2014年1月当時のうちの鎮守府。大鳳ちゃんかわいい。
先日、「『当方Project』から『艦隊これくしょん』に人が流れている」という記事を読みました(※元記事は削除済)。たしかに、この前の冬コミでもそんな印象は受けましたねー。
一方では、2chまとめサイトなどの煽りもあって、昨年末頃から、『艦隊これくしょん*1』と『東方Project*2』の対立構造(実際に“対立”があるかどうかは別として)について、随所で話題になっております。
そんな『東方』と『艦これ』。前者は原作が同人ゲームで、後者はブラウザゲームという違いはありますが、共通点も多いように思います。今回はそのなかでもファンが取り組む「同人活動」に焦点を当てて、自分なりに考えたことをまとめてみました。
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『東方Project』の人気の理由
まず、『東方』の人気の理由について。
念のため『東方Project』に関して簡単に説明すると、『東方』とは、同人サークル「上海アリス幻樂団*3」が制作し、即売会や同人ショップで販売している、弾幕系シューティングゲームです。メインとなる “原作” は主にゲームですが、ほかにも音楽CDや商業誌もおり、その関連商品も含めて『東方Project』と呼ぶのが一般的かと。
特徴としては、日本的な世界観、独特の設定・性格のキャラクター達、その設定の重厚さ、質の高い音楽などが、大きな魅力としてファンに支持されている印象。また、その制作はプログラムからグラフィック、BGMに至るまで、 “神主” ことZUN氏がひとりでほぼすべてを担っています。
そんな『東方』の人気の理由としてまず挙げられるのが、魅力的なBGM。ZUN氏が「ゲーム音楽を作りたかったから、ゲームごと作った*4」と話しているように、この作品は音楽が中核にあると言っても過言ではありません。
楽曲の人気っぷりは、コミックマーケットをはじめとする即売会を見てもよくわかる。音楽系のサークルと言えば、昔はスクエニ*5や、葉鍵*6といったPCゲームアレンジが主流でしたが、その次に現れてきたのが『東方』だと言えます。
もうひとつの魅力が、多様なキャラクターと独特な世界観。
いわゆる「旧作」と呼ばれる、上海アリス幻樂団として活動を開始する前の5作品も含めれば、ゲーム版の作品数は20あまり。商業誌ほかも加えるとかなりの数になり、それだけ多くのストーリーとキャラクターが存在していると考えれば、なかなか飽きることはないように思います。
そして、その人気のなによりも大きな理由は、「同人活動の盛況っぷり」にあるのではないかしら。
今年で11回目を数える『東方』のオンリー即売会「博麗神社例大祭」は昨年、参加サークル数が5000を突破。昨年末のコミックマーケット85でも約2200のサークルが『東方』で登録しており、ジャンルとしては最大手となっています(※2014年現在)。
なぜ、そんなにも『東方』の二次創作活動は人気なのだろう。いろいろと理由は考えられますが、ざっくり言えば「二次創作がしやすいから」なのではないでしょうか。
“原作” としての大元のストーリーやキャラ設定はありますが、それはあくまで「最低限」のもの。受け手によって異なる解釈ができるほどの幅の広さがあり、想像力を掻き立てる舞台設定があり──つまり、二次創作者が「好きに料理することができる」内容となっているのです。
加えて言えば、その設定に「元ネタ」があることも大きい。各作品のストーリーやキャラクターの多くには、伝承や創作物、歴史の人物などのモデルが存在している。そのため、ゲーム内の設定+元ネタの設定を使った多様な表現が、二次創作者には可能となっています。
そのような「設定」を借りて、自分なりにそれを解釈し、アレンジを加えて、自身の表現として落としこめる創作環境。それこそが二次創作者にとっては魅力的な「場」となり、ひいては原典たる『東方Project』の魅力となっているのではないでしょうか。
『艦隊これくしょん』の人気の理由
『東方』の説明が長くなってしまいましたが、それでは、『艦これ』の人気の理由はどこにあるのだろう。
『艦これ』についても、「同人活動」という視点で見れば、その人気の構造は『東方』と非常によく似ているように思います。ただし、ゲーム自体はキャラを集めて、育てて、敵を倒すという単純なものであり、ストーリーらしいストーリーはほとんどありません。
しかし同時に、『艦これ』にも『東方』と同じように、「元ネタ」としての各種設定が存在しているわけで。『東方』は伝承や文学作品が “元ネタ” でしたが、『艦これ』の場合はそれが「史実」となる。大日本帝国海軍の艦艇の特徴と由来が、キャラクターに落とし込まれている格好です。
要するに、“元ネタ” を知っていればより一層、作品を楽しめるという構造。グラフィックとしての身体的特徴に限らず、台詞にも史実のエピソードが反映されているため、もともと好きな人にとっては嬉しい仕様になっていると言えるのではないかしら。
そんな『艦これ』の “元ネタ” の設定は『東方』よろしく、二次創作者に広い表現の幅を与えてくれるもの。と同時に、『艦これ』特有の舞台設定としてオリジナルの「敵」の存在があり、これもまた、創作者の想像をかきたてるものとなっていると考えられます。
『艦これ』における “敵” ──すなわち「深海棲艦」は、見るからに不気味で怪しい存在。強力な深海棲艦は女性の容貌をしていることから、「轟沈した艦娘の成れの果てなのでは…?」という説が有力視されているものの、真偽は不明です(※追記:2016年公開の劇場版でその一端が明言された)。
既存の艦娘との共通点が見られたり、イベントでの台詞が意味深だったりと、不気味でありつつも、魅力的な存在。そのような、曖昧で不気味、いくらでも解釈ができる「敵」の存在は、二次創作に多様性をもたらしているように見えます。
この深海棲艦に限らず、そもそもの「艦娘」という存在の詳細な設定、はてはその世界の時代設定すら公式に明言されていない『艦これ』。言い換えれば、二次創作者各々が考える「世界設定」を設けることができ、実際にまったく違った話が展開されている模様。なので、同じ二次創作でも非常に作品の幅が広く、読んでいて最高におもしろいんですよね。
『艦これ』は、『東方』と『アイマス』のハイブリッド?
他方では、二次創作作品における「主観」を比較してみると、『東方』と『艦これ』は大きく異なっているのも興味深いポイント。
『艦これ』においてはその多くが「提督」というプレイヤーの分身の視点から物語られる一方で、『東方』においては登場する女の子キャラクターの誰もが主人公になりえる、独特の世界観となっています。
『艦これ』単体で見ると、どちらかと言えば『THE IDOLM@STER*7』の構図とよく似ているようにも見えますね。中心となる「自分(提督、プロデューサー)」があって、その周りに「キャラクター(艦娘、アイドル)」たちがいる関係性。
また、『艦これ』と『アイマス』の共通点としては、数多く存在するキャラクターの「カテゴライズ」が複数の観点から可能になっている点も挙げられるかと。
具体的には、『艦これ』であれば西村艦隊などの “部隊” ごと、あるいは駆逐艦・戦艦といった同タイプの艦艇ごとに類別化でき、『アイマス』であれば “ユニット” ごとにグループ分けすることが可能となっています。
そのような「カテゴライズ」は、多すぎるキャラクターに対して付与する関係性=「意味」とでも言い換えられるでしょうか。
十人十色のキャラクター、さらには彼女たちを掛け合わせた関係性が何パターンもあることによって、二次創作に当たっては、複数の組み合わせで多彩な「物語」構築が可能になっているように感じました。『東方』で言えば、作品ごとに分類する「紅魔組」などがこれに当たりそう。
このように考えると、コンテンツとしての『艦これ』は、『東方』と『アイマス』が合わさったもの──と言うことができるように思います。
設定として必要最低限の「元ネタ」を持つ『東方』と、魅力的なキャラクターたちの中心にいる無名の「自分」という構造を持つ『アイマス』。どちらもコンテンツとしては長く人気を集めている作品であるため、『艦これ』もまた、一時の流行では終わらないと想像できますね。
人気作品の条件は、「終わりなき物語」であること
急に話は変わりますが、「長年のあいだ衰えずに人気が続いている作品」と聞いて、どのような作品が考えられるでしょうか。
例えば、少年マンガを原作とする『ドラゴンボール』は当てはまるかもしれませんが、二次創作は旬の作品ほど活発ではありません。『ガンダム』はいつの時代も人気ですが、シリーズごとに物語・キャラクターは独立しているため、それぞれを別作品と考えることもできてしまいます。
そこで思い浮かんだのが、『新世紀エヴァンゲリオン』です。来年でテレビ放送から20年となりますが、2007年から始まった新劇場版は完結しておらず、公開されるたびに大ヒットを記録してきました。
考えてみれば、シリーズでも何でもないひとつのアニメ作品が、それ1本で20年近くも続きファンに愛されているというのは、とんでもない話ですよね……。
この『エヴァ』にもスピンオフやゲーム版がありますが、常に人気を博し親しまれ続けているのは、やはり旧劇場版を含めたアニメと新劇場版だと言えます。
二次創作の面でも、即売会におけるサークル数は決して多いとは言えませんが、あちらこちらで関連商品やコスプレは見かけるし、ネットでも話題に挙がることは少なくありません。──なぜ、『エヴァ』はこれほどまでに人気を集め続けているのでしょう。
先日読んだ『承認をめぐる病』には、次のように『エヴァ』の特徴が語られていました。
エヴァという物語の最大の特徴は、その徹底した「成長の拒否」にある。エヴァの呪縛によってチルドレンたちが成長できない、という意味ばかりではない。物語の初期基本設定から、入念に「成長」や「成熟」の可能性が排除されている、ということだ。だからエヴァは終わることができない。なぜか。
成長や成熟は、エヴァの中核に位置するシンジ、アスカ、レイという三人のキャラの同一性を破壊してしまう。この三人がエヴァを象徴するキャラである以上、それはエヴァという作品の同一性すら破壊してしまいかねない。だから彼らは決して成長しないし、同じ意味でその関係性が変化することもない。シンジがアスカと結ばれたり、レイを養子に取ったりという変化はありえないのだ。
物語において、その中核を担っているキャラが「成長しない」こと。それは、二次創作における「可能性」を担保するものだと言えるのではないでしょうか。
『エヴァ』に関して言えば、テレビ版は物議を醸した「アレ*8」で終わり、一応は終劇を結んだ旧劇場版も、多くの議論を呼ぶものとなりました。
そこには、あったかもしれない「別の可能性」や「その後」を、受け手に想像させる力がある。だからこそ、エヴァの考察や評論を含む二次創作は、世代や媒体を超えて盛り上がったのではないかしら。
この例を考慮すると、最初から最後まで本質の変わらない「終わりなき物語」という要素は、人気作品の条件のひとつと考えてもいいように思います。
話は戻って、『東方』は作品ごとにエンディングがあるものの、ひとつひとつが独立した物語であり、明確な「終わり」はありません。『アイマス』もゲーム(アニメ)としてのエンディングがあり、作中ではキャラの成長も描かれますが、その後の可能性を考える余地は残してあります。
そして『艦これ』に関しては、そもそもの “物語” が始まってすらいないのです。
最近の作品を他に挙げれば、『魔法少女まどか☆マギカ*9』は劇場版新編によって、前後編の物語の「終わり」を否定しています。
自分一人で決心し決着をつけたまどかの願いを、ほむらがものの見事にぶっ壊した。一度は迎えた物語の結末を公式に否定するというある種の暴挙は、結果、再び数多くのファンを惹き寄せることになりました。必然的に、二次創作も盛り上がっています。
逆に、人気作品ではあるけれど二次創作活動は大きく広がらなかったものとして、『ひぐらしのなく頃に*10』が考えられます。『東方』と同じく同人ゲームが原作ですが、作品自体が大団円を迎えたことで、その後のメディア展開はあまり振るわなかったように見えます。
『ひぐらし』はいわゆる「ループもの」であるため、二次創作とは相性が良いように思えます。ですが、本編のまとまりが良すぎたのか、イラスト界隈では人気だったものの、新しく “物語” を自ら生み出そうとする二次創作者はあまり見受けられませんでした。スピンオフにOVAと、公式でいろいろと “作りすぎてしまった” 影響もあったかもしれない。
「原作が終われば、人気は落ちていく」はそのとおりであると思う一方で、『エヴァ』のように息の長い作品も存在しているという事実。権利面で二次創作には問題点も多いと言われていますが、それが人気の指標となり、コンテンツの寿命を延ばしている一面もあると思います。
つまるところ、長きにわたって愛されるような「魅力的な作品」とは、終わりながらにして終わっていない、「終わりなき物語」であるのかもしれない。そして、明確なストーリーがなく、アニメも未放映の『艦これ』は(※2014年時点)「始まってすらいない」作品ではあると同時に、「既に終わっている」作品であると受け取ることもできます。
それは、終戦という史実の「終わり」を迎えた艦艇をサルベージし、現代に蘇らせた創作物であり、現実と虚構の狭間にある不明瞭なコンテンツ。「終わりは始まり」だとも言いますが、終わりも始まりも不明瞭な『艦これ』は、いったいどこへ向かうのだろう。
いちファンとして長きにわたって楽しみたいと思いつつも、人間いつかは飽きがくるものでもあり。終わりを迎えるそのときまでは、一人の提督として『艦これ』世界を楽しんでいきたいと思います。時雨かわいい。