人生をもっとシンプルにする『嫌われる勇気』とは?


 

 2013年末に発売され、今なお書店のおすすめコーナーでよく目に入る本、『嫌われる勇気』。春先のセールでKindle版が安くなっていたので、購入。先日、読み終えました。

 本書の中で示されているのは、アドラー心理学における「対人関係」「生き方」に関する視点と考え方。

 一般的に “常識” と考えられている言説とは異なる点が多く、それゆえ、読者に並々ならぬ衝撃を与えるため、各所で良書として取り上げられているような印象を持ちました。確かに、「そういうものもあるのか」という気付きは多く得られたように思います。

 

「アドラー心理学」とは

 まず、本書『嫌われる勇気』の主題となっている、「アドラー心理学」とは何ぞや?という点から。

 アドラー心理学の創設者、アルフレッド・アドラー*1は、19世紀末から20世紀初頭にかけてオーストリアで活動していた、精神科医であり、心理学者。

 心理学と言えば、おなじみのフロイト先生*2ユングさん*3が日本では有名ですが、アドラーも彼らと同時期に活躍しており、フロイトとは共同研究も行なっていたそうな。同じく現代の心理療法の確立に貢献しているにも関わらず、あまり話題に挙がることはなかったらしい。

 

 言われてみれば、僕が心理学に興味を持って、高校生の頃にちょろっと書店で入門書的なものを読みあさっていた時期にも、 “アドラー” の名前を見た記憶はない。「はじめてのフロイトと精神分析学」とか、「サルにも分かるユング心理学」とか、そんな感じ。

 そんな存在感の薄いアドラーが提唱していたのは、「個人心理学」と呼ばれるもの。重要なキーワードとして、「目的論」「ライフスタイル」「共同体感覚」「劣等感」「勇気づけ」といった単語が挙げられます。

 

 この「勇気づけ」こそが、本書のタイトルである『嫌われる勇気』の中でも使われているように、肝となる部分。多分、アドラー心理学の思想としては「共同体感覚」が最重要ポイントなのだろうけれど、本書では最終的に「勇気」へと帰結するような論旨展開を採用している模様。

 場の空気を読み、他人の顔色を窺いがちと言われる日本人にとって、この “嫌われる勇気” という物言いには、少なからず何か感じさせられるものがあり、関心を惹く言い回しになっているのではないかしら。僕もホイホイ釣られて読んだ口ですが、釣られて良かったと思える内容でした。

 

目次と内容

 本書『嫌われる勇気』は、アドラー心理学の解説書でありながら、「青年と哲人の対話篇」という物語形式をとっております。

 理屈っぽく激情家。プライドも高い。「自分自身が嫌い」と断言し他人の顔色を窺って生きてきたという、どうも多くの日本人の悩みが凝縮されたような青年が、とある哲学者の部屋を訪れ、2人の会話を読み進めていくという形です。

 ざっくり言えば、こんな流れ。

 

青年「ふふん、貴方など軽く論破してやりますよ」

哲人「アドラー心理学ではこういう考え方があります」

青年「詭弁だ!貴方は偽善者だ!そんなの信じられるか!」

哲人「こうこうこういう考え方があり、アドラーはこう語りました」

青年「ぐぬぬ……ちくしょう!また来る!覚えていやがれください!」

 

 好戦的ながら、できるだけ多くを学ぼうという姿勢を持っている青年に対して、穏やかな口調ながらも、突き刺さるようなアドラー心理学の考え方を展開する哲人によって、青年が完膚なきまでにフルボッコにされる話。もうやめて!青年のライフはゼロよ!

 本書は全5章の構成になっているので、上記の流れが5回、繰り返される格好ですね。

 

  • 第一夜:トラウマを否定せよ
  • 第二夜:すべての悩みは対人関係
  • 第三夜:他者の課題を切り捨てる
  • 第四夜:世界の中心はどこにあるか
  • 第五夜:「いま、ここ」を真剣に生きる

 

 脳内でなぜか『ハリー・ポッター』の世界観が展開されていた僕は、勝手に「哲人=ダンブルドア」「青年=ハリー」と変換して読んでいたのですが、最終的には「哲人=ヴォルデモート」「青年=マルフォイ」になってた。おじぎをするのだ、ポッター。

 

第一夜:トラウマを否定せよ

 第一夜は、導入部。アドラー心理学をざっくり説明しつつ、青年の抱える悩みと問題点を明らかにしていく形。

 

アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。

アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック——いわゆるトラウマ——に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。

 

怒りとは出し入れ可能な「道具」なのです。電話がかかってくれば瞬時に引っ込めることもできるし、電話を切れば再び持ち出すこともできる。

われわれは感情に支配されて動くのではありません。そして、この「人は感情に支配されない」という意味において、さらには「過去にも支配されない」という意味において、アドラー心理学はニヒリズムの対極にある思想であり、哲学なのです。

 

アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ〝勇気〟が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。

 

 どっかのラノベの主人公の台詞が聞こえてきた。そげぶ*4

 

第二夜:すべての悩みは対人関係

 第二夜では、 “すべての悩み事の理由は対人関係にある” として、自分と他人を比べる競争を否定し、他者を変えようとするのではなく、自ら変わろうとするのがアドラー心理学の目的だと説明しています。

 

劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のことを指します。

自らの劣等コンプレックスを言葉や態度で表明する人、「AだからBできない」といっている人は、Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ、と言外に暗示しているのです。

 

人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。だからこそ、「自分の誤りを認めること」を、そのまま「負けを認めること」と考えてしまうわけです。

 

 むやみやたらに「論破」したがる人は、まさしく。

 

第三夜:他者の課題を切り捨てる

 続いて、物事をシンプルにするための考え方として、「課題」の切り分けという考え方を示すのが、第三夜。

 人は自分のために生きるべきであり、他者の期待を満たすため、彼らの「課題」まで引き受ける必要はない、と。ゆえに、アドラー心理学は「承認欲求」を否定しています。

 

まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。 そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。

 

「自由とは、他者から嫌われることである」

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。

 

 言いたいことも言えないこんな世の中じゃ*5

 

第四夜:世界の中心はどこにあるか

 第四夜では、アドラー心理学の根っこの思想、「共同体感覚」について。

 本章を読んでいて思い出されたのが、少し前に読んだ、『“ありのまま”の自分に気づく』という本。 “ありのまま” という言葉がたびたび使われていたこともあり。れりごー。

 

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。

共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

 

「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」

 

 いつやるの?

 

第五夜:「いま、ここ」を真剣に生きる

 最後に、まとめ。ありのままの自分を受け入れ、幸福に生きるための考え方。

 

神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかと「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を使います。「みんな自分を嫌っている」とか「いつも自分だけが損をする」とか「すべて間違っている」というように。もし、あなたがこれら一般化の言葉を口癖としているようなら、注意が必要です。

 

われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。

人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

 

 明日は明日の風が吹く*6

 

人生はもっとシンプルでも良い

 正直なところ、本書のまとめ方はちょっと強引に感じました。

 

 幾度となく激おこぷんぷん丸へと変貌していた青年が、そこに至るまでにも何度か語られていた哲人の言葉ひとつで、「ぼくはここにいてもいいんだ!」とエヴァ最終回ばりかそれ以上の急変っぷりを見せたので、思わず吹いた。そこで、「あ、もうまとめか」というのは分かったけれど。

 もちろん、解説するにあたって “物語形式” という分かりやすい形を採用しているだけなので、強引な展開にツッコむ必要なぞないのですが。それまで感じながらも、読み流せていた自己啓発セミナー的な胡散臭さが、ラストでにわかに押し寄せてきたので。おうふ。

 

 そんな読後感はともかく、通して読めば、あまり耳にしたことも読んだこともない独特の視点による考え方が多く、気付きの多い良書であったように思います。

 ところどころ既視感を覚えていたのはきっと、学生時代に微妙にアドラー心理学を学んでいて、それを忘れていたせいなんだろう、きっと*7

 アドラー心理学の全てに納得する必要はないし、実践しようとしても、むちゃくちゃ難しいものだと思う。それでも、「こういう視点もあるんだよ」ということを知っておくだけでも、悩んだとき、苦しいときに、頭を切り替えるきっかけになるかもしれません。

 よりシンプルに。自分だけの人生を、楽しもう。

 

 

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