ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

「幸せ」ってなに?「置かれた場所で咲く」のは難しい

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「幸せ」って、なんだろう。

 

「幸せ」とは、妥協すること

「幸せとは、妥協すること」だと個人的には考えている。何もかもを求めるのではなく、自分にとっての「幸せの基準」を考え、それで満足すること

金も仕事も生活も人間関係も、すべて理想どおりに生きることなんてできやしない。しかも、すべてを手に入れたところで満足できず、より強い欲望を抱き求めるようになる人だっている。それを「強欲」と呼ぶか「向上心」と呼ぶかは、意見が分かれるんじゃなかろうか。

ところで昨年、『置かれた場所で咲きなさい』という本がベストセラーとなった。

発売は2012年。売上は100万部をオーバー。タイトルから考えるに、現在の環境をありのままに受容し、そこで幸せを見つけようとする──「幸せの妥協のススメ」とでも言うべき内容なんだろうなーと、そう思っていた。

ところがどっこい。この本、驚くほどにマッチョであった。読んでいて共感できる部分も多く、ものすごく良いことも書いてはあるのだけれど……。でもこれを鵜呑みにして、誰もがこうやって「咲く」ことはできないと思った。あまりにもたくましすぎる。

 

置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」

結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

変えられないことをいつまでも悩んでいても仕方がありません。前に進むためには、目の前にある現実をしっかりと受け入れ、ではどうするかということに思いを馳せること。悩みを受け入れながら歩いていく。そこにこそ人間としての生き方があるのです。

 

簡単に言えば、「適応せよ」との言。

それも「環境の奴隷になる」のではなく、プラスの方向に考え、周囲を巻き込んで、環境を作り変える努力をする。実際のところ筆者の主張は違うのかもしれないけれど、自分の解釈としてはそのように読み取れるものだった。

 

「世界に一つだけの花」だから、「咲けない」場所もある

 

他方で2003年、SMAPのシングルCD『世界に一つだけの花』が大ヒットした。近年「ナンバーワンよりオンリーワン」が叫ばれるようになったのも、この曲によるところが大きいんじゃないかしら。

 

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

 

歌謡曲に限らず、人を「花」に例える作品は多い。『置かれた場所で咲きなさい』でも「咲く」がキーワードのひとつとなっており、本文中で幾度も言及されている。

 

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

 

しかし「花」に例えて語るのならば、誰もが咲けるとは限らない。

“僕らは世界に一つだけの花” であり “一人一人違う種を持つ” ──つまり、人に個性がある以上、各々が適応できる環境は異なってくるため、すべての「種」が「置かれた場所」で咲くことはできないのだ。

本書がマッチョであるように感じたのはそのため。「たとえ辛く苦しい環境にあっても根を張り、機会を待て」と言う。けれど、そもそも根を張る「土(=環境)」がその「種(=人)」に適したものでなければ、芽吹くことすらできないのではないだろうか。

 

まず考えるということ、次に感じる余裕を持ち、その後に行動するという順序こそが、「一人格」としての生き方なのです。

 

世の中には、仕事に忙殺されて「考える」ことすらできない人がたくさんいる。それは言うなれば、自身の性質を知らず、やりたいこともわからず、花壇か砂漠かアスファルトか、自分がどこにいるかも理解していない状態。そんな彼らに「とにかく頑張って適応せよ」と言うのは、ちょっと理不尽であるようにも思える。

 

タンポポのように生きていけたら

もちろん、この『置かれた場所で咲きなさい』という本は既に自分の「咲く」場所と環境を見つけている人──要するに、自分のやりたいこと、叶えたい夢、自分にとっての「幸せ」などが何かを理解している人──にとっては、非常に有効な啓発本だと思う。

自分が望んで始めたことなのに、つまらなくなってきた。楽しかった職場が、人間関係の変化で崩れてしまった。叶えたい夢があるのに、スランプに陥ってしまった──。そんな人たちには、前述の「雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい」という言葉が力になるはずだ。

では一方で、「咲けない」人はどうすればいいのだろう。本書の表現に習って言えば、「咲く場所を探す」ほかにないと思う。一箇所に留まるのではなく、いろいろな環境を試してみること。

いつか、「置かれた場所で咲く」ために。

花に例えるならば、タンポポのような。準備なしでたくましく生きるのは無理にしても、さまざまな場所で根を張ろうと試してみる。ダメだと感じたら綿毛を飛ばして、また別の場所で挑戦する。そして最終的には、自分にとって居心地のいい場所を見つけられればベストだ。

たとえ最高の場所が見つけられなくても、それだけの経験を積めば、やがて「置かれた場所で咲く」ための力はついてくるはず。そうやって、タンポポのようにどんな場所でもたくましく生きることができるようになれば……それは、ひとつの理想の到達点であるように思う。

ただし、行動するのはあくまで自分だ。『置かれた場所で咲きなさい』の中でも、次のように書かれている。

 

幸せを他人まかせにしてはいけない、自分が積極的に動いて、初めて幸せを手に入れることができるのだという真理です。

 

昔から繰り返し言われ続けてきたことだけれど、大切なこと。 “幸せは歩いてこない。だから歩いて行くんだよ” ──と*2

「幸せ」も、きっと同じ。やたらめったらに「俺の幸せはどこだああああ!」なんて探すものではないと思うけれど。普段の生活のなかで「あれ? 今この瞬間の僕って、満たされてるんじゃね?」と思える瞬間があるのなら、そのときこそが「幸せ」なのだと思う。もちろん、それは誰かに与えられるものではない。

 

どこかに いったら しあわせに なれる……。
やはり そんなことは なかったんですね。
今の生活から にげるのではなく
今の生活のなかから しあわせを みつけてゆく。
人が どこかに 用意してくれた しあわせなんて
ニセモノに きまってますからね。

『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』より

 

人それぞれに「幸せ」が異なるということは、自分にとっての「幸せ」もまた、自身にしかわからないということ。心地良く感じる瞬間や一緒にいて楽しい相手などを考えてみることは、自身の心の点検にもなるのではないかしら。

 

幸せはいつだって
失って初めて幸せと気付く
小さな不幸
今だってきっとまだ合うはずだから
願いはたったひとつ

中川翔子「happily ever after」

 

 

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*1:『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』より

*2:三百六十五歩のマーチ - Wikipedia