『声優魂』大塚明夫が若者に贈る人生訓〜“役者”として生きる覚悟はあるか?


「声優だけはやめておけ」

 本書『声優魂』の帯にはデカデカとこう書かれている。──とは言っても、アレでしょ? 本の帯なんて興味を持ってもらうための宣伝文句なんだから、実際は「声優」という職業の魅力を存分に語っているんでしょう? そう思って読んでみた。

 ところがどっこい。
 読み終えてみると、最初から最後まで、本気の「やめとけ」でした。

 幸せに過ごしたいのなら、人並みに日々を過ごしたいのならば、決して声優なんて目指すんじゃねえ、と。そんな甘っちょろいもんじゃないと。というかお前らバカじゃない? と言わんばかりの勢いで、全力で「声優だけはやめておけ」。完全に帯の通りの内容でございました。

 そう豪語するのは、声優の大塚明夫*1さん。ゲームでは『メタルギアソリッド』のスネーク、洋画では主にスティーブン・セガールの吹き替え、アニメでは『ブラック・ジャック』、他にもナレーションや舞台など、多方面で活躍しまくっている役者さんです。

 この数年で話題に挙がる「声優」と言えば、どうしてもアニメの印象が強い。なのでそのようなアニメ声優を目指す若者、あるいはポップカルチャーに関心のあるオタクなどに向けられた本なのかと思いきや、そんなことはなかった。

 「職業」としてではなく、声優を自分の「生き方」として演じ続けることを選択し、今も昔もこれからも徹底的に楽しみ続けている──そんな “役者” ・大塚明夫によって語られる人生訓であり、すべての若者に向けた激励本。そのように読めました。

声優は「職業」ではない/ハイリスク・ローリターンの世界

 本書では、大塚明夫さんの過去話や声優界の事情に触れつつ、さまざまな視点から「声優だけはやめておくべき」だというその理由を説明しています。言わばこの1冊を通して「声優、ダメ、ゼッタイ」を説明する構成になっており、それは最終章まで一貫しておりました。

 声優の世界を言い表す言葉として、もっともふさわしいと私が思うのは「ハイリスク・ローリターン」です。

(大塚明夫著『声優魂』P.35より)

 「声優」をおすすめしない理由としてまず語られているのが、ハイリスク・ローリターンな世界である、という点。

 作品に「声をあてる」という役割柄、自分から仕事を新たに「作る」ことはできず、基本的には待ち続けるしかない。仕事をもらえても、拘束時間が長いだけで時給換算すると残念な場合もしばしば。さらに、その人の声や演技に商品価値があるかどうかは時流によっても異なるため、芸歴が長かろうと有名だろうと、明日のことは誰にもわからない。

 そもそも「声優」とは何者なのか。僕ら消費者からすれば、「アニメや映画といった映像作品に声をあてる、専門の役者さん」といった印象を持っている人も少なくないのではないでしょうか。

 しかし他方では、ドラマや舞台、テレビ番組などで活躍している俳優や芸能人が声優として仕事をしていることも珍しくありませんし、専門の資格や免許があるわけでもない。声優のプロダクションがあることは知っていても、その内情はさっぱりです。

 コンテンツの制作再度からすれば、欲しいのは「ギャラが予算内に収まり、かつ良い芝居ができる人間」であることがほとんどですから、テレビや舞台の俳優を声優として使うことだって自由です。「声優という肩書きの人間の方がいい芝居ができる」なんて思い込んでいるのは一部のオタクだけです。

(大塚明夫著『声優魂』P.16より)

 つまり、「声優」は会社員や医者や教師といった一般的にカテゴライズされる「職業」ではなく、その肩書きも何ら効力を持つものではない、と。

 声優学校、養成所と経てプロダクションに所属してもイコール「就職」ではなく、仕事がもらえるかも怪しい中で、技術だけは磨き続けなければならない。

 しかも、いくら良い声をしていようが、うまい演技ができようが、大きな仕事を経験して成長できるかどうかは「運」でしかない。流行り廃りもある中ではいつ仕事がなくなり、淘汰されるかもわからない現状。本当に、 “ハイリスク・ローリターン” なんですね……。

 それゆえに、 “「声優になりたい」奴はバカである” 、と。第1章のタイトルで早々に一刀両断しています。

 続く第2章で著者の遍歴を挟んだ後は、第3章で “「声づくり」なんぞに励むボンクラどもへ” と畳み掛ける形。 “声優になりたいバカ” に対して、その “バカ” っぷりを自覚させる展開になっているように見えますね。

“役者とは生き方である”〜生産社会を諦めた人の行き先

 声優の大半は個人事業主としてプロダクションに属し、そこからもらえる仕事をこなすことで「声の仕事」をしています。そういう意味では世に数多いる「フリーランス」とカテゴライズすることもできますが、前述のように “自分で仕事を作れない” という弱みがある。

 大塚さんは、そんな「声優」の本質を「役者」であるとして──繰り返すようですが──「声優になる」とは「職業」の選択ではなく「生き方」の選択である、と断言しています。

 肩書きに見合った仕事をすればお金が入ってくるような「安定」とは程遠い世界で、自分の身一つで芸を磨き、芝居を楽しみ、常にアンテナを張り巡らせることでチャンスを掴みとり、自分の“生き方”に責任を持てるような人間であり続けなければならない、と。

「声優になる」というのは職業の選択ではありません。

「生き方の選択」なのです。

 充分な収入が得られるかわからない。成功するかどうかなんてもっとわからない。下手したら、幸せにすらなれないかもしれない……。

 そんな中で持つべきは、「声優という職業につけるよう頑張ろう」という夢やら意気込みやらではありません。自分は声優として、役者として生きるのだ、という覚悟です。

(大塚明夫著『声優魂』P.42より)

 ……正直、若いうちからそんな覚悟ができる人なんて、そうそういないでしょう。できるとすれば、よほど類まれなる才能を持った人か、幼い頃からずーっと芝居の道に生きてきた人か、はたまた単なる無謀な人か。

 そんなサバイバルが繰り広げられている芝居の世界で生き延び、戦い続けることができるのは、どのような人なのか。この点に関する大塚さんの指摘は、個人的にいたく納得のいくものでした。

  1. 誰もが認める圧倒的な才能を持つ天才
  2. まっとうな生産社会を諦めた、他に行く場所のない人間たち
(大塚明夫著『声優魂』P.39より)

 この指摘って、他の「個人事業主」についても少なからず当てはまることなんじゃないかしら。何らかの理由で会社からドロップアウトし、フリーで生計を立てていく道を選んだ人。いろいろと理由はあるでしょうが、彼らはある意味、一度 “諦めた” 人間と言えなくもない。

 大塚さんは、 “世間的に「ハイリスク」と言われるレベルのことをリスクと思わない人たち” と書いていますが、まさしく。周囲からどうこう言われようと、頑張った分だけ報われるとは限らなくとも、自分が「そうしようと決めた」から、「それが好きだ」から続けられる。

 フリーランスは「働き方の選択肢のひとつ」と言われることがありますが、こうして考えてみると、己が身ひとつで稼ぎ食っていく「生き方」と言えるのかもしれませんね。

“悼みもしよう。涙も流そう。だが決して悔やみはしない”*2

 一貫して記されている「声優だけはやめておけ」というメッセージを読む限りでは、本書は「声優を目指す若者」に書かれた本であるように見えます。

 しかしその実、1冊を通して語られているのは「ひとりの大人」が経験して得た人生訓であり、役者としての生き様であり、働く若者、もしくは働く前の学生に向けた応援本とも読むことができるのではないでしょうか。他にも4章では、クリエイターに向けた創作論の趣きもあったり。

 三十年やってきて個人的に確信したのは、媚びたらアウトだということでした。誠意を持って戦っているのならば、相手が本物だったらわかってくれる。逆に、わかってくれない人と付き合う必要はないのです。

 媚びればその場はやりすごせますが、実は先がなくなっていきます。敵を作ることが怖いと思ったら味方もできない。何らかの得をしようと思って我慢して付き合っても、結局帳尻を合わせるように後でマイナスが発生する。本当にそうなのです。

(大塚明夫著『声優魂』P.160より)

 人は「誰かのせいで自分は満たされていない」と考えているときが実は一番不幸せなものです。自分にはどうにもならない事情でこんな目に合っているんだ、と思うからふてくされる。人生の主導権を自分で持ち、「これもすべて自分の生き方だ」と思っている人は、たとえ苦しくても本当に折れてしまうことはないのです。

(大塚明夫著『声優魂』P.186より)

 この本を読んでいると、どうも『Fate/Zero』*3のイスカンダル*4に諭されているように聞こえてくる。気分はまるでウェイバー……いや、セイバーかしら。「なぁ小娘よ。いい加減にその痛ましい夢から醒めろ」と。

 それでもなお夢を諦めない “馬鹿な人” に対して、大塚さんは、最後の1ページにメッセージを載せています。徹頭徹尾「やめておけ」と書いてきたその終わりに、まだ見ぬ挑戦者へ向けて。──その内容は、ぜひ本文を読みきった後に目を通してみてください。

 

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