいだで語り継がれていながらも、ボーカロイド色はあまり強くない。動画も実写ですし。ライブで流れたときは泣いた。
ともあれ、2007年当時のボカロシーンを振り返ると、「キャラクターソング」的な楽曲が主流としてあったことは間違いない。多くのDTMerやアーティストが参戦し、表現にあれこれと試行錯誤しつつも、キャラクターとしての「ボーカロイド・初音ミク」と楽しく遊んでいた時期。
そんな「キャラソン」の枠をミクさんが飛び越えるのは、それから数ヶ月後のことになる。「初音ミク」というキャラクターとしてだけではない、あらゆる楽曲を多彩な表現によって歌う、 “電子の歌姫” としての初音ミクが定着し、創作の幅が広がるきっかけ。
2017年、『砂の惑星』(ハチ)の曲中でも示唆されていた、 “アレ” だ。
年末の大規模な地殻変動・メルトショック
12月7日に投稿された『メルト』(ryo)は、その後のボカロシーンはもちろんのこと、水面下でも多大な人に影響を与えたとさえ言われている。
それまでに人気を集めていた「初音ミクのキャラソン」とは異なり、曲中で歌われているのは、等身大の少女の恋心。よく知るJ-POPのようでありながら、けれど歌っているのはミクさんであるという、不思議な感覚を覚えた記憶がある。あと何と言っても、ピアノが良い(※個人の感想です)。
『メルト』の評価と、この曲がもたらした影響については、柴那典さんの著作『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』で詳しく書かれている。以下、一部引用させていただきます。
「メルト」のヒットは、作家としてのボカロPの存在に光を当てるきっかけになった。そしてもう一つ、この曲はキャラクターとしての初音ミクの役割を大きく広げた曲にもなった。初期のボカロ曲は、「恋スルVOC@LOID」のように「パソコンの中にいるみんなの歌姫」である初音ミクを主役にして歌詞を書いたものが中心だ。
しかし「メルト」の歌詞は「朝 目が覚めて 真っ先に思い浮かぶ 君のこと 思い切って 前髪を切った『どうしたの?』って 聞かれたくて」と始まる。歌詞の主人公はミク自身ではなく、ryoが思い描いた少女。その心情を、ミクがシンガーとして表現する。この曲は、初音ミクが「電子の歌姫」のキャラクターソングではなく、いわゆるシンガーとして「ポップソング」を歌って広く受け入れられた初めての曲になった。
(柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』P.155より)
キャラクターソングから、ポップソングへ。それが、『メルト』のヒットがもたらした大きな変化だった。
バーチャルシンガーである初音ミクは、別に彼女自身のことだけを歌わなくてもいいし、アーティストは、自身の想いを彼女に託して歌ってもらってもいい。『メルト』の大ヒットは、「歌手」としてのボーカロイド・初音ミクの可能性を大きく広げることとなった。
しかも、『メルト』の盛り上がりは思わぬ方向へも波及することになる。それは、「キャラソン」的な楽曲では見られなかった、新たな動き。2007年5月に正式にカテゴリー化され、ニコニコ動画の人気ジャンルとなっていた「歌ってみた」の投稿者たち*8が、こぞって『メルト』を歌ったのだ。
これが、いわゆる「メルトショック」である。ランキング上位が『メルト』の原曲と複数の「歌ってみた」動画によって占拠され、それ以外にも初音ミク関連の動画が多くランクイン。『メルト』とボカロ人気を体現するかのような、衝撃的な出来事となった*9。
『メルト』の流行によって、「キャラソン」が主流だったボカロの黎明期は終わった。それは何も悪いことではなく、音声ソフトウェアであるボーカロイドの可能性を広げると同時に、彼女に “歌わせる” 作り手・ボーカロイドPの「表現」が注目されるきっかけにもなったとも言える。
こうして、多くの人が関わることによって、「電子の歌姫」としてのポテンシャルを示したミクさん。そこへさらに十人十色の個性を持ったクリエイターたちが集うようになったことで、ボカロ文化は一種のムーブメントとなり、創作の輪を広げていくことになるのだ。
【2008〜10年】いち早くボーカロイドの“終わり”を歌った暴走P
メルトショックにて生まれた、数多の生命たち。
2008〜2010年にかけては、大勢のボカロPが登場し、自身の世界観を自由に表現し、それをミクさん(たち)に歌わせ、次々と楽曲を投稿していた。僕自身がボカロ曲を一番よく聴いていたのも、多分この時期だ。M3やコミケのたびに数十枚単位でCDを買っていた覚えがあるので……。
それぞれ、年別に人気曲を10曲ほど挙げてみよう。
- ワールドイズマイン(ryo)
- 初音ミクの消失(cosMo@暴走P)
- サイハテ(小林オニキス)
- 歌に形はないけれど(doriko)
- 桜ノ雨(halyosy)
- Dear(19 -iku-)
- ココロ(トラボルタP)
- 悪ノ娘(mothy)
- ダンシング☆サムライ(カニミソP)
- ぽっぴっぽー(ラマーズP)
- ダブルラリアット(アゴアニキP)
- 炉心融解(iroha(sasaki))
- ロミオとシンデレラ(doriko)
- RIP=RELEASE(minato(流星P))
- *ハロー、プラネット。(sasakure.UK)
- ルカルカ★ナイトフィーバー(samfree)
- 右肩の蝶(のりP)
- 二息歩行(DECO*27)
- 裏表ラバーズ(wowaka)
- パラジクロロベンゼン(オワタP)
- マトリョシカ(ハチ)
- モザイクロール(DECO*27)
- ワールズエンド・ダンスホール(wowaka)
- モノクロ∞ブルースカイ(のぼる↑)
- え?あぁ、そう。(papiyon)
- メランコリック(junky)
- トリノコシティ(40mP)
- 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。(ほぼ日P)
- ハロ/ハワユ(ナノウ)
- 深海少女(ゆうゆP)
どれもこれも名曲ぞろい……だけれど、やはり「キャラソン」的な楽曲はほとんど見当たらない。強いて言えば、『ルカルカ★ナイトフィーバー』をはじめとするsamfreeさんの楽曲は、どれもボカロのイメージソングだと言えそう。『ダンシング☆サムライ』の立ち位置に困る。
そんななか、はっきりと「ボーカロイド」そのものを歌った、「初音ミクの歌」を作っていたボカロPとして、cosMo@暴走Pさんの存在が挙げられる*10。
cosMoさんといえば、代表曲は『初音ミクの消失』。BPM240の高速歌詞は当初から「ボーカロイドだから歌える曲」などと言われており、台詞も含めて「初音ミクのための歌」であることは間違いない*11
また、2010年に発売された同名CDが物語性のある曲構成となっていることから、これら楽曲群は「『消失』ストーリー」とも呼ばれている。時にかわいく、時に楽しく、時に皮肉っぽく、時に絶望的に歌われる楽曲たちは、個々が独立しているように見えて、その実つながっている。言うなれば、CD1枚がすべて「初音ミクのキャラソン」であり、「初音ミクの物語」となっているわけだ。
表題曲『消失』の歌詞だけを見ると、エラーによって消え行く「データ」としての初音ミクが別れを叫ぶという、ある種の「シチュエーション」を描いた歌であるようにも読める。ボーカロイドならではの楽曲ではあっても、やはり「キャラソン」のひとつに過ぎないという印象。
ところが、同シリーズのほかの楽曲と一緒に聴いてみると、どうもそれだけではないらしい。「ボーカロイド」という存在にもいつかは訪れるであろう「終わり」を、「人によって歌わされる機械」である彼女たちの目線で、悩み苦しみながらも歌っているように聴こえてくるのだ。
!誰が語り 誰が歌う!
!きっとそれはたぶーなんだ!
!思考停止!無用!消去!
!考えたらいけないんだ!
!そして今日も同じ雰囲気(かお)で!
!歌い!笑い!踊り!歌う?
!何も変えることができず!
!同じ歌が同じように!自分を見つめれば見つめるほど
(cosMo@暴走P『初音ミクの戸惑』より)
見えなくなる何かが・・・
それが顕著に現れているのが、2010年3月公開の『初音ミクの戸惑』だ。ボーカロイドの目線で考えると、彼女たちは結局のところ、ヒトの代替物でしかない。こうして “彼女自身” の歌でも歌わないかぎり、彼女は自分の存在理由を証明できないのではないか──と。
このような「ボカロの在り方」を歌った楽曲は、同時期にほかのボカロPからも発表されている。『戸惑』よりも遡ること2ヶ月前、1月に投稿された『ボーカロイドのうた』について、作者のピノキオピーさんは後年、次のように書いています。
初音ミクや、ボーカロイドそのもののことを歌う楽曲はすでに当時からありましたが、この曲ではボーカロイド界隈全体のことを歌っています。当時、浮き足だっていて楽しかった気持ちと、それに伴う罪悪感、この先に待ち受けてそうな予感や不安が詰まっています。ともすれば、代表者面したようなタイトルなので、正直何人かには、なんだこいつと思われていたと思います。
(ピノキオピー『OSOBA ピノキオピー ビジュアルコレクション』より)
改めて当時──2010年を振り返ってみると、「ボーカロイド」の存在がすっかりクリエイターやファンのあいだで定着し、一般層へと普及する直前の時期だったようにも思う。実際、2011年には、「ボカロは聴かないけど知ってる!」としばしば言われる曲も複数登場することとなる。
ところが、そんななか、みんなが等しく楽しんでいる遊び場で、ふと感じられた違和感があった。
ボカロPが次々とメジャーデビューし、世間からも注目されつつあった2010年。環境の変化を肌で感じつつ、「ボーカロイドとは、なんだろう?」と、創作活動のなかで自問するようになった──上の2曲からは、そのような作り手の戸惑いと不安が垣間見えなくもない。
これから うた達は何処へ向かうでしょう?
(ピノキオピー『ボーカロイドのうた』より)
聴こえてくるのは
二つの音色が混ざり合う
純粋な好奇心の調べと
甘く くすんだ蜜の音
そして、2011年。大きな波が、やってくる。
【2011年】「語り部」としての歌姫は、全てを繋げていく
2011年は、大ヒット曲が目白押し。その4年後、まさかの紅白歌合戦で歌われることになる『千本桜』(黒うさP)は言うに及ばず*12、史上最短でVOCALOID殿堂入り*13を達成した『FREELY TOMORROW』(Mitchie M)も、この年の投稿だ。
さらに、『千本桜』の13日後には『カゲロウデイズ』(じん)が投稿されている。「ボーカロイドの物語」ではないものの、「ボーカロイドによって語られる物語」としては、最大級のヒットシリーズとなった。なんたって、アニメ化もされているくらいですしね*14。
主に10代のファンから熱狂的な指示を集めている、「カゲロウプロジェクト」。その楽曲でボーカロイドを起用している理由を、じんさんは次のように話しています。
じん「ボーカロイドって、語り部としての意味合いが強いんですよ。明白な感情がないという。気持ちを込めるのが歌の魅力なんですけれどストーリーを作ろうとするとそれが邪魔になることがある。そういう認識のコントロールを守りたくて。それが重要ですね。ボーカロイドしか使わないと決めてるわけじゃなくて」
(『別冊カドカワ 総力特集 ニコニコ動画』P.39より)
「キャラソン」から分化したボーカロイドの立ち位置のひとつとして、この「語り部」という表現は言い得て妙だと感じた。前述の「消失」シリーズのように、初音ミク自身の物語を歌うのではなく、まったく別の “お話” を、第三者的な視点から “語る” 役回り。
カゲプロのほかに例を挙げると、mothyさんの「七つの大罪シリーズ」や、Last Note.さんの「ミカグラ学園組曲」も同様に物語性の強い連作となっている。作品を歌うボカロたちは、いずれの場合も “キャラクター” としては曲中に登場せず、「語り部」としての役割に準じている。
ただし見方によっては、そもそもどんな曲であろうと、ボーカロイドは常に「語り部」として歌っていると考えることもできる。たとえその楽曲が、物語性を帯びていなくとも。だって、いつだって彼女たちは、作り手であるボカロPの言葉を代弁してくれているのだから。
バーチャルシンガーとして、電子の歌姫として、そして十人十色の物語を歌う語り部として、すっかりインターネットの世界に馴染みきったミクさん。2011年末には、そんな彼女が歩んできた道を振り返りつつ、まだ見ぬ未来へとつなげるような、象徴的な動画が公開された。
過去にレディ・ガガやジャスティン・ビーバーを起用してきた、Google ChromeのグローバルキャンペーンCM。その “日本代表” として、国内で初めて起用されたのが、初音ミクだった。
この動画の何が衝撃的だったかは、もはや語るまでもないように思う。「俺たちのミクさんが世界に羽ばたいた!」という声もそうだし、ChromeのCMでありながら「初音ミクが歩んできた4年間の軌跡をまとめたPV」のように見えたのもそう。
何と言っても、この動画では、「ただでさえ天使なミクさん」と共に、「僕らの大好きなインターネット」の姿が描かれていたのだ。特定の誰かではなく、ボカロPも絵師もMMDerも踊り手もファンも、すべて引っくるめて「Everyone, Creator」であるというメッセージ。……そんなの、昔から好きでネットに入り浸っていた人が見て、感極まらないわけがないじゃないか。
君に伝えたいことが
(livetune『Tell Your World』より)
君に届けたいことが
たくさんの点は線になって
遠く彼方へと響く
君に伝えたい言葉
君に届けたい音が
いくつもの線は円になって
全て繋げてく どこにだって
万人のための「語り部」となったミクさんは、誕生から4年を経て、ついにはインターネット世界を包みこむように歌声を紡ぎはじめた。ある種の到達点に達したような感覚すらあり、ボーカロイドムーブメントは、ここでひとつの隆盛を極めたと言えるだろう。
【2012〜13年】感謝と別れ、ひとつの区切り
もちろん、何も2011年で流行が一段落したというわけでもなく、2012、2013年と、ボカロ曲は変わらず人気を誇っていたように思う。
特に、初音ミク生誕5周年となる2012年は、彼女への感謝を伝えるような、あるいは彼女自身が「ありがとう」を歌うような楽曲が、相次いで発表された。
そのひとつが、7月末に公開された、sasakure.UKさんとDECO*27さんの2人による楽曲『39』。大好きな2人のボカロPのコラボと聞いたときには興奮したし、これまたよく知るアーティスト陣とイラストレーターさんによる演奏&MVの出来栄えもすごい。
初期の「キャラソン」的な楽曲でありながら、明確に違うのは、そこに「5年」の積み重ねがあること。徹底して「ありがとう」を歌いながらも、5年間を物語るような歌詞を耳にすれば、そりゃあ涙腺を刺激されるのも当然でしょう。実際、ライブで聴いたときは普通に泣いた。
そして8月には、かねてより話題になっていた『初音ミク -Project DIVA- f』の主題歌『ODDS&ENDS』(ryo)のフルPVが公開された。
『きみをわすれない』『メルト』にはじまり、昔から「キャラソン」的な歌を作ってこなかったryoさん。そんな彼が、5年目にしてついに「初音ミクの歌」を書き上げたと聞いて、とてつもない衝撃を受けた覚えがある。
「もう機械の声なんてたくさんだ 僕は僕自身なんだよ」って
ついに君は抑えきれなくなって あたしを嫌った君の後ろで誰かが言う 虎の威を借る狐のくせに!
ねぇ君は 一人で泣いてたんだね聴こえる?この声 あたしがその誹謗(コトバ)を掻きけすから
わかってる本当は 君が誰より優しいってことをガラクタの声はそして歌った 他の誰でもない君のために
(ryo『ODDS&ENDS』より)
軋んでく 限界を超えて
こちらにもやはり「5年」の積み重ねがあり、加えて、「それまで語ってこなかった想い」が込められているからこその感動がある。しばらくボカロから離れていた人のなかには、この曲を聴いて戻ってきたという人もいるくらいだった。
言うなれば、この2曲は、2007年の初期の流れを汲む「キャラソン」でありながら、同時に「初音ミクの物語」を歌ったものでもある。ただの「キャラソン」ではなく、5年という時間の経過があるがゆえの「物語」。ミクさん自身の、そして彼女と常に向き合ってきたボカロP自身の “お話” が語られるようになったのが、2012年以降の変化だと思う。
ただ、ボカロP自身、あるいはクリエイター目線の “お話” で歌われるのは、「感謝」だけに限らない。それは等身大の経験であるがために、時に「諦め」や「別れ」といった痛みを伴うものでもある。
2013年5月公開、みきとPさんの『僕は初音ミクとキスをした』は、聴く人によっていろいろな解釈ができそうな歌詞・MVが印象的な作品となっている。
歌詞を見たかぎりでは、そこに「初音ミク」の姿は見当たらない。けれど、MVで描かれる物語を素直に受け取るなら、これは創作者目線で「諦め」を描いた作品であるように感じられる。とは言っても、それは前に進むための諦観であり、初音ミクはその契機となる、肯定的な存在だ。
ところが、同じように解釈の余地がありそうなボカロ曲でも、同年8月に公開された『終点』(cosMo@暴走P)は、主題がはっきりしているように感じられた。この曲では、明確に明白に、疑いようもなく、初音ミクとの「決別」が描かれている。
「消失」ストーリーの番外編・おまけ的な扱いの曲だという一方で、ほかのどの楽曲よりも強く「終わり」を歌っている。それも、「ボカロPが初音ミクへ宛てた別れの手紙を、ほかならないミク自身が歌う」という体で。まるで、己の想いを、宛てた本人に代弁してもらうことで “懺悔” とし、その構造を観客へはっきりと示すことで、それを “別れ” の誓いとするかのように。
「終わらないお祭り声は遠く 感動はやがて薄れゆく
お面を深く被るお囃子に 有体に言えば──」「<<手紙が破れていて読めなかった>>のです」
(cosMo@暴走P『終点』より)
曲中で隠されている、この部分の歌詞。この楽曲にcosMoさんがどのような想いを込めたのかは想像するしかできないし、 “破れていて読めなかった” 部分を含め、歌われている内容が本音なのかどうかもわからない。何に対して “○○てしまった” のかも判然としない。
ただ、早い段階で「初音ミク」自身の物語を数多く描き、何度も彼女と向き合い、共に歌ってきたボカロPが、こういった楽曲をこの時期に発表したという事実。それは、自分にとってはとてつもなく印象的な出来事だったし、いちファンとしてもひとつの区切りとなった。
──ちなみに、後に頒布された同人CD『BPM200以上はおやつに含まれますか?』にこの曲が収録された際には、 “破れていて読めなかった” 部分の歌詞が、以下のように修正されていた。
「飽きてしまったのです<手紙が破れていてよく分からないが、おそらくこう読める>」
【2014〜16年】散発的な「衰退論」と、それでも変わらないもの
2014年以降、ボーカロイド界隈ではしばしば「衰退論」が語られるようになった。
とはいえ、隆盛を極めたコンテンツに対して、しばらくすると「オワコン」の声が挙がるのは、何もボカロに限った話でもないように思う。 “衰退” と言うよりは、(文化の)定着、(伸び代の)鈍化。広い意味で “一般化” したために、新鮮味を感じられなくなったのではないかと。
ただ、実際問題として、2014年と2015年のミリオン曲は、それぞれ1曲のみだった。2015年には鋼兵さんの動画「『なぜボーカロイドは衰退したのか』を解説する」が再生数を伸ばし、Twitter上でもこの話題に言及する人が少なくなかったと記憶している。
2015年7月頃は、一部で盛り上がる衰退論に対抗するように、ボカロ文化を歌った「キャラソン」がいくつか登場。なかでも『初体験』(ナナホシ管弦楽団)はVOCALOIDカテゴリーで1位を記録し、多くの共感の声を集めていた。
そんななか、全力でぶっこみにきたのが、再びのcosMoさん。
先の『終点』以来、しばらく投稿していなかった初音ミクのボーカル曲……かと思いきや、歌っているのはGUMI。『リアル初音ミクの消失』というタイトルながら、『消失』要素は一部のメロディーのみ。歌詞以外の部分でも、どこか皮肉っぽさを感じられる楽曲となっている。
腐りかけのノスタルジー
昔はよかったと罵声を浴びせる「ボンクラ共はどうして“今”を直視(み)れないの?」
それは悪 それは悪だよ
愛じゃなくてただの依存でしかない消費されゆくモノたちに
(cosMo@暴走P『リアル初音ミクの消失』より)
慈悲かけるなんて愚かしい
投稿時期的には、件の「衰退論」に真っ向から反論しているようにも見える、この曲。しかし他方で、楽曲のテーマがたまたま世間の話題と合致しただけ──という可能性もあるんじゃないかと、個人的には思っている。
なぜなら、この曲をcosMoさんの楽曲のなかに位置づけようとすると、「消失」シリーズに組みこむのは違和感があるからだ。どちらかと言えば、既存の文化やコンテンツ消費を風刺した「ディストピア」シリーズの楽曲と同一のテーマ性を持っているように見える*15。
そういった衰退論との応酬があるなかで、8月22日、ひっそりと投稿されていた曲もある。dorikoさんの『あなたの願いをうたうもの』だ。実は「初音ミクの歌」をdorikoさんが作るのは初めてだったとのことで、それだけで嬉しくなった。
2008年の『歌に形はないけれど』から連綿と続く極上のバラードに、過去の楽曲を彷彿とさせるイラストが素敵な1曲。変わっていくなかにも変わらないものがあると教えてくれるようにも聞こえるその歌詞を、dorikoさんの「初音ミク」が歌っているという事実が、また胸に響く。
答えは移ろい 正しいものはない
(doriko『あなたの願いをうたうもの』より)
あなたがまた 迷う時にもここにいる
この手を掴んで 私を見つけて
あの日のよう あの時のように もう一度出会おう
いろいろな思いが交錯するなか、2016年には、ボカロシーンが再燃する。
上半期時点で4つの新曲がミリオンを記録し、下半期には3曲が100万再生を達成。「2016年ボカロ四天王」「2016年ボカロ七福神」というタグができるなど、にわかに盛り上がりを見せていた。この現象について、DECO*27さんがインタビュー中で言及しています。
DECO*27:すごく変わった。さっき言った、現時点で100万再生されている4曲って、“ゴーストルール”と“脱法ロック”の他に、ナユタン星人の“エイリアンエイリアン”って曲と、くらげPの“チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!”って曲なんですけど、全部特殊なんです。
“ゴーストルール”は自分が中学生のときに聴いていたミクスチャーがベースになっているので、自分としては特別「新しいもの」ではないんですけど、でもみんながすごく反応してくれて。“脱法ロック”はPVが爆裂してて、いい意味でおかしいんですよ(笑)。
(ボカロシーン、焼け野原からの再出発 DECO*27×Neru対談 - インタビュー : CINRA.NET)
10周年前夜にして、ボーカロイドを取り巻く「物語」は一巡したのかもしれない。インタビュー中で「2008年とか2009年当時くらいの感じ」と話されているように、それまでの流行とはどこか異なる、新鮮な楽曲が次々と登場したのが、2016年のボカロシーンだった。
七人七色の個性あふれる “七福神” が場を盛り上げるなか、10周年前夜のワクワク感を体現するかのような、「キャラソン」としてのボカロ曲も登場している。
マジカルミライ2016のテーマ曲『39みゅーじっく!』(みきとP)は、「これぞボカロ曲だ!」と言わんばかりに「楽しい」と「かわいい」が入り乱れた楽曲だ。ボカロシーン全体を取り巻く楽しさが感じられるだけでなく、弾けんばかりにキュートなミクさんが眩しい。
みきとP:初音ミク10周年というタイミングで、僕自信もそのシーンの一員としてボカロ曲を作って盛り上げていかなきゃいけない。「39みゅーじっく!」は、そんな僕にとっての“This is ボカロ曲”で、今日もいろいろ話してきたボーカロイドに対するクリエイトの自由や、「垣根なんかなかったよね」という気持ちをあらためて思い出せるような歌詞にしています。
(いーあるふぁんくらぶには僕の心境がでてるんです みきとPが語る | 初音ミク | アニメイトタイムズより)
そして、2017年。長年にわたってミクさんと歩んできたボカロPたちは、どんな思いを楽曲に込めて「10周年」を祝ったのだろうか。
【2017年】新世代へ向けた「応援歌」と、機械が歌う「愛」の形
初音ミク誕生10周年を迎えた2017年。8月31日に向けて多くの企画が立ち上がり、記念CDの発売などが告知されるなか、先陣を切ったのは──やはりというか、cosMoさんだった。
キミはだいぶ 優しくなった
(cosMo@暴走P『いままでも、このときも、これからも──』より)
この世界を 赦すようになった
誰よりもキミ自身が わかってると思うよ
ねえ ありきたりな言葉でも
キミとわたし強く在れるよ
これからも隣で ありふれた幸せを綴ってよ
EXIT TUNESのコンピレーションアルバム『Vocalohistory』に収録された、書き下ろし曲『いままでも、このときも、これからも──』。CDの発売に合わせたためか、3月という早い段階で投稿されている。
そこに『終点』で見られた決別の言葉はなく、寄り添い歩くミクさんと “誰か“ の姿がストレートに描かれている。それは個人としてのボカロPか、彼女の歌声に親しんできたファンたちか、はたまたcosMoさん自身か。 “いつか死が二人を別つまで” 、共に歩き続けていく。そんな想いが伝わる曲だ。
7月15日には、40mPさんが『Initial Song』を公開。ミクさん目線のバラード曲だ。「電子の歌姫」であるがゆえに変わらないものと、時代や環境が移ろい変わりゆくヒト。2者を対比的に歌い上げた歌詞は、優しげに聴こえつつもどこか切なくもある。
特に印象的だったのが、“私は今も覚束ない声で 愛も知らずに愛を歌うの” のフレーズ。端的ながらボーカロイドそのものを表しているように感じられるし、10年が経った今を鑑みると、ある種の重みすら感じられる。そりゃあ、初期のボカロ曲が色褪せないわけっすよ……。
7月21日に投稿された『砂の惑星』(ハチ)は、公開されるなり、瞬く間に新旧ボカロファンのあいだで話題になった。過去のボカロ曲を想起させる歌詞に、 “メルトショック” の単語。それだけでいくらでも解釈の余地があるのに、荒涼としたMVがまた世界観に奥行きを与えている。
ハチさんらしい──けれど、10周年記念ソングかつマジカルミライ2017のテーマ曲としては、エッジが効きすぎているようにも聴こえる──この曲は、いったいなんなんだろう。早くも中毒になりそうなくらいリピートしつつ、首を傾げていたら、インタビューでひとつの答えが示されていた。
──でも、ハチさんには単なる皮肉でなく、未来につなぐという意志もあったんだと思うんですが。どうでしょう?
ハチ そうですね。未来につないでくださいって。俺はもう知らないです。
──「後は誰かが勝手にどうぞ」って言ってますもんね、歌詞では。
ハチ 「それをやるのは俺じゃないでしょう」っていう。「砂の惑星」が1つの起爆剤になってほしいとは思いますけれど、根本的に「俺が全部ひっくり返してやるぜ」なんてふうにはまったく思ってなくて。むしろ、どんどん新しい人たちが出てきてほしい。これがきっかけで砂漠にまた1つ木が生えてくれたらいいなって感じですね。その木の周りで新たに誰かが土を耕して、稲とか植え出して、それが実っていけばいいんじゃないかという。
(初音ミクの10年~彼女が見せた新しい景色~| 第1回:ハチ(米津玄師)×ryo(supercell)対談 2人の目に映るボカロシーンの過去と未来 (3/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
10年という年月を経て、ついには砂漠と化したニコニコ動画。そんな “砂の惑星” にて、過去に自分たちが楽しんでいた砂場遊びを再現・再演するべく、そして次の世代へと伝えるためのメッセージとして作られたのが、この楽曲である──と。
この曲を聴いて、ここ数年のボカロシーンに寂しさを感じていた人は少なくなかったのだと、改めて実感させられた。前述の2016年のインタビューでは、Neruさんが “焼け野原” という表現を使っていましたが*16、ハチさんはそこに “砂漠” を幻視していたようだ。
そのうえで、上記のハチさんの言葉をそのまま受け取るならば、『砂の惑星』は、新世代に向けた「応援歌」であるとも考えられる。のらりくらりと行き(生き)着いた果ての砂漠で、彼女の誕生を祝い、歌い踊り、新たな生命の種をまこう。そしたら、 “あとは誰かが勝手にどうぞ” と。
ほかのボカロPと同様にミクさんのハッピーバースデイを祝いつつ、彼女を取り巻く「これから」に思いを馳せ、彼女と関わっていくだろう「誰か」を鼓舞する音色。この曲もまた、新世代へ向けて送る “林檎の木” であり、いつかは “有象無象の墓” となるものなのかもしれない。
その1ヶ月後、前作から約6年ぶりとなるwowakaさんの新曲『アンノウン・マザーグース』が公開された。
ボーカロイドという「文化」を俯瞰的に歌ったハチさんに対して、wowakaさんは主観的に「愛」を叫んでいるように聴こえる。事実、彼のツイートを見てみると、 “自分自身とミクを重ねた” とはっきり明言しています*17。そこには、どんな想いがあったのだろう。
──「こういう条件を満たせば、たくさんの人に聞かれる」というテンプレートができてしまったというか。
(中略)
wowaka そうなんですよね。大事な自分の一部を奪われた感覚もあったし、いわゆるそのwowakaっぽいニュアンス、みたいなものをポジティブに消化されてるとも当時の俺には思えなくて。wowakaとして、自分が本気で好きでやってきた場所から、そういうものが返ってきたのが悲しくて悲しくて、すごくしんどかったんですよね。それもあって「アンハッピーリフレイン」を出したあと、精神的にひどい状態になってしまったんだと思うんですけど。
(初音ミクの10年~彼女が見せた新しい景色~|wowaka(ヒトリエ)×DECO*27対談 ボカロシーンの牽引者たちが語る「あの頃、何が起こったのか」 (2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
2011年当時、流行の中心にいたがための苦悩。多くのクリエイターが競って楽曲を投稿していたなかで、 ““wowaka らしい”を“ボカロらしい”に置き換えて消費されていく感覚”*18 を覚え、並々ならぬダメージを受けていたとのこと。
そんな懊悩や煩悶を抱えながらも、こうして公開された此度の新曲。
曲調はまったく違うにも関わらず、図らずも「愛」を歌っているのが、10周年を象徴しているようにも感じる。 “愛も知らずに愛を歌う” 40mPさんに続くように、 “あたしがあいをかたるのなら そのすべてはこのうただ” と言い切るwowakaさんからは、どこか吹っ切れたような印象を受けた。
8月28日には、『君が生きてなくてよかった』(ピノキオピー)が登場。ミクさん目線の愛の歌、ボカロシーン全体を祝い鼓舞する応援歌、自身を初音ミクに重ね合わせた問いかけ──と来て、この曲は、ボカロPから彼女に向けたラブソング、あるいは独白のように聴こえた。
変わらぬ愛も 儚い恋も
(ピノキオピー『君が生きてなくてよかった』より)
君からすれば ただの記号で
正義も悪も 帰らぬ日々も
君の前では どうでもよくて
ほかの曲同様に登場し、しかもやはり機械的なものとして歌われている「愛」。
しかもこの曲の場合、歌の第一声からして “変な声” に “奇妙な見た目” 、 “気持ち悪い” というボロクソな歌詞が目立つ。──かと思いきや、 “知らなかったはずなのに” の部分で転じて、 “生きてなくてよかった” が肯定的に聴こえてくるようになるからおもしろい。ピノキオピーはいいぞ。
「生きていないものに愛は歌えない」のではなく、「生きていないものが歌うから愛を感じられる」と解釈することもできる歌詞。不変にして普遍、記号であり記録。彼女の前では何もかもが “どうでもよく” なるからこそ、ずっと寄り添っていたくなる──そんな魅力がある。
10年前には、「歌いたい」「頑張って歌うよ」と健気に歌っていたミクさんは、やがてラブソングを歌う「電子の歌姫」として大成し、周囲から愛され、愛をうたわれる存在になったと言える。否が応でも10年の重さを実感するし、感慨深く感じる人も多いのではないかしら。
物語を紡ぎ歌う、無色透明の歌声
以上、長くなりましたが、前半は主に「キャラクターソング」としてのボカロ曲を、後半はそれに連なる形で、ボカロシーン全体やクリエイターとの関係性を歌った楽曲を、ざっくりとまとめました。……そう、 “ざっくり” と。これでも厳選したつもりなんです、はい。
いや、だって、本来ならキャラソンに絞らず年別に流行曲を分析するべきなのでしょうし、キャラソンに限定するにしても、それでも曲数が多すぎて全部には言及できなかったので。加えて、UTAUやVOICEROIDの歌にだって多種多彩な想いが込められているはずですし。みんなのミクさんたちへの愛が広がりすぎて、とどまるところを知らないのだ……!
そこで、改めて「ボーカロイドとは、なんだろう?」を考えてみると……やっぱり、十人十色の答えがあるような気もするんですよね。
クリエイターにとっては、単なる音声ソフトウェア・楽器のひとつなのかもしれない。愛すべき歌姫であり、己の表現の代弁者なのかもしれない。あるいは、もはや言語化できないほどに思い入れの強い、唯一無二のパートナー……なのかもしれない。
逆にリスナーにとっては、あくまで消費コンテンツのひとつに過ぎないのかもしれない。彼女らの歌声に思い入れはなく、ボカロPの表現世界に耽溺しているだけなのかもしれない。はたまた、界隈全体を含めたカルチャーを愛してやまない人だっているかもしれない。
だけど、このように、「ボーカロイド」に対して各々が異なる認識を持っている一方で、一部では共通性が見られるようにも思うのです。というのも、作り手目線でボカロカルチャーに親しんできた人たちの話を読むと、結構近いことを言っているように感じられるんですよね。
インターネットの流行はショートスパンでわーっと盛り上がるだけで定着しづらい風潮があるけど、飽きられずにロングスパンで支持される作品には、ネットで伝播しやすいキャッチーな言葉による深い共感や、ミクの“言葉が肉体に帰れない、どこか不憫な機械の声”だからこそ伝わりやすい表現があったんだと思います。
(初音ミクの10年~彼女が見せた新しい景色~|クリプトン・フューチャー・メディア佐々木渉が振り返る「初音ミクのこれまで」 (2/2) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
──(中略)初音ミクの魅力はどこにあると思いますか?
やっぱりその声質にあると思うんです。すごくカタコト感があって(笑)。それがちょっとイケてるふうにも愛嬌にも聞こえるじゃないですか。その感じは、ほかでなかなか手に入れられないんですよね。初音ミクは、そういう意味でほかのボーカロイドに比べても際立ってると思います。唯一無二の特徴を持ったボーカリストだと思うんですけどね。
(スプリットシングル「ODDS & ENDS」ryo&じん(自然の敵P)インタビュー (2/4) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
━━では、初音ミクというキャラクターに曲を作ることの魅力で言うと何でしょうか?
みきとP:曲を作ったとき、僕の曲ではなく、初音ミクというフィルターを通して曲を聞いてもらえるところですね。初音ミクに歌って貰うことで、「自分ならここまではやらない」という壁を取っ払うことができる。誰に何を言われるわけでもなく、自由に、自分の好きな音楽を作れるのが初音ミクとボーカロイドのよさだと思います。
(いーあるふぁんくらぶには僕の心境がでてるんです みきとPが語る | 初音ミク | アニメイトタイムズ)
じんさんによる「語り部」の指摘も含めて、一言で「これ!」という共通点があるわけではありません。強いて言えば、「機械だから良い」というか、「独特な曖昧さがあるから良い」というか……すべて引っくるめて、「ミクさんだから良い」というか。
でもこれって、リスナーである僕ら目線でも同じなんじゃないかしら。そりゃあ好き嫌いはあるでしょうし、同じ「好き」でも細かな嗜好は異なるはず。けれど、好きでボカロを追いかけてきた人たちが行き着くところは、「ミクさんだから良い」で共通しているのではないかと。
感情的じゃないから、歌詞の世界観に浸れる。常に同じ歌声だからこそ、その時々の自分の気分によって聴こえ方が変わる。誰の耳にも同じように聴こえるがゆえに、解釈の幅が生まれる。──曖昧で、不思議で、はっきりと言語化できないけど、なんとなく、好き。
そういった諸々の、各々の印象を引っくるめて、「ミクさんはいいぞ」と。虹色の歌声……というよりは、「無色透明の歌声」とでも言いましょうか。誰が聴くか、いつ聴くか、どこで聴くかによって、どのような色にも変化する。実のところは、不変のデータであるにも関わらず。
もしかすると、その “無色透明” っぷりが、ライブでの一体感にもつながっているのかもしれない。
力強く振り続けられるペンライトを見ていて、過去のライブ映像を観たときに感じた違和感が、ふわっとほぐれたような気がしました。ああ、お客様達は、スクリーンへ歓声を送っているのではないんだ。この客席全体が「初音ミク」という広く深い世界を構成するひとつの要素であり、今それがステージを包み込んでいるのか、と。
(鼓童ブログ Kodo Blog » 初音ミクという世界/洲﨑拓郎)
今年3月の『初音ミク×鼓童 スペシャルライブ』のあと、鼓童のスタッフさんがこのようなブログを書かれていました*19。僕も実際にマジカルミライに行くまでピンときていなかったのですが、ボカロライブってなんとなく、ほかのライブとは違った一体感があるように感じるんですよね。
一般的なライブで見られるのは、ステージ(演者)とフロア(観客)との双方向的なコミュニケーション。対するボカロライブは上記引用のとおり、ステージもフロアも、演者も観客もすべてまとめて、「初音ミク」という世界に包みこまれているような感覚がある。固有結界。
その空気感を作り出すのに、ボーカロイドの “無色透明” な歌声が一役買っているのではないかと。何物でもない色は、何物にも染まりやすい。それゆえ、観客が同じ方向を見、体を揺らし、飛び跳ね、腕振り歌う「ライブ」という空間では、いともたやすく「ライブ色」に染まってしまう。
演者が人であれば、そのときの気分や体調によって微妙に “色合い” が異なってくるかもしれない。けれど、ボーカロイドにはそれがない。いつでも変わらない歌声*20に、安心して自分も染まることができる。なればこそ、並外れた一体感を感じられるのではないでしょうか。
──とまあ、いい加減に長くなってきたので、何はともあれ「そんな歌声を持つミクさんとボカロカルチャーが、僕たちは大好きだ!」と声高らかに叫ぶのです。
歌声のみならず、作り手によって姿形と性格を変容させ、楽曲ごとに多彩な役割をこなすことができる彼女たちは、本当に魅力的で、何にでもなれる。恋する少女にも、優しいロボットにも、ストーリーテラーにもなったミクさんは、今や「歌姫」では収まらない存在となったようにも映る。
やがて日が過ぎ 年が過ぎ
(malo『ハジメテノオト』より)
古い荷物も ふえて
あなたが かわっても
失くしたくないものは
ワタシに あずけてね
それでも今後、何かの折に原点に立ち返ろうとしたときには、2007年頃がまず思い出されるのかもしれない。まだ拙くも聴こえる歌声で、言葉を紡いでいた時期のこと。別に懐古主義が良いというわけではなく、「最初の頃は、こんなミクさんがいたよね」という再確認の意味で。
そのうえで、音声ソフトウェアとしての枠を飛び出した彼女が、ジャンルや言語の壁をも飛び越えて、これからも幅広い分野で活躍してくれたら嬉しい──。作り手でも何者でもないけれど、この10年間、彼女の歌声とボカロPたちの世界観に救われていた自分としては、素直にそう思います。
──以上。しばらくろくにイベントも行けていない、「ボカロ好き」と言いつつ「にわか」もいいところな1人のファンによる冗長な文章でございましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。機会がありましたら、光るネギ畑でお会いしましょう。
こうして、物語は幕を閉じる。
語られたのは、あくまで空想に基づく一つの可能性。現実の歌姫にとって、終わりは未だ遥か遠い。
しかし彼女もいずれ岐路に立つだろう。そのとき、現実の彼女にも、幸せな結末の訪れがあらんことを。
(CD『初音ミクの消失』ブックレット「浅黄色のマイルストーン」より)
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*3:産経新聞でも紹介されていたようですが、削除済みでした。
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*6:ショート版。フルが投稿されたのは18日/あなたの歌姫/初音ミク_fullver. - ニコニコ動画
*7:こちらの動画など/3DみくみくPV♪ by chop 音楽/動画 - ニコニコ動画
*8:ただ、当時は2007年夏から秋にかけての自演問題などもあり、ジャンル全体に懐疑的に目を向ける人も少なくなかったと記憶しています(参考:自演発覚祭りとは - ニコニコ大百科)
*9:関係ないけど、画像の下、7位部分には「もしも初音ミクがジオン軍総帥だったらパート3」がランクインしており、同じボカロ動画なのに温度差がすごい。
*10:個人的な話ですが、過去にライブに行ったことがあり、わざわざサインをお願いするくらいには、心底から大好きなボカロPです。
*11:実際には多くの歌い手が歌っているし、なんならcosMoさん自身も、CD『コスモドライバー∞UP』のボーナストラックで歌っている。
*12:関連記事:小林幸子さんとニコニコ動画と「千本桜」(と紅白歌合戦) - ぐるりみち。
*13:再生数10万以上/VOCALOID殿堂入りとは - ニコニコ大百科
*14:「ミカグラ」も「告白実行委員会」もあるんだよ。
*15:『ディストピア・ジパング』『ディストピア・ロックヒーロー』など。元はこちらのシリーズ曲として作っていた説。
*16:ボカロシーン、焼け野原からの再出発 DECO*27×Neru対談 - インタビュー : CINRA.NET
*17:wowaka on Twitter: "https://t.co/R9ftDNU9e3"
*18:同上のツイートより。
*19:このライブはマジで最高でした……(関連記事:初音ミク×鼓童スペシャルライブに行ってきたよ!電子の歌姫と伝統芸能の夢のコラボ - ぐるりみち。)
*20:演出、演奏、調声、パフォーマンスなどは変わってきますし、不確定要素もありますが。