胸の奥底にしまい込んだ、青春の残り火を保管してある部屋の扉を、常にノックされ続けているかのような映画体験だった。
原作もジャズも知らないけれど、最高の映画だった
映画『BLUE GIANT』を観た。原作は未読。初期衝動に促されるまま、ひたむきに、愚直に、青臭く、感情の火を燃やし続ける3人の物語。わずか2時間のあいだに、三者三様の挑戦と挫折、交錯する人生模様が描かれる、極上のセッションだった。
少しでも本作が気になっている人は、マジで映画館に観に行ってほしい。今のうちに。ブログで映画の感想を書くと結構な頻度でこう言っている気もするけれど、家で観るのと、劇場の大画面&大音響で味わうのとでは、間違いなく別体験になってしまうから。
例によって、立川シネマシティの極上音響上映で鑑賞した本作。冒頭で響いたサックスの音色の、その最初の一音で、一気に引き込まれた。「映画」というよりは、これから「音楽」が始まるのだと観客に知らせるかのような、音の振動。サックスの音の振動だけで「これはヤバそう」という予感があり、「これがライブシーンとかになったら……どうなっちゃうの〜!?」などと期待感は高まるばかり。チビるんじゃないの〜〜〜??
結論。ちびりはしなかったけれど、泣きはした。それも、いわゆる「感動の涙」ではなく、「感情が高ぶりすぎた結果、自然と泣けてきた」というベクトルで。ついでに、どうやら、泣きながらニヤニヤもしていたらしい。ライブシーンが終わるまで自覚していなかったのだけれど、あとで振り返ってみたらニヤケっぱなしだった。ヤバい。楽しい。最高。
シネマシティのトンデモ高性能スピーカーによって全身を揺さぶられる、耳ではなく「体で聴く」ような体験がすんばらしかったのは言わずもがな。
同時に驚きだった――というか想定していなかったのが、映像の良さ。「超絶技巧の作画!」とか「自然なモーションで再現された3Dアニメ!」とかではなく、どちらかと言えば「アーティスティック」とか「エモーショナル」といった言葉で表現されそうな、アニメーション表現が想定外に良かった。
大きなスクリーンをたっぷり使って、時に激しく、時に繊細に、そして色彩豊かに描かれる、「音」の表現。サックスに反射し煌めく閃光。ダイナミックな奏者の体の動きと、滴る汗、溢れる涙。奏でられる音に吸い込まれ、そのまま飲み込まれるんじゃないかと錯覚する、奥行きのあるアニメーション。“こちら側”まで飛び出して、まるで空間を侵食していくかのようにすら感じる音と光の奔流に、心も体も揺さぶられっぱなしだった。
その結果が「ニヤけながら泣く」という、傍目から見るとヤバい有様だったわけです。我ながら、そして毎度のことながら、ヤバい。
俺たちが、玉田ファンのおじいちゃんだ
もう一点、外せないのが、玉田の存在だ。
――玉田。そう、玉田である。
玉田がとにかく、カッコいい。
サックスに、ジャズに、音楽に、一所懸命に向き合う友人の姿を目の当たりにして、「オレも……!」と焚き付けられた玉田。しかし当然、一朝一夕でドラムができるようになるわけもなく、己の力不足と不甲斐なさを自覚し、うなだれる玉田。それでも、自分の感情にひたむきに、投げ出さず、「オレがやんだよ!」と立ち上がる玉田。
そんな玉田にひたすら感情移入していたので、ファンのおじいちゃんからの「君のドラムを聴きに来ているんだ」という言葉を聞いて涙する玉田を、思わず抱きしめたくなった。玉田……。愛おしいぞ……玉田……。そうやって玉田に寄り添う感情が臨界点を突破した結果、最終的には、玉田の成長を見守るおじいちゃんに自分を一番重ねてしまっっていたほどだった。俺が、俺こそが、玉田ファンのおじいちゃんだ。
そういえば自分も、数年前に「バンドやろうぜ!」の話に乗っかって、スタジオに行って初めてドラムを叩いたこと、教本とスティックを買って練習していた時期が、少しだけあった。「周りはみんな経験者で、自分だけがド素人」という状況。結局、その活動はまもなく瓦解してしまって、一度もどこかで演奏を披露する機会はなかったのだけれど。
でも、「周りが演奏を続けるなか、自分だけが叩けなくなる」ことで感じる申し訳なさと焦燥感には心当たりがあったので、そこでもまた「玉田っ……!」と気持ちを重ねてしまった。ドラムは中途半端で入り口にすら立てなかった自分だけれど、和太鼓の舞台で失敗した経験はあるので……わかる……わかるぞ……! 徐々にズレていくリズムに気づいたときの焦りと絶望感は……!
そう、玉田ファンのおじいちゃんもそうだけれど、この作品は、大人もみんなカッコよかった。ひたむきに音楽と向き合う若者を、ある人は近くで応援し、ある人はファンとして見守り、ある人は叱咤激励する、大人たちの姿。玉田ファンのおじいちゃんもそうだし、雪折ファンの豆腐屋さんのような立ち位置が、これまたいい。
もしかすると、劇中でそんな「大人」たちの姿がしっかりと描かれていたからこそ、最後のライブシーンでこれ以上ないほどに没入できたのかもしれない。だって、3人を応援する大人たちの姿は、映画館のスクリーン上で展開する3人の物語に見入っている、僕たち観客の姿そのものじゃないか。それはまるで、劇中のジャズクラブの空間が映画館を侵食して、自分たちも客席に座ってライブを聴いているかのような体験だった。
考えてみれば、「音楽」って、あのくらいカジュアルに楽しみに行っていいんだよね。
知識も経験もなくても、ふらっとお店やライブハウスに入って、演奏を楽しんだっていい。あるいは、普段は通り過ぎる路上ライブの歌声に足を止めて、聴き入ってみてもいい。そこでちょっとでも心を動かされたなら、応援の気持ちで投げ銭をしたり、CDを買ったりすればいい。ネットでは当たり前にやっている応援を、リアルでも気軽にやっていきたい。
たとえその場限りの出会いだとしても、がんばる人を素直に応援するような大人でありたい。あり続けたい。心からそう思える映画だった。