ぐるりみち。

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自分のブログの記事構成を見直したら「3」の法則があった

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_人人人人人人_
> 三位一体 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

※だからどうした、って話。

※文章や記事の書き方、構成方法を勧めるものではありません。SEOも分かりません。

 

 今、友人から勧められて『危険な文章講座』という本を読んでいるのだけれど、その中に、次のような引用の記述があった。

 

書く字のスタイルは第三者にもかなりはっきり区別がつくからサインという習慣が生まれた。これに比べて文章のスタイルはそれほどはっきりした個性をもっていない。匿名の筆者をつきとめることは困難である。

文章のスタイル、これが文体と訳されているのはすでにのべたが、書きぐせのスタイルに比べるとはるかに不安定であり、個性的でなく、したがって、自己を韜晦する手段を提供しやすい。ビュフォンという人の言った「 文 は人なり」は有名だが、まだ、文体は充分にアイデンティティをもっていない。個性的になっていない。われわれはこのことを忘れて、文体、文体と言っている。 (外山滋比古『ことばの姿』)

 

 その上で筆者は、

言葉は自己を表現する手段であると同時に、時にはそれ以上に「自己を韜晦する(隠す)手段」でもあるのだ。 

と書いていますが、これは確かに、その通りだと思う。

 

 特にインターネットで情報発信をしている人に関しては、この文章による“表現”と、それを“隠す”ことの可能性についてはよく知っているのではないかしら。SNSでの複数アカウントとか。

 はてな界隈に関しても、匿名ダイアリーの存在がありますしね。僕も試しに一度使ってみたときには、やはり意図的に文体を変えて書いた……はずなんだけど、今、読み返したら、そうでもなかった。我ながら分かりやすっ!

 

 それはともかく、要は、「人は文章によって個性を表現できると同時に、それを隠し、匿名として立ち振る舞うことも可能である」という話。

 これを読んで考えたのが、「文章もそうだけど、ブログの記事の構成を見ても、どこかしらその人の特徴というか、『型』があるよなー」ということ。そうなんです。最初に決めたわけでもないのに、いつの間にかテンプレっぽいのができていたのです。

 

 その「型」を見直していて気づいたのが、どうも僕の記事については、「3」に関連した法則があるらしい、というもの。たまたま、というか、こじつけ感もありますが。

 

 果たしてその「型」が読みやすいものなのかどうかは分かりませんが、そんな僕の場合の、「ブログ記事の構成」について。本の引用部分の前置き、いらなかったんじゃ……。

 

 

タイトル30字以内、本文3000字前後

※一応、書いておきますと、僕はウェブページにおけるSEOの知識はありませんし、積極的に勉強して実践するつもりもございません。最近、学ばせていただく機会がありまして、少しずつ取り入れている点はありますが、ここに書く内容とは全く無関係な部分です。

 

 記事タイトルに関しては、最初は適当に短め(20字以内)に収めていて、徐々にそれが厳しくなり、25字、30字と増えていって、現在はそこがラインになっている形。

 はてなブログのデザインテンプレート、アクセスする媒体や設定によっても異なるとは思うけれど、自分のPCで記事を見て、タイトルが2行にならないように気を付けている感じですね。

 

 間違っていたら申し訳ないんですが、確かSEOのことを考える場合でも、そのくらいがちょうどいい……んですよね?詳しいかたー!だれかー!(人頼み)

 

 それと、本文全体のボリュームに関しても、平均すると、おおよそ3000字前後くらいで安定している……はず!たぶん!きっと!おそらく!

 思うままありのまま好き勝手に書いていると、5000字超くらいの文量になってしまうこともあるので、削って削って、3000字台にはなんとか収めようとしております。「はてなブロガーの記事は冗長で長過ぎる」なんて評価も一部ではあるそうですが……耳が痛い。

 

 とまあ、まずは記事に関する文字数として、「30字以内」「3000字前後」という傾向があったので、「あっ、これって共通項になるんじゃね?」と思った次第であります。単純。

 

記事内のパラグラフは基本的に3つ

 ここで言う“パラグラフ”は、ちょっと文字の大きいこれ↑のこと。タグで言えば<h2>で括っている、記事内の“見出し”的なアレです。

 

 こちらは、特に意識せず、最初から自然とそのようになっていました。いや、最初期はそもそも、見出しの付け方を知らなかったのだけれど。

 弊ブログのカテゴリーで言えば、書評にせよ、“ことば”にまつわる記事にせよ、ある話題に関する“ツッコミ”にせよ、その多くは3つのパラグラフで構成されております。

 

 例えば、こちらの記事。

 

 この記事の場合は、第1パラグラフで過去記事に書いた「社会人」の意味を引用し、第2パラグラフで就職前と後で「社会人」という言葉から感じる意味の違いを取り上げ、第3パラグラフでまとめるような構成。

 

 もうひとつ、本の感想の場合。

 

 こちらのケースでは、まず本の序盤で取り上げられている「自己承認は成り立たない」という点を抜粋し、次にその解決策の部分を提示・解説し、最後にまとめと補完をするような流れ。

 

 ――とまあ、例に挙げるとこの辺が3パラグラフ構成になっている記事なんだけど、ぶっちゃけ、4パラグラフ、5パラグラフ構成の記事もそこそこあるのよね……。

 投稿した記事全体を見てみると、やはり3パラグラフで構成された記事が多い模様。理由は「たまたま」なのでしょうが、先ほどの「3000字前後」のことも鑑みると、1パラグラフ1000字前後として、ちょうど全体をうまく収めやすいため、3パラグラフ構成になる傾向にある模様。

 

文章は3行で1段落

 これも一概に読みやすいとは限りませんが、僕はこのくらいがちょうど良い。ここで言う“段落”は、文章頭の全角一文字分の空白から続く、ひとかたまりの文章のこと。

 

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こんな感じ(曖昧な“コンテンツ”にこそ価値がある?(川上量生『ルールを変える思考法』))。

 

 パッケージ化された小説や論文と比べて、PCでブログを読むことを考えた場合、文字がぎっちりしていると、どうにも読みにくい。ぱっとページを開いたときに、ずらっと空白なく文字が並び、それが下まで続いているとなると、読む気が失せる人も少なくないと思う。

 

 かと言って、逆に1行ごとに改行&改行、改行しまくって、空白ばかりになってしまうのも、どこか違和感が。「ケータイ小説か!」と突っ込みたくなる。あ、でも、ケータイ小説は割と好きです。文字の詰まった、ぎっちぎちの作品もありますしね。

 

 そんなわけで、どのくらいのバランスがいいだろう……と考えながら書き続けた結果、今のような改行具合になりました。これまた、「自分から見て」という格好になりますが、PC画面で見たときに、3行をひとかたまりとして分割するようにしております。

 もちろん、見やすさ重視で1行で箇条書きっぽくする場合もあるし、若干はみ出る場合もある。あと、まさに今書いているこの文章のように、1行空けずにまとめている部分も多いですね。この辺は、完全にフィーリングだけど。

 

 ブログの更新を再開した頃、2013年11月頃の記事を見てみると、もうちょい空白部分が少なかったみたい。3行でなく、普通に4行になっている部分もあり、1行を空白とする改行をせず、3段落をまとめてひとかたまりにしている箇所もちらほら。

 

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集団という「場」に支配され、「役割」を演じ続ける僕ら

 

 現在は、というと――まさに、この記事のような形です。 当時と比べると、ちょっと空白を増やした感じ。

 

 ただ、スマホやタブレットで見たときに読みやすいかというと、それは怪しいような気も。個人的には、小さな画面で読む場合はむしろ、空白少なめのぎっちり文章の方が集中して読めるので、そっちの方が好み。

 あとは、筆者の文章力、というか「読ませ方」によっても変わってくる印象。全くの改行なしでもすらすらと読めるような、文字通り“流れるような”文章を書かれる方も結構いますし、尊敬しています。“読んでいる”というよりは、“聴いている”ようなイメージ。まじすげえ。

 

 

 以上、弊ブログの記事構成、テンプレの「型」としての、「3」の法則(になっているっぽい)という(こじつけ臭い)話でした。特にオチはないし、びっくりするほど何の役にも立たねえ!ごめんなさい!

 

危険な文章講座 (ちくま新書)

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