「どう読もうと読者の自由!」ではない気がしてきています。※意見募集 | BLOG HOMME(※記事削除済)
読みました。「※意見募集」と書いてあるので、自分なりに考えてみようと思います。僕自身も意見の定まっている問題ではないので、ブレブレの文章になるかもしれませんが。
「読む」も「書く」も他人から制限されるべきものじゃない
少し考えた上で、結論から言えば、「どう読もうと読者の自由」は、認められるべき「読み方」のひとつであるように思う。冒頭記事の筆者さんも、
かといって、完全に文脈の把握したり、深読みすることは非常に難しいので、もちろん努力したうえで誤解が生まれてしまうこともどうしようもないだろうな、という気持ちもあります。
と書いているように、どうしたって読者によって解釈の差は生まれてくるものだし、誤読は避けるのは難しいんじゃないかな、と。
編集者のように生きられますか? コンテンツを殺す唯一の方法。 | BLOG HOMME(※記事削除済)
筆者さんが「炎上した」と言う、こちらの記事。何を考え、読者にどのような反応を期待して書いたのかは分かりませんが、おそらく、純粋に自分の考えたことを、ブログという場に、自由に書き記したものなのではないでしょうか。
オウンドメディアであれ、個人ブログであれ、「ブログ」という媒体に記す内容は、基本的にはその筆者の個人的な考えだと思います。何を、どのように考えたか。その思考過程を文字として記録した、自由な内容。
もちろん、宣伝広告が目的の記事であれば、話は別。その場合には、読者により分かりやすく、伝わりやすい情報を届けるための工夫がなされているでしょうし。
自由な文脈が展開される「ブログ」に限れば、その書き手は何を書いたっていいし、読み手はどのように受け取ったっていい。
無料で公開している「個人の思考」である以上、読者にはそれをスルーする選択もあるし、べた褒め、あるいは批判する自由だってある。そして筆者には、さらにその賛否に対して反論する自由、反論しない自由だってある。そう思います。
老若男女、どんな人が読むか分からない、全世界に対して無料で公開しているブログだからこそ、そこに「理想の読者」を求めるのは、ちょっと違うんじゃないかな、と。
極論を言ってしまえば、それこそ小学生が読む可能性だってあるんだから、読者全員に等しく高いリテラシーを求めるのは無理があるわけで。「こういう人だけに読んで欲しい!」と言うのなら、限定公開にするか、メルマガ配信にするなどの小さなコミュニティに絞るしかないでしょう。
「読む」も「書く」も、他人から制限されるべきものじゃない。
だって、ブログだもの。
文字コミュニケーションは、伝わりづらい
特に“ネット”における文字コミュニケーションを見ると、人によって触れてきた文化圏が大きく異なり、全く違ったニュアンスが伝わってしまうことも少なくはありません。
「(笑)」という記号を見て、「ふふっ」という軽い笑みを思い浮かべる人もいれば、嘲笑として受け取る人もいる。
大文字を見ただけで胡散臭さを感じる人もいるだろうし、「(´・ω・`)」の顔文字にイラッとさせられる人だっているでしょう。
それらの分かりやすいスラングでなくとも、煽ったつもりじゃないのにそう受け取られたり、絶賛しているはずが皮肉として読まれていたり、といったこともありえます。
だからこそ、もし書き手として、より多くの人に自分の文章を読んでもらいたいと思うのであれば、その辺りの配慮は必要不可欠。誤読や解釈のズレをなるべく減らすためには、表現について最大限の注意を払わなければならないと思います。
ここでまた、冒頭の記事に戻り、引用させていただきます。
当該炎上記事では、「みんな、ブロガーの暇な女子大生をちやほやすんなよ!アイツは天狗になったら終わりだ!」という持論を述べたに過ぎないつもりでしたが、炎上材料として反感を買ったのは
>>出版社に勤める編集という仕事の人間は、相手がどんなに大御所でも、必ずまれに「意味もないボツ」を出します。
という、本論にあまり関係ない(と僕は思っている)部分でした。
このことについて非難轟々でしたので、ツイートで「その文は記事のテーマとあまり関係ないのでは?」という見解をフォローとして何度か発信しました。
筆者さんは、この赤字部分が批判を集めたものとして、「この部分は本論とは無関係である」としています。
ここで気になるのは、ブックマークコメントでも何人かにツッコまれていましたが、「無関係の部分をわざわざ赤字で強調する?」という点。
冒頭の記事と、その元記事の両方を読んでみると、どうも赤字部分は、強調のために色付けされているようにしか見えないんですよね。少なくとも、僕からは。
元記事では、「幸せになってしまったらただの凡人」という部分、もう一方では、「どう読もうが読者の自由」という箇所が、赤字で強調されています。後者は記事タイトルにもなっている表現であり、強調したい部分であることは明らかです。
そう考えると、筆者さん本人の意図はどうであれ、「ここは重要な部分なんだろう」と大多数の読者から認識されてしまっても、仕方がないように思います。
加えて、こちらのツイート。
いえ。批判する際の礼節、大変勉強させていただきました。ちなみに「編集者は無駄なボツを〜」のくだりは完全に釣りのつもりで書いておりました。ここまで編集業の皆様に反感を買うとは思わず、反省しております。。RT @from41tohomania: こちらも口の悪い言い方で申し訳ありませ
— 野口卓也 (@nogutaku) 2014, 7月 14
だからプロの人たちがあの記事を真面目に受け止めすぎなんだって!w SNSサブカル界隈にはわかる文脈があるんだってばwwww
— 野口卓也 (@nogutaku) 2014, 7月 14
「SNSサブカル界隈」が具体的にどこを指すのかは分かりませんが、筆者さんとしては、その界隈に対して書いたつもりの文章が、思わぬほどに拡散してしまってびっくり、という形なのかしら。
おそらく、その「SNSサブカル界隈」が多数派であれば、ここまで炎上することもなかったのではないかと思います。つまり、文脈を理解できている人たち。ところが、実際に言及された編集者さんたちにはそれが伝わらず、ああいった結果になってしまった、と。
清濁併せ呑むか、フィルターを設けるか
これらの話を鑑みるに、「誰でも読むことのできるウェブ上のブログ記事」である以上は、やはり「特定クラスタの文化圏でしか通じないリテラシー」を全ての読者に求めようとするのは、非常に困難なんじゃないかと。
お金を払って読む本であれば、それに興味を持つ層しか(基本的には)集まって来ないので、自然とフィルタリングがされる。
けれど、誰もが読むことのできるウェブ上の文章においては、読者が不特定多数の有象無象である以上、自動的なフィルターを望むことは難しい。
であれば、書き手にできる選択は、批判も罵声も受け入れるものとして好き勝手に書くか、有料・限定公開などによってフィルターを設けるか、高い文章力をもって解釈をバラけさせないようにするか、といったものでしょうか。
確かに、批判ですらない罵詈雑言を飛ばしてくるような人には辟易するし、筆者さんの懸念も分からなくはないのですが。ただ、書籍ほどには重視されず、日々大量に消費され続けるブログ記事、そのひとつひとつをしっかり読め、なんてのも無理があるように感じます。
むしろ率直な意見が次々と出てきて、そのギャップに「おおう」と唸ることのできる点が、ネットの良いところだとも思っているので、受け止めるものは甘んじて受け入れ、スルーするものはスルーすればいいのではないかしら。清濁併せ呑みませう。
あ、それと、強調&断言した箇所、批判の集中したポイントについて、後で「釣り」と言ってしまうのは、火に油を注ぐだけだと思います、はい。それが、たとえ本当に「釣り」だったとしても。