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生きづらさやコミュ障は「生きる速度」の違いで説明できる?


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「秒速5センチメートル」予告編 HD版 (5 Centimeters per Second) - YouTube

 2006年に映画『秒速5センチメートル』*1の特報を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。わずか35秒の動画をiPodに入れて持ち歩き、何度も何度も繰り返し観ていた覚えがある。美麗な映像、切ないピアノの音色、そして、印象的なキャッチコピー。

 

どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。

 

 本作で描かれる「速さ」とは、遠く離れてしまった想い人との文通によって生じる時差や、物理的な距離、心情の変化を示すものだと考えられる。人間関係において「すれ違う」ことはままあるが、それは物理的な「距離」のみによって可視化されるにあらず。各々が抱える想いのギャップは、こうした「速度」の違いという形でも可視化されるのだと、この作品を見てから考えるようになった。

 ところで、近年は「個性」を重視するべきだという言説をよく耳にする。おなじみの「ナンバーワンよりオンリーワン」に代表される、アレだ。この文句はもはや手垢が付きすぎて呪いのようになっている節もあるが、ともかく今は「多様性が尊重される時代」だと言われている。

 「個性」を尊重し、一人ひとりの自由な意思や主張が聞き入られる社会は、基本的には好ましいものだと考えられる。でも一方では、「その『自由』は見せかけだけのものだ」という指摘も当然のようにある。「自由であるべき」という言説が社会に蔓延することで、かえって息苦しさを感じてしまう。そのような人も決して少なくはない。

 「『個性』を大切にするべきだ」という話はよくわかる。しかし「個」が重要視される社会とは、各々が抱える「個性」が一因となって、個人間で衝突が起こりやすい社会であるとも言える。誰かが考える「自由」は、他の誰かにとっては「不自由」なものかもしれないのだから。

 では、「個性」ありきの「自由」な社会において生じる差異は、どのように解消すればいいのだろうか。そこで考えたいのが、先ほどの「生きる速度」という視点だ。

 

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「生活リズムの個人差」は、「距離の近さ」によって解消される

 ここで言う「速度」とは、歩くスピードとか、物理的にキレッキレな所作をしているかどうかとか、そういった目に見える「速さ」の話ではない。一面的にはそれらも含まれるとは思うけれど。

 たとえば、生活リズム。朝型や夜型といった分類の他にも、起床時間と就寝時間、睡眠の質の良し悪し、朝食は抜くかどうか、昼寝や晩酌の習慣のあるなしなど、人には十人十色の「生活のペース」がある。

 また、仕事についても「定時」はあるものの、働き方は人によってさまざまだ。夜勤や休日出勤、不定時出勤のフリーターや個人事業主だっている。当然、転職すれば生活リズムは変わる。ひとりの人間が何年もずっと同じ習慣を続けるとは限らず、それこそ千差万別と言ってもいいくらいには個人差がある。 

 このような生活リズムの違いは、親しい間柄のコミュニティであればお互いに理解があり、大きな衝突は起こりにくい。「あいつは水曜休みだから」「Aくんの会社は7月は繁忙期だっけ」「Bさんは夜遅くなるといけないから」といった形で、うまく調整できている。

 他方では、会社・サークル・町内会のような、日常生活と紐付けられたコミュニティでも各々の「生活リズム」がそれなりに鑑みられており、うまく関係性が継続している印象が強い。お互いにある程度は理解があるため「自然な形で調整しやすい」のか、あるいは身近ゆえに面倒な衝突を避けるべく、うまく調整しようという意識が自然と働くのか。

 いずれにせよ、「(人間関係の)距離」が近い関係性においては、「(生活リズムの)速度」の違いがあったとしても、バランスが取りやすいと言えそうだ。

「コミュニケーション」の速度〜足あと、既読無視、ビジネスメール

 生活リズム以外に目を向けてみるとどうだろう。たとえば、ネットコミュニケーションにおける衝突は、各々が考える「速度」の違いによってもたらされていないだろうか。

 古くは電子掲示板でのレスポンス速度や、mixiの足あと機能。少し前ならば、LINEの既読無視問題。あるいは、ビジネスメールの返信のタイミングなど。これらに共通するのは、「返事はいつまでにするのが当然である」という認識が人によって異なるという点にある。

 SNSにせよメールにせよ、「即レスが当たり前」なのかどうかは、その人個人の認識や所属するコミュニティによって異なる。このような認識の差異――言い換えれば「文化」の違いは、企業や組織によってまったく考え方や習慣が異なる場合もある。「当たり前だと考えていた習慣が、実は一部界隈におけるマイナールールに過ぎなかった」としても、決して不思議ではないのだ。自分が考えている「常識」は、他人にとっては「非常識」なのかもしれない。

 そのような「文化」の違い、「見ている景色が人によってまったく異なる」という現象は、特にネット上ではあちらこちらで見受けられる。Twitterで目にするタイムラインはユーザーごとに異なるし、特定のサービスで炎上したからといって、それが全ネットに波及する “祭り” になるとは限らない。昨今「炎上」と言われている問題の多くは、あくまで局所的な「数人からの批判」に過ぎないようにも見える。

 同じように、メディアで語られる「ネットで話題!」だって日本語圏内での話でしかないし、逆に「アメリカで話題!」と声高に叫ばれていたとしても、情報ソースとなっている英語記事を読みに行ったら、たかだか数千人にしか読まれていなかった、なんてことも往々にしてある。

 そのように考えると、ある人がネットで「かくあるべし!」と考えている「常識」なんてものは少数派であるどころか、その人だけにとっての「当たり前」でしかないという場合もありえるのだ。これはネット上の発言だけでなく、SNSの使い方にも当てはめられる。

 要するに、運営側で明確な「使い方」が決められていないサービスについて、「いつまでに返信しなくてはいけない」というのは個人の感覚でしかなく、返事がないからといって憤慨するのはおかしい。そう断言できる。

 なればこそ、相手の顔が見えないネットコミュニケーションにおいては、自分が考える「べき」を相手に押し付けてはならない。「自分はこういうルールで動いているから」といって、相手もそうとは限らないからだ。お互いに異なるルールや前提があり、相手には相手の「速度」がある。そのことを意識しなければ、円滑にやりとりを続けるのは難しい。もし自分の「速度」に相手を合わせようとするのなら、「いつまでに返事してくれると助かります」と一言添えるのが、必要なマナーなのではないだろうか*2

「生き方」の速度と、「気の合う人」の基準

 朝型人間がいれば、夜型人間もいる。面と向かっての会話が好きな人がいれば、文字でのやり取りが好きな人もいる。大器晩成、栴檀は双葉より芳し、十で神童十五で才子二十過ぎればただの人――などとも言うように、人間ひとりの人生だって、その時々で「速度」は異なってくる。

 周囲の友人と同じように受験勉強ができなかったとか、就職活動でどうあがいても良い結果が出なかったとか。世間の「当たり前」ができなかった人は、必ずしも能力不足とは限らないし、その人の努力が欠如していたとも言い切れない。そもそもの原因は、世間一般の「速度」と合わなかった点にあるのかもしれない。

 人間ひとりが歩く「速度」だって、常に一定であるわけではない。その日の気分や体調、天気や環境によっても変わってくるし、経験を積んだり歳を取ったりすれば、「歩き方」だって変わってくる。転職や結婚といった大きなイベントを機に休憩することだってあるし、疲れたときには一時停止して、次に踏み出す際には速度を調整することだってあるはずだ。もし等速直線運動をしている人間がいたら、それはそれで怖い。

 そうやって歩く道中で知識を得たり、貴重な経験をしたり、友人を見つけたりすることで、それらが新たな「燃料」となり、次の段階へとギアチェンジできるようになる。大人になってから、今まで興味のなかった趣味や活動に取り組むようになるのは、そういった速度調整を経て、見える景色が変化した結果なのではないかと、僕は思う。

 当然、無理をして速度を上げようとすればギアは噛み合わず、エンストを起こしてしまっても不思議ではない、中にはそこでうまいこと対応できて、どんどん加速していける人も少なからずいるのだろうけれど、誰もがそうとは限らない。歩くスピードは人それぞれなのだから、焦って無視をする必要はないのだ。

 このまま走り続けられない、あの人に追いつけない、もうダメぽと感じたのなら、一時停止して深呼吸。無理に他人や社会に合わせず、自分にとって楽な「速度」に調整することで、事故を防ぐようにするのが得策だと、そう思う。

 人間関係も同じだ。相手を理解し、自分のことを伝えて、お互いの「速度」を調整することによってこそ、円滑なコミュニケーションが可能になる。そう考えると、意識的に相手と同じ速さで歩くことのできる人は、誰からでも好かれやすい――と言えるかもしれない。

 逆に、頑として自分の歩く速さを変えない人は、他の人と衝突しやすい。とはいえそれが悪いわけではなく、自分とまったく同じ速さで歩いている人と出会えれば、お互いに生涯のパートナーたりえる関係を構築できる。どちらかの速度が変わったときには歩み寄って調整するようにするようにすれば、長く付き合いを続けられるはずだ。

 自分の速度を相手に合わせて調整するのは、誰にでもできる操作ではない。いろいろな人と出会い、すれ違い、時には共に歩むべく速度を合わせようとする努力ができるなら、それに越したことはない。その一方で、気の合う人とだけ関わりたいのであれば、同じ速さで歩いている人を探せばいい。

 何はともあれ、自分の価値観やリズムを「生きる速度」として認識し、周囲との差異を把握しつつ、調整しながらほどほどに駆け抜けていくのが、「人生」と呼ばれるものなのかもしれない。この記事自体が言葉遊びのようなものではあるけれど、何かしらを考える参考となりましたら幸いです。

 

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*1:秒速5センチメートル - Wikipedia

*2:ただ、ビジネスメールの場合は即時性が必要になることも多いでしょうし、「ビジネスメール実態調査2014」の結果を参照しても、1日に1回メールをチェックするのは当然であり、24時間以内返信が世間的には大多数であるそうな(参考:「ビジネスメール実態調査2014(平成26年) | 一般社団法人日本ビジネスメール協会)。