今日も暑い一日でござんした。おかしいよね?まだ6月だよね?小学生だったら、ウッヒョオオオオオオウキョオオオオオオオなんて叫びながら市民プールへ走ってどぼーん!するような陽気だよ?僕の梅雨たんはどこへ行っちゃったの?
6月と言えば、修学旅行の季節。僕が小学生の頃は、日光でした。
気になるあの子とムフフな出来事なぞあるわけもなく、バスで移動中のいろは坂でぐわんぐわんに酔わされた挙句、オボロロロ……なんて呻きながら必死に班員の後ろを歩いていた記憶が。ねえ、知ってる?「いろは坂」って、“いやでもげろをはく坂”の略なんだよ?*1
そんな淡い思い出と日光に思いを馳せつつ、ネットリテラシーまわりのことについて再度、考えてみました。おそらく、基本的なお話。
インターネットの「三猿」
「三猿」*2と言えば、日本では日光東照宮の木彫像が有名。子供の教育論として、“悪い事を見たり、言ったり、聞いたりしないで、素直なままに育ちなさい”という意味だとか何とか*3。
そんな示唆的な意味合いを持つ、三猿。教育論に限らず、他の物事に関しても、一種の「考え方」として引用することができると思うのですが、どうでしょう。そう、例えば、「ネットリテラシー」に当てはめる、とか。
インターネットの「見ざる」
ネットを使っていると、莫大な情報の奔流にさらされることになる。
ちょっと検索をするだけでも、何百、何千、何万、何十万という検索結果の中から自分の求める情報を取捨選択をする必要があり、さあ大変。
Twitterのタイムラインを見てみれば、常にものすごいスピードで更新され続け、自分が呟いたツイートは次の瞬間には画面外に流されてしまっている、なんてことも、人によっては珍しくはないんじゃないかしら*4。
そんなのすぐに慣れるよ―。自分にとって必要・不必要な情報の選別は自然とできるようになるし、デマに流されることも少なくなるよー?――そういう人も、いるにはいるでしょう。
しかし実際のところは、次々と現れる新鮮な情報に飛びつくのが精一杯で、ひとつひとつの情報を吟味し、咀嚼しているような人は意外と少ない。記事のタイトルや煽り文句だけを読んで、直感的・感情的に自分の主張をツイートしてしまっているような人もいる。
彼らは、情報のソースを、その真偽を確認しておらず、ちゃんと〈見〉ていない。
ネットを利用するに当たっては基本的なことだけれど、たとえ気を付けていたとしても、時には流されてしまう人も少なくはありません。
常に目の前をどばーっと流れる情報の見たいところだけを見て、あとは目を背けたくなる気持ちは分からなくもない。しかし、ネットを利用するに当たっては、最低限、情報のソース、真偽、信頼性くらいは、意識して〈見る〉ことが求められるのでは。
インターネットの「言わざる」
続いて、インターネットの「言わざる」。昨年、世を騒がせたネット炎上*5の件や、不用意な発言で批判にさらされている人たちの様子を見ていると、ウェブ上の発言には気を遣う必要があることが分かります。
ネットの「言わざる」は、場を弁えた、良いお猿。
一口に言えば、“口は災いのもと”といったところかしら。
もし、ネットという仮想空間で有名になって、現実世界での仕事や成功に繋げたい!と、考えているような人でなければ、ネット上で詳細な個人情報を公開する必要は、全くございません。
住んでいる地域や趣味、年齢、性別くらいまでならまだしも*6、わざわざ本名を名乗る必要はないし、住所が分かるような写真や、個人の特定が可能な顔写真などを投稿する必要もない。
名を売りたいわけでもなく、仕事が欲しいわけでもなく、単なる学生が趣味でやっているくらいのものであるのなら、あえて個人情報を明示することは、全く何の益をもたらすものでもないと思う。
事実、“バカッター”案件の多くは、そのような情報から特定されている人が多い。有名なチェーン店のアルバイトであれば、地域と結びつけて考えれば絞るのも難しくないし、学校名を過去に一度でも出していれば、電話一本で学校にクレームが行ってしまいます。
加えて、ネット上での文字コミュニケーションにおいては、「ことば」の言い回しも重要になってくる。たとえそれが一個人の意見であり、本人としては悪気を持って発信したものでないとしても、「ことば」の受け取り方は千差万別。
特定の思想・心情に触れるもの、差別を助長するような表現など、それがある一定層を怒らせるのに十分な「ことば」であると判断されてしまえば、途端に炎上してしまう、なんてこともありえない話ではない。
もしくは、主張だけを見れば特に問題のない、「そんな意見もあるよねー」と受け入れられるようなものであっても、そこに「余計な強い表現」が付いていることによって、これまた多くの人の批判にさらされてしまうような場合もある。
単純な言葉だと、「バカ」とか「アホ」とか「クソ」とか。直接的な差別表現でなくとも、特定個人や特定層をこき下ろすような言い回しをすることによって、そこにある本来の意見は全く顧みられず、ただただ感情的に責められてしまうような場面も、ネット上では珍しくないように見える。
録音でもしない限りは記録として残らないリアルでの会話と異なり、ネットでの発言は基本的にログとして記録され続けているもの。
ゆえに、できるだけ不用意な発言は避けるべきだし、目的のない「強い表現」をむやみに乱用するのはおすすめできません。口を噤むこと、スルーすることが賢い場合も、ある。
インターネットの「聞かざる」
最後に、インターネットの「聞かざる」。これは、音や声を受動的に耳にする〈聴く〉行為というよりは、人に何かを尋ねる〈訊く〉の方が意味としてはしっくりくるかと。
ぶっちゃけ、アレですよ、アレ。
“ググれ”。
人の話を聴かない人は、ネット云々関係なしに聴かないと思うので、ここではスルーで。炎上しそうな発言に対して「それはヤバいんじゃないですか?」と指摘して、「は?誰だしww」と言ってしまう残念具合。
それより、何よりもまず、〈訊く〉こと。詳しい知り合いでもいいし、それこそGoogle検索に頼ってみてもいい。
炎上の理由として、「気楽に発言してしまう」ことがひとつ、挙げられると思う。中途半端な知識で、詳しくない分野の話題について、深く考えずに思うまま発言してしまった場合。周囲からはその人が詳しいかどうかなんてわからないので、その字面だけで判断することになる。
後になって「知らなかったんだもん」と言っても、ひとたび燃えてしまえば、簡単には許してもらえないのがネットの実情。削除したところで、発言した「事実」は消えないし、無関係な周りの人から見ても、そんなのは知ったこっちゃない。
本来はそんなことはないと思うけれど、ネット上では「無知=罪」とされがちな印象もあります。
知らないことには首を突っ込むな。部外者は口出しするな。そして、知っている俺達が正しい、と。そんな中で不容易に知ったかぶってしまえば、速攻で矢の雨が降りかかってくるかと。
もちろん、無知だから口を出してはいけない、というわけではなく。無知なりの発言をするにしても、自衛が必要ですよ、という話。その手段として、事前に最低限の情報は調べて、〈訊いて〉おくことは、効果的だと思います。
よっぽど過激な発言をしなければ、そうそう炎上することはないとは思うけれど、念のため。「知らなかった」じゃ許されないのが現状なので、誰か何かに〈訊く〉作業を踏んでおいても、損はないんじゃないでしょうか。〈訊く〉ことで知れば、知識にもなるしね。
情報ソースを〈見〉て、暴言は〈言〉わず、分からないことは〈聞〉く。
これだけ守れば、少なくとも、突如現れた謎の匿名集団に油をぶっかけられ、火をくべられ、やんややんやと囃し立てながら周りでマイムマイムを踊りだされるような状況には遭遇しないんじゃないかしら。たぶん。