ブログに書くネタがない?
それなら、「当たり前」を見直してみればいいじゃない!
個人ブログがもたらす、唯一無二の「価値」
芸能人、著名作家、学者、専門家、大手企業の社長──。
そのどれにも当てはまらない、一個人が趣味でやっている、ブログ。
時には「ただの日記」とか「チラシの裏」なんて揶揄されることもある、個人ブログ。そこに「価値」を見出すとすれば、どんなものがあるでしょうか。
何よりもまずは、それが「個人」のものであることだと思う。企業でもなく、行政でもなく、それ以外の特定の集団にも属していない、一個人による情報発信である点。
とある1人の人間の意見であり、感想であり、文章であること。そのように何にも縛られない「個人」の作り出すコンテンツが、どこかの誰かにとっては「価値」となり得ている──かもしれない。月並みですが、それが個人ブログの意義であり、「価値」と言えるのではないでしょうか。
個人ブログは、どのようなメディアよりも自由である
もちろん、情報の速報性や信頼性、専門性などが担保されているほかのメディアと比べれば、読者数やPV数で勝ち目はない。……というか、勝負にすらなっていません。
圧倒的な情報収集力と、それを選別しまとめ上げる編集力、専門家による詳細でわかりやすい解説などなど。メディアがもたらす情報の「価値」は、社会の大多数の人が認めるところ。
一個人がちょちょいと調べられる情報なんて、それこそ多くの人が簡単に入手できるものでしょうし、何かに “少し詳しい” 程度では、それを生業とする専門家に敵うはずもありません。「量」や「質」の面で、個人が発信できる情報には限界がある。
しかし一方で、「個人」であることは、何にも縛られず自由であるとも言えます。
組織化されたメディアのように中立性を考える必要はなく、割と好き勝手に書いても文句は言われない。当然、最低限のマナーやモラルといったことは求められますが、それも誰かに強制されるものではありません。
また、多くの読者の共感を得るべく、情報を最適化する必要もない。決まった「型」や「こういう風に書いてくれ」という指示も何もないので、基本的には自由に書いても無問題。──アクセスアップを目指すのなら、話はまた変わってきますが。
ともあれ、ネットにあまた存在する「ブログ」は「個人の日記」や「記録」であり、各々が好きに、自由に書いて構わないもの。その属人的な内容、個人運営ゆえに発揮される独自性こそが、個人ブログの「価値」と言えるのではないでしょうか。
あなたの「ネット」とわたしの「ネット」は違うもの
ところで、インターネット──特にSNSには、「誰もが同じものを見ているわけではない」という特徴があります。切り口や主張はさまざまながら、情報源が限られているマスメディアに対して、ネットの世界は非常に混沌としていると言えるはず。
FacebookやTwitterなど、ネットユーザーの大勢が利用するサービスも、たしかにある。しかし、そこでもタイムラインに流れてくる情報には大なり小なり差異があり、一人ひとりが触れている情報はまったく別物であると言っても過言ではない。
散々言われているように、「ネットで話題」と言われても、どこの「ネット」なのかはその言った当人にしかわからないものだ。
先日、ブロガーさんたちとの飲み会でも話題に挙がりましたが、自分たちが日常的に利用しているサービスやアプリは、当然ながら誰もが知っているわけではありません。
はてなブックマークなんて存在すら知られておらず、GunosyやNewsPicks、その他多くのニュースメディアやアプリの名前を聞いたことがないという人もごろごろいる。
タイムラインに流れてくるリンクをクリックすることはあっても、その先のニュースサイトやブログを定期購読することはない。それどころか、サイト名すら気にかけない。自分の目に見える範囲、周囲の話題についていければ、それでOKという感覚。
僕らが思っている以上に、最近の「ネット」は閉じている。
だからこそ、そこに需要がある。
「当たり前」を発信する
自分にとっては当たり前のサービスや、ネットでは常識とされている知識を知らない人は、意外と存在する。しかしそれゆえに、「当たり前」を発信することには意義がある。これは別にウェブのネタに限ったことではなく、日常生活においても同様です。
一人ひとりの人間が見ている世界は、まったく別のもの。自分にとっての「常識」は誰かにとっての「非常識」であり、価値観は違って当然なのです。
つまり、「当たり前」はブログに書くネタになる。自分にとっての「当たり前」や「常識」を書き連ねていたら、自然とアクセスが集まっていた──なんて人は珍しくありません。
このブログの記事で言えば、たとえばこちら。
テーマは「入浴」。お風呂の入り方について、自分が考える「当たり前」と世間の「常識」が違うらしい──という話を聞いて、個人的に調べてまとめた記事です。
この記事を公開してみたところ、「いやーそれはないわー」という反対意見だけでなく、「俺もそうだよー!」という共感の声も聞かれました。さらには「過去の日本の入浴習慣について」指摘するようなコメントまでいただき、想像以上の反響に驚かされた覚えがあります。
また、なかには「当たり前」を書くことによって、それが「あるあるネタ」として注目されるようなケースも。
知らない人からすれば、「そういうのもあるのか」という発見や気付きにつながり、知っている人からすれば、「そうそう! そうなんだよー!」といった共感につながる。
自分にとっての「当たり前」や「常識」はテーマとして書きやすいだろうし、ブログの記事としても注目されやすい傾向にあるのではないかしら。
さらに付け加えるとすれば、そこで「独自の視点」を前面に出していくことで、その情報の「価値」を高めることができるはず。
たとえば、「無職が語る就職活動」という失敗者目線の体験談。「油彩と水彩の違いが分からない私が美術館に行ってみた」という素人目線の感想記事。
成功者でなければ体験談を語ってはいけないというルールはなく、専門家ならではの含蓄深い考察をまとめる必要もないのです。むしろ、どこにでもいる人間が素直に語った、ありふれた体験談や意見のほうが、身近に感じられていいかもしれない。
そこで求められるのは、「自分の言葉」。
ただそれだけです。
だからこそ、もしあなたが個人でブログを運営していて、記事のネタに悩んでいるということでしたら、以上のような切り口で考えてみてはいかがでしょうか。
自分にとっての「当たり前」や「常識」について、自分なりに考えてまとめてみる。それはきっと、どこかの誰かの役に立ったり、気づきを与えてくれたりする記事となるはずです。