ぐるりみち。

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ブログは「個人の日記」じゃダメなの?未完成を楽しむ自分メディアの魅力

「『個人の日記レベル』のブログは公開しちゃいけないの?」という話題が一部で賑わっていたのは、ちょうど1年前くらいのことだっただろうか。

それ以来「ブログ」という媒体がどのような性質を持っているのか、自分はそこで何をしたいのか、どうあるべきなのか──といったことを、たびたび考えてしまいます。

ブログ運営者がしばしば語りがちな、「ブログ論」の類の話。決められた共通のルールはなく、そもそも定義も曖昧で、しかも続々とさまざまな形態の「ブログ」が登場していることもあり──結局のところ、「あるべき姿」なんてものはないのだろうけれど。

 

ブログ」とは、いったいなんだろう。

 

「ブログ」の幅が広がりすぎた

件の「個人の日記レベル」の話題について言及したときにもまとめましたが、そもそもの「ウェブログ」としての「ブログ」は、ほぼ「日記」と同義と見て間違いないと思う。単なる「日記」ではなく、「ウェブ上の」という言葉が頭に付きますが。

元来の意味と使われ方を参照すれば、ブログは「個人の日記レベル」であっても何の問題もない。だって “個人” の “日記” だもの。実際、自分がブログに書き連ねてきた文章は、その大半がモバゲー日記やmixi日記の延長線上にあるような感じですしおすし。

 

しかし、ここ数年で「ブログ」を取り巻く現状は変わった。TwitterやTumblrといった、よりお手軽な「ミニブログ」といったサービスが次々と現れる一方で、企業や公的機関までもが宣伝・広報活動のための情報発信手段として、ブログ形式のサイトを採用し始めた。

組織や集団だけでなく芸能人や有識者など、もともとは「インターネットの外」で影響力を誇っていた人たちも、同じく主張や意見を広く表明するために、あるいはファンと交流するために、自分の城──もとい出張所として、「ブログ」を活用するようになった。

 

ブログメディア」という言葉が頻繁に取り上げられるようになったのも、00年代後半頃からであるように見える。そこには個人の生活の記録や鬱屈した感情を吐き出す「日記」としてのブログはなく、お役立ち情報の発信や自社の商品を宣伝する「メディア」としてのブログの存在が色濃く現れるようになった。

さらに「個人」のブログ運営者の中からも、その広告費などで生計を立てる「プロブロガー」や、少し前には圧倒的な発言力と影響力を握る「アルファブロガー」といった人たちが出てきている。彼らのスタンスを見ても、主なコンテンツはお役立ち情報や社会問題への問題提起など、やはり「メディア」寄りの運営をしている人が大半であるように見受けられる。

 

つまり、多くの人の目に触れる人気の「ブログ」のほとんどが「メディア」としての要素を強くはらんだものであるために、「ブログ」=「お役立ち情報を提供してくれるサイト!」のようなイメージを持っている人が結構な数いるのではないかしら。

もちろん、そのイメージも間違いではないのだけれど……おそらくは数だけで見れば、日本のウェブに存在する「ブログ」の大多数は「個人の日記」なんじゃないかと思う。ブログの種類や性質が多様化し、広く認知されるようになったことで、もともとあった「ウェブログ」が微妙に霞んでいるような印象です。

 

「日記」的なブログ、「メディア」的なブログ

「書きたい!」が先にあるブログは「個人の日記」
「伝えたい!」が先にあるブログは「個人メディア」

あなたのブログは「日記」ですか?「メディア」ですか? - ぐるりみち。

 

自分は過去に、ブログに関してこのような区分けをしておりました。自分の自由に、好き勝手に文章を書き連ねる「日記」的なブログと、誰かにとっての役立つ情報や為になる知識を積極的に伝えんとする、「メディア」的なブログ。その2種類に大別できるのはないかしら、と。

当然ながら完全に線引きができるものだとは考えておらず、2つの欲求が混在しているブロガーさんが多いんじゃないかと思います。ただ、「どちら寄りか」をなんとなくでも意識することで、ブログ運営の指針とすることができるんじゃないかと考えまして。

基本的には好き勝手にぐだぐだと運営しているけれど、「どこかの誰かの役に立ったらいいな……」くらいの思いで記事を書くことはあるでしょうし、普段はできるだけ多くの人に読んでもらおうと戦略的に運営しているブログでも、「箸休め」的な記事を書かないとは限りません。

 

もしも「プロブロガー」を目指すのであれば、きっと「メディア」的な戦略を持って運営することになるのだろうし、アフィリエイトを重視するブログについても同様でしょう。ただ、個人の「キャラ」を出す意味で「日記」的な要素を取り入れるのは自然なことだと思うので、その辺はバランスによりけり。

この「バランス」が多分その人によって異なっていて、「自分にとって最適な運営方法」を見つけることが、「プロ」として食っていくひとつの要素なんじゃないかと、書いていて思った。そのために企業と協力関係を結ぶも、高知に移住するも、それはその各々の選択に過ぎず、誰にでも当てはまるものではないはず。

 

読み物として完成された本とは異なり、ブログは常に「未完成」

もう一点、少し前から考えるようになったのが、「『ブログ』って、いつまで経っても『完成』しないコンテンツだよね」ということ。

多くの場合はひとつのコンテンツとして「完成」させなければならない「本」に対して、ブログはその「ブログ」全体の視点で見ても、ひとつの「記事」に目を向けてみても、どちらも完成されていないというか──「完成」させる必要がないように映る。

 

他方で「ブログ論」や「文章術」に関する記事を読んでいると、やたらと構成や見出しを重要視している言説が多い印象を受ける。リード文はこう書く。目次は絶対に必要。見出しはいくつ。フォントの装飾はこう。最後は自分の感想で〆る──などなど。

これらの方法論は、伝えたいことを重視する「メディア」系のブログには必要な考え方だと思います。でも一方では、そのような「型」を重視するあまりそれに縛られてしまって、本当に伝えたいことがわかりにくく、かえって読みづらくなっている(と僕は感じられる)ようなブログをしばしば見かけるんですよね。

 

……ちゃうねん。テンプレはどうでもいいんです。
あなたの言葉で書かれた、あなたの文章が読みたいんです。

 

また、個々の記事を書くにあたって、毎回必ず「結論」を出さなければいけないという論調にも、僕は納得できません。

──別に尻切れだっていいじゃない。「本」じゃないんだから。無料なんだから。「個人の日記」なんだから。さらに言えば、過去の記事と主張が違っていてもまったく問題はないとも思うのですよ。そのとき、その瞬間の考えを文章にした、それだけのものに過ぎないんだから。

言い換えれば、ブログの最新記事は「最新版のオレ」そのもの。その時々における「現時点での自分の考え」を記したひとつの文章でしかなく、「本」のようにひとつひとつを完結・完成させる必要はないと考えています。

むしろ「私はこう思ったけど、あなたはどう思います?」「自分にはここまでしかわからなかったので、どなたか詳しい人に続きを書いてほしい」と読者さんに問いかけたり、丸投げしたりする形でも、なんら問題はないと思う。お互い、お金を払っているわけでもないですし。

 

目的を持って、それを実現するために、先人の知恵である「型」を利用するのは良い方法だと思うし、試すだけ試してみるのも悪くない。まとまりのある文章を書くために、少しでも「為になった!」と読者さんに喜んでもらえるように、質の高い記事を書こうとするのも、すばらしい心意気だと思う。

でも、それらに縛られることで息苦しさを覚えてしまったり、自分がブログを楽しめなくなったりしてしまっては本末転倒。あやふやな目的のままに「まわりがやっているから」でマネして取り組んだところで、意思なきところに道はなく。

ウェブ上でも常に完璧な自分を見せる必要はないし、「未完成なくらいがちょうどいい」の気概を持って事に当たるのも楽しそう。悩んでいるなら、悩んでいるそのことを書けばいい。「こんなに知ってるんだぜ!」じゃなくて、「これだけしか知らない……」でもいいじゃない?

 

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