映画館で予告を見て、「これは外せない」という予感があった。
「この映画は100%すべてPC画面の中で展開する」。
この一言だけで、興味を惹かれるのには充分だった。
親の声よりも聞いたMacの起動音に、365日欠かさず見ているChromeとGmailの画面。映画館の大きな “画面上” に登場するサービスは、自分がよく知るものばかりだった。Facebook、Twitter、Instagram、YouTube──などなど。FaceTimeは馴染みがないけれど。
本作『search/サーチ』は、そんな “画面” の中だけで物語が展開する。
突如、行方不明になった女子高生。その娘を探すべく奮闘する父親。手がかりを得るために覗いたSNSアカウントから、初めて知る彼女の交友関係。そして深まる謎──。
「画面上だけで物語が展開する」と聞いて、映像的には単調でつまらないものになるんじゃないか……と思っていたら、とんでもない。目まぐるしく移り変わる画面に、散りばめられた伏線。そして随所に挿入された「ネットあるある」なネタにニヤリとさせられ、最後までまったく飽きることがありませんでした。
※前半の展開には触れていますが、核心的なネタバレは避けて感想をまとめています。
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冒頭5分、パソコンの画面だけで「家族」の物語を追う
映画は、Windows XPのホーム画面から始まる。
──そう、見慣れている人も多いだろう “あの壁紙” です。
スタートメニューからコントロールパネルへ。画面上のカーソルは「新しいユーザー」を選択し、作られたアカウントの名前は「マーゴット」。そしてウェブカメラを通した映像には、仲睦まじくパソコンを操作する夫婦と少女の姿が映る。
そんな映像から、本作は始まります。
共用のPC上に記録されていくのは、娘・マーゴットの成長と家族の思い出。画面にはカレンダーのポップアップや写真フォルダ、YouTubeに投稿された動画(YouTubeが初期デザインだ!)などが次々に表示され、3人で過ごした家族の時間を順に追っていく。……Microsoft社のPVか何かかな?
この冒頭部分は「映画.com」で公開されているので、本作が気になった人はぜひチェックしてみてください。実際に見れば、この約4分間だけでも「PC画面の中だけ」でストーリーが展開していることがわかるはず。──闘病生活に入った母親・パムがこの後、どうなってしまうのかも。
以上のような導入を経て、時系列は現在へ。
以降は、主に父・デビッドの主観──もとい彼が操作するPC画面──を中心に、物語が展開していく格好。この冒頭部分だけで多くのサービスやソフトが登場しているので、意識して見てみるとおもしろいかも。Skype、Gmail、eBay、Windows Media Player、AIMほか。
表情がなくても「画面」上から伝わる感情
本編ではまず父娘のFaceTimeによるやり取りがあり、やがてマーゴットから返信が届かなくなる。
デビッドも朝の時点ではあまり気にしていなかったものの、さすがに半日も返事がないと不安になってくる。その心配っぷりときたら、ウェブ上で仕事の会議をしている最中にもチャット欄を気にするほど。年頃のひとり娘だもんね……そりゃあ、うるさいくらいに気をかけたくなるよね……。
「娘を心配するパパ」として徐々に不安が大きくなっていく様子は、FaceTimeに映る表情からも一目瞭然。と同時に、顔の表情や声以外、「画面」上の動作からもデビッドの感情が垣間見えるような作りになっており、それが本作の大きな特徴となっている。
たとえば、音信不通になったマーゴットの動向を調べるなかで、「娘は自分に嘘をつき、学校をサボって山中へキャンプに行っている」という話を聞いたとき。
その場面ではFaceTimeをビデオ通話の形で起動していなかったので(多分)、デビッドの表情はわからない。ただ、そこで「勢いよくチャット欄に打ち込まれる説教のメッセージ」が表示されれば、そのタイピング速度と長文っぷりから、彼が激おこ状態であることは明らかだ。
しかもそれだけでは終わらず、ふと文末の「!」を「.」に修正したかと思えば、次の瞬間にはメッセージを全削除。それを見れば、「あー、送信する前に冷静になったんだな……」ということが自然と推測できる。とりあえず勢いで書いちゃうけど、送信する瞬間に冷静になるんだよね……。
ただでさえ「PCの画面上だけで時間経過と出来事を描写する」必要があるなかで、「父親の感情の揺れ動き」の表現・演出にもしっかりと気を遣っている。それが、カーソルの挙動や画面上の動きから伝わってくるんですよね。見ていて自然とデビッドに感情移入してしまうし、次から次へと明らかになる事実に打ちのめされ、結末の読めない展開にドキドキさせられた。がんばれ……パパがんばれ……。
「娘のアカウントを覗く父親」の姿に悶える
で、それだけ各シーンの「画面」が作り込まれているとなれば、当然、作中に登場するインターネットの世界も精巧にできているわけで。
なんちゅーか、あまりにもリアルというか、見に覚えのあるあれやこれやがあったりなかったりで、見ていて思わず「ウッ」とダメージを食らうシーンが何箇所かありました。マーゴットの行方を知る友人がいないか調べるべく、彼女のSNSアカウントにログインしたデビッド。そこで明らかになる真実とは……!
- 鍵アカウントは基本
- フォロー>フォロワー
- Facebookの「友達」は多い
- でも「いいね」は少ない
- しかも学校ではぼっち
- Tumblrはいいぞ
極めつけは「娘の生放送(来場者数1桁)のログを見る父親」という、人によっては地獄に感じるような光景が。ネット弁慶かつ陰キャな自分からすれば絶叫したくなるような事態であり、見ていて辛くなってきてしまった。やめて……お願いだから……それ以上いけない……。
でも同時に、その交友関係を見たデビッドの「本当の『友達』はどこにいるんだ!?」という叫びが、SNSの本質を突いているように感じられたのも事実。さらに失踪したマーゴットが「事件」として取り上げられて以降は、まるで現実のネットのような光景が広がっていく。
知ったふうな口で事件にふれる人。下世話な書き込みをする人。父親に共感する人。アクセス稼ぎに利用する人。ネタ画像を作る人──。
もちろん、ネットなくしてこの物語は成り立たないし、本作は、各サービスを活用することで真実が明らかになっていく構造を持っている。ただ、そのようなネットの利便性に触れつつも、昨今のフェイクニュースやトレンドブログなどの問題をそれとなく示唆していることも間違いない。
つまり、良くも悪くも等身大に近い、現在の「インターネット」の姿が描かれている──と、そのように感じられた。それでいて、冒頭で登場する初期のYouTubeや過去のサービスに懐かしさを感じるように、本作に映るインターネットも、いずれ「懐かしい」ものとして語られるようになっていくのではないかしら。
次々に明らかになる謎に、最後まで目が離せない
混沌極まりないネットの景色と呼応するように、そして事態が進行するにつれて、荒々しく感情的になっていくデビッド。そして最後に明らかになる真実は──まったく予想外のものだった。
目まぐるしく移り変わるPC画面には、たしかに伏線らしきものがいくつも散りばめられていたし、少なからず気づくことはできていた。けれど、それが何を意味するものなのかまでは想像が及ばなかったし、二転三転する展開にも驚かされっぱなし。
結局は最後まで “予想外” の連続で、それゆえ最高に楽しむことができた感じです。特に終盤に明らかになる謎は盲点というか、日本のネット上における「あるあるネタ」でもあったので、「そうきたかー!」感がすごかった。……舞台が日本で、僕がパパの立場だったら間違いなく気づいてたな! うん!
正直に言えば、宣伝文句の一部にツッコミどころがあるような気がしなくもないのだけれど(「正確には “PC画面” 100%じゃないよね?」とか)、映画本編はむっちゃおもしろかったし、人に勧めたいと思える作品でした。
特に、長年にわたってインターネットと親しんできた人にこそおすすめしたい。黎明期から触れてきた人はもちろん、逆に幼い頃から身近にあったデジタルネイティブ世代にも。普段からネットを身近に感じている人ほど細かな部分に視線が向くだろうし、あれこれ発見して語りたくなるはずなので。
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