営業として新卒入社してどう?1年半で学んだ4つの魅力と理不尽


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 とある平日のお昼時。駅の構内で、必死に頭を下げ続けている若いおにーさんが目に入った。小綺麗なスーツ姿。しっかり整えられた頭髪。右手に持った携帯電話を耳に当て、繰り返し繰り返し頭を下げる。自動販売機に向かって。

 「SIMPLEシリーズ THE 営業」なんてゲームがあれば、間違いなく主役を張っているだろう、そんな彼を見て、何とも言えぬ気持ちになった。大変だなあ……と思ったり、相手方もそこまで謝らせなくてもいいのに……と考えたり。なんだか、やるせない。

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人間相手の仕事には「理不尽」がいっぱい

 営業職に限った話ではないけれど、人を相手にする仕事では日々、さまざまな「理不尽」に直面する。「なーに甘いこと言ってるんだこんの若造が! 当たり前や!」と突っ込まれそうだけど。

1. 訳のわからないクレーマー

 多くの営業さんが真っ先に味わう「理不尽」が、これかと。それ以前に、飲食業界でのアルバイト経験がある人ならばもはや言うまでもない、当たり前の「業務内容」に含まれるものかもしれない。

 明らかに自分側、会社側に非があるのであれば、こちらとしても文句はない。誠心誠意、謝罪するのみ。それで相手も納得して、許してくれるのであれば、なんら問題はない。

 しかし、「え? そこに突っ込むの?」とこちらも突っ込みたくなるような、訳のわからないクレーマーとも時に遭遇する。こちらの「業務」や「商品」とは無関係なことだったり、人差し指でなぞった埃を見せるが如く、めっさ細かいところを指摘してきたり。

 反論すると面倒なことになるのは目に見えているので、基本は謝るだけ。上司にも、そう教わりました。ただし後者の、鬼姑が如き隙をついた突っ込みは、「そういう見方もあるのか!」と感心、学ばさせられることもあり、一概に「訳のわからない」とは言えない印象も。

 また、クレーマーの中には「ただ文句を言いたいだけ」で、延々と同じ話を繰り返す人も少なからずいる。いや、文句があるのはわかりますし、こちらとしても、今後のためのご意見を頂戴できるのはありがたいんですよ。僕のようなひよっこにとっては、特に。

 だけど、「いやいや、それもう何回も言われたし、それで納得してたじゃないですかー」と突っ込みたくなるほどには、話をできる限り伸ばそうとしてくる人もいる。え?おまえ、ループしてね?それともスタンド攻撃?終わりがないのが終わりなの?

 ただ、そのようなクレーマーは単なる「お話し好き」さんであることも多く、普段は話していて楽しいお客さんでもあったりする。田舎なんかだと、一人暮らしあるいは夫婦住まいの、そこそこ歳のいったおじちゃんおばちゃんに多いような。

 そのような事情も考慮すれば、「まあ話すだけ話して満足してもらえるなら」と、こちらもあまり嫌な気分にはならない。大きく歳の離れた人の話を聴くのは割と好きなので。かなりの時間を消費するため、仕事は溜まる一方ですが。はっはっは(渇いた笑い)

2. 客と会社の板挟み

 もうひとつ「理不尽」と言えば、お客さんと、会社=上司との板挟みになること。例えば、お客さんから商品やサービスに関して要望があったとする。これだけ注文が欲しいとか、このサービスをこういう場面で利用したいとか。

 で、聞いたそれを会社に持って帰り、上司の確認をとってからお客さんへ提供しようとすると、上司が「駄目だ」と言う。なんでや!と問うと、「上からそういう指示が出ている」とか、「その商品は大口の顧客へ提供するから」とか。もしくは、「駄目なものは駄目だ」というもの。

 3つ目は「ハァ?」と言いたくなるけれど、他はまだ納得できる。お上の指示なら抗いようがないし、在庫などの事情で提供できそうにないなら仕方ない。そんなとき、自分に割り当てられた商品から何とかして捻出したり、代替サービスでどうにか納得していただくよう努力するのは、営業の仕事だとも思う。

 ただ、企業理念としてありがちな「顧客第一主義」を掲げつつ、お客さん個人の要望に対応できない、対応させてもらえないのは、ちょっともにょる。提供できる商品・サービスがあるにも関わらず、「上の事情」ひとつでそれが許されないのは、果たして本当に「顧客第一」なの?と。

 もちろん、企業というひとつの組織である以上、社員の行動を統率し、顧客に対しては平等であるべき、ということはわかっているつもり。下っ端にはわからない上の事情があろうことも、組織が大きければ大きいほど、堅実な組織運営をする必要があろうことも。

 ただ、常日頃から「企業の根っこの部分」として覚えさせられている「企業理念」があり、その言っていることとやっていることがブレていては、いち従業員として「ん?」と違和感を覚えずにはいられない。様々な事情があるにせよ、提供できるものが提供できないとはどういうことじゃろう。

 下っ端の僕ですら、こんなにもにょもにょしていたのだから、中間管理職の上司の苦労は……察するに余りあるんだろうな、と。お上から飛んでくる理不尽な指示と、文句ばかりぶーたれる部下に挟まれて、胃はキリキリ。ストレスメーターは吹っ切れてフライアウェイ。もうずっと下っ端でいいや。

営業として働いて感じた、2つのメリット

 そんな感じであーだこーだと言いながら働きつつ、それでも、「営業」として働いてみて良かったなー、と思うことはある。

1. 人見知りが改善した

 初対面の人とはうまく話ができない、話を続けられない、気付いたらだんまりしちゃう……。そんなコミュ障な僕でも、営業はできました!すげえや!

 言うまでもなく、「仕事だから」という話ですが。普段の自分ではなく、組織の一員として「仕事」の話をすればいいだけなので、むしろ私生活のコミュニケーションよりも難易度は低く感じた。「演じる」のは得意なので。

 ただ、そんな生活を続けていれば、私生活にも影響は出てくるもので。飛び込み営業をやっていたこともあり、初対面の人と話すことのハードルはかなり低くなったように思う。僕の鍛えられた営業スマイルを見せてやるぜ……へへ、ぐへへへへ。

 まだ躊躇することはあれど、自わから話しかけるのも、それまでよりは気楽にできるようになった。常に部屋の隅っこで膝を抱えてATフィールドを展開していたコミュ障が、ここまで!人間、やればできるんすね……(遠い目)

 もしかすると、単純に自分が「社会に慣れた」だけの話かもしれない。それまで、学生時代はすげえと、とんでもねえと感じていた「大人」たちと接して、案外普通に話せている自分がいたので。どれだけ大人を過大評価していたのか、ってレベル。人間、そんなもんや。

2. 挨拶やお礼を自然と言うようになった

 営業に限らず、働いている人の視点や苦労を経験したことで、人に対する見方が大きく変わった。よくある、「接客業でその大変さを身をもって知って……」という、アレ。

 休日、ファーストフードに入ったときや、コンビニや書店のレジで会計を待つとき。自分がサービスを受ける側として、相手に接するとき、その対応がどのようなものであっても、素直にお礼を言い、コミュニケーションをとるようになった。

 例えば、昔から父親の影響で、飲食店を出るときは「ごちそうさま」を言う習慣があったけれど、それがより自然に出るようになった。友達と入ったときなどは、周りに合わせて言わなかったり、機嫌が悪いときは完全にスルーしていたりしたけれど、そんな事情も無関係に。

 やっぱり、挨拶をして、声を出す行為は気持ちの良いものだと思う。自分が営業として回っているとき、お客さんからのちょっとしたお礼の言葉や、すれ違った人との挨拶に元気をもらっていた面があったので、それをより強く感じるようになった。

 もしかしたら、それを煩わしく感じる店員さんもいるかもしれないし、自己満足だとか偽善だとか嘲笑う、不思議な考えの持ち主がいることも承知している。でもまあ、その辺は個人の自由だし、迷惑をかけているわけでもないと思うので、いいんじゃないかしら。

まとめ:営業は意外と楽しい!

 今や無職となり、ダメ人間街道まっしぐらな僕ちゃんですが、営業周りそれ自体は割と楽しい仕事でした。

 もちろん、ねちねちした嫌なお客さんもいたし、肉体労働も含まれた仕事はむちゃくちゃ大変だったけれど。それでも、2倍も3倍も歳の離れたお客さんと話すのは楽しかったし、勉強になることも多かったので。

 一口に「営業」と言ってもピンキリだろうし、僕の経験したそれはまだ楽な方だったんだろう。ノルマは毎月うるさく言われていたけれど、上司もなんか「ダメ元」みたいなスタンスで、常に怒鳴られているようなわけではなかった。……役職が上がると別だけど。

 「成果主義」や「平等」を謳いながら、その実は配属や担当によって大きく異なる「運ゲー」だったり、やっぱり毎月のノルマは大きくのしかかって来てストレスになりはするけれど、経験を積むには悪くない、むしろ良い職種なんじゃないかと思う。諸々の事情がなければ、僕も続けていただろうし。

 人生いろいろ。仕事もいろいろ。さて、次は何をしようかな。

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