「大人になる」ってどういうこと?「成人」との違いは?


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 「大人になるってどういうこと?」
 ──久しぶりに、そんなことを考えた。

 在学中、サークルの勉強会でも「成人」について取り上げたことがあった。当時はみんなで調べて話し合って、なかなかおもしろい議論をしたような覚えがある(詳細は忘れた)。その中で、人によって考え方の違いはあれど、大筋の見解は一致していた。

 「なんかこれ、ふわっとしてるよね」と。

 

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成人?大人?

 ふわっとしてる。曖昧というか、適当というか。定義はあるのに、誰もが「こうだ!」と自信満々に説明できない、そんな言葉。

 そこで、困ったときの辞書頼み、でござる。

 

  1. 心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間。おとな。現在一般的には、満20歳以上の者をいう。
  2. 子供が成長して大人になること。

せい‐じん 【成人】

 

 ──なるほど、わからん。
 「成人」=「大人」ってことはよくわかった。じゃあ「大人」って?

 

  1. 成長して一人前になった人。 一人前の年齢に達した人。⇔子供。
  2. 一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。また、その人。
  3. 昔は、元服後の男子、裳着(もぎ)を済ませた女子。

おとな 【大‐人】

 

 うーん……つまり、一人前で、自分の考えを持ち、責任を負うことのできる、そういう人こそが「大人」なのだろうか。冒頭よりはわかりやすくなったけれど、やっぱりふわっとしてる。

 

 

一人前として認められる

 「一人前」という言葉もまたふわっとしてるけど、内面的なものの表現であることは何となく想像できる。上にもある「思慮分別」や「責任」、それらを持った人間が「一人前」。つまりは「大人」なのだろう。

 一方で、外面的な「一人前」もある。いわゆる「おとなになったらできること」、つまり、飲酒・喫煙・選挙権等、諸々の権利のことだ。

 これらは、20歳未満の「子供」には認められていない権利。大人になって初めて出来るようになることであり、子供にとっては憧れでもあったりする。故に、「大人」の基準のひとつであることは疑いない。

 そのように考えると、「大人」とは、内面的にも外面的にも認められて、そうして成れるものであると言えるんじゃなかろうか。

 単純に20歳の誕生日を迎えたら大人の仲間入り、という訳ではなく、周囲の人間から認められて、初めて成るもの。そう考えると、少しはしっくりくる。

 

自分を認めて、相手を認める

 ここまでは大学生時代、まだ成人したての頃に考えていた内容。当時は基本的に同年代の仲間としか交流がなかった。今は社会に出て、たくさんの「大人」と話す機会がある。そして、こう考えるようになった。

 

 「大人」とは、「認めることができる」人。

 

 大人になるためには、周囲から「認められる」必要があると考えていた。でもこれは、言わば第一段階。大人になるためには、自分が「認める」側に回らなければ、回れなければならないと思う。

 大人大人と言うけれど、じゃあ子供っぽいってなんだろう?大人げない行為ってどんなもの?人の話を聞かない、分別がない、癇癪を起こす、短絡的思考。そんな感じだろうか。

 言い換えれば、自己中心的な人は大人げないと言える。自分中心の世界で、そこには他人がいない。他人の考えがない。他人を認められない。成長過程で自意識をしっかりと確立した上で、他者も認めることができる人こそが、「大人」と言うのにふさわしい。

 

 今書いていて、「ただの心の広い人じゃん」とも思った。でも、この「認める」は、何でもかんでも無条件に受け入れることではない。まず相手の存在を認め、その考えを聞き、理解した上で受け入れる。が、疑問はしっかりと口に出すし、自身の意見も表明する。

 自分の軸がちゃんとありながら、相手の考えや思想、文化、性格などを「それもあり」と言えること。これが、大人として他者を「認める」ことだと思う。

 「は?お前の意見なんか知るかよ」でも、「うん、そうだね。その通り」でもなく、「なるほど、そういう話もあるよね。僕の考えでは──」と言える人。否定から入るのではなく、かと言って全肯定するのでもなく、まず一度相手を受け入れ、認めることのできる人。

 

 そんなおとなに、わたしはなりたい。

 

 

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