ぐるりみち。

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“文章力”を学ぶ最初の1冊!ビジネスマンにもおすすめの『新しい文章力の教室』

 いつだって、書店に行けば「文章力」の本は数多く目に入る。概括的に「文章」を語った入門書もあれば、小論文やレポートといった限定的な攻略本もあり、一口に「文章読本」と言ってもさまざま。その枚挙には暇がない。

 僕自身、過去に何冊もの文章読本を手に取り、読んできた。そのなかには少なからず影響を受け、モノを書くに当たって実際に参考にしてきた本もある。――けれど、一冊の本に書かれた内容をすべて覚えて、意識的に実践してきたことはない。

 

 

 で、今日も今日とて、懲りずに「文章本」に手を伸ばしてみたのです。筆者は「コミックナタリー」の元編集長・唐木元さん。彼が培い、社内の新人教育のために提供してきた文章術を、一般向けに加筆修正した内容となっています。

 社内勉強会で共有されていたノウハウということもあり、読みはじめは話半分だった。「ニュースメディアにおける文章の書き方」という前提があるようにも感じ、その分野では役に立つ方法論だとしても、ほかでも同様に使える文章術だとは思えなかったので。

 ところがどっこい。読み終えてみたら、あらスッキリ。メディアはおろかビジネス文書での応用法についても書かれているし、「これ、ブログ初心者にも勧められるんじゃね?」と思えるくらいには多彩な「文章」に当てはまりそうな内容でございました。我ながら、ちょろい。

 

目指すべきはただ一点、「完読」のみ

 小論文や企画書、あるいはブログでもいいけれど、テーマの決まっている「文章本」は内容を理解しやすく、実践しやすい。文章ごとに特徴があり、独自の文体があるため、本で述べられているとおりにすれば、ある程度は最適化された「文章力」を身につけることができる。

 しかし一方で、概括的に「文章術」を語ろうとすると、どうもとっ散らかった内容になってしまう。谷崎潤一郎や川端康成が著した『文章読本』まで遡れば話は違うのだろうけれど、最近は「文章」があまりにも多岐にわたりすぎているので。

 広い意味での “散文” もあれば、学術的な “論文” もあり、身近なビジネスにおける “企画書” のような存在もある。さらにネットにまで目を向ければ、文章の書き方も読まれ方も、その「文脈」はそれぞれにまったく異なる。だから、「文章力」を1冊の本で語るのは無理がある。

 

 その点、本書『新しい文章力の教室』は、どうしても雑に読めてしまう「文章本」とは一線を画しているように感じた。あらかじめ目標設定を明確にした構成となっており、概括的な「文章」について説明していながら一貫性があり、さしたる違和感もなく読了できた。

 もちろん「メディア」という主題はあるものの、本文の最初に「文章とはかくあるべし!」と断言しきっているのだ。決してメディアの文章のみに限った方法論でなく、同様の考え方でもって取り組めば、あらゆる分野で通用する文章論となっているように読めた。

 

 その考え方――目標とはすなわち、「完読されること」

 

 “良い文章とは完読される文章である” と第1章冒頭ではっきりと提示し、それを指針として「文章の書き方」を教示してくれる。文章論においてよく言われる、わかりやすさ、リズム感、言葉選びなどをすべて引っ括めて、本書では「完読されるべし」がモットーとなっているわけだ。

 

「私の文章が読みにくいのはなぜ?」を言葉にしてくれる

 本書を読んでいてすごいと思ったのは、なにより、「かゆいところに手が届く」説明にある。文章構成の基礎にはじまり、一文一文を磨き上げていくための注意点、その内容や切り口まで、それらの方法論がすべて「完読」に向けて描き出されているように感じた。

 正直にいえば、序盤は自身も当たり前にやっており、どこかで聞いたような基本中の基本の方法論が多く、退屈に感じたことも否めない。たしかにわかりやすくはあるのだけれど、読む人によっては「何を今更?」と感じるポイントも多いのではないかと。

 しかし、そう感じていたのも最初だけ。自分が普段から当然に書いてはいるものの、その理由もわからずに使っていた「書き方」が順を追って説明されているため、読み進めるうちに、気づけばふんふん頷きながら読んでいた格好。――なるほど、そういうことなのか、と。

 

 例えば、「新しいもの」「着いたとき」「出るところ」といった表現における、「もの」「とき」「ところ」を、ひらがな表記にする理由などがそれに当たる(理由:形式名詞。「実質的な意味のない、本来の意味から離れてしまった名詞」として、ひらがなが好ましい)

 ほかにも、わかりやすいところとしては「主語と述語の不一致」や、文中の漢字とひらがなの割合、言葉の言い換え、助詞「は」と「が」の使い分け――などなど。たびたび話題に挙がる「ひらく漢字・ひらかない漢字」についても整理されており、勉強になった。

 

※こんなの↓

 

 改めて考えてみると、文章は誰もが日常的に触れている存在だからこそ、その知識や用法は「感覚」に頼ってしまっていることも否めないんじゃないかと思う。

 普段は無思考にやってしまっている助詞の使い分けも、ちょっと意識するだけで読者への伝わり方が大きく変わってくる。どうも「語彙力」や「魅力的な文体」を指して語られるイメージの強い「文章力」だけれど、本書ではその初歩から丁寧に説明しているように感じられた。

 

制約の中から生まれる、文章力と表現力

 一方で、ルール無用、自由闊達、好き勝手にブログを書いている身としては、この『新しい文章力の教室』で推奨されている「方法」のなかには、ブログにおいては不向きだと感じる部分もあった。というのも、個人の「ウェブログ」という視点から見ると、あまりにも制限が多すぎる。

 「余計なものは削る」と言われても、ブログなんて徹頭徹尾「余計」でできているようなもの。「主観の押し付けは読者を白けさせる」という説明はそのとおりだと思いつつも、個人的・感情的な文章こそがブログでは好まれるという傾向もなくはない。

 ただし、改めて冒頭に返ってみると、本書の内容が「ブログ向けの文章術ではない」とも断言できない。なぜならば、個人ブログとはいえ、自分本位の自己完結で終わらずに「完読されること」を目指すのならば、本書の内容は非常に役に立つからだ。

 

 というかむしろ、全力でおすすめしたいまである。少なくとも過去に読んだ「文章読本」のなかで、ここまで完結名調に基礎知識がまとめられていた書籍は思い浮かばない。また、「メディア」と「ブログ」という方向性の違いはあるものの、「ネット」という文脈には則っている。

 前提となる知識はもちろんのこと、「自分が理解していない言葉を一語たりとも書いてはいけない」「見たり聞いたりしたありのままにこそ強いオリジナリティが宿る」など、ネットで文章を書くにあたっての考え方もまとめられており、得られるものは多いのではないだろうか。

 

 そしてなにより共感できたのは、本書では「記事のテンプレート化」に警鐘を鳴らしており、本文最後の項目として「すべてのルールは絶対ではない」と言い切っている点にある。

 いわゆる「文章読本」を読んだ人に上達が見られないのは、結局、本で読んだ方法論に固執してしまっているからなのではないだろうか。ブログでも2,000字に満たない記事に “目次” を用意していたり、変わり映えのない “まとめ” を書いたりと、テンプレに縛られている人は少なくない。

 

 この『新しい文章力の教室』はそんなテンプレの方法論、「上手な文章を書くようにはこのような方法をとる」ではなく、「完読される文章を書くためにはこういった書き方をしない」という展開になっているため、自分で試行錯誤しながら文章力を伸ばしたい人に勧めやすい。

 「かくあるべし」と型にはめこむのではなく、「してはいけない」ことを示した内容。つまり、読み手に「考える」ことを促し、「表現の幅を持たせる」余地を残しているわけだ。と同時に、型に倣ってこそ得られる技術もあるため、他の文章読本と合わせて読むのも良いかもしれない。

 

 改めて「文章」を再考したい人に。
 全力でおすすめしたい1冊です。

 

 

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