土佐志民大学1限目「ボクらの未来をデザインする」感想


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左から、司会の東森歩さん、イケダハヤトさん、安藤桃子さん、家入一真さん

 台風が通過中の高知県からこんにちは。

 NPO高知市民会議高知市市民活動サポートセンター、そしてイケダハヤトさんの主催による、土佐志民大学に参加して参りました。

 

「土佐志民大学」って?

それは机の上で知識を学ぶのではなく、
高知に住むすべての人が
直面する課題に向き合い、行動する。
スタートアップ(起動)する大学です。

課題先進県・高知からスタートアップ。
そして、市民には、未来をかえるチカラがあります。

土佐志民大学より)

 

 志ある市民の学びの場として開講した、「土佐志民大学」。その1限目となる今回は、2人の著名人を招いてのトークセッションが行われました。

 

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 登壇者は3名。

 まず、連続起業家の家入一真*1さん。台風が近づいていることもあり、イベント開始前には「果たして本当にいらっしゃるのか……」と会場内でささやかれていた模様。無事に到着し、いつもの格好で登壇されておりました。

 次に、映画監督の安藤桃子*2さん。今年3月、高知に移住されて、映画館「高知キネマ」をオープンするべく活動されてきた、とのこと。元気いっぱいのお姉様、といった印象。何度も笑かしてもらいました。

 そして、プロブロガーのイケダハヤト*3さん。本企画の主催者の1人であり、モデレーターとしての役割も果たしつつ、セッションを回しておりました。初めての生イケハヤさんや! 声が低い! イケボ!

 そんな3人の登壇者が「ボクらの未来をデザインする」というテーマで話し合う、土佐志民大学の1限目。10月12日、こうち男女共同参画センターソーレで開講されました。個人的には、10ヶ月ぶりの高知でござった。雨降らなくてよかったぜよ。

 

「大きな言葉」には血が通っていない

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 トークセッションの前半は、上画面の単語についてそれぞれ、登壇者のみなさんが言及していく形で進んでいきました。その中でも印象的だったのが、家入さんの言葉。

 

 

 トークの中では、「 “地方創生” という言葉には血が通っていない」という旨の発言をされていましたが、イベント後にご自身で投稿した上記ツイートが、その該当部分。

 すべてが「仕組み化」されがちな社会においては、時にそこに生きる人間、個人個人の存在が忘れられてしまっていないだろうか。「地方をどう盛り上げるか」ではなく、「一人一人がそこでどう生きるか」といった視点が大切なのでは、と。

 

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 安藤さんは、「すべてのことを単語で “一般化” することで、完結させられてしまっているのでは」という表現で話していましたが、まさしく。

 “大きな主語” の話じゃありませんが、ひとつの視点、ひとつの考え方、ひとつの区分でしかないカテゴライズや単語に縛られてしまって、個人が省みられなくなっているのではないかしら。

 国籍や性別や家族は変えられないのに、そこを批判・否定されても、どうしようもない。そこで「◯◯だから駄目」と完結させられ、思考停止してしまっては、何も変えられないし、変わらない。

 

 「血」も「匂い」も感覚的な表現で、あまり論理的な意見ではないのかもしれません。

 けれど、居住者にせよ観光客にせよ、どうして地方を訪れようとするのかと考えたとき、「こういう理由で来ました!」とはっきり口にするよりは、「なんとなく面白そうだから」という “理由” となっている人も少なくないのではないかしら。少なくとも、僕はそうです。

 

高知人の“ノリ”の良さ?

 よくよく考えてみると、本イベントは「高知志民大学」と題されながら、登壇者の中に根っからの「高知人」がいないという、なかなか不思議なイベント。

 なかでも安藤さんとイケダさんのお二人は、今年に入ってから高知に移り住んできた移住組。その理由、検討した部分はいくつかあったようですが、一番大きかったのは感覚的な点だそうです。

 安藤さん曰く、「脳がふたつあるとしたときに、ここ(頭)よりもこっち(心)を優先するべきだと思った」との話。イケダさんも含めて、「むしろ移住してから理由が見つかった」とも。住んでみることで、やっと言葉にできるようになった点もあるのでしょう。

 

 この話を聴いて、また、この日丸一日を高知で過ごして感じたのが、高知の方の “ノリ” の良さ。

 朝の日曜市では、買ったキュウリをかじりながら歩いているだけでその辺のおばちゃんが声をかけてくるし、街中では普通に知らない人同士の輪ができて話が盛り上がっているし、イベント後の懇親会でも、そのおおらかさを体現するような話をたくさん耳にしました。お隣さんとビールの貸し借りをするって、どういうこっちゃねん! 醤油か!

 

 どれもこれも、東京ではあまり見かけない、ほぼありえないこととは言え、それが高知県オンリーのものとも言い切れませんが。

 それでも、一人一人がとても楽しそうに仕事をこなし、日常生活を送り、おもしろがっている様子がなんとなく伝わったように思います。というか、全体的に見てコミュニケーション能力が高い人が多い。眩しいっす。

 

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 最後にイケダさんが、「読者との共通言語をどのように作っていくか」という話をされていましたが、高知では、その「共通言語」が感覚的に共有されているような印象を持ちました。はっきりとした「言葉」でなくとも、地域で暮らす中で自然に身についた感覚。

 安藤さんは「 “障害者” という言葉を使わないことで、都心であればそのように分類される人たちが、単なる “変わり者” として地域に馴染んでいる」と仰っていて、目からうろこでした。寛容というか、「◯◯だから」というレッテル貼りがないのはすごいなー、と。

 

 他にも、多方面から地域・コミュニティの問題点などについても触れつつ、さまざまな切り口から話が展開して、終始おもしろかったです。

 そして何よりも、外からは見えなかった「高知」という地域について、「高知って、そんな感じなのか!」という違ったイメージを得ることができたのは、とても有意義でした。ちょっと前から四国が好きで、たびたび訪れてはいましたが、高知は特に未知数だったので。

 

 台風が通りすぎたら、別視点で「高知」を楽しめるよう、ぶらぶらと歩いてみようと思います。そういえば、まだ日本酒を飲んでいない……!

 この「土佐志民大学」は、既に4限目までの開催が決まっているので、もし興味がありましたら、ぜひぜひ。毎回、テーマが設定されており、単体で参加しても楽しめるそうなので。

 

 

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