ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

何を基準にモノを買う?〜ランキングよりも個人の「好き」を重視したい

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 音楽、小説、漫画、映画、ドラマ、アニメ、絵画、舞台、食べ物、酒。コンテンツやモノがあふれている現代においては、何かを選ぶにしても選択肢が多すぎて悩んでしまう。

 そんなとき、昔から頼りだった評価基準のひとつが、ランキングだ。「よく売れている」「みんなが持っている」「今、流行している」といったモノがひと目でわかり、とりあえず上位を選択しておけば、ほとんど失敗することはない安心感。参考になります!

 ただ、そんな安定感抜群だった「ランキング」を、最近は参照する機会が減ったように思いまして。ちょっと考えたことをつらつらと。別の話題の前置きとして書いていたら、思いのほか長くなってしまったので……。

 

「ランキング」の権威と意味

 “No.1にならなくてもいい” と歌う楽曲が大ヒットしたのは、12年も前のこと*1。でもその一方で、消費者として何かを選択するにあたっては、なんやかんやで “NO.1” を選ぶのがベストだとされてきた印象があります。

 今や有名無実と化したオリコンを参考にCDを選んでいた音楽ファンは少なからずいるだろうし、食べログや価格.comの「口コミ」部分だけでなく、「ランキング」を見て購入を決定していても何ら不思議ではない。

 だって、情報が多すぎて、ひとつひとつ精査する暇がないんだもの。そうなれば、頼るべきは信頼できる専門家の意見、あるいはランキングといった「権威」に自然となってくる。

 

 そういった「ランキング」が価値ある存在として認知され、大勢によって参考とされているのは、それがある特定の基準の下に作成されたものであるからだ。この話の流れで言えば、主に「売上」。ほかには、一定数以上の消費者による複数項目の「評価」。

 その辺の個人ユーザー、1人の意見だけでは参考にできるか怪しいけれど、チリも積もればなんとやら。「多数派」に支持されるコンテンツは「その他」よりも信頼されているように見えるし、その質が保証されているようにも思える。

 ――そう、いつの世も「数」は正義なのだ。そうして結集された多数派は、「世間」として一定の力を持つようになるのです。つよい。

 

「マイベスト◯◯」は無意味で無価値、だけど魅力的

 このような「ランキング」は客観的評価として一定の効力を持っているし、購買行動の参考としては最もお手軽かつ確実な基準とも言える。

 「みんなが選んでいるから!」という理由だけで何も考える必要がなく、参考にした結果、あり得ないくらいに期待が裏切られるようなことも少ない。良くも悪くも安定・安心・最低限であるがため、「こいつはすげえ!」と叫ぶほどの感動はもたらされづらい印象もありますが。

 ――もしかして、だからこそ「 “普通に” おもしろい」なんて感想が当たり前に使われるようになったんじゃ……?

 

 翻って、ネット上には「マイベスト◯◯」といった類の言説がゴロゴロ転がっている。ランキングや「◯◯選」という形で複数のコンテンツを並べてその魅力を語ったもので、大多数はどことも知れぬ個人ユーザーがまとめたものでございます。

 要するに、一から十まで個人の主観で語った、独善的かつ自己満足かつ自己完結型のコンテンツ。言うまでもなく売上や世間的な評価といった「数字」としての基準は皆無であり、根幹を成しているのは一個人の主観と嗜好でしかございません。「そんなものに何の意味や価値があるんだ」と問われると……耳が痛いっすね。実際、自己満足ですしおすし。

 

 ところがどっこい。インターネットの発達によって、アホみたいにコンテンツの総量が増え、信じられないくらいに膨大な情報の海でアップアップすることが当然になった現代においては、そういった「マイベスト◯◯」がひとつの「基準」として価値を持ち得る。――というか実際、持っている。

 そりゃあもちろん、大多数の人にとっては無意味で無価値でクソみたいなものかもしれない。「そんなの全部知ってるし」とか「有名どころを集めただけじゃねーか」とか。そう言われても言い返しようがないし、認めざるをえないでしょう。だって、データを参照したわけでなく、自分の好き勝手に書いただけだから。

 しかし、アホみたいに情報量が増えてからは、その手の「自分の好き勝手」が当たり前にどこかの誰かの参考になっている現状があるように思う。誰もが同じものを共に消費し、同列に語るのではなく、各々がその日その時に触れたモノを自由に描き出し、それがニッチなものであれば緩やかに伝播し、古いものであれば再評価につながるような流れもある。

 

 こうした構造は話題のループを生み出すので、他方ではよく思っていない人もいる様子。とは言え、そうやって個人が自由に「好き!」「パねえ!」「ネ申!」「おっぱい!」を叫べるようになったのはいいことだとも思うのです。

 読む側としても書く側としても楽しいので、自分としてはそこまで目くじらを立てるものでもないのかな、と。むしろ推奨。いいぞ、もっと書け。興味のない人には、スルー推奨。

 

 「世間的に評価の高い、売れているモノ」は確かに質が高いし、コンテンツとして安定して楽しめる。でも、それはやっぱり「 “普通に” よかった」と感じるくらい程度のもので、後々になっても記憶に残るかと言えば、決してそうとは限らないんですよね。

 それよりはむしろ、友人が教えてくれたモノだとか、どこぞの他人がネットで勧めていたコンテンツのほうが素直に楽しめるし、ずっと好きな作品として記憶に残るように思います。

 直近の10数年を振り返ってみても、「当時流行っていた◯◯」も確かに好きだし、共通の話題として便利だけれど、自分が大好きで心に残っているモノはと言えば、必ずしも流行とは結びついていないような傾向がある。

 

 そんなこんなで、語りたい「好き!」がある人は遠慮せずシコシコ放出すればいいと思うし、こちらとしても喜んで参考にさせていただきたく思います。

 ネットでやり取りを続けていると、自然と興味関心の被っている人と話す機会が多い一方で、お互いにすべてのコンテンツを網羅しているわけでもないので、思わぬ作品との出会いがあっておもしろいんですよね。楽しい!✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌

 

 

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