経験値稼ぎはちまちまと。
ドーピングはほどほどに。
現代の「学び方」
何かを学ぶには、教科書が必要だ。
義務教育課程から大学での講義に至るまで、何かを学ぶにあたっては、その分野の基礎、応用、専門知識が盛り込まれた〈教科書〉を参照してきた。「教科書なぞいらん!紙とペンと、てめーの頭がありゃあ十分だ!」なんて場合もあるけれど、基本としては。
学校で勉学に励む場合に限らず、知識や手段を得ようとするのであれば、「先人の知恵」を参考とするのが一般的。その「知恵」が収められているのが、教科書だったり、参考書だったり、辞典だったり、ビジネス書だったり。
もし、その筋の知識に秀でた人、「師」となる人物が周囲にいるのであれば、必ずしも書物を参照する必要はない。けれど、時間も余裕もない現代人にとってみれば、〈本〉から学ぶのが最も気軽で確実な手段なんじゃないかしら。
ハウツー本と自己啓発書
今は書店に行けば、新書・文庫サイズで気軽に学べる〈入門書〉的なものから、そこそこ本格的、実践的とされるビジネス書・専門的な〈専門書〉まで、多種多様な書籍を見つけることができる。
そんな中でも特に、一際目立つように感じるのが、〈ハウツー本〉と〈自己啓発書〉。もうずっと前からその手の本はあったのだろうけれど、より目立つ場所に陳列されてある気がするし、売上ランキングでも上位に入っているような印象が強い。
「売上をアップさせる方法」「間違えない集客法」「力を伸ばす教え方」「うまく話すための会話術」「成功するための10のルール」などなど。それら書籍の共通点として、「方法論」を記した内容が多いように思う。◯◯法とか、◇◇術とか、△△方とか。
先の例は、自分でてけとーに考えてみた “それっぽい” タイトルですが、実際によく見かけません? 一昔前だと、これに加えて人の名前がついていたような。「東大教授◇◇が教える、負けないための5つの考え方」「セラピスト△△が語る癒しの作法」みたいな。
最近だと、単純に「◯◯力」ですかね。著者の顔と情報、煽り文句は帯にまとめて、タイトルは短く簡潔に。その分、長いサブタイトルがついている場合もあるけれど。長文タイトルは、ラノベだけでおなかいっぱいです。
ともあれ、そんなタイトルの書籍が目立っている現状を鑑みるに、本から何かを学び取ろうとするにあたっては、「方法論」が最も注目され、重視されているように思える。
学校教育で学んできたような単なる「知識」ではなく、視野を広げるための「考え方」。限られた範囲でしか使えない「専門性」を高めるより、日常生活ですぐに使えるような「実践性」。そんな内容の本が、多いような。
でも、読んで学んだその方法論、実際に身に付けて、使ってます?
自己啓発書の胡散臭さ
いわゆる、〈自己啓発書〉と呼ばれるジャンルの本。それを胡散臭いものであるとして、煙たがっている人は少なからずいると思う。胡散臭いまでは行かずとも、なんとなーく忌避感を覚えているとか。えー? なんでー? すっごい為になるよー?
胡散臭さの理由には、いろいろあると思う。著者の肩書きが聞いたことのないものであからさまに怪しいとか、「言うとおりにしたら彼女ができました!」のように煽り文句が極端過ぎてぶっ飛んでるとか。それもそうだけど、読者の言動や感想にも一因があるんじゃないかと。
為になる、共感できると感じた本について、それを読んだ人は、興奮して持ち上げがち。これはすげえ。確かにその通りだ。こうすれば間違いない。よし、実践してみよう!
……で、それを実践した結果、本当に「彼女ができました!」的な結果に結びつく人がどれだけいるのかと言えば、ほぼ皆無なんじゃないかと。一番多いのは、すぐ飽きて忘れるパターン。次に、ちょっと続けて結果が出ないので諦める場合。そして、気付けば別の本を「すげえ!」と言っている人。
確かに、自己啓発書は成功者の成功体験が書かれてあったり、その方法論が順を追って物語調に語られていたりと、ひっじょーに刺激的だ。
でもぶっちゃけ、これまで散々言われてきたように、それは “その人だから” 成功したのであって、万人に当てはまる方法論ではないんじゃないだろうか。
あくまで一例、考え方のひとつ
実際、多くの人に当てはまる「これをやっておけば〜〜」的な方法論もあると思う。マーケティングであれば、統計学的に明示されている広告手法だとか、会話術であれば、心理学や精神科学で証明されている方法だとか。それならば、まだわかる。
けれど、特定個人の体験や、データの有用性の認められない少人数の調査、それ “だけ” に絞った成功を、「これをやれば間違いない」方法論として世に売りに出すのは、あまり褒められた商売に見えない。
もちろん、そこまで酷いのはほんの一部だと思う。過剰な煽り文句は付けず、エッセイとして出せばいいんじゃないかしら。というか、ブログでおk。
ここまで、「一部に限定されるだろう方法論を書いた〈自己啓発書〉ってどうなん?」的な論調で書いていますが、僕自身、その分野の本も割と読んできた身ではあります。
会社を辞めるか辞めないかを考えるにあたって、「働き方」や「生き方」に関する本は何冊も読んできたし、その多くは著者個人の経験によるものだった。共感を抱くことは多かったけれど、かと言って全てを鵜呑みにしていたわけでもないと思う。……たぶん。
大学の偉いセンセイだとか、大企業の社長さんが書いている本だからと言って、それが全て正しいとは限らない。先人の教えを吸収するのは悪いことではないと思うが、全く疑いを持たないのは、やっぱり怖い。
「◯つの方法」なんて本を読むと、全て実践しなければ効果がないように感じるけれど、決してそんなことはないと思う。人によって合う合わないはあるだろうし、実践する余裕だってないかもしれない。
なので、参考にするのは一部だけ。やってみないと分からないこともあるだろうし、何事もまずは試してみるのもいい。だけど、それでもし続きそうにないと感じたなら、自分に合う形に編集・改造してしまえばいいと思う。何もせず、他人の手段を自分に合わせられるかは怪しい。
読んだ本の内容は全て、全力で活用しないともったいないと思っている人もいるかもしれないけれど、そんな必要もないかと。むしろ、中途半端で終わるのが一番もったいない。
他人の経験や考え方をコピーしたところで、それで自分もうまくいくとは限らないし、自己啓発書を読んだからといって、誰もが急に成長するなんてありえない。コミュ力云々の本を読んで会話が達者になるのなら、読書好きの人はみんなグローバルな営業マンになってるはず。
たまに見る「この本を読んで変わりました!」という人は、本当にその本一冊にとんでもなく強く感化されて、その内容を実践し続けた結果、たまたまうまくいっただけに過ぎないんじゃないかしら。ドーピング的な。薬物だって、合う合わないの個人差はあるでしょう。
一言でまとめれば、「本は疑って読もう」で済む話でした。具体的な「疑い方」や本の「読み方」は、「読書術」のような文句を含む本を読めば、参考になるかと。無限ループって怖い。