フェイクニュースの問題と、ネットメディアの最新事情を概説する『ネットメディア覇権戦争』


 昨今、世界を取り巻いている「フェイクニュース」の問題。それは、情報の受け手である僕らネットユーザーにとっても無縁のものではない。本書を読んで、改めてそのように感じた。

 読んだのは、藤代裕之@fujisiroさんの著書『ネットメディア覇権戦争~偽ニュースはなぜ生まれたか~』。昨年のWELQ問題にも軽く触れるなど、最新の「ネットメディア」事情がわかりやすくまとめられていました。よく見るブロガー&ライターさんもちらほらと登場。

 改めて考えてみると、多くの人がTwitterやFacebookといったSNSで何かを投稿している今、「発信者」と「受信者」の境界線は限りなく薄くなっているんじゃないか、とも感じる今日。もしかしたら、SNSでこそ気軽に「嘘」の拡散に加担しているかもしれないんですよね。

 いかにしてネットメディアは影響力を持つようになり、「嘘」が生まれ、拡散されるようになったのか。そういった問題を把握する意味でも、本書は広い意味での「ネットユーザー」に勧められる参考書であり、ネットメディアの変遷を知るのにぴったりの1冊だと感じました。

 

偽ニュースは、メディアとプラットフォームの隙間から生まれた

 タイトルにもあるように、本書は「ネットメディア」の覇権をめぐるこれまでの戦いを振り返りつつ、今後のメディアとニュース、ひいてはジャーナリズムの在り方を考える内容になっている。

 フェイクニュースは、なぜ生まれるようになったのか。先に示しておくと、第一章の後半で、筆者は次のように結論づけている。

メディアとプラットフォームの境界はあいまいになり、誰もニュースに責任を持たなくなった。プラットフォームとメディアの隙間から、偽ニュースが生み出されたのだ。

(藤代裕之『ネットメディア覇権戦争~偽ニュースはなぜ生まれたか~』Kindle版・位置No.424より)

 キーワードは、「メディア」と「プラットフォーム」。マスメディアをはじめとする「メディア」はわかりやすい。その一方で、「プラットフォーム」についてはピンとこない人もいるかもしれない。

 そこで、続く第二章を読んでみると、次のように説明されている。

メディアとプラットフォームの定義はあいまいに使われているが、メディアはニュースの内容に責任を持つ発信者、プラットフォームは人々の発信や受信を助ける場所の提供者、と考えるとよいだろう。

(同著Kindle版・位置No.727より)

 ネット上にあふれかえった膨大なコンテンツをまとめ、整理し、その情報を求めている人に紹介する “場所の提供者” 、それがプラットフォーム。

 その代表的な存在といえば、特に日本国内においては、おなじみの「ヤフー」が挙げられる。90年代後半から新聞社のニュースを配信していた、大手ポータルサイト。しかし、ヤフーはあくまで “場所” を提供しているに過ぎず、自前でニュースを作ってはいなかった。

 ヤフー1強の牙城を崩すべく登場したのが、「ライブドア」。ヤフーそっくりのデザインながら、運営方針は明らかに異なっていた。そのひとつが、当時社長だった堀江貴文さん自身がブログで注目を集める「ニュースメーカー戦略」であったと、本書では説明されている。

 しかし、それもライブドア事件によって幕を閉じる──かと思いきや、事件の影響から、「ブログ」に注力する形で舵取りをしていくことになる。発端は、ライブドアに記事を掲載していた新聞社・通信社が、事件によって配信を取り止めたこと。ポータルサイトとしては死活問題だ。

 そこでライブドアは、ブロガーの記事をニュースとして採用した。結果、配信を停止しなかった新聞社の記事と、個人のブロガーが書いた記事が並べて掲載されることになる。今となっては珍しくないが、00年代後半に差し掛かろうかという当時としては、ほとんど見られない光景だった。

 2006年には個別にコーナーを設置するなどして、ブロガーを支援する方向へと舵を切ったライブドア。オリジナル記事をつくらないと思われていたヤフーも、2012年には「Yahoo!ニュース 個人」を開設。ポータルサイトは、プラットフォームとメディア、両方の要素を持つようになった。

 そうした動きと平行して、ネット上ではマスメディアに対する疑念が高まりつつあった。ライブドア事件の報道に対する疑念にはじまり、まとめサイトなどを経由して拡散された「マスゴミ」批判。ソーシャルメディアの普及に後押しされるように、マスメディアの評判は地に落ちた。

 ポータルサイトが「プラットフォーム+メディア」の両面を持つようになったことと、ソーシャルメディアの普及とは、一見すると何の関係もないように見えるかもしれない。しかし、いずれも「プラットフォーム」と「メディア」の境界線を、良くも悪くも曖昧にした存在だと説明できる。

 問題となるのは、記事の「責任」の所在だ。ポータルサイトに掲載されているニュースは、新聞社・通信社配信のものであれば、その責任は配信元にあると言える。

 しかし一方で、個人のブロガーが書いた記事はどうだろう。もちろん当人に責任はあるだろうが、取材や編集の訓練を受けているわけでもない一個人の記事を、事前のチェックもなしに掲載していたサイト側に問題はないのか。その点が、少々曖昧に見える。

 ソーシャルメディアも同様だ。誰もが情報を発信することができるソーシャルメディア上では、一人ひとりが発信者でも受信者でもある。そこでは、マスメディアでは報道されない事件の裏事情や災害現場の様子を知ることができる一方で、デマや嘘などもはびこっている。デマを流した・拡散した人が責任を負うケースは少なく、嘘を正すために労力が割かれているという現状がある。

 それこそが、偽ニュースが生まれる “隙間” だ。

 脊髄反射的にマスゴミ批判をする空気が醸成され、他方では、個人の発信者がプラットフォーム上でメディアとして活躍するようになった。情報発信のハードルが下がり、多彩な意見が可視化されるようになった一方で、個々の真偽を判定していたマスメディアは機能不全に陥っている。

 それは言うなれば、個々の情報の真偽も不明瞭なまま、アルゴリズムによって表示された、自分と同じ考えの記事を “見せられている” 現状。今はまだ多様性が保障されている(ように見える)からいいものの、行き着く先は明るくないように思える。びっくりするほどディストピア。

 

綿密な取材によって浮かび上がる、有力ニュースサービスの今

 自分なりにざっくりと要約させていただきましたが、ここまでが本書の第一章部分。全体の5分の1にも満たない、「前提」の話ですね。じゃあ続けて何が書かれているのかといえば、新旧さまざまなニュースサービスについて紹介しています。

目次
  • はじめに──「偽(フェイク)ニュース」が世界を動かす
  • 第一章 戦争前夜 偽ニュースはなぜ生まれたか
  • 第二章 王者ヤフーの反撃
  • 第三章 負け組LINEの再挑戦
  • 第四章 戦いのルールを変えたスマートニュース
  • 第五章 課金の攻防・日本経済新聞
  • 第六章 素人のメディア・ニューズピックス
  • 第七章 猫とジャーナリズムと偽ニュース

 第二章では、ヤフーの失敗と現体制になるまでの変遷を説明。たびたび話題になる「トピックス」の編集術に、前述の「ヤフー個人」の魅力と課題、ステマやコメント欄の問題、過去に発覚した “前科” も盛りこみ、辛口ぎみにまとめている。

 第三章では、LINEの独特のニュース配信体制について紹介。スマホ時代の今、変化しつつあるニュースの “読まれ方” を意識した特有のニュース編集と、ほかのメディアとの差異や課題を述べている。正直、まったく読んでいないメディアだったので、むちゃくちゃおもしろく読めました。

 第四章では、スマートニュース誕生の物語と、タダ乗り批判を受けてどのように転換を図ったかなど、サービスの軌跡をまとめている。特に、アルゴリズムによる記事の選別について、そのメリット・デメリットを併記しつつ問題提起している部分が興味深い。

 第五章は、日本経済新聞の電子版の取り組みについて。「基本無料」が当然であるネットにおいて、いかにして大勢の有料会員を集めるに至ったのか。新聞社として「流通までセット」として専用アプリを開発したり、コミュニティをつくったりと、試行錯誤の様子が垣間見える。

 第六章は、ニューズピックスのシステムやスタンスの解説。アルゴリズムと人の目、両方を使った記事の選別に、コミュニティの問題点、有料記事に関する考え方など。メディア・プラットフォーム・コミュニティの各要素を分離して運営しているという話は、興味深く読めた。

 第七章は、3つの頭を持つ “キメラ” に喩えられたバイラルメディアの特殊性について。存在感を高めるBuzzFeedの台頭と、逆に問題視され自壊した悪質バイラルメディアの話題にはじまり、ステマ問題を含む偽ニュースについて再考する。そこにはネット世論を形成する「ミドルメディア」の存在があり、広告主による対策やジャーナリズムの意識改革が必要であると説いている。

 特に印象的だったのが、これだけ多くのサービスを同時に取り上げているにも関わらず、議論がとっ散らかっているようにはまったく感じなかったこと。もちろん、個々のサービス紹介は独立した章となっているものの、通して読んでも違和感がないんですよね。

 ネットとマスメディアの歴史についてはヤフーの項目で簡単に触れられているし、掲載記事を選別するアルゴリズムや、有料コンテンツの考え方、PV・読者数・収益のどれを重視するかのスタンスなどにも言及されている。「ネットメディア」について考えるにあたっては外せない基礎知識を、読みながら自然と学べる内容となっているように感じました。

 しかも、著者自身による取材を下地とした内容になっているため、説得力も抜群。本文で取り上げているサービスについては例外なく、その代表・役員・編集長といった「中の人」に話を聞いています。

 かと言って、常にサービス側の目線で説明しているわけでもなく、過去にあった問題は問題として示しつつ、最後は筆者による問題提起でまとめるような構成。中立的な立場からの「分析」であり、そのうえで自然と読者に考えさせる内容になっているようにも読めました。

ネットメディアはニセモノのままなのか、本物になれるのか、岐路に立っている。

藤代裕之『ネットメディア覇権戦争~偽ニュースはなぜ生まれたか~』Kindle版・位置No.2,744より)

 第七章の最後は、このような言葉でまとめられています。インターネットが社会インフラとなり、いちユーザーとして「知らない」では済まされない問題も増えつつある今。「ネットメディア」の最新事情を知り、その在り方を考えるにあたって、本書の存在はきっと役立つはず。

 また、巻末に掲載された3つのインタビュー記事も示唆に富んでいておもしろかったです。

 「検索の手間を惜しむな」と話す山本一郎(ブロガー)さん、「思考を続ける強い記事を」と言葉の大切さを語る石戸諭(BuzzFeed記者)さん、「適正価格でのコンテンツ提供」を是とする新谷学(週刊文春編集長)さん。三者三様のメディア論は、とても刺激的でした。

 ブログでもTwitterでも、日頃から何らかの情報発信をしている人におすすめしたい1冊です。

 

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