先日の記事を書くのが超楽しかったので、続けてまとめていきます。前回と同様、『放課後』編集部さんの『REPLAY 2002-2004』をリスペクトしつつ、僕にとっての2003年を思い出して、好き勝手にまとめてみました。
「2003年」ってどんな年?何があったっけ?
さてさて、まず「2003年」がどんな年だったかを思い出してまいりましょう。世紀が変わって3年目。ざっと出来事の一覧を見ると、企業の合併や再編などが多い年だったような印象があります。
事件・事故
- 2月1日 - スペースシャトル・コロンビア空中分解事故
- 3月19日 - イラク戦争開戦
- 3月 - 新型肺炎SARSが大流行
- 7月26日 - 宮城県北部地震
- 12月13日 - サッダーム・フセインイラク元大統領を拘束
大きな事件としては、やはりイラク戦争の印象が強い。しかも、世間はSARSの流行でてんやわんや。そのしばらく後、今度は鳥インフルエンザが流行りだして、いろいろな高機能マスクが現れだしたような記憶が。四角いマスクじゃないマスク。
社会
- 3月3日 - りそな銀行発足(大和銀行とあさひ銀行の合併)
- 4月1日 - 株式会社スクウェア・エニックス誕生(エニックスとスクウェアの合併)
- 4月1日 - 郵政事業庁が日本郵政公社に
- 10月7日 - カリフォルニア州知事にアーノルド・シュワルツェネッガーが当選
- 11月20日 - マイケル・ジャクソン、性的虐待の容疑で逮捕
当時の中学生から見ても、スクエニの誕生はビッグニュースでした。「え!? ドラクエとFFの会社が一緒になるの!? もうそれ最強……だけど、本当にいいの?」と。その結果は……。
スポーツ
- 1月20日 - 第65代横綱 貴乃花が引退
- 1月29日 - 朝青龍、第68代横綱に昇進
- 9月15日 - 阪神タイガース、18年ぶりのリーグ優勝
スポーツを見ない僕でも、野球部のクラスメイトが無駄に色めきだっていたような記憶が。
文化
- 4月25日 - 六本木ヒルズがグランドオープン
- 5月9日 - 小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ
- 6月27日 - t.A.T.u.が「ミュージックステーション」でドタキャン
- 7月19日 - 『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』公開
- 8月2日 - 『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』公開
2010年の帰還で、一世を風靡する「はやぶさ」。この頃には打ち上げられていたんですね……。あと、t.A.T.u.の件は僕もテレビで見ていたので、「生放送やべえ!」とわくわくしたような。
学校ではやったもの
「へぇ〜」
2003年に学校で話題になっていたものと言えば、『トリビアの泉』。あちらこちらで「へぇ〜」「へぇ〜」「へぇ〜」と煽る人が多数発生。うっさいわ!
フジテレビ『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』。第2期は2003/7/2〜2006/9/27。*1
特に、例の「日本刀vsピストル」の回は、学校でも主に男子の間で超盛り上がっていたはず。調べたら、当該回の放送は2004年でしたが。
「白色」=「パナウェーブ」という風潮
それともうひとつ、「パナウェーブ研究所」なる団体が話題になりました。
キーワードは、スカラー電磁波、タマちゃんのことを想う会、ミカエル、惑星ニビル星、月光仮面……などなど。その異様さとインパクトから、クラスでも話題となることに。
中でも、普段から色白キャラとして「ホワイト」のあだ名で呼ばれていたH君は、案の定、「うわー! パナウェーブだー!」とからかわれる事態に。どんまい、としか言えないや。 “パナ” 繋がりで、パナソニックにも風評被害が。なんでやねん。
僕の音楽生活はここから始まった
175R「空に唄えば」。カラオケで盛り上がる。
J-POPを本格的に聴き始めたのは、この頃から。ラジオでランキングをチェックし、毎週末は隣駅のTSUTAYAまでチャリンコでダッシュ。当日返却ならシングルCDが100円だった頃なので、少ないお小遣いでなるべく多く借りられるようにやりくりしていました。
前年末の誕生日には、CD→MDへの録音はもちろん、MD間のデータ移行も可能なコンポを買ってもらっていたので、それでいろいろなMDを作って楽しんでいた格好。
MDごとにジャンル分けしたり、お気に入りのディスクをひとつ作ったり。今で言う「プレイリスト」ですね。一回り上の世代だと、それがカセットだったのかしら?べべべべつに、好きな子に送るラブソング集なんて作ってませんよ? ほんとだよ?
むっちゃくちゃ聴き漁っていたので、この年の年間トップ50くらいまでなら、ほぼ全部分かる。セールス的には、ミリオンはSMAP『世界に一つだけの花』のみという残念具合ですが。
ちなみに、初めて買ったCDはCHEMISTRYの『Second to None』で、初めて借りたCDは、宇多田ヒカルの「COLORS」でした。めっさ聴きこんでたにゃー。
前記事と同じく、自分なりのランキング(2003年版)を作るとしたら、こんな感じかしら。
- 光永亮太:「Always」
- CHEMISTRY:「It Takes Two」
- 福山雅治:「虹」
- 175R:「空に唄えば」
- Mr.Children:「HERO」
- ポルノグラフィティ:「メリッサ」
- 平井堅:「LIFE is... 〜another story〜」
- ORANGE RANGE:「上海ハニー」
- ケツメイシ:「夏の思い出」
- 中居正広:「トイレットペッパーマン」
え? トイレットペーパーマン? 僕の持ち歌ですが、なにか?
これで、中居くんが大好きになりました。うふふふふ。
他に、FLOW、ORANGE RANGE、スキマスイッチ、mihimaru GT、レミオロメン、大塚愛、平原綾香などがデビューした年のようで。ラジオはずーーーっと「上海ハニー」ばかり流していたような気がする。下心とモラルが寄せては返しまくっていた。
見知らぬ他人と繋がるインターネット
前年は、ネットでFLASH漬けの生活を送っていた僕ちゃんですが、ここでようやっといろいろな使い方を覚えることに。きっかけは何だったか忘れたけど、なんだろう。エ口かな。
リビングに置いてあった親父のMacを使わせてもらっており、便宜上は「勉強用!」と言われていたため、両親が出かけているときを見計らってこそこそとイジる格好。途中からは、もう「好きに使えや」と黙認されていたけれど。あじゃーっす。
チャット
最初に手を付けたのは、チャットサイト。サイト名は失念してしまったんだけど、なんだったっけかなあ……。趣味や年齢、地域ごとに部屋が用意されていて、自由に出入りできるやつ。ROMも可能。 → 思い出した! 「みんなのチャット」だ!
そこで同年代の人を探しては、「どこ住みー?」だの「好きなマンガはー?」だの取り留めもない話をしていました。長いときは、6時間近く。遠く離れた知らない他人と、文字でコミュニケーションできるのが新鮮で、楽しくてたまらなかったんだろう。たぶん。
しばらくすると、妹(当時小4)が「@CHaT」なるサービスを見つけてきて、兄妹でそれにハマることになる。
ヒヨコやネコなど、ちっちゃなキャラクターを画面上で動かし、マップを移動しながら、他の人と話ができるチャットソフト。吹出し型の会話がマンガチックで、すっごいかわいい。文末に「!」をつけることで強調したり、iTunesで流している曲を主張する機能もありました。
ログインすると常連さんがたくさんいたので、話していて楽しかった。中でも「カモ」のアイコンの人とは兄妹2人でよく話すことがあり、「鴨鍋にするぞー!」なんて追っかけ回しながら遊んでもらった記憶がある。……って、今調べなおして知ったんだけど、よく見たら開発者さんじゃないですかー!うおーい!
CGIゲーム
FLASHアニメの次に僕がネットでハマったコンテンツは、CGIゲーム。ブラウザゲームの一種ですね。今思えば、なんであんなに熱中してたんだろう……。
『箱庭諸島』。島を開発するシミュレーションゲーム。
『箱庭諸島』は、今もプレイしても楽しめそう。島開発。人口を増やしつつ、農場・工場・採掘場で諸々の運用。怪獣(ゴジラっぽい “いのら” とかいう奴)が出てきたときのためにミサイル基地を作ったり、その軍事力を持って他ユーザーの島に宣戦布告したり。
夜のうちに宣戦布告されて、朝起きたら島が壊滅状態だったときは泣きそうになったでござる。地も涙もねえっすよ……。あと、上の画像だと、森が少ないから簡単に都市が火事になるよね?(うろ覚え)
『ドラクエアドベンチャー』。これで「SPEED」のメンバーを覚えた。
有名どころで言えば、『FF ADVENTURE』。キャラクター育成ゲーム。当時の僕はまだ『FF』をあまり知らなかったので、派生版の『ドラクエアドベンチャー』をプレイしておりました。
作者の趣味なのか、無駄に「SPEED」(※ボーカルグループの)関連の敵が多くて、「なんじゃこりゃ!」状態。他には、ブッシュ大統領とかファイナルアンサーとか、もうわけがわからないよ……。
『三国志NET』。戦国シミュレーションゲーム。
あとは、塾の友人たちと一緒になってプレイしたのが、『三国志NET』。国に所属するプレイヤー同士で密に連絡を取り合い、都市発展のための内政や宣戦布告、同じタイミングでの攻撃をすることが求められたので、かなり熱中しました。
学校の友達も巻き込んで、フリーメールで連絡を取り合いながら、割とガチにプレイしていたような記憶が。いんやー、懐かしいですねー。
2003年にハマった作品
この頃は、アニメも、マンガも、ドラマも、ほとんど観ていなかった。それらのコンテンツに夢中になるのも、オタクとしての萌芽が見られるのも、翌年から。清い中二だったんです。きっと。
『ASTRO BOY 鉄腕アトム』
ほほー!これが『アトム』かー!と、暇なときに観ていたテレビアニメ版*2。ZONEとCHEMISTRYのオープニングが、どっちも大好きでした。かっけえ。
他の小中学生男子に違わず、図書室で『火の鳥』や『ブラック・ジャック』といった手塚治虫作品は読んでいたこともあり、興味がなくはなかったので。で、OPがZONEと聞いちゃ、そりゃあ観ずにはいられないでしょう。
うろ覚えだけど、ロボットと人間との隔絶が結構強い調子で描かれていたように覚えている。観直すにしても、50話は長いや……。2003年4月7日は、アトムの誕生日。
『テイルズ オブ ファンタジア』
友達に勧められてプレイした、初めての『テイルズ』シリーズ。まさかのGBA版である。
これ、後にPS版をプレイして知ったんだけど、戦闘の速度が他と比べて遅めなんですね。PS版だと「虎牙破斬!」ズバズバッ! なのに、GBA版だと「虎牙破斬!」ズバッ......ズバアッ! って感じ。テンポの悪さにびっくりした。
操作性はともかく、ターン制じゃない戦闘、ボイス付きRPG、濃厚ながた王道のストーリーと、ハマる要素はたっぷりでした。で、次々と手を出していくことになるわけですが。BUMPの歌*3が聞こえてくるぞー……?
『WATER BOYS』
後にも先にも、民法のドラマで最初から最後まで通して観たのは、これ1本だけのはず。あまり興味がないんですよね。大河ドラマと朝の連続テレビ小説は別として。
映画版が好きだったこともあり、本作はちゃんと観た。観たということは覚えているんだけど、内容はほっとんど抜け落ちてしまっている。そう、あれだ、ヒロイン役の宮地真緒ちゃんがかわいかったのは覚えてる。前年のNHKの朝ドラでも好きだったし。
2004年から本気出す
2003年は、ネットコンテンツに触れつつも、まだ二次創作物には手を出していない状態でした。SSとか、ゲームのアレンジ曲とか。マンガもあまり読まないし、あれ?この頃の僕、何やってたんだろう? レベル。エ口か、エ口なのか。
友達にマンガを勧められて、アニメを布教されて、二次創作も含めた諸々のコンテンツにハマっていくのは、2004年からでした。
ただ、チャットやブラウザゲームに触れたことで、「ネットで他人と関わる」ことの魅力を知り始めたのは、2003年からだったかと。
で、翌年にはそんなどっかの誰かが作り出したコンテンツにハマって、なんちゃらプロフィールみたいなものに手を出して、あれこれ始めるのです。うひょー。軽く先のことを考えてみたら、2004年と2005年と密度が尋常じゃない。受験勉強の記憶がないくらい。やばい。
そんなこんなで、ほぼ個人の主観で振り返る、2003年のお話でした。もし良かったら、あなたの「2003年」も教えてくださいな!