疲れた。悲しい。怒った。面倒くさい。やる気が出ない──。仕事や勉強で失敗したり、人間関係がうまくいかなかったりすると、自然とネガティブな気持ちがこみ上げてくることがある。
そうして脳内を占拠したマイナス感情は、「寝れば忘れる」という人もいるが、なかなか頭の中を離れてくれない。時として居座り、ストレスへと変換され、ひたすら他人や自分を攻撃しはじめる。ダルい。ウザい。かったるい。もうやめてくれ。放っといてほしい──。
そんなとき、どのようにしてストレスを解消すればいいのだろう?
方法は人によってさまざまだと思う。晩酌で気を紛らすとか、友人に愚痴を聞いてもらうとか、1人カラオケで大声を出して発散するとか、週末に遠出してリフレッシュするとか。そういったときこそ「趣味」の出番であり、ストレス解消のために楽しんでいる人も多いはず*1。
しかし、それらはあくまで「一時的な退避でしかない」という見方もある。ネガティブをポジティブで上書きしたからといって問題が解決するわけではなく、寝て起きれば、嫌でも悩み事と対面することになる。先送りにし続けるわけにもいかず、傷つきながらも解決に導かなければならない。
もちろん、いざ面と向かって闘った結果、打ち勝つことだってある。悩み事は解消され、きっと晴れ晴れとした気持ちになるだろう。問題解決。完全勝利。
けれど、それもずっとは続かない。問題の次には問題が、悩み事の先には悩み事が待ち受けているのが常だ。慌ただしい日常においては心が安まる暇もなく、ふとしたきっかけでネガティブになり、ポジティブで中和し、またネガティブになる。改めて考えると、ダルいこと限りないっすね。
悩み苦しむことから逃れるには、それこそ「来世に期待☆」するくらいしか解決策がないようにも思えてくる。──だからだろうか。妙に最近、書店で「仏教」関係の本がよく目に入るようになった(気がする)のは。
ビジネス書コーナーでも僧侶の顔を見るようになった気がするし、雑誌でもしばしば寺院関係の特集をしているのが見受けられるし、コミックコーナーに行けば別のお家の救世主と仲良く立川で暮らしている覚者の姿も見られる。そして現在、リアルに大仏も建立中である*2。
そんな仏教本の1冊として、『反応しない練習』を読んだ。こちらは、主にブッダの考え方を参照しつつ、日常生活における大小さまざまな「悩み」の解消を目指す内容となっている。仏教全体について取り扱うわけではなく、引用されているのは、あくまでブッダ個人の言葉だ。
原始仏教の入門書としても最適だそうですが、純粋に「ストレスなく暮らすための考え方」を記した本として、興味深く読むことができた。普段から怒りっぽい人、気分の浮き沈みが激しい人、他人との折り合いの付け方に悩んでいる人などにおすすめです。
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悩みを解消し、苦しみを増やさないようにする、ブッダの考え方
本書の目的は、一口に言えば「悩みを解消する」こと。
ただ、冒頭でも書いたとおり、「悩み」なんてものは日常茶飯事。生きているかぎりはゼロにすることなどできず、苦しみながらも付き合っていかなければいけないものなんじゃないかとも思えますよね。
それこそ悟りを開きでもしないかぎり、悩み苦しみを取り払うことはできない。筆者もその点は承知しており、イチかゼロかではなく、適度な目標を掲げて説明しています。すなわち、悩みを抹消するのではなく、打ち勝つのでもなく、ただ理解し、納得することを目指す。
ブッダが教えるのは、現実を「変える」ことではありません。「闘う」ことでもありません。現実は続く。人生は続いていく。そうした日々の中にあって、せめて自分の中に苦しみを増やさない、「納得できる」生き方をしよう──そう考えるのです。
(草薙龍瞬著『反応しない練習』Kindle版・位置No.2,111より)
そもそも、なぜ人は怒り、悲しみ、苦しむのだろう。
──それは、悩みがあるからだ。
では、なぜ悩みを抱いてしまうのだろう。
──それは、心が反応してしまうからだ。
心の反応は、コントロールすることができないのか。
──悩みの理由を知れば、自ずと解決に導ける。
筆者曰く、「悩み」とは「心の反応」である。怒りも、悲しみも、嫉妬も、貪欲も、渇望も、あらゆるマイナス感情は「心の反応」によってもたらされるものだ。──それならば、コントロールすることもできるのではないだろうか。
もちろん、自分の心に嘘をつくのは好ましくない。眼前の問題と向き合わず、見て見ぬふりをするわけにもいかない。でもだからと言って、毎度のように悩み苦しみと向き合い、闘い続けるのも大変だ。なかには “闘い” によって前に進める人もいるかもしれないが、その途上で擦り切れ、精神的に参ってしまっては、元も子もない。
なればこそ、目指すべきは「苦しみを増やさない」こと。これからも次々と訪れるだろう悩み苦しみは「そういうもの」として理解しつつも、それ以上いたずらにマイナス感情を抱くことは避ける。自らを苦痛の道へと歩ませないよう、コントロールしようとする考え方だ。
己の動きを鈍らせる執着心は切り捨てる。
他者との比較は無意味な妄想でしかない。
コントロールの効かない承認欲求はほどほどに。
複雑怪奇で制御不能な、社会や他人との関わり。そこに「快感」や「答え」や「正義」を求めるのではなく、自分自身で「納得」のできる考え方をしよう──と。
ひっくるめれば、本書の目標は「自分に納得できる生き方をする」ことだ。そして、それを実現するための根幹となる考え方が、タイトルにもある「反応しない」ことなのです。
「理解」に始まり、「反応しない」を経て、「納得」へと至る
「悩み」をつくり出さないためには、「反応しない」ことが大切。
でも、そうは言うけれど、本当にそんなことができるのだろうか。だって、こうして社会生活を送っている以上、何かに “反応” せずにはいられない。あらゆる欲求は自然とわいてくるものだし、「心」とはそもそも、常に何かを求めてしまうものなのでは……?
その問いに対して、筆者──そしてブッダは、「せやな」(※意訳)と言っています。「心とはそういう(=求め続ける)もの」であり、生きている以上は何かを渇望せずにはいられないのだ、と。……あ、あるぇー?
ただし同時に、それを理解するところから “反応しない練習” が始まるのだ、とも書いています。
まず、「心はそういうものだ」と自覚すること。そのうえで、悩み事に対しては「悩みがある」と自覚し、「悩みには理由がある」と考え、「理由のある悩みは解決できる」と順を追って「理解」していくこと。その理解なしに、自分の心を見直すことはできないのだそうだ。
「ある」ものは「ある」と、まず理解すること。わたしには満たされなさ・未解決の悩みがある、と自覚すること。
解決への希望は、そこから始まります。
(草薙龍瞬著『反応しない練習』Kindle版・位置No.219より)
まず〝求める心〟があり、②それが〝七つの欲求〟を生み出し、③その欲求に突き動かされて、人は反応する。④ときには欲求を満たす喜びが、⑤ときには欲求がかなわない不満が生まれる。そういうサイクルを繰り返しているのが、人間の人生である──。
(草薙龍瞬著『反応しない練習』Kindle版・位置No.288より)
何はともあれ、まずは現状の把握から。
漠然とした悩みにも何かしらの理由はあり、原因がわかることで見えてくるものもある。そうした「理解」を経れば自身の「心の状態」が見えるようになり、落ちこんだり心配したりといった「無駄な反応」を抑えることが可能になるのだとか。
ちょっとふわっとした話ではあるけれど、「最初は面倒だと思っていた問題について、あとで冷静になって整理してみたら、意外とそうでもなかった」なんて経験がある人もいるのではないかしら。ここで言う「理解」は、そういった「整理」とも言い換えられると思う。
あるいは、「悩んだところでどうしようもないから」という、「開き直り」にも近いかもしれない。 “「ある」ものは「ある」と、まず理解” し、開き直ることで、次の行動に結びつけることができる。この考え方は、過去に読んだ『“ありのまま”の自分に気づく』ともつながるように思う。
究極の自己肯定は肯定も否定もせず『“ありのまま”の自分に気づく』こと
“反応しない”人生はつまらない?心のあり方を見つめ直せる1冊
こういった前提を皮切りに、本書では順を追って「反応しない」ための方法を紐解き、最終的には「納得する」に至るまでの考え方を説明しています。例えば、
- 2章では、「余計なことを判断しない」「自分を否定しない」こと
- 3章では、「マイナスの感情で苦しまない」こと
- 4章では、「他人の視線を気にしない」こと
- 5章では、「勝ち負けや優劣にこだわらない」こと
を、ブッダの考え方に沿ってそれぞれ概説した内容となっています。
言い換えれば、例えば2章は「自己肯定感の低さ」と向き合うための思考法、4章は「過剰な承認欲求」の解消法について書かれた内容とも言えますね。各章は最終目標である「納得する」ための足がかりとしてつながってはいるものの、個々に独立した考え方としても読むことができる。
なので、人によっては「こちらの話には共感できないけれど、あちらの考え方はすごく納得できた」といった感想を抱く場合もいるかもしれない。つまり、ブッダの考え方を複数の切り口から学びつつ、自分との差異や共感ポイントを見つける──なんて読み方もできるのだ。
また言うまでもなく、普段からいろいろなことに “反応” しがちで、しばしば苦痛を感じてしまう人は、本書の考え方がきっと役に立つ。それは、Amazonレビューの高評価の多さからも明らかだと思う。
逆に普段からあまり “反応” しない人は、己の思考とブッダの考え方との共通点を発見し、興味深く感じられるかもしれない。──というか、僕自身がそんな感じだった。自分が無意識にやっていたことを言語化してもらえたような実感を得つつ、疑問は疑問として考えるきっかけとなりました。
ぶっちゃけ、完全に「反応しない」なんて不可能だと思っていた。そもそも、反応しなければ問題は明らかにならないし、無反応であり続けるなんてつまらない。ただただ事実だけを見つめ、未来に期待せず、流れるようにやり過ごすなんて、退屈な人生なのではないか──と。
しかし読み終えてみると、そんな極端なことを言っているわけではないと気づいた。
本書が紐解いているのは、あくまで「苦痛」へとつながりうる「無駄な反応」を避けるための考え方だった。競争心を全否定しているわけではないし、承認欲求はあって当然。ただし、そういった反応に「執着」してしまうことが問題だと説いている。
「反応しない」は手段のひとつであり、最終目標は「納得する」ことにある。
現実を変えるのではなく、他人を動かそうとするのでもなく、自分の心の在り方を見つめ直すこと。漠然とした言い様だと感じるかもしれませんが、だからこそ誰もに刺さりうる1冊なんじゃないかとも思えました。
話半分に受け取りつつ楽しむも良し、鵜呑みにして “練習” に励むも良し、本書をきっかけに仏教について学んでみるも良し。──忙しない日常のなかで、自分は何を考え、何を感じ、どう “反応” しているのか。そんなことを自覚し、心をニュートラルポジションに戻してくれる1冊です。
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*1:「ストレス解消」はあくまでおまけ、純粋に「好きだから」で楽しんでいる人がほとんどだとは思うけれど。