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これからの「マナー」の話をしよう


一部で話題になっていた画像。「盗撮だ!」とか「年寄りはマナーを守らない!」とかいう議論は別にして、「なんだかなー」という、違和感というか、疑問というかを持った。ちょっと考えてみまする。

 

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改めて「マナー」とは何か考える

「座席取り」や「携帯電話の通話」、これらは「電車では控えるべき、守るべきマナー」とされている。……はて、「マナー」とは何ぞや。

「マナー」とは、文化・社会においての作法・行儀のことであり、自分や周囲の人間が心地よく生活するための立ち振る舞い方のこと。守らなかったからといって罰則を受けるでもなし、特にペナルティがあるわけではない。周囲から、白い目を向けられることはあるだろうけれど。

 

マナーと一口に言っても、その社会や文化圏、場面場面によって要求される行動は変わってくる。外国に行けばその国の作法があるし、和食と洋食でも行儀が異なる。他にも、公共の場で守るべきマナーや、ビジネスマナー、冠婚葬祭でのマナーなど、挙げればキリがない。

これらマナーは、その場面における作法であると同時に、知らないと笑われたり恥ずかしいとされる「常識」ともされることが多い。つまり、当たり前の決まり事。「当たり前」なのに、どうしてそれが問題になるのだろう。

 

冒頭の件に関して言えば、それがパブリックマナーと呼ばれるものだから。公共におけるマナー。「公共」と言っても範囲が広いし、ある行為のどこまでがマナー違反かというのは、人それぞれ異なってくるはずだ。

故に、時たま、議論が巻き起こる。「それ、迷惑だからやめてくれない?」と言えば、「私は迷惑だと思ってないからいいじゃない」と言う。そもそもの基準がお互い違うのだから、妥協点を探ることは難しい。どうしたらいいんだろう。

 

「ルール」にしちゃえ!

多くの人が不快に感じる行為なら、いっその事、「ルール」にしてしまってはどうか。「マナーは守ろう!」というポップでキッチュなポスターではなく、「禁止事項」として仰々しく注意書きを掲示する。

ルールに違反している人を見かけたら、トントンと肩を叩いて、「この注意書きが目に入らぬかー!」と、ドヤ顔で禁止事項の掲示を指差してやればいい。いつの時代も多数派は強いもの。周りの人間も睨みをきかせてやれば、抗うことはできないはずだ。めでたしめでたし。

このように、ルールにしてしまえば楽かもしれない。しかし、規則として規制してしまうと、僕らはいつも考えるのを辞めてしまいがちだ。そのルールが、なぜ、どのような意図でできたのかを忘れ、ただ従うだけのおバカさんに成り果てる。

 

「今まで守ってきたルールだから」という思考停止

その代表的な例が、「優先席付近での携帯電話使用禁止(電源オフ)」だ。

電車内での食事、通話、席取りなどは「迷惑行為」として時たま掲示されているが、常に貼ってあるものではない。が、「優先席付近(以下略)」に関しては、どの鉄道会社のどの車両のどの優先席にも、しっかりと掲示されている。

 

この「優先(以下略)」、もともとは、「携帯電話の放つ電波がペースメーカーに影響を及ぼす恐れがあるから」という理由で決められたルールだったはず。

ところが、現在のスマートフォンを含む携帯電話がペースメーカーに影響を与える可能性は、ほぼないらしい。しかも、過去にそのために事故に至ったケースはなく、「古い携帯電話を、古いペースメーカーに近づけたら影響があるかも」という程度のもののようだ(参考:医療機器に影響がなくても優先席付近ではケータイの電源を切る理由

 

考えてみれば、「優先席付近」だけに範囲を絞っていることに違和感があるし、「携帯電話」オンリーで他の電子機器に振れられていないのも不思議だ(触れている電車もあった気はするけど)。高校生の時とか、普通に優先席でポケモンしてたよ。

このような話もあることから、何もかも「ルール」で縛るのはよろしくないと思う。そのルールが何のためにあるのかも忘れて、「守るものだから守る!」という、謎の使命感を抱いたまま思考停止してしまうのは残念だ。

 

同様に、「スーツじゃないと失礼!」と言って、真夏にジャケット姿の汗だく状態で営業に向かうというビジネスマナーも意味不明だし、「我が社の伝統だから!」と言って、何も生み出さないような行事に参加させられるのも訳が分からない。

ルールを守ろう、伝統を継承しよう、という考え方自体は素晴らしいものだと思う。けれど、過去から続くそれに縛られすぎて、それを現代に合わせるように変えられないのは、なんかもったいないんじゃないかしら。もっと臨機応変でいいじゃない。

 

心遣いと気遣いと

思うに、「マナー」という言葉そのものが、最近は「ルール」に近付いてしまっているように感じる。この記事を書くにあたって、2つの単語を検索してみたが、「◯◯で守るべきルールやマナー」などと、同列に扱っているケースが少なくなかった。

この「マナー」や「ルール」が取り上げられ、議論される場合においても同様だ。それらは守るべきもの、守らない人はけしからん、と言われ、「守る」か「守らない」が焦点となっている事が多い。

何と言うか、強制力がパない。どうして守るべきなのか、守らないことで誰が不快に感じるのか、そもそもそれは、必要なものなのか。一度、周りを見て、根っこの部分に立ち返るべきだと思う。

 

英語の「manner」を直訳すると、行儀や作法、もしくは、風習や習慣のことらしい。テーブルマナーやビジネスマナーの「マナー」はこれに当たるだろう。だが、ここまで書いてきたような公共の場でのマナーを、行儀やら風習やらとして見るのは、どこか堅っ苦しくて違和感がある。

ならばもうこの際、マナーと言うのはやめよう。日常生活の中で、自分と周りの人が心地よく生活するための立ち振る舞い方、それならば、「心遣い」「気遣い」といった言葉でいいじゃないか。素晴らしきかな日本語。おもてなし。

 

相手のことを考えて行動する。電車を降りる人のためにドアの端へ避けるとか、立っているのが辛そうなお年寄りに座席を譲るとか。自分がされたら気持ちの良い行動をして、迷惑だと感じるものはしなければいい。それだけの話。

だけど一方で、周りのことを一切考えないはた迷惑な人間も少なからずいるわけで。そんな人はもう、どうしようもないと思う、うん。関わるべきじゃない。面倒でも車両を移動するなど、こちらから積極的にスルーするしかない。見ちゃいけません!臭いものには蓋をする。諦めましょう。

 

 

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