ラスト1ページに本気で身震いした青春ミステリ『その日、朱音は空を飛んだ』感想


武田綾乃著『その日、朱音は空を飛んだ』感想・要約サムネイル

 小説『その日、朱音は空を飛んだ』は、『響け!ユーフォニアム』の武田綾乃@ayanotakeda先生が綴る、青春ミステリである──。

 本作を一言で紹介するなら、こんな感じになるんじゃないかと思う。

 実際、作品紹介や帯には「青春ミステリ」「スクールミステリ」などと書かれているし、読んだ感触としても、その文句は間違いなかった。ひとつの謎が提示され、徐々に解き明かされていく物語。ただし探偵物ではなく、複数人の証言をもとに物語が進行し、その過程で読者が「真実」を知るような展開となっている。

 ところがどっこい。

 たしかにジャンル上は「ミステリ」ではある……のだけれど、それだけではなかった。作中の謎が気になる一方で、「青春群像劇」としても本作はおもしろかったのです。

 登場するキャラクターの関係性と各々の心情が、それぞれの主観から、驚くほど緻密に描かれている。そのあまりの生々しさに、「学校こわい……」と在りし日の青春時代を思い出してしまったほど。閉鎖性が生み出すスクールカーストや、交友関係の狭間で生まれる嫉妬の感情、肥大化しがちな思春期の自尊心が、めちゃくちゃリアル。本書を読んだ人の多くが、きっと登場人物の誰かしらに共感できるのではないかしら。

 そのような特徴もあり、途中からは「ミステリ」というよりも、「(お互いにめちゃデカ感情の矢印が行き来するキャラクターの相関関係が描けるタイプの)学園青春もの」として読んでいた……のだけれど。

 ここで再びの、ところがどっこい、でございます。それでもまだ、終わりじゃなかった。本作の魅力は、本作を本作たらしめる衝撃は、最後の最後に待ち構えていた。

 すべての謎が明らかになった後に紡がれる、エピローグ。

 プロローグで語られた出来事が別の視点から再演されたその最後の最後、ラストシーンで示された、もうひとつの「真実」。それが、どうしようもなく残酷で、狂おしいほどに純粋で──そして、神の視点で物語を追ってきた僕ら読者にとっても想定外で、衝撃的なものだったのです。

 「これって、あれじゃん!」と思い、Twitterで検索してみたら……案の定。自分と同じ感想を持った人が、数多く見つかりました。それすなわち、

 

 ──ミステリだと思ったら、ホラーだった。

 

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ひとつの「謎」を取り巻く、人間模様のグラデーション

 さて、あらかた説明してしまった感じはありますが、せっかくなのでもう少し詳細をば。

 『その日、朱音は空を飛んだ』は、2018年発売の青春ミステリ。書店で鮮やかな表紙がたまたま目に入り、気になって著者名を見れば、『響け!ユーフォニアム』の武田綾乃先生じゃありませんか! こりゃあ読むしかあるめえと、ほぼジャケ買いのノリで購入した格好です。

 物語は、タイトルでもふれられている “朱音” ──川崎朱音という少女が、学校の屋上から飛び降りたシーンから始まる。視点の主は、その様子を屋上から目撃していた、誰か。なぜ “朱音” は飛んだのか。いじめはあったのか。遺書は遺されているのか。そして、彼女が飛び降りる様子を目撃した人物は、なぜそこにいたのか──。

 これらの謎について、それぞれに別の人物の視点から迫っていくのが、本作の流れ。 “朱音” の幼馴染み、恋人、友人、クラスメイトの女子、クラスの中心メンバーである女子、クラスメイトですらない男子──そして、飛び降りた “川崎朱音” 本人の視点からも。

 そんな立場の異なる7人の口から語られる事件は、グラデーションに富んでいておもしろい。

 悲しみに暮れ、学校を休む幼馴染み。なぜ自分に何も相談しなかったのかと悔やむ恋人。「いじめがあった」とまことしやかに噂するクラスメイト。身近な人間が涙する一方で、関わりのない人にとっては話のタネでしかない事件。このような光景は、僕らの日常でも見られるように感じる。

 しかし一方で、事はそう単純ではありません。
 それこそ、僕らの日常がそうであるように。

 前半、クラスメイトの女子や無関係の男子の主観では、 “朱音” と近しい関係にあった人物たちが、たしかに悲しんでいる様子がわかる。彼女がこの世を去ったことで恋人は落ち込み、幼なじみにいたっては学校を休んでいる。それは、間違いない事実として秒刺されている。

 でも同時に、本作の後半で、恋人や幼なじみの視点で語られる心情は──もちろん悲しんではいるのだけれど──もっと多面性をはらんだものとなっている。

 幼なじみや恋人のモノローグで綴られるのは、「 “朱音” との関係」や「彼女に対する想い」といった、二者間の要素だけではない。語られるのは、彼ら彼女らの「自尊心」や「クラス内での立ち位置」といった内外の要因も関わることで形作られた、一個人の複雑な感情や思考。当然、そのような幼なじみや恋人の心の機微は第三者目線では観測できないし、「悲しい」という一言で説明できるはずもない。

 つまり、幼なじみだからといって、これまでずっと仲が良かったとは限らない。恋人だからといって、お互いのすべてを受け入れられていたとは限らない。そんな「当たり前」の人間模様と、さまざまな感情が入り交じったグラデーションを、この物語では節々から感じることができるのです。

物語られることを拒否する物語

 7人の視点から語られるこの物語は、「誰もが主人公である」とも言えるし、「誰もが主人公でない」とも言える。読み手の印象にもよるだろうし、冒頭でふれたように、7人の誰に共感するかも人によって異なってくるはず。

 「物語の主軸になっている」という視点で見れば、タイトルにもある “朱音” その人が主人公のようにも映る。実際、彼女の主観で語られるページもそこそこあるし(とはいっても、他の6人と大差はないのだけれど)、そもそもこれは、彼女が行動を起こしたことで動き出した物語だ。謎を解き明かす探偵が不在である以上、最初に行動した人物こそが主役であり、彼女自身の「物語」として、この出来事は物語られるべきなのでしょう。

 僕自身も、読み進めているあいだは “朱音” の物語として読んでいた……のだけれど。今となっては、「それはない」と断言できる。残念なことに。これは、間違いなく「 “朱音” が空を飛んだ”物語」であるのだけれど、同時に「 “朱音” のための物語」ではないのです。

「世界はね、生きている人のためにあるべきなの。死んだ人間のために今生きている人間が犠牲になることは絶対にいけないことよ。だから、誰かの死のせいで生きてる人が不当に傷付けられないよう、人間には真実を曲げる権利がある」

(武田綾乃著『その日、朱音は空を飛んだ』Kindle版 位置No.2,333より)

 その「もうひとつの真実」をようやく理解できたのが、冒頭でもふれたラストシーン。

 ある種のどんでん返しではあるかもしれないけれど、結末は何も変わらない。ひとりの少女が飛び降り、この世を去った。──そう、「物語」としての内容は、何も変わらない。にもかかわらず、ラストのわずか数行で「物語」の意味合いが大きく変わってしまった。その事実と展開に、本気で身震いさせられてしまったのです。

「私たちの青春を語るな」

 そこに至って、あらすじに書かれていた一言も腑に落ちた。思春期の少年少女の叫びのようにも、キャラクターの総意のようにも聞こえる、この一言。ひとつの物語として成り立っていながら、物語ることを許さない──そんな強い意志が、どこから、誰から発せられていたのか。

 これは、「世界は君の思いどおりにはならない」という、当たり前で、現実的で、どうしようもなく残酷な真実を突きつける物語。著者の作品を知る人も知らない人も、ミステリを普段読む人も読まない人にもおすすめの、極上の青春群像劇です。

 

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