ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

「怒り」の感情ってどんなもの? “怒らない”人と、“怒れない”人

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 「怒ったところを見たことがない」と友人に評されることがある。付き合いの長い友人からも同様の意見を頂戴するので、周囲から見ると、僕は「怒らない」人間であるように見えるらしい。

 ……いやいや、そんなことないっすよ? いつでもどこでも冷静沈着、学校では、「あの人ってクールだよねー」と影で噂されるくらい、感情を押し殺して生きている僕ですよ? 涙もろいけど。FF10で泣いちゃうくらいには。あと、アレは「クール」じゃなくて「暗い」の聞き間違いだった気がしてならない。

 実際、人混みの中、ちょっと足を踏まれただけで激おこぷんぷん丸ですし、勢い良く肩をぶつけられた日にゃ、僕の怒りは有頂天ですよ? カムチャッカ半島、逝っとく? んん??

 

 ――などという話はともかく、そんな「怒らない人」って結構な数いると思う。あいつの怒ったところは見たことがない。イライラしているところすら。菩薩か。修行なうなのか。そんな人。

 「怒らない」彼らも、内心は様々な感情を抱えていたり、また、抱えていなかったりすると思う。単純に怒りをコントロールしているのか、スルースキルが鍛えられているのか。はたまた、諦めの境地に至っているのか、そもそも無関心なのか。

 

 そのような、〈怒り〉の感情についての話。

 

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怒ることは「無意味」なこと

 「怒らない人」が、怒らない理由。まず思いつくのは、怒ることが「無意味」だと考えている場合。

 周囲で怒りを撒き散らす人をよく見てきたのか、もしくは、自分が過去に怒りっぽく、それにエネルギーを使うことに疲れたのか。〈怒り〉の感情に日常的に接してきた経験があり、それが「無意味」だと気付いて、無駄に発露することを止めてしまった人。

 語弊があるかもしれないが、ライトノベル作品でたびたび見られる、「やれやれ系主人公」に似ているかもしれない。彼らは何かを諦め、見切りをつけてしまっている。だから必要以上に感情的にならないし、基本的には自ずから周囲に干渉しない*1

 

 そこにあるのは、〈諦観〉であるとも言える。怒ったところで意味はなく、相手には伝わらない。怒りに任せて主張したところで、それが受け入れられることはなく、ただ無駄な労力を消費するだけだ。ならば、最初から怒らない方がいい。

 見方によっては、「なんだこいつ、かっこつけやがって」と映るかもしれない。けれど実際、感情的に声を荒らげて主張しても、相手を萎縮させるか怒らせるだけだし、力でねじ伏せたところで、双方に納得のいく結果にはならない。

 

 あまりに冷めすぎた視点、自分は達観した傍観者として眺めているだけ、と表現すれば、印象の悪いものではある。けれど、必要以上に事を荒立てず、冷静に物事を解決する姿勢を持っているのなら、その場を収めるに当たっては、「オトナの対応」と言えなくもない。

 ただし、いつでもどこでも、どんな場面でも「怒らない」人は、見ていて「それで人生楽しいの?」と突っ込みたくはなる。自分の感情をコントロールしつつ、必要な場面で怒れる人の方が、好感は持たれそうだ。

 

 

怒りたくても「怒れない」人

 ぼくだって、むかついてるんだよ! おこだよ! ……でも、それを表に出せない人がいる。「出さない」んじゃなくて、「出せない」場合。

 世間的には、そんな人を「優しい」と称することが多いように思う。嫌なことをされても、「大丈夫だよー」と笑って許せる人。確かに、それはある種の優しさなのかもしれない。けれど、視点を変えてみれば、ただの臆病者だと受け取れなくもない。

 

 「怒らない」のではなく、「怒れない」人は、人間関係において、相手の領域に踏み込むのに躊躇しがちだ。他人に対して関心がないわけではないけれど、踏み込み過ぎて、相手に嫌われたり、コミュニティの和を乱したりすることに恐怖心を感じている。

 小学校時代は、教師の常套句である「みんななかよく!」を地で行っていたようなタイプ。相手を気遣い、嫌なことをされてもすぐに許し、自分も嫌なことをしないように配慮する。出る杭にはならず、コミュニティの和を保ち、平和を守護する、優しい人。

 

 常に平和である状態は、心安らぐ落ち着いた環境であるようにも感じる。けれど内心は、いつその和が崩れてしまうのか必要以上に気にして、いつも他人の顔色を窺い、ビクビク過ごしている。その結果、他人との距離感に思い悩むこととなる。

 「怒れない」人は、平和を愛する事なかれ主義者。組織の中では従順であり、他者の意見に異を唱えることも少ない。ゆえにストレスも溜め込みがちな印象があるので、少しずつでも、感情を表に出す練習をした方がいいように見える。目指すは、「怒れない」から、「怒らない」へ。

 

自分にも他人にも「無関心」

 そもそも、人間に対して「無関心」な人もいる。何かがあって諦めているのではなく、関係性に臆病になっているのでもなく、元来、周囲の人間や関係性についての興味関心が薄く、「ふーん」と傍観しているだけ。燃えたことがないので、冷めてすらいない。

 僕の勝手な印象かもしれないけれど、このパターンの人は、育ってきた環境によるものが大きいような気がする。親に虐待まがいのことをされていたとか、強く上から押さえつけられて育ったような。幼い頃から自分のことだけに精一杯で、周囲に関心を向けられなかった人。

 

 この場合は……どうすればいいんだろう。正直、思い当たらない。無関心なものに感情を向けるのって、想像以上に大変なことだと思う。だって、興味ないんだもの。

 他人はもちろん、自分にも無関心な人だと、さらに。0を1にするような作業なので、よほど大きなきっかけでもない限り、すぐにどうこうなるようなものでもないような。うーん……わからん。

 

 

〈怒り〉を表に出す必要はあるの?

 「怒る」というと、あまり良い印象を持つ人はいないと思う。大声でまくし立てるとか、無遠慮な罵詈雑言を浴びせかけるとか、暴力行為に及ぶとか。それを「嫌だ」と思うのは自然だし、誰かが怒っているのを見るのも、自分が怒っているのを見られるのも、好ましくは感じないだろう。

 けれど、だからと言って「怒らない」でいれば、自分の中にはモヤモヤがたまっていく一方だし、その怒りの発生源がどうこうなることもないと思うので、問題解決にも結びつかない。なので、やっぱり〈怒り〉を表に出すことは大切だと思う。

 

 もちろん、怒りに任せて主張したところで相手に伝わるとは思えないし、そこで中傷や人格否定にまで至れば最悪だ。よくネットでも見かけますが、もうちょっと冷静になれないのかと。感情、ダダ漏れですよ。あえてやってるのかもしれないけれど。

 〈怒り〉は、一種のエッセンスのようなものだと思う。何か嫌なことをされたとき、感情に任せて対抗しようとするんじゃなくて、自分の主張や意見をわかりやすく伝えるための、付加要素。言葉は冷静なまま、怒気のオーラを展開するのです。「てめーは俺を怒らせた」的な。あ、でも承太郎さんはガチギレしてたっけ*2

 

 ただ相手に謝らせたい、相手を納得させたいだけなら、「ふざけんじゃねえクソ野郎!」と喧嘩腰に向かっていくのも自由だ。でも、それで相手が謝るとは限らないし、内心は納得しているかもわからない。

 怒りの感情のままにぶち撒けても、相互理解に至ることはない。ただ罵倒するだけなら、「ばーか!」とか「しねー!」とか、小学生の暴言と変わりがない。それならば、言葉を尽くすだけ尽くしてみる方が、たとえ喧嘩別れになってしまったとしても、まだお互いに納得できるんじゃないかしら。

 

 

 

 

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*1:ラノベの場合、そんな主人公がいざというときには感情的に動き回るので、それが一種の魅力なのかもしれないけれど。

*2:オラオラしてはいけません。