空想でつながる、ボンクラ男子と不思議女子の短編集『春と盆暗』


小学校6年。
中学校3年。
高校3年。
大学4年。

──学校生活、計16年。
ついぞ、校庭にミサイルが落下する日は訪れなかった。

 

自由気ままで夢見がち、思春期の青い「空想」はどこへ行く

校舎は火事にならなかったし、職員室に爆破予告の電話はかかってこなかったし、 教室にテロリストは侵入しなかったし、帰り道に横断歩道の白線を踏み外しても世界は滅亡しなかった。

透明人間にはなれないし、時間停止能力は発現しないし、スタンド使いは引かれ合わないし、バトルロワイヤルは始まらないし、体育の時間に裏山のドラゴン退治には行かないし、理科準備室は異世界へのゲートじゃないし、右腕に✝封印されし暗黒の力✝は宿らなかった。

中二病 いらすとや

……まあ、今となっては「平和が一番だよね!」と切って捨てる大人になってしまったものの、学生時代──特に、中学生のころの妄想力は無限大だったんじゃないかとすら思う。

平々凡々な日常に退屈さを覚え、教室においては絶対的だったスクールカーストに抗うこともできず、それらをぶち壊してくれる、ぶち壊すための「非日常」を妄想していた青い日々。「平和が一番!」などと引きつった笑顔で語る、大人の常套句なんざ知ったこっちゃない。

もちろん、自分の頭の中で「妄想」するのは自由だし、大人だって「空想」の世界に浸ることはできる。爆破予告やテロリスト……といった物騒な「妄想」は口に出すとシャレにならない場合もあるものの、誰も害しない「空想」に大人が浸ったっていいじゃないか。

そもそも大人になった今だって、考えていることは子供のころと大差ない。新入社員時代には「大雪で会社が休みにならないかなー」なんて考えることもあったし、飲み会で酔っぱらった帰り道、エレベーターの扉の前で「異世界につながらないかなー」なんて空想したことはある。

 

異世界がどうのこうの──とまで考えるのは行き過ぎかもしれないけれど。それでも、実は意外と多くの人が、身近な出来事や街並み、人間関係に対して、ちょっとした「空想」を織り交ぜたことがあるんじゃないかしら。年齢に関係なく、大なり小なり。

口に出せば危ない人だと思われるかもしれないし、逃避行動だとバカにされるかもしれない。だけど、自分には想像も及ばないような他人の「空想」を聞くのはおもしろい。友人の小さな癖や、呟いた言葉、実はその背景に、素敵な「空想」の存在があるとしたら──?

というわけで前置きが長くなりましたが、そんな「空想」の魅力に浸れる短編マンガ、熊倉献さんの『春と盆暗』を読みました。

 

ボンクラ男子と不思議女子の、オムニバス恋愛譚

 

『春と盆暗』は、4つの短編が収録されたオムニバス。公式の紹介文*1で “恋愛譚” と書かれているように、間違いなく恋物語──ではあるのだけれど、その内容はちょっと不思議で味わい深い。

別に異世界ファンタジー云々という意味での “不思議” ではなく、一風変わっているのは、キャラクターの頭の中。本作に登場するのは、一見するとかわいらしい女子であり、はたまた真面目で冴えない男子だったりするのだけれど、誰しもどこか「空想」の世界に浸っている部分があるのです。

春と盆暗 熊倉献 感想1
熊倉献『春と盆暗』P.11より

そこには、月面に向かって標識をぶん投げる女性店員さんがいて、中央線の駅名を冠する女性に日本沈没を夢想する鉄道オタクがいて、サボテンとアロサウルスの友情があって、粉砂糖の粉塵爆発によって人類が死滅した世界がある。……何を言っているかわからねーと思うが、あるっちゃある。

他方で、この手の「空想」を描いたマンガは理解や解釈が難しく、最終的に「よくわからん不思議な話だった」で終わるようなパターンも少なくない。ですが、本作はどの話でも男女をつなぐ鍵として「空想」の存在があり、最後は自然と腑に落ちる展開となっているような印象を受けました。

春と盆暗 熊倉献 感想2
熊倉献『春と盆暗』P.36より

目には目を、歯には歯を、空想には空想を、標識にはカルシウムを。……これまた何を言っているわからねーと思うが、読めばしっくりくるのです。特に各話のクライマックス、大きなコマ割りでもって「空想」と「現実」が絡み合い、2人の関係性が縮まる瞬間がたまらない。

一般的なラブコメほどに甘くはないものの、すべての話に共通して描かれているのはどこか温かさを伴う関係性であり、ふわふわした空想的な世界。そして、そんな「春」のような装いの4人の女性に相対するのは、冴えない「盆暗」な男子たち。読んでいると、思わず彼らを応援したくなる。

 

ぼんくらとは盆暗と書く賭博用語で、盆の中のサイコロを見通す能力に暗く、負けてばかりいる人のことをいった。ここから、ぼんやりして物事がわかっていないさま、間が抜けたさま、更にそういった人を罵る言葉として使われる。これとは別に「がんばれ」という意味で使われることがある。

 

現実に働きかけることのない、毒にも薬にもならない「空想」だって、実のところは使いよう。思春期のそれに軽く現実味を帯びせたようにも見える『春と盆暗』の「空想」は、気分を切り替えるスパイスとして極上でありながら、同時にほんのり甘酸っぱい。

盗んだバイクで走り出さずとも、秩序のない現代にドロップキックをかまさずとも、いつでもどこでも誰だって飛び込める、「空想」の世界。大人になって薄らいでしまったそれを再発見したい人に、ぜひともおすすめしたい1冊です。そしてがんばれ、リアルの盆暗たち。

 

© Kon Kumakura 2017

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