元ニートが『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』を読んで思ったこと【PR】


ひきこもり・ニートにとって、就労がゴールのゲームはクソゲーではなく、無理ゲーだ。それならば、就労することなく無職をやめればいい。

伊藤秀成『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』雷鳥社/P.101

 

 

 『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』を読んだ。一時期はニートのような生活をしていた身として、いったいどんな解決策がもたらされるのかワクワクしながらページを開いたものの……うーん……何とも言えない読後感でした。

 もちろん、この方法がうまいことハマり、現状の打開、あるいは改善に結びつく人は少なからずいると思う。それに、本書の筆者はひきこもり支援に携わってきた経験もあるとの話。ならば、本文で書かれている考え方にも一定以上の妥当性はあるのでしょう。

 現役のひきこもり・ニートの当事者、もしくはその親におすすめできる、処方箋となるかもしれない1冊です。

 

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ひきこもり・ニート支援の現状と、それを打破する筆者の提言

 本書『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』の筆者は、伊藤秀成さん。

 元ひきこもり相談員として活動してきた経験から、「ひきこもりに就職は無理だ」と断言。閉塞感の漂うひきこもり支援の現状をなんとかして別の観点から打破するべく、本書を執筆されたとのこと。実際、本文は熱量を感じられる書き口となっており、すいすい読み進めることができた。

 

 本書は、大きく分けて2部構成になっている。第1部は、公的に行われているひきこもり・ニート支援の現状確認と、具体的な「支援・制度のうまい使い方」の解説だ。

 そして、肝となる第2部は、著者による提言。ひきこもり・ニートの親世代が高齢化し、金銭や介護の面で問題が噴出すると考えられる――すでに深刻化しつつある現状に歯止めをかけるべく、「就職」以外の方法で閉塞感を打破する考え方をまとめている。

 

 ところで、本書のタイトルを見て、「ひきこもり」と「ニート」を一緒くたにしていることに疑問を覚える人もいるかもしれない。かくいう自分もそうだった。

 そもそも、日本において「ニート」と定義される年齢は「34歳まで」となっている。加えて、本書冒頭では「『ひきこもり』の半数は40代以上である」というデータも参照されている。両者が被る領域を取り扱うとなると、かなり限定されてしまうのではないか、と。

 

 では、この本における「ひきこもり・ニート」の定義はどうなっているのだろう。そのまま引用すると、ずばり「無職で友達がいなければひきこもり。友達がいればニート」と書かれている。友達の定義は……などと言い出すのは、さすがに野暮というものでしょう。たぶん。

 加えて、「無職で将来ポシャる可能性の高い人に幸せになってもらうこと」を狙いとしている旨も説明されており、自分はこの説明で納得することができた。ただ、それゆえに本書は、どちらかと言えば「ひきこもり」問題に重きを置いているという点は、前提として意識しておきたい。

 

ひきこもり支援のゴールは、どこにある?

 さて、ひきこもり支援の現状が簡潔にまとめられている第1部は、知識ゼロでも読み進められるほどに明快な内容となっている。「親にも問題がある」「居場所の大切さ」「使えるものは使う」といった原則を知ることは、ひきこもり問題を広く理解するのに役立ちそうだ。

 途中、ちょっと「親」をバカにしすぎなんじゃないか――と眉をひそめる場面もあったが、一方で、ひきこもり・ニートにとって重要な「居場所感」の指摘は強く共感できた。

 

 残念ながら、ひきこもり・ニートの「居場所感」は乏しい。自室は確かに居場所ではあるが心の拠り所となっているかは疑問だ。家庭にそれがあればいいのだけど、親御さんがひきこもり状態を肯定することはあまりない。心の拠り所を求めてネットの住人として生きている人もいるくらい、「居場所感」は重要なのだ。

伊藤秀成『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』雷鳥社/P.37

 

 一般的な「世間」や「社会」から逸脱した文脈で語られることの多い彼らにとって、自分が安心して過ごせる「居場所」は数少ない。事実、ひきこもりでない、けれどニートとは呼べる立場にあったころの自分も、この「居場所感」の乏しさを実感していたように思う。

 ニート期間が長くなればなるほど、家にいるだけで罪悪感や葛藤を覚えるようになる。かと言って外出してみたところで、働いていなければ学生でもない自分の立場を強く認識させられるだけ。平日の昼間に街中を歩く自身の「異物感」に、どうしようもなく息苦しさを感じてしまうのだ。

 

 低スペックなのは自己責任なんかでは決してない。低スペックを受け入れ、それを補うための強化補助呪文を唱えることこそが、ひきこもり・ニートが問われる唯一の自己責任だ。コネがあるのならフル活用。親のスネは骨までキッチリしゃぶる。能力補完制度が整っている障害者支援制度を使いたおす。

伊藤秀成『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』雷鳥社/P.67

 

 なればこそ、まずは自身の「ダメっぷり」を自覚するところから始める必要がある。「まだ本気を出していないだけ」などと未来に責任を丸投げするのは簡単だが、それではいつまで経っても現状は変わらない。ひきこもり支援も、そこから始まる。

 支援機関を利用し、親も含めた面談によって現状把握を試みる。過去の情報を収集し、仲間の集まる「居場所」で徐々に慣れていき、最終的には就職を目指す。そのためならば、スクルトでもピオリムでもバイキルトでも、使える強化呪文は使っていくのが基本だ。

 

 ところが、冒頭の引用にもあったとおり、筆者曰くそれは「無理ゲー」だという。クソゲーですらなく、ひきこもり・ニートが就労するのは「無理」であると断言している。正社員になれても全体の1%程度であり、それは本当に奇跡のような割合なのだ、と。

 では、他の99%のひきこもり・ニートはどうすればいいのか。そこで筆者が掲げているのが、「就労することなく無職をやめる」ための考え方。それが第2部で語られる提言であり、具体的にはこれ一択、それすなわち――「株」である。

 

たったひとつの冴えたやりかた?

 正直に言って、「突然何を言い出すんです!?」と思ったけれど……読んでみると、大真面目な話だった。ざっくりと説明すると、次のような理由かららしい。

 

 就労をしないで無職を抜け出す方法はいくつかある。その中でも、僕が株式投資を勧める理由はその確率からだ。ひきこもり・ニートが会社員になれる確率は0パーセントに近いが、投資家になれる確率は100パーセント。ひきこもり・ニートには「少しでもダメそうだなと思ったら、一切なにもしない」という性質がある。そういった性質を踏まえると、なにもしなくても許される投資家が最適だ。会社員よりもどことなく響きがカッコ良くて、100パーセントなれる。こんな職種は他にはない。

伊藤秀成『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』雷鳥社/P.102

 

 もう少し本文の指摘を追加すると、「モチベーションがなくてもできる」「放置するだけでも配当金・株主優待等が得られる」「“とりあえず何かやっている”と他者に説明できる」などなど。

 たしかにこれだけ読むと、良いことづくめのように見えなくもない。なにより「株をやっているから」ことを、ひきこもっている理由――もとい「言い訳」として話せるようになるのは大きいようにも思う。何はともあれ「やってみる」ことは現状を打破する鍵たりえるし、親からすれば「何もやらないよりはマシ」な状態へと事態が改善されたと見ることもできる。

 

 株はあくまでも、ひきこもり・ニートが「投資家」となり、「不労所得を得る」ための手段に過ぎない。たかが手段を学ぶために時間と労力を費やすのは本末転倒である。

伊藤秀成『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』雷鳥社/P.214

 

 ただし、推奨されるのは本当にいくつかの株を買うだけで、「株の勉強をしてはいけない」「他には何もするな」と筆者は書いている。……どゆこと? ただでさえ種銭を用意する必要もあるのに、投資するだけしてあとは放置……ですと?

 頭のなかが「?」でいっぱいになったけれど、つまりはこういうことらしい。そのままも引用すると、狙いは「不労所得を得続ける仕組みをつくることで、経済的自立を『とりあえず』達成してしまうこと」。そして株をきっかけにさまざまな行動につなげ、生活の改善を図ること。

 ――なるほど。そういえば、小池一夫先生もそんなことをつぶやいていた。

 

 

 この理屈に当てはめるなら、筆者の提言にも納得はできる。就職を諦め、でも社会と関わるきっかけのひとつとして、誰でも始められる「株」は良い試みと言えるのかもしれない。種銭を工面するためにバイトでも始めれば、そのまま社会復帰に結びつきそうな流れすら見えてくる。

 しかし一方では、「それなら別に、株じゃなくてもいいんじゃ?」とも思った。もちろん「誰でもできる試み」として取り上げているのでしょうし、筆者なりの経験と知識を生かせる分野として、あえて主張を偏らせているようにも見える。でも、株にはリスクもあるのでは……?

 

 同時に、これまで芳しい成果を挙げられなかった「ひきこもり支援」に対して、ただ極論をぶつけているようにも読めてしまうのだ。本文では「一人ひとりの『人間』をしっかり見ていく必要がある」と書きつつも、結局は十把ひとからげにしている格好。そこにモヤモヤが残る。

 そしてなにより、「とりあえず不労所得を得る」ことが、はたして「幸せ」に結びつくのかどうかという疑問。「投資するだけしてあとは放置」では、何の変化ももたらされないのではないか。すべてのひきこもり・ニートに「株」が適しているのだろうか。人によっては趣味や適正と紐付けて、在宅でできる別の活動を勧めたほうがいいのではないか――と。

 

 私たちは決して、患者さんのとりあえずの「安心」や「幸福」だけをめざしているわけではありません。それならばカルト宗教で十分でしょう。

 ただ私たちは、最終的に患者さんの心が、より「自由」な状態になることをめざしているのだ、という印象をもっていただけたら幸いです。

斎藤環『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』ちくま文庫/P.218

 

 それならば、上記の斎藤環さんによる言説のほうがまだしっくりくると、自分は感じた。いっときの曖昧な「幸せ」ではなく、現状を脱却し、継続可能性の高い「自由」をゴールとする。それを獲得するための手段のひとつに、「株」も数えられるのではないかしら。

 とはいえ、なかには株をきっかけに投資家として名を馳せる元ひきこもり・ニートが出てきたり、他の活動へのモチベーションとなって現状が好転したりする可能性も十二分にある。本書を読むこと、それ自体が「きっかけ」になる場合もあるでしょう。

 すべてのひきこもり・ニートに勧められる方法ではないけれど、ひとつの考え方として読むぶんには、きっと参考になるはず。閉塞感の漂うひきこもり・ニート支援の今を突き崩す提言として、何らかの変化をもたらす1冊となれば良い。そのように感じました。

 

 

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