読書会の目的とは?『読書会入門』を読んで“読書”に思いを馳せる


『読書会入門』感想レビュー

読書会は、本を読む一つの技法です。

(山本多津也 著『読書会入門――人が本で交わる場所』Kindle版 位置No.67)

 『読書会入門――人が本で交わる場所』(幻冬舎)は、文字どおり「読書会」の開催方法と魅力、そしてその効用を教えてくれる本だ。

 複数人で集まり、1冊の本について語り合ったり、お互いにおすすめの本を紹介したり、朗読をしたり。そんな集まりに、一度は参加したことがあるという人も多いんじゃないかと思う。本書が取り扱うのも、まさしくそんな「読書会」だ。

 ただしその内容は、読む前に想像していた「読書会のハウツー」的なイメージとはかけ離れたものだった。

 学校や会社で半強制的に参加させられる、堅苦しいイメージの「会」とは別物。本書で紐解かれる「読書会」とは、読書を通して何かに活かそうとする「学びの場」でもあると同時に、本を読まない人でも思わず参加したくなるような、そして他人と話すのが苦手な人でも興味を引かれそうな、「楽しいイベント」を指すものだった。

 僕らにとって身近な「本」という存在を、ますます身近なものとしてくれそうな、心惹かれる催し物。本書はそんな「読書会」を通して、もともと読書が好きな人には新たな「読み方」を、普段はあまり読書をしない人には、その「楽しみ方」を教えてくれる。

 「読書会」というテーマにとどまらず、「本」と「読書」の魅力を再発見させてくれる、素敵な本でした。

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「猫町俱楽部」とは

 「猫町倶楽部」という言葉を聞いたことはあるだろうか。

 一度でも「読書会」に興味を持ったことがある人であれば、もしかしたらどこかで聞いたことがあるかもしれない。

 猫町俱楽部は、「日本最大級」を謳う読書会コミュニティである。

 1年間で約200回の読書会を開催し、年間ののべ参加人数は約9,000人。10代から70代まで幅広い参加者が集う、全国的にも有名なイベント。たびたびメディアでも取り上げられており、「読書会といえばここ!」という印象も強いので、見聞きしたことがある人も多いのではないかしら。

 その猫町俱楽部の発起人こそ、本書の筆者。2006年から現在に至るまで猫町俱楽部を取り仕切り、数え切れないほどのイベントを主宰し、一大コミュニティにまで育て上げた中心人物。それでいて本業は別にあるというのだから驚かされる。

猫町倶楽部

https://nekomachi-club.com/ より

 そんな筆者が友人を誘い、4人で『人を動かす』をテーマに読書会を開催してから、今年で14年になるのだそう。

 もともとは「名古屋アウトプット勉強会」という名前で始まったmixiコミュニティが、やがて文学作品を取り扱うようになり、東京にも進出。ゲストを招いたり、クラブイベントを開催したりといった「遊び」も取り入れつつ、どのように拡大してきたのか。本書の前半では、そのような「猫町俱楽部」の概要と変遷が説明される。

 このあたりはぜひ実際に読んでいただきたいのですが、個人的には「ドレスコード」の話がおもしろかった。

 その日のテーマ本にまつわるドレスコードを指定し、参加者には特定の色やデザインを取り入れた装いで会場に来てもらう。そうすることで「本」以外にも会話のとっかかりが生まれ、初対面同士や初参加の人でも輪に入って話しやすくなる――ドレスコードには、そんな効用があったそうな。「投票でベストドレッサー賞を決める」というのも、楽しそうでいいですよねー。

「コミュニティというのは生き物である」

 いろいろな「遊び」を取り入れることでリピーターも多い一方、初心者向けの読書会も頻繁に開催し、新規参加者も少なくない猫町俱楽部。これだけ大きなコミュニティを長年にわたって運営するとなれば、さぞ細かな規則が設けられているのだろう──と思いきや、そんなことはなかった。

 むしろ「合議制にはしない」「ヒエラルキーを作らない」「運営ポリシーは明文化しない」といったガチガチに固めないスタンスで運営しており、それが猫町俱楽部の特徴であり、魅力ともなっているのだとか。このあたりの話は、コミュニティ論としても興味深く読めた。

 筆者曰く、「コミュニティというのは生き物である」

 どんな人に対しても広く門戸を開き、諸々を「決めない」ことで柔軟に対応していく。と同時に、参加者一人ひとりにも「猫町俱楽部ってどういう場所なんだろう?」と考えてもらいながら、一緒にコミュニティを作り上げていく。そうやって猫町俱楽部は、大勢が気持ちよく過ごせる「居場所」となっていったのだそうだ。

参加条件は課題本となっている一冊を読み終えることだけ。入口も出口もいつでも全開にしておくというこのやり方は、ビジネスの常識から考えれば落第点でしょうが、持続するコミュニティを形成、維持するというシンプルな目的の上では案外デメリットは少なく、むしろメリットの方が多いのではないかと感じています。

(中略)

新しい人がやってきて、組織の文化を理解し、継承してくれる常連さんに育つと同時に、仮にもしその人達の都合が悪くなれば、無理せずいつでも参加をストップできる。そしてまた状況が変わるなり、気が向くなりすれば、いつでも戻ってくることができる。参加者の流動性を担保することは、健全なコミュニティを運営する上で不可欠です。

(同著 Kindle版 位置No.1236)

「本の読み方」のひとつとしての「読書会」

 しかし、そんな猫町俱楽部にもひとつだけルールがある。それが、これだ。

「他人の意見を決して否定しないこと」

 なぜかといえば、「読書会は、何が正しく、何が間違っているかを決める場ではない」から。1冊の本にも十人十色の読み方があり、感想があり、思いがある。自分が感じたことを主張するにしても、そこでわざわざ他人の意見を否定したり、論破したりする必要はない──。たしかに仰るとおりだと思う。

 他の人の話を聞いて、「その発想はなかった」「そういう見方もあるのか」と、自分ひとりでは得られなかった視点に気づき、学びとすること。それが、「みんなで読む読書」としての「読書会」の魅力であり、本質でもある。

 なればこそ、「読書会は、本を読む一つの技法」である、と。

 すでにこのような読み方をしている人からすれば、「何を今更」と思われるかもしれない。ただ、久しく「本」について誰かと言葉を交わしてどうこう話す機会がなかった自分には、このような「読書の楽しみ方」を実例を交えながら説明している本書は、とても素敵に感じられたんですよね。

 加えて、以下の部分にも強く共感できた。

煮え切らない状態を抱え続ける力。安易に白か黒かをはっきりさせず、グレーに留まり続ける力。私はこれこそ「知性」ではないかと思います。これだけあらゆる情報に溢れた今なお、本を読むべき理由、そして、読んだ本について正解のない中で語り合う目的は、こういった意味での知性を養う、ということにあるのです。

(同著 Kindle版 位置No.563)

 「曖昧さを抱え続けることが知性」だと語る筆者の言葉は、何事においても白黒つけようとしがちなSNSに浸りきっていた自分に、とても優しく響くものだった。

 もちろん、主張をはっきりさせるのが大事な場面も日常においては少なくない。けれど、あらゆる主張や物事はグラデーションに過ぎないのだから、あえてグレーにとどまり続けることが大切になる場合もある。少なくとも、僕はそう思う。

 自分がずっと抱いていたそんな思いが、「読書」に関連して語られているのを読んで、なんというか……嬉しかったというか、ほっとしたのかもしれない。複数人で行う「読書会」についてのみならず、「本を読む」という行為そのものを再考させられる、まっこと刺激的な1冊だった。

 そんな猫町倶楽部ですが、やはり流行り病の影響もあり、現在はZoomでのオンライン開催が中心となっている様子参考リンク。これまで参加をためらっていた人は、むしろ飛び込んで見るチャンスかもしれません。僕も参加してみようかな。でもやっぱり、カメラでの顔出し必須かー。バーチャルアバターでの参加はダメかしら……。

 

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