先週、話題になっていた、Twitterの仕様変更。
日本のTwitterユーザーの反応としては、「そんなのお望みじゃないんですが……」といったものが大半っぽい。そりゃあ、見たいものだけを選んで見ていたところに、強制的に無関係なものを「見せつけられる」ようになってしまっては、あまりよくは感じないでしょう。
ただ、「見たいものだけを見る」ことに関しては、「それってどうなん?」と思わなくもない。同じ分野のもの “だけ” を消費し続けることは、マンネリ化に結びついたり、視野を狭めたり、といった影響も考えられるのではないかしら。
そんな、ネットで「何を見るか」について、ちょろっと考えながら書いてみます。
「見たいものだけを見る」ことによる弊害
「何を好んで、興味のないものを見なきゃいけないんだー!」
「リア充の意識高い系ツイートなんざお呼びじゃねえんだよー!」
「迂闊にエ口画像をふぁぼれなくなっちまったじゃねーかー!」
──などなど、Twitter民の嘆きは、なんとなく分かるつもりです。わかる。僕も艦これのイラストばっかふぁぼってるし! 今もふぁぼってるけど!
Twitterでは、フォロー&リムーブが自由なため、基本的にはそのときに「見たいものだけを見る」ことができるというシステムになっているわけでありまして。そこに変なものが混ざるようになったら、そりゃ、良い気はしないでしょう。なにこれ状態。
でも他方では、余計なものが目に入らず、フォローしている人と、RTで回ってくる呟きくらいしか読まないので、割と閉じられたコミュニティがそこにあるような印象を受ける。もちろん、実際は開かれているので、注意が必要ですが。えんじょうこわい。
そんな「見たいものだけを見る」ことによる弊害として考えられるのが、先にも挙げたマンネリ化だったり、「視野狭窄」的なものだと思うのですよ。
いつも同じ人と絡んで、いつも同じ分野の情報を摂取して、いつも同じ有識者の主張に共感していては、思想・考え方が偏るんじゃないかという不安がある。
僕の勝手な想像、というか妄想の類かもしれませんが、例えば、「原発ガー在日ガー」的な言説(特に極論ばかり)を繰り返しているユーザーには、その偏りが顕著であるように見えます。
ツイートを遡っても、いっつも同じまとめサイトの記事を取り上げて、いっつも同じ専門家の主張を盲信して、いっつも同じ相手とやり合っているような。あ、妄想ですよ、これ、僕の。
そう考えると、ネットにおける「ノイズ」の存在は、時に必要なんじゃないかとも思うのです。異なる言説が目に入って、ちょっと立ち止まるきっかけとなるような情報。
ふとした時に興味を引くリンクが目に入って、クリックしてみたら、それまでは全く知らなかったサイトだったけれど、おもしろかった、みたいな。
SNSでの共有・拡散が始まる前の、ハイパーリンクを主とするネットサーフィンをしていた頃には、そのような「ノイズ」がまだ多かったのではないかしら。巡回する個人ニュースサイトは同じだとしても、その先で別の出会いが待っているような、お宝を探すわくわく感。
確かに、当時と比べれば、圧倒的に自身に最適化された情報を受け取れる現代の方が、ネットサーフィンをするにしても便利なのかもしれない。そもそものウェブ上の情報量もとんでもないことになっているし、キュレーションの必要性も分かる。
それでも、どこかしらに「ノイズ」を挟む余地を持っておきたいと思うのは、時代錯誤なのかしら。
そもそもTwitterはノイズだらけ?
……なんて、「ノイズがあってもいいじゃない!」と書いてきましたが、ぶっちゃけ、Twitterが仕様変更するまでもなく、そこにはノイズが溢れかえっているんですよね。
ユーザーごとに趣味嗜好の傾向があるとは言え、リツイートで何が回ってくるかは分からないし、フォローしているユーザーが何を呟くかは個人の自由。いきなり“欝イート”を始めたっておかしくない。だって、にんげんだもの。
もしくは、あえて多彩な情報を流そうとしているようなユーザーの存在もある。常日頃から特定のサイトの引用に絞るのではなく、様々な情報ソースを持っていそうな人。多分、複数のニュースアプリを使っているとか、その人のTLに流れている情報を参照しているのかな。
そんなこんなで、Twitterは割と混沌としている、というか、常にタイムラインにノイズが走り続けているような環境だと思うので、「何を今更」感があるかもしれません。見ているTLはばらばらなので、人にもよるでしょうが。
そんなところに、わざわざ公式が「ノイズ増やすよ―☆」と突っ込んできたら、反発が生まれても仕方ない。「もう間に合ってますよ!」と。せめて、機能設定でオンオフができればいいのでしょうが、実装されるような気配はないっすよね……。
現代のネットでは「情報」が整理されつつある?
類似?の話題として、このような記事が目に留まりました。
正直はてブロの記事は面白くない(記事削除済)
で上がってきているだけに見える
- どれも似たようなネタ
- それ何回目だよなネタ
- はてブロトップに表示テクニック
- ブクマを呼ぶブクマテクニック
純粋に技術系の記事が読みたいだけなんだ、こっちは
個人的には “面白くない”とは思わないけれど、似たような記事が定期的に上がってくるような印象はありますね。というか、弊ブログもその上2つに当てはまりそう。すみません。
この記事の筆者さんがそうであるらしいように、ある分野の情報とか技術とか、特定のコンテンツだけに絞って読みたいと考えている人にとっては、このような現状は「不便」に感じて仕方ないのだと思う。大半が「ノイズ」であり、探すのが面倒ですもんね。
僕なんかは、ノンジャンルに記事を読むこと自体が楽しい人間なので、そのような実感はないのですが。逆に、技術系の記事はちんぷんかんぷんなので、スルーしている格好です。自分の記事が「テクノロジー」カテゴリに入ると、変更するべきか悩むレベル。
自分のような「ざっくばらんにいろいろ読みたーい」という人間とは異なり、特定の「情報収集」を目的としてネットに接続している人は少なくないと思います。というか、そちらが多数派まである。
考えてみれば、新聞にしろ雑誌にしろ、ノンジャンルで幅広い大手メディアがある一方で、全体を見れば何らかの「専門誌」が大半なんですよね。経済新聞しか読まない人だって当たり前にいるし、ファッション誌以外には関心のない人だって多い。
つまり、掲示板やニュースサイトごとにそれとなーくカテゴライズされながらも、ごちゃごちゃしたノイズとして一括りにされていたネットの情報が、最近になって、ようやく個人ごとに最適化され、整理されつつあるのかもしれない。
そういえば、専門分野に特化したニュースアプリもちらほらと現れてますもんね。経済ニュースを集めたNewsPicksとか、アニメなどのポップカルチャーに限定し、中で細分化しているハッカドールとか。あれはいいものだ(サブカル特化ニュースアプリ「ハッカドール」のウォッチリスト機能が捗る!)。
とすると、むしろ自ら進んで「ノイズ」を取り入れるTwitterの存在は、却って唯一無二のものとなり得るの……かも?
最終的に、全ての情報が整理され、それぞれの特化型アプリやサイトで見るか、もしくはそのように最適化されたシステムができるのであれば、その中で、勝手に情報を “見せられる” サービスの存在は、あった方がいいのかもしれない。バランス的には、そのくらいでちょうどいい。
Twitterはもはや水道や電気のように必要不可欠なライフラインの一部と化しているので、安定供給以外に特に望むものは無いです。昨今の新機能には「おたくの蛇口からポンジュース出るようにしました!」みたいなコレジャナイ感を感じます。愛媛じゃないんだよ。
— 比村奇石 (@Strangestone) 2014, 8月 20
でもやっぱり、水道水が出て欲しいときにオレンジ色の液体が流れてくるのは嫌だな……。あ、でもポンジュースは大好きっす。転職を考えたレベル。愛媛らぶ。