過剰な消費者意識と被害者意識が生み出す「モンスター」たち


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photo by Roel Wijnants

 はてなブログ界隈で、「はてなブックマーク」に関する話題が盛り上がっているようです。アルゴリズムが変わったことで、ブログの記事が注目され辛くなったとか。

 それに対して、「ふざけんじゃねえ!」と罵る人も出てきたりして、なんだかなー、と。そりゃあ、アクセスが減って残念だなー、などと思わなくはないですが、それを「被害」と称して運営にキレるのはどうなんでしょう。その辺のシステムはよく分からないので、何とも言えませんが。

 問題にしたいのは、この件で「被害を受けた」と主張するブロガーさんが、少なからず存在した点。悪意ある事故に巻き込まれたとか、自分だけが理不尽を被ったというならまだしも、何が起こったかも分からないままに「被害」と言うことに、違和感を覚えました。

 

どんな時に「被害者」になるの?

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photo by Runar Pedersen Holkestad

 自らが「被害」を受けたと訴える人の多くは、それが「理不尽」なことだと考えるために、そのような主張をする。メディアで報じられる「被害者」とは、不幸にも、理不尽に遭ってしまった人たちのことだ。

 その場合の「被害」とは、交通事故や傷害事件、詐欺、はたまた自然災害など、本人の意志とは関係なく、周囲の要因によって巻き込まれてしまったものだ。それらは、いずれも「偶然」の出来事であり、そんな理不尽に対して憤ってしまうのは、理解できる。

 

 しかし、今回の件がそんな「理不尽な出来事」に該当するかどうかと言われれば、非常に怪しい。「被害」を叫ぶ人が言及している、「はてなブックマークの特性」とは、公式が掲載している情報ではなく、あくまでユーザーの推測の域を出ない。

 もしもそれが公式の提供するルールや規則であるのならば、変更するにあたっては告知を行うのが妥当であるだろうし、予告なく変更された結果、不利益を被るのならば、それに対して少々の文句を言うくらいは、いいと思う。けれど、本件に関しては、それは当てはまらない。もちろん、明言はされていなくても、明らかに不公平な内容であるのが分かれば、話は別だ。

 また、この件は、Webサービスというデジタルコンテンツに関するものだが、他方では、似たような事例が世間的に蔓延り、一部では問題になっている。怪獣大国、日本。

 

蔓延る「モンスター」と、強い「被害者意識」

 不利益や理不尽を主張する人の代表格といえば、教育現場における「モンスターペアレント」が最も有名だ。モンスターペアレントとは、<学校や教師に対して無理難題を突きつけてきたり、理不尽なクレームを訴えてきたりする非常識な親>のことを指す*1

 同様に、病院において理不尽な言いがかりをつける患者を「モンスターペイシェント」と呼ぶが、彼らはさらに、院内暴力まで振るうので厄介だ。そんな行為を繰り返す人達を、まとめて「クレーマー」と分類する場合もある*2

 

 なぜこのような現象が起こるのだろう。その理由のひとつとして、モンスターペアレントに関しては、「保護者の消費者意識の暴走」という考えが示されている。

多くの親は「同じ値段を払えば同じ商品が手に入る」という消費者の意識で、教育も捉えようとするのだ。それゆえ親たちは、自分の子どもが他の生徒より損な待遇を受けることが我慢できない。*3

 その背景にあるのは単純な攻撃性ではない。そうではなくて、「自分だけ損をするのはおかしい」という被害者意識がまずある。その意味で「モンスター」たちの怒りは、構造的に生じたものだ。

 誰もが享受できるはずの「理想の教育」や「理想の医療」を、自分だけは受けられないという理不尽。それがキレる親や患者の怒りに拍車をかけるということ。*4

 

 つまり、彼らは不平等が気に入らない、ということ。彼らが「受けられて『当たり前』と考えているサービス」を利用できないことに対する怒りが、企業や生産者へと矛先を向けてしまっている。

 

「当たり前」という傲慢な「消費者意識」

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photo by Koppenbadger

 今回の件に関しても、構造はよく似ている。自分の記事は新着エントリーに載っていないのに、他の人は載っているという理不尽が許せない。同じユーザーであるはずなのに、差がついているのはおかしい。ふざけんな! と。

 だけど、待って欲しい。僕らが今、「当たり前」に利用しているそのサービスは、「当たり前」に、キツい口調で文句を浴びせかけてもいいものなの?

 

 

 例えば、こんな記事がある。たびたび話題にもなる、「日本人は完璧なサービスを求めすぎる」という話だ。牛丼チェーン店で些細なことに文句を言うだとか、事故で電車が遅れていることに関して駅員に罵声を浴びせるとか、無料のアプリの動作にケチをつけるとか。高級料亭だとか、有料アプリであるならとにかく、だ。

 

 今回の件に関しても、同様のことが言えると思う。基本は無料のブログサービスに対して、求め過ぎなんじゃないかと。文句があるなら、別のサービスに移行すればいいだけのこと。有料会員の人にしても、その専用機能の中に、はてなブックマーク云々に関しては含まれていない。

 どんな場面においても、「それが享受できて当たり前」という考え方は、あまりに傲慢すぎると僕は思う。それだけの対価を支払っているならば別として、無料や安価なサービスや商品に対しても、好き勝手に主張を通そうとする姿勢は、見ていてあまり気持ちの良いものではない。

 

「システム」も「お客様」も絶対ではない

 この「モンスター」の問題について、精神科医の斎藤環さんは、著書の『承認をめぐる病』で次のように書いている。

彼らはあらかじめ、教育システムや医療システムに対して、ほぼ無根拠な全面的信頼を抱いている。それはときとして、システムにはあらゆることが可能であるという万能感の期待ですらあり得る。システムの一翼を担う側からすれば、いささか無茶な期待には違いない。しかし現代社会にあって、もはやこの種の期待は不可避なものだ。

システムは常に匿名だ。われわれはもはや、システムの背後に存在するかもしれない個人や主体に対して、積極的な関心を維持できない(だからこそ権力=「システムそのもの」は批判されにくい)。一方、われわれが現実に接するのは、常にシステムの代理人(エージェント)たる個人を介してである。こちらがモンスターたちの餌食になっている。個々の教師や医師たちにあたる。

 

 「モンスター」たちの前提にあるのは、システムに対する全面的かつ無根拠の信頼感であり、それがために、矛先は目の前の教師や店員に向かう、というものだ。目に見えない、不確かなものを信仰する。まるで、一種の宗教のようにさえ思える。

 そこまで完全にシステムを信じ切っている人が多いかどうかについては、ちょっと疑問を覚える。が、システムそのものに対して文句を言う人は、確かに少ないように感じる。

 彼らが文句を言うのは、決まって目の前の人間、もしくは責任者だ。それが店員や教師のミスであるのなら、改善の余地はあるだろうが、システム自体の問題だったり、単純に「気に食わない」ものであれば、文句を言ったところで意味がない。その場で吐き出してすっきりしても、またいずれ繰り返すことになるはずだ。誰も得しない。

 

 まとめると、過剰な被害者意識、そして消費者意識の根底にあるのは、サービスを享受して当たり前という「お客様至上主義」的発想と、「システムへの絶対的信頼」のふたつが大きいと言えるだろう。

 そして、それらに対して、「もうちょっと考えてみようよ」と突っ込みたい。少し考えれば、自分が無茶なことを吹っかけているのは分かるだろうし、一店員にいくら突っかかろうとも、自分の優越感が満たされるくらいで、ほとんど意味がない行為に見えてならない。

 

 サービスに不満があるなら、単純に店を変えればいい。それがおかしい、改善して欲しいというのなら、喧嘩腰に突っかかるんじゃなくて、お客様相談センターなどに提案すればいい。その方がよっぽど健康的だし、生産的。それによって変わるかどうかは別にして。

 いずれにせよ、「何でもかんでも得られて当たり前!」なんて考え方は、一度ポイした方がいいと思う。あまりに求めすぎると、結果として、生き辛い社会に繋がる可能性だってある。既にそうなってるのかもしれないけど。別に、ちょっと損したからって死ぬわけでもなし、もうちょっと気楽に構えましょうぜ。

 

 

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*1:尾木直樹 著『バカ親って言うな!――モンスターペアレントの謎』より

*2:現在は、「クレーマー=理不尽な要求をする消費者」というイメージになってしまっているが、「クレーム=不良品や契約違反に関する対応」といった意味なので、必ずしも「悪い消費者」に限らない

*3:喜入克 著『高校の現実―生徒指導の現場から』より

*4:斎藤環 著『承認をめぐる病』より