古くから日本には、「おじさん」なる生物が住み着いていた。主な生息地は人里であり、時にありがたい存在として敬われ、時にはた迷惑な存在として敬遠されていた。代表的な「おじさん」と言えば、「あしながおじさん」や「変なおじさん」などが挙げられるだろうか。
最近では、ゲーセンに現れる「アイカツおじさん」、ランプの魔人「特定おじさん」、魔法で召喚された「非実在おじさん」なども新たに発見され、おじさん研究者の数も増えている。各個体の性質はさまざまだが、彼らは等しく “おじさん” であると言って間違いないだろう。
さて、そんな「おじさん」を研究した文献として本日は、『乗り遅れるな!ソーシャルおじさん増殖中!』を読みました。あまた存在する「おじさん」の中でも、特にウェブ上で着々と影響力を持ちつつある「ソーシャルおじさん」を解説した書物として、興味深い内容となっています。
それもそのはず。本書の筆者は「ソーシャルおじさん」を名乗るおじさん、その人たちである。自らもソーシャルを活用して生活を豊かにせんと夢見るおじさんはもちろんのこと、ソーシャルメディアを使ってビジネスを展開しようと考える“ポストおじさん世代”にもおすすめの1冊です。
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「ソーシャルおじさん」とは?
まず「ソーシャルおじさん」とは、いったい何者なのだろうか。
ソーシャルおじさんの使命は、世代、業種を超えて、人と人とをつなげると同時に、それぞれの人が足りないと感じていることを補うこと。利益になるならないは問題ではない。まずはお節介してみてから考える。そんな前向きな思考の持ち主がふさわしい。具体的には、経験やノウハウのない若者世代に、ソーシャルおじさんが持っている人脈や知識を与えることで、若者の成長や成功に貢献できる。世の中の役に立とうというマインドの有無がソーシャルおじさんの条件になる。
元祖ソーシャルおじさんである徳本昌大さんを代表として、インターネット上で積極的にソーシャルメディアを活用する “おじさん” たち。それが「ソーシャルおじさん」だと、本書冒頭では書かれている。
どうしてわざわざ「おじさん」と自称するのかと言えば、発端はUstreamの番組内で “ソーシャルおじさん” と紹介された出来事だったという。徳本さん自身は少々抵抗があったとのことですが、周囲の反応が思いのほか好意的だったため、「おじさん」を名乗る決意をした、との話でした。
一方では、もともと筆者にとっては引っかかる表現だったという「おじさん」も、今となってはネガティブな印象もかなり薄れてきたように思う。記事冒頭にも書いた多種多彩な “おじさん” もそうだし、むしろ「若者文化に理解のある大人」としての使われ方もされているのではないかしら。
この「ソーシャルおじさん」という言い回しにも、なんとなく同様のイメージが感じられる。ただ偉そうにあれこれと若者へ物申すのではなく、立場も年齢も関係ないソーシャル上での付き合いから始めて、若者にちょっとしたアドバイスをくれる素敵な大人たち。
──ソーシャルおじさん、かっこいいじゃないか。
数多の「おじさん」が語る経験談と、SNSによって広がる世界
本書は全7章構成。
各章では、7人のソーシャルおじさんの職歴とインターネット遍歴、そしてソーシャルメディアとの出会いが語られている。当然、その多くはソーシャルメディアを使い始めたことによる成功体験であり、SNSをビジネス活用しようと目論んでいる人の参考になるはずだ。
想定読者は、おそらく彼らと同世代の “おじさん” たち。インターネットに対して忌避感を持ち、食わず嫌いしているだろう同世代の彼らに対して「やってみると意外とおもしろいし、仕事の幅が広がり生活も豊かになるよ!」と魅力を説くような書き口になっている。
彼がまだソーシャルメディアを使ったことのない40代以上の世代胃伝えたいのは、「まずは参加して見ること」だ。会社で地位が高くなり、責任は大きくなるが、なかなか理解者がいない。プライベートの時間もうまく使えない。シェーファー氏はこのような環境の中でソーシャルメディアに出会い、人生が変わった。この経験をほかの人にも伝えたいと考えて、まずは参加することを勧めている。
しかし他方では、さすがは「ソーシャル」のプロ。ただ漫然と、友人知人との交流手段としてSNSを使っているだけではあまり意識しないような、ソーシャルメディアの本質についてもしっかりと言及しているように読めました。
基本となる「双方向性」の要素はもちろんのこと、ビジネス用途で利用する際の考え方と注意点についてなども。感覚的にネットに触れてきた人ならば言外に理解していることでも、噛んで含めるように説明されているため、世代を問わず「ネット初心者」にも勧められる内容です。
本当に良いものを、変に着飾って広告するのではなく、等身大の自分でそのまま発信しつづけること。これがどんなチラシよりも、結果的には強い説得力を持つ。
それならば逆に、ネット上級者にとっては全くの無意味な本かと言えば……とんでもございません。たとえソーシャルメディアの知識とノウハウを持ったプロを自負していようと、長い年月で積み重ねた「経験」はまた別種のもの。
そこでは “おじさん” なりの考え方や活用方法が示されており、学びとなるポイントが多々ありました。「 “B to C” ではなく、 “B with C” 」「ギブ&ギブの精神」など、最近になって自分も実感できた考え方が、SNS黎明期から既に“おじさん”たちによって実践されていたという。
徳本氏は、自分の持っている知識や経験、アイデアのすべてをソーシャルとリアルですべての人と共有することを心がけている。知識や経験ならまだしも、アイデアを盗まれてしまっては困ると感じる人もいるかもしれない。しかし、ソーシャルメディアの普及で、世界がボーダーレス化、シームレス化している現代では、アイデアは世界中にあふれていて、個人がひとりで考えだしたアイデアはほかの誰かがもはや考えている可能性が高いし、アクションに結びつかなければ意味がない。
それならば、知識やアイデアを無償で提供し友人や知人とアイデアを具現化したり、情報発信して新たな人とアイデアを媒介に出会うことの方が大事だ。情報を共有し、拡散されることに寄るエネルギーには大きな力がある。
ちょうど先日、下のようなやり取りをTwitterでしていたこともあって、「ほんまそれな!!」と全力で頷いておりました。
@10kgtr たしかに掛け算っぽさあるかもですねー。諸々の要素が合わさって縦に積み重なるというよりは、掛け合わされて横につながっていくようなイメージがあります。
— けいろー (@Y_Yoshimune) 2016, 1月 29
過去の記事で、「ソーシャルメディアがもたらしたものはヒトとヒト、ヒトとモノなどのあらゆる繋がりであり、その関連性によって生まれる情報共有でもある」なんてことを書きましたが、 “おじさん” たちによれば、情報共有なんてものは基本中の基本。
それ以上にアイデアを拡散させ、人をつなげ、掛け合わせることであらゆる活動に結びつく可能性がある。そこでは「共感」が重要な要素となり、自ら動かずとも、情報発信を続けていれば勝手につながりうる土壌がある。なればこそ、ソーシャルメディアはおもしろい。
経験豊かな「おじさん」が語る、ソーシャルメディア論。自分が常々考えていたブログのメリットについて、ほとんど同じ言説が書かれていたことからも、首肯・共感しながら読ませていただきました。ブログで何かやりたいと画策している人の参考書としても、おすすめです。